1章
世の中知られていなことが多く、それは自分が思っている以上にたくさんある。
————未知との遭遇。
それは聞こえはいいが、果たしてそれが本人に有益かどうかなんて分かるはずもなく、例えば、唐突に宇宙から地球外生命体が侵略してきたとすれば、この世の終わりになるかもしれない。
何をバカなことを、と思うかもしれないが、絶対にないとも限らない。
そう。この世はありえないはずのことが起こりうる可能性があり、また起こると思っていたことが、起こらないこともある。
それは「ヒト」いわゆる生物学上の「人間」にも該当するもので、人間はこれまでにたくさんの進化を経て今の形になったのだろう。なら、もう進化はしないのか。もっといえば変化はしなのか。
それはまだ分からない。
特に人間には感情というものが付きものだ。故に表もあれば裏も存在する。そんな彼らは今この時を生きている。
「あ〜暇だ」
この男、白神新也は机に頬杖を付き、現在の状況にうなだれていた。
——時は戦国。令和の時代にもなったというのに、この日ノ本では絶えず戦がはびこっていた。
武士は刀を持ち、将軍はそれを先導し、民はそれを鼓舞する。まさに戦国時代。
「さて、店仕舞いでもするか」
そんな中。白神新也という男は順風満帆な生活を送っていた。
若くして刀の才覚に目覚め、15の時にはすでにいくつもの武功を上げ、更には将軍職に就くとまでささやかれいた。
そのため、18になった今、一生遊んでいけるほどの金を手にしたのだ。
金があれば人間どんな行動にでるか。それは言わずもがな。
白神新也は戦いをやめ、更には働く意欲すらなくなった廃人と化したのだ。
「今日はどこの店でまったりしようかね」
新也は腰に1本の刀を携え江戸の町に繰り出した。
新也は廃人になったとはいえ、別に引きこもりでもなければ、ニートでもない。
時間ができれば外に出かけ、うまい物を探し、欲しい物は特にないが目につけばそれを買う。そんな生活を送っている。それに働く気はないが、一応店の経営なんてものをやっている。ただの暇つぶしだが。
なぜそんな生活ができるのかって、そんな理由は1つしかない。
金があるから。
「今日はここにするか」
新也が足を止めた場所は、江戸でも特に人が多く、昼夜問わず、蟻の行列よろしく常に人でごった返していた大通り。そんなところで店をもてば売上間違いなしの優良物件な喫茶店だった。
喫茶店の扉を掛けると、カランカランと鈴の音がなり、それと同時に中からコーヒーの香ばしい香りが漂ってきた。
店の雰囲気は新也好み。
あまり着飾るわけでもなく、かといって手入れされていないわけでもない。アンティーク調な雰囲気で、静かな店内BGM。心安らぐ空間となっていた。
「これぞ休日の過ごし方だよな」
年中無休どころか、年中有休の男による休日の過ごし方は説得力が違う。
新也は女性店員に案内された席に着き、メニュー表をざっと見る。
「じゃあ、カフェモカを」
本当はこんな店に来たらブラックを頼んで、大人な雰囲気を味わいたいのだが、如何せん新也は甘党だった。
店員は新也からの注文を聞くと、1つのチラシを見せてきた。
「本日のおすすめはモンブランケーキとなっております」
おすすめを言うなら普通席についてからでは?
