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異世界まぜこぜ(魔法とかナシ)

「この結婚は形式上のものだ」と宣う覇王へ「わたくしを愛する必要はありません」と応じる亡国の姫

作者: 仁司方


 荘厳極まる華燭の典は初日がようやく終わり、しかし夜半をすぎてもお祭り騒ぎに沸く民衆たちの興奮は収まることなく、堀と城壁を隔ててなお、その浮ついた気分が伝わってくる。


 皇宮のバルコニーからは、祝賀にかこつけ都の各所から打ち上げられる花火がよく見えていた。


 明日以降も三週間に渡って婚礼の儀は続き、そのあとさらに、大陸各地の主だった都市を巡回してパレードを披露するのだ。


 一世紀におよんだ戦乱に倦み疲れている大陸の民衆は、あらたな秩序の確立を心から待ち望んでいる。


 バルコニーに立つふたりの男女――覇王レイグリフと皇女クレアペトラこそが、統一と和解の象徴となるべき存在であった。


 いまは名も忘れられた古代の王朝から衣鉢を継ぎ、さらに二千年の時を閲したヴァルディオール皇統の血脈に生まれたクレアペトラは、オリーブ色の(はだ)に青い眼、豊かな亜麻色の髪で、(かお)の造作がくっきりとした美女であった。

 見る人によっては、険のある相、と評するかもしれない。


 いっぽうのレイグリフは、黒髪に赤い眼、雪のように白い膚という、大陸の北方と東方の民族の特徴が入り混じった容姿であった。整った顔貌ではあったが、その双眸や鼻梁、頬骨が与える印象の鋭さはクレアペトラの比ではない。


 余人を交えることなく相見えるのは、はじめてのことであった。


 空に閃光の花が咲くたびに、向かい合うふたりの貌が幻想的に照らし出される。


「貴女も承知の上ではあろうが、この結婚は形式上のものだ。思った以上に交渉が早くすんだゆえ、今日のところは時間に余裕もあるが、各国の使節や大使がやってくれば、夜間も会談やら儀礼やらで埋まるだろう。なにかあれば、いまのうちに伝えてもらいたい」


 さきに口を開いたのは、新郎のレイグリフであった。

 二百万の人血をもって乱世を束ね、自らも戦場で千人は斬ったという覇王の声の底流には、聞く者の魂を凍らせる響きがあった。


「われわれの要望を陛下はすべて受け入れてくださいました。わたくしから求めるものは、もうなにもありません、陛下のご随意に」


 武威によって大陸をふたたびひとつの旗の元に統御した覇王に対し、新婦クレアペトラは嫣然たる笑みと涼やかな鈴のような声で応じた。


 皇女――正確には、三日前に三十五年間空位であった帝冠を引き継ぎ、第百二十二代ヴァルディオール帝国皇帝に、そして最終帝(ラスト・エンペラー)となることが決まっている女帝クレアペトラは、覇王レイグリフが新生帝国の成立を宣言するための政治的道具であり、もちろん己の立場をわきまえている。


「貴女とはお目にかかって以降、ずっとひざ詰めで話をしたが、政治面のことばかりであったし、文官がずっと貼りついていた。おそらく、ふたりだけで話す機会はこれが最初で最後だ。なにかひとつくらい、あるだろう?」

「そうですね……しいて申しあげますなら、この島への課税率は、昨日のお話の三倍になさるのがよろしいかと」


 三日間に渡った無血開城の交渉の席とまったく変わらないクレアペトラの様子に、レイグリフはわずかだが鼻白むことになった。


 これまで事務的な話ばかりだったから、個人的要望がなにかあれば、と思っただけなのだが。


「……大陸の各地と、同じ税率にしたまでだ」

「本土から海を隔てているために戦火をまぬがれたわれわれにとって、二十分の一の税は軽すぎます。応分の負担によって、これから復興へ向かう陛下のご所領の助けとなることができましょう」