そんな疑問がふと頭をよぎりながらそのチラシに目を通す。
が、今は別にお腹がすいているわけでもないので丁重にお断りしておく。
「えっと、大丈夫ですので……」
遠慮がちの新也に対して店員は笑顔だった。
マ〇クにスマイルの注文をしたときみたいだな。まあ可愛いから許そう。これが男だったらその顔面に俺のアッパーを食らわせるとこだったがな。
「こちらのモンブランは本日限定で、残りあと1つしかないんですよ?」
あれ? 俺、今断ったよな? 聞こえてなかったかな。
「いえ、今は結構ですので……」
「しかも、今このモンブランを食べるとなんとお客様に幸運が! これはもう食べるしかないですよ! 今食べないなんてもったいない!」
「だからいらねえっつってんだろぉ! つか、なんだその悪徳宗教の勧誘みたいなのは!」
ついに我慢の限界がきた新也は声を荒げてしまった。
店の雰囲気に騙されてしまった。やはりどこも競争率は高く、日々の売り上げに苦しんでいたのだ。なんとも世知辛い世の中なのだろうか。
ため息をついた新也はもう大丈夫だろうと高をくくっていた。
「かしこまりました。では、カフェモカがお1つとモンブランケーキがお1つですね」
「だからモンブランはいらねえって言ってんだろ!」
しかし、新也の訴え空しく店員は一度頭を下げると店の奥に行ってしまう。
「ったく、どうなってんだこの店は」
そこでもう一度そのチラシを見る。
「つか高っ⁉ モンブラン、思ってたより高えし!」
なんとそのモンブランは1つ5,555円。ホールケーキでも持ってくるのかというレベルの値段である。しかも大きく税別と書いてあるのがより一層新也を腹立たせた。
しばらくすると、新也のもとにカフェモカと例のモンブランケーキが運ばれてきた。持ってきたのは新也から注文を受けとった女性店員だ。
よくもまあなに食わぬ顔で持ってこれたものだ。
そんなことを思っているとそれを察したのか店員が頭を下げてきた。
「申し訳ございません。私もどうにかしてお店に貢献しないと首を切られてしまいそうで」
「いや、だからってこれはやり過ぎだぞ。俺じゃなかったらキレてるぞ」
なにせ新也には金があるのだから余裕はある。
「もしこのお店で働けなくなってしまったら、私はもう体を売って生きていくしかありません」
頬に伝う雫を見て、新也はさすがに言葉を失った。
女の武器は涙とは言うが、これほどまで強力だとは……。
「い、いや、もういいよ。金ならあるから。このぐらいは」
「あら、お客さん。お金持ちなんですの?」
一瞬店員の目が怪しく光った気がする。するとなにを思ったのか、店員は唐突に、
「もしよろしければ、私を買いませんか?」
「か、買う?……」
「はい。私を買う。つまり私を飼うのです。そうしていただければ……」
そこで店員さんは新也の耳元に近づき囁く。
「実は私、男性経験がありませんの。買っていただければ」
そこでうふっと微小をこぼし新也から離れる。
新也はそれだけで様々な妄想を繰り広げていた。
もし、ここで新也が承諾すれば、これから毎日新也の好きなことができる。あんなことやこんなことが。
別に店員さんは可愛くないわけではない。むしろ可愛い。店の制服も似合っているし、胸も小さいわけではない。それに年齢も新也に近いし、これはもう断ること理由はないのでは。
金ならあるしな!
人間金を持つと思考がクズになるらしい。
「じゃ、じゃあいくらで……」
新也が商談の話を進めようとしたとこで、店員はその可愛い顔のまま言葉を遮った。
「なに本気にしているんですか。冗談に決まっているじゃないですか。誰があなたにバージンをあげないといけないのですか。そもそも私はバージンではありませんしね。お客さん、こんなお店に行くより、まずは病院に行った方がいいですよ」
「…………」
からかいが成功したようで、女性店員は肩を震わせながら奥へと消えていった。
新也は違う意味で肩を震わせていた。それはもちろん怒りで……。
初めて女を本気で殴りたいと新也はこの時思ったのだった。
それから新也は早々に店を後にしようと思い、頼んだカフェモカと頼んでいないのに運ばれたモンブランケーキを乱暴に食した。これまた腹が立つのが、モンブランケーキが普通にうまいことだ。まずかったら、それこそ店長を呼んで文句の一つでも言ってやろうかと思っていたのだが。
「くっそ……」
女にもてあそばれて捨てられたらこんな気持ちなのかな……。
だんだんと怒りから気持ちがブルーになってきた。
そんな時、なにやら店が騒がしいのに気がつく。
新也は死んだ魚のような目で騒動が起きている場所へ視線と移すと、そこでは揉め事が起きている模様だった。
さては、さっきの店員が自分と同じように他の客にも悪徳商法でもしているのかと思い、それならざまあみろと思っていたのだが、どうやら違うようだ。
1人の少女が困ったようにうつむいている。
服装は赤を基調にフリルが多くついているもの。どこかの祭りにでも出かけたかのように着飾っていた。クセのある髪を上で二つにまとめているあたり間違いなさそうだ。
今時、あんな珍しい格好をしている奴がいるんだな。
新也の目にはちょっと新鮮で目の保養になった。
なにせミニスカの浴衣なんてそうそう拝めるものではない。
どうやらその格好につられた他の男もいたようで、その少女を囲むように男が3人詰め寄っていた。
男たちは下卑た笑みを浮かべ、考えが目に浮かぶ。どうせナンパでもして楽しく遊ぼうと思っているのだろう。しかし、少女はそれを拒んでいるようで、それで困っているらしい。
「なあ、いいだろ。ちょっと俺らと遊んでいこうぜ」
「そんな格好で出かけたってことは遊びに出てきたんだろ?」
「だったら俺らと遊ぼうぜ。なんでもおごってあげるぜ」
と、そこで男の1人が少女のスカートに手を伸ばした。
「こんな短いの履いてんだから、誘ってんだろ? 俺らならいい相手になってやるぜ」
少女の見た目は傍から見ても幼い。せいぜい15にもなっていないだろう。そんな相手をナンパするなんてこの世のロリコン化は進む一方だな。
などと考えながら新也は静観していた。別に少女のスカートの中が気になったわけではない。かといって「助けないと」と思ったわけでもない。
少女は自分のスカートに手を伸ばしてきた男から距離を一瞬でとったのだ。素人の動きではないとすぐに分かった。もしかしたらよく声を掛けられるから慣れているのかとちょっと不思議に思い見ていたのだ。
しかし少女が逃げた先が良くなかった。そこは新也が座っているすぐ隣だったのだ。
当然、男たちは逃げた少女を追う。
ちらっと少女は新也に視線を移したが、新也はその視線からすぐさまそらした。巻き込まれてはごめんだ。なにが悲しくて休日に人助けをせねばならんのか。それに少女は別に助けを求めているようには見えなかった。その目には店内の様子、そして物と人の配置を把握するような鋭い視線があった。
「逃げなくてもいいだろ〜」
下卑た笑みを浮かべたまま男たちが近づいてくる。
さすがにうっとうしいと感じできた新也。無理に注文されたモンブランに続き、店員にバカにされた新也の沸点はだいぶ低くなっていた。
そこへ追い打ちをかけるかのように、近づいてきた男たちの一人が誤って新也のモンブランを落としてしまったのだ。
「おっと、すまねえな。っち、手が汚れちまったぜ」
「…………」
我慢の限界だった。
新也は静かに立ち上がる。
ゆっくり休日を過ごしたかっただけなのに、いい店を見つけたと思ったら、欲しくもない高いケーキを無理やり注文され、その店員にからかわれ、挙句の果てにはそのケーキすら完食すことができない。こんな日があってたまるか。
新也は腰に携えた刀を抜いていた。さすがに抜刀はせず、鞘に納めてはいたが。
「いい加減にしろよ……」
この世に恨みを携え、怨念のこもった低い声だった。しかし男たちはそんな新也には気づくことなく、少女の方にしか視界に入っていない。
そこへ新也は後ろから1人の男を殴り飛ばした。鞘に納めた刀で。
唖然とする残りの男。一瞬にして静まり返る店内。そして意識を失い伸びている男。
「ってめぇ! いきなり何しやがる!」
我に返った男が怒鳴った瞬間、店内は悲鳴であふれかえった。逃げまどう客とそれを静めようとする店員で休日の一時とは正反対の空間ができあがってしまった。
しかし新也にはもうそんなことを考えている余裕などない。とにかくこの怒りをぶつけたい。
「何しやがるはこっちのセリフだ! 欲しくもねぇもん買わされて、女店員にはからかわれ、しかも、無理やり買わされた無駄に高いケーキを潰されて、俺にも我慢の限界があんだよ!」
「し、知らねえよ! それはてめぇの問題だろうが!」
一瞬新也の目に気おされた男だったが、それでも男のプライドだろうか。なんとか新也に噛みついた。