 クレアペトラの声に私的な響きはない。


 この島、セードスは、往古より海上交易の中継点であり、皇帝の離宮がおかれていた。

 帝国各地が乱れ、任地を私物化して相争う藩公を、あるいは境外から入り込んで僭主となった蛮族を、抑えることができなくなったヴァルディオール皇統は帝都コンスタンテンフォールムを捨て、島へと移った。


 クレアペトラの父ラオンディウスは、建前上は大陸全土の統治者でありながら零落を重ね、とうとう島ひとつのみを有するばかりとなったヴァルディオールの末裔として「無地帝」と物笑いの種にされることを嫌い、帝冠を戴くことを拒んでいた。


 大陸すべてを征したレイグリフの艦隊が島の周囲を埋め尽くしたとき、クレアペトラは宝物庫に封印されていた帝冠を引っぱり出して〈皇帝〉の立場で交渉に臨み、剣の鋭さと流した血の量のみで人々を従えてきた覇王へ、数千年の歳月を重ねた伝統の衣を与えようと持ちかけた。


 大権と引き換えに、セードス島を戦火から守ったのである。


 海に守られ、大陸の騒乱から距離を取っていたセードス島には、帝国最盛期の文化文物がいまも息づいていた。戦禍がうち続いた帝国の旧本土にはもはや残っていないものだ。


 戦の準備しかしていなかったレイグリフとその麾下は、交渉妥結から一夜で、帝国の継承者とその禁軍としての偉容を尽くす格好を整えていた。

 それだけの、いまの大陸では考えられない豊かさが、さして広くもないこの島には蓄えられているのだ。


「……それは、帝国の主としての務めを考えてのことかな」


 血を流すしか能のない蛮族へ文明を授けた、真の王として振る舞うのかと、眼底に熾火のような光をゆらめかせたレイグリフに向け、クレアペトラは穏やかな笑みでかぶりを振る。


「大陸の速やかな復興は、この島の利益ともなります。東洋、あるいは南洋からもたらされるさまざまな物品は、本来の行き先であった西方大陸の販路がふたたび開かれる日を待ちわびている」

「……貴女が百年早く生まれていれば、大陸すべてが昏迷に包まれることはなかっただろうな。ヴァルディオール帝国も衰微などしなかったろうに」


 あらためてクレアペトラの知性と見識を認め、レイグリフは歎息をついた。


 レイグリフは両親を知らず、藩公のひとりマクシムスに仕える傭兵隊長ラガノスに奴隷市場で買われ、その下僕として使われていた。

 何人いるか数えたこともなかった奴隷の小僧に利発なやつが混ざっていると、ほどなくして気づいたラガノスは副官候補として育てることにし、少年が最初に読めるようになった文字をその名とした。


 すなわち(レイ)(グリフ)と。


 終わりのない面子と縄張りを懸けての抗争のさなか闘死したラガノスのあとを襲って傭兵隊長となったレイグリフは、悪政を糺明してマクシムスを討ち、それを皮切りに乱世きわまる大陸を平定する事業に乗り出したのであった。


 ラガノスに買われたときは、はたして八歳だったのか九歳だったのか。その七年後にラガノスは斃れ、さらに二十年をかけて血旗の元に大陸全土を服従させ、いまレイグリフはおそらく三十代の半ばである。


 もしヴァルディオール帝国が弛みなく統治をつづけていたら、レイグリフがふた親を(うしな)い、己の名も知らぬままに奴隷として売られることはなかったであろう。

 いや、帝国の治世が盤石であれば、そもそも遠く離れた土地の民族が流され入り交じることもなく、レイグリフは生まれもしなかった。


 そして自分は幸運児でも救世使でもなく、世界があるべき姿を失したがために生まれ落ちた忌み仔(スポーン)なのだということを、レイグリフは承知していた。


「陛下はヴァルディオールが本来負うべき義務をはたしてくださいました。帝国のすべてを陛下が受け継ぐのは当然のことです」


 クレアペトラの声と眼には、皇統でありながら島ひとつの安寧に閉じこもることを選び、帝冠の重みを忘れようとした父とそれに先立つ数代の不甲斐なさへの憤懣と、それでも連綿と継承されてきた名を自ら棄て末代となる負い目、そして覇王レイグリフへの憧憬が入り混じっている。