「だったらこのモンブランにはどう説明すんだ、あぁ? これ1個で5,555円したんだぞ!」
しかも税抜きで。
金持ちのクセになんとも小さい男の姿がそこにあった。
新也の視線に合わせるように2人の男が床に視線を向ける。そこには見るも無残につぶれてしまったモンブランケーキの姿が……。
「だから知らねえよ! たかがケーキ1つで————」
しかし男の声はそこで途切れた。
「たかが、だと……」
新也が刀を1人の男の頭に振りおろしていたのだ。頭からは振りおろされた刀の威力を物語るように鮮血が滴っていた。そして意識をなくし倒れる男。
「やりやがったな……。てめぇ!」
それを見ていた残りの男が新也に殴りかかってきたが、新也はそれを見ることなく躱すと、今度は男の腹に刀を打ちつけた。
「ぐぇぇ」
車に引かれたカエルはこんな音とともに絶命するのだろうか。そんなうめき声を鳴らしたと同時に、ホームランよろしく振り切った刀の軌道を描くように男の体が吹き飛ばされる。
またも静まり返る店内。
「まじで今日はついてねえ」
一人ごちる新也。
そこで新也は一人の店員に視線を向ける。それは新也をからかった店員だった。
「ひっ」
「お代はこいつらからもらえ」
明らかに怯えている店員を一瞥すると店を後にした。
その間、女性店員は身動きが取れなかった。もしかしたら自分は藪の蛇をからかってしまったのではと、その恐怖が体を支配していた。
新也が店を出て、今日はもう自宅でゆっくりしようと家路を急いでいる頃にはもうすっかり日が傾いていた。
そんな夕日を背に新也の気持ちは憂鬱だった。こんなに不幸が続いたのは珍しい。もういっそ引きこもりになろうか。
新也の廃人化が進んだ日になったしまった。
そんな沈んだ新也に声を掛けるものがいた。
「ねえ、ちょっと」
悲しいかな。新也には友達と呼べる存在がいない。それどころか、知り合いも顔見知りもいなければ、家族なんてものもいない。そんな新也に声を掛ける人などいないはずなのだが、あまりにも今の新也が滑稽で笑えるので声を掛けてきたのか、そんな自嘲とともに声のした方に振り向くと、そこには先ほど喫茶店で絡まれていた少女がいた。
「......なんだ。さっきのガキか」
もう言葉を返す気力もない。ほっといてくれ。
今の新也には覇気を感じられなかった。
「誰がガキよ!これでも一応そこら辺の大人より大人と思っているよ!」
なのにこの女はぎゃんぎゃんと吠え始めた。頭に響くから静かにしてほしいものだが。これはまた面倒なことになりそうな予感がし始めた新也はこの場を逃げる算段を考え始めた。
「はいはい。大人、大人。大人だったら俺の今の状況分かるだろ? そっとしといてくれ」
「た、確かにそうかもね。あんたの話を聞く限り……」
少女はなにやらまだしゃべっていたが、聞くのも面倒なので新也はその場を後にした。
が、しかしそれで諦めてくれるはずもなく、新也を追いかけてきた。
「しつこい……」
新也はこれ以上絡まれるのはごめんなので、ちょっとした路地裏に入り、角を何度か曲がって少女を撒こうとした。しかしなぜか分からないが、姿見えなくなったはずの新也を正確に追いかけてくる少女。
これ以上逃げても逆に疲れるだけだな……。
そう考えた新也は逆に問い詰めて用事をさっさと済まそうとした。
「逃げ足はやいなぁ、もう」
追いかけてきた少女を新也は逆に後ろから声を掛ける。
「よう」
「きゃぁ?」
なんともかわいらしい悲鳴をあげるものだ。どこら辺が大人なんですかねぇ。
逆に聞きたくなってきた。
驚かされた少女は身を翻し、すぐさま新也から距離を取る。
どうやら男の手から逃げたあの動きはただスカートを心配したからではないらしい。普通の人だったら驚きで逆に身動きが取れなくなるものだが、この少女は相手と距離をとり、すぐさま安全圏へ逃げた。そして次には新也の動きを一挙手一投足見逃すまいと鋭い眼光を発している。
新也が思っている以上に面倒な相手だったことはすぐに分かった。
「で、何の用だ」
気だるげに聞いた新也に少女は危険性は低いと判断したのか、鋭い眼光を納めた。
「何の用だ、じゃないよ。せっかくの獲物をだったのに、あんなにめちゃめちゃにしちゃって」
獲物? なにを言っているのだろう。別に少女がなにかを狙っていた様子などなかったが。しかも状況的には少女は新也に助けられた方であって、文句を言われる筋合いはない。
早く帰りたい新也は早々に話を終わらせようとする。
「あーそりゃ悪かった。別に俺はそんなつもりじゃなかったんだが、なんか悪かったな」
特になにが悪かったのか、そんなつもりがなったと言ってもどのつもりなのか、新也自身にも分かっていなかったが、とりあえず誤っておく。そうすれば、大抵は許してもらえる。これ、社会での蘇生術な。
なんともポジティブな思考だった。
しかし新也のポジティブシンキングは空を切り、少女は逆に怒りをあらわにし始めた。
「ねえ、分かってないのに謝られるのって、そっちの方が腹立つんだけど」
「バレたか……」
「隠すつもりがないところも腹立つし。まあそれは置いといて、はい」
少女はいきなり新也に手を差し出してきた。
新也は考える。少女が自分に手を差し伸べている。それの意味することは。それはひとつしかないので……。
「…………」
新也は無言でその差しだされた手を握った。
「違うよ!」
違ったらしい。
「いや、でも急に手を出されたら握るだろ。手を繋ぎたいのかなって思っちゃうだろ」
「思わないよ! 思ったとしてもそれは仲がいい間柄だけのことだよ!」
確かに。少女の言っていることは正論だ。初対面の相手と手を握りたいと思うのは歪んだ性癖の持ち主かただの変態だ。
「お前の主張は分かった。つまり…………俺と仲良くなりたいってことだな!」
「だから違うよ! どうしたらそんな思考になるんだよ!」
どうしたらと言われても、彼女がほしいと恋焦がれながらしかしその実、出会いすらなければそんな思考にもなるわな。ちなみに年齢イコール彼女いない歴である。
「お金」
そんな悲しい事実に涙が出そうになっていると少女はいきなり呟いてきた。
「は?」
「だから、お金頂戴って言ってるの!」
「いきなりなに言い出してんだよ! 文脈がおかしすぎて理解できねえよ!」
自分が説明不足だと思った少女は先ほどのことについて説明を始めてくれた。
「さっきの男たち、3人いたでしょ。あの男にわざと目をつけられて、逆にお金を奪ってやろうと思ってたの。そしたらなんかあんたが出てきてみんなぶっ飛ばしちゃうし」
「だだのおやじ狩りじゃねえか!」
まさかの真実に叫んでしまった。まさか金に困って他人の財布を拝借しようとしてるとは、しかもこの歳でそんなことをするなんて、ほんと世知辛い世の中になってしまったな。
知りたくもない真実に新也の心は廃れていくのであった。
「あんたが私の仕事を邪魔したので今日のご飯がありません」
「だからどうした? まさかそれで俺から金をせびりにきたのか?」
新也の疑問に当然と言わんばかりに少女は笑顔で答える。
「ふざけんじゃねえ! 自分の両親にせびれや!」
しかしそこで少女は顔をうつむかしてしまう。薄暗くなった路地裏は更にその少女を憂鬱に見せてしまい、新也は焦る。
しまった。これでもし両親がもういなくて1人さまよっているんだとしたら、さすがの俺でも良心の呵責に耐えかねるぞ。
自分も戦争で両親を失っているのだ。それなのに少し配慮が足りなかったと心配する新也だったが、少女はうつむいた表情から少し罰が悪そうに、
「今はちょっと帰れてないの。旅に出てきたから……」
「ただの家出じゃねえか! 心配した俺の気持ちを返せよ!」
「なんだ、心配してくれるんだ。案外お人好しだね。だったらさ」
また手を差し伸べる少女。だが、少女の置かれている状況を理解した新也は、
「だったらじゃねえよ。家帰れよ。親も心配してんだろ」
「私の親は私を心配なんかしたりしないから大丈夫だよ。私こう見えて結構たくましく育ったからね」
「知らねえよ。てめぇの育ちぐわいなんか」
まあ、女性としての一部はまだまだ成長してないけどな。
その新也の視線の先には平らな---—。
「——っ⁉」
新也の思考が読みとれたかのようなタイミングで耳をつんざくような音がしたと思うと、頬に痛みが走った。
「私はまだ成長するからね。そこのところ間違えないように」
「…………」
硝煙の臭い。小さく揺蕩う煙。少女が手にしているものは---—。
「物騒なもん持ってんじゃねえか」
少女の手には鉄でできた筒状の武器————拳銃が握られていた。それが火花を散らしたのだ。その痕跡が新也の頬に伝う血が物語っていた。
一瞬にして張りつめる空気。銃口を向けられた新也は少女を睨みつける。