 二十歳をようやく迎えたばかりの娘に重大な判断を強いる、それが血脈の業というものであった。


「私は帝国が欲しくて戦ったわけではないのだがな」


 と、レイグリフは苦笑気味にかぶりを振った。


 大酒飲みで女好きで腕っぷしの強さだけが取り柄の、しかし邪悪ではなかった傭兵隊長ラガノス。

 鎖につながれていたレイグリフを気まぐれに拾い、しばらくのちには養父のような存在となった。

 苛政を敷くマクシムスの鞭として働いていたラガノスは、もちろん善き人間だったともいえない。


 しかし、レイグリフも正義や善政に志向や興味があったわけではなかった。

 ただ、剣に生き剣で滅びたラガノスへ、マクシムスがしかるべき敬意を払わなかったから、問い質しただけである。


 奴隷上がりの小僧に正論をぶつけられ激高したマクシムスは、当然のように身分卑しき下男を殺そうとした。

 その場で返り討ちにするのは簡単だったが、レイグリフは養父の傭い主に愛想が尽きたので、ただ逃げるつもりで、その場を離れた。

 逃してくれなかったのは、すでにレイグリフをつぎの頭領にすると決めていた、仲間やラガノスの元部下たちだった。


 担がれるまま、仕方なく適当な口実でマクシムスを討って根拠地を確保したレイグリフは、そのまま戦乱に巻き込まれていったのである。


 大陸を割拠する群雄の一勢力で終わらなかったのは、レイグリフの天性の軍略の才もあったが、なによりも運だ。


 レイグリフと同等、あるいはより勝れていたかもしれない英傑候補の多くが、流れ矢で斃れ、あるいは病禍に捕まり、栄光を半ば手中としながらも黄泉へと沈んでいった。

 裏切りによって背中から刺された者もいれば、だれも信じることができなくなって孤立し、豪奢な宮殿の一室に閉じこもり、眠ることも食べることもできなくなって、王でありながら乞食のように死んだ者もいた。


 覇王の赤い眼が過去の流血を見つめていると気づいて、クレアペトラは物憂げにうつむく。


「……陛下が泥中をさすらい、民草のために戦っているあいだ、ずっとわたくしは、この島で安穏とすごしていました」

「貴女がヴァルディオールの血筋に生まれたのは、貴女自身の選択ではない。私も、この身を望んで生まれてきたわけではないし、べつに民衆を救済しようと思ってやったことでもないのだ。貴女が責任を感じる必要はない」

「……無力な者が、負えもしない責任を感じるのは、傲慢でしょうか」


 皇統としての義務をはたせず、大権を委譲する選択しか手元に残っていなかったクレアペトラへ、レイグリフは肩をすくめてみせる。


「責任など気もかけずに藩公やら僭王の首を刎ねて回った私のほうが、よほど傲慢、傲岸であろうよ」

「陛下は、統治の責任をはたされています」

「感じていないさ、責任など。ただ多少の義理があっただけだ」


 そういうレイグリフは、面倒くさげであった。

 実際、この男は野心に突き動かされたことはなかったのだろう。だれかから頼りにされれば断れず、気に食わない相手の命令を聞かなかった。ただその繰り返しが、いつしか血で舗装された覇道に変わっていたのだ。


 クレアペトラは意を決して三歩の距離を詰め、レイグリフの右手を諸手で取った。硬く節くれだった覇王の手に対し、皇女の手は細く脆そうで、レイグリフが無造作に握り返せば折れてしまいそうだ。


「陛下……どうか、愛してください、傷つき、癒やしを必要としているすべての民を」

「貴女は、愛することができているのだろうな、見たこともない辺土の野蛮人(バルバロイ)ひとりひとりにいたるまで、帝国の民すべてを」

「現実を知らないから、きれいごとをいえるだけなのだとは、わかっています」


 はじめて、レイグリフの顔に笑みが浮かんだ。右手を取るクレアペトラの諸手に、左手を重ね合わせ