「私だって丸腰であんたに会うわけないでしょ。それこそさっきの男みたいに」
「どうやらてめえ、ただもんじゃねえな」
腰に刀を携えているとはいえ、新也の実力を一目で判断できるのは並大抵ではできない。そもそも太刀筋を見ただけで人の実力を計れるだけで相当だ。
「まあね。あんたのあの戦い方。結構戦場慣れしてる感じだったし。目の動き、足の運び方から間合いの取り方まで一連の動作が普通とは違った。」
「それが分かった上で俺を襲うわけか? やだね〜。これだから最近の若いもんはとかっておばあちゃんたちに嘆かれちまうんだぜ」
「私だって不本意だけど、これも生きるためだからね。それにちょっと面白そうだし」
「強いやつと戦えるのが面白いとか、どこのサ〇ヤ人だよ。まったく……」
「…………」
「…………」
そこで会話が途絶えると、後にはにらみ合うだけの静かな空気が流れる。
そもそもなぜ新也はいきなり銃を突きつけなければならないのか、まったくもって理解できない。普通に帰ろうとしていたら、少女に声を掛けられ、金をよこせよと言われ、挙句の果てには拳銃で脅される。今日だけでどれだけの不幸に見回ればいいのやら……。
さて、この状況をどうしたものか。正直こいつを力でねじ伏せるのはわけない。こんなガキ相手に後れをとくことはないだろう。しかしどうだろうか。こんな少女を男である俺が刀で打ちつけてしまったら、そしてそれを目撃されたら、一発でお縄である。幸い人気がないとはいえ絶対に見られないとは言いきれない。そもそもさっき一発撃ってるから、それで様子を見にきた人がいればアウトだ。
判断に悩んでいる新也をよそに先に動いたのは少女の方だった。
袖からもう一丁の拳銃を取り出すと、迷うことなく新也に向かって撃ってきた。
「ちっ!」
新也は仕方ないと諦めて、とりあげず撃たれた弾を躱す。条件反射的に新也は刀を抜いていた。でもさすがに今回も鞘には納めた状態で。誤って切りつけてしまい、殺人現場など作ってしまうのはごめんだ。
新也は態勢を低くし弾を躱すと、そのまま一気に少女へ距離を詰める。
確かに拳銃は殺傷能力が高いが、その分近距離には弱いはず。撃たせなければただのおもちゃにすぎない。
「へぇ〜。これを躱すんだ」
しかし、少女はその行動を読んでいたかのように新也に向かって蹴りを入れる。
「まじかよ」
まさか近接戦まで得意だとは思いもよらなかった。そもそも小柄な少女の蹴りなど簡単に受け止められると思い、腕でそれを防いだが、その腕がビリビリと骨にまで衝撃が響いている。まさかの攻撃に新也に隙が生じる。その隙を見逃す少女ではなかった。
「チェックメイトだよ」
一瞬にして新也の後ろに回ると後頭部に拳銃を突きつけた。
「----」
路地裏に銃声が飛び交う。その後に漂う煙と硝煙の香り。そして少女の目の前には新也の姿が……。
「消えた⁉」
少女の目の前には新也の姿はなく、地面には先ほど少女が撃った痕跡が残っているだけだった。
「別に消えたわけじゃねえよ」
新也の声は少女の真後ろから聞こえてきた。少女は新也の速度に反応できなかったのだ。
いつの間に後ろへ行かれたのか分からない。まさか自分が速度で負けるとは思っていなかった。自分の一番の自慢である速度で負けるとは……。
少女は怒りを覚えながら振りかえった瞬間に拳銃を新也に突きつけようとしたが、それを読んでいた新也は簡単にその拳銃を刀ではじいた。
空高く舞う二つの拳銃。そして今度は武器をなくした少女に新也が刀を突きつけた。
「これに懲りたら、変なことしてないで家に帰れ。それと俺に今後関わるな」
「…………」
新也の心からの願いだった。こんな面倒なことはこりごりだ。もしこのままこの少女と関わっていればまた面倒なことになりかねない。今日だけでこれなのだ。頼むから帰ってくれ。
果たして少女にその願いは届くのか。
「…………分かったよ」
思ったよりあっさり引き下がってくれた。これでも、なにか言うならもういっそ気絶させようかと思っていたので、嬉しい誤算だ。
「まあ、私の後ろを取れる人に勝てる気がしないからね」
「そうかよ。だったら大人しく帰れよ」
そこで新也は緊張の糸を切り、腰に刀を納める。それから歩を進め裏路地から出て行く。
少女はそんな新也の背を見つめながら、
「うん。ちゃんと帰るよ」
怪しく目が赤く光るのだった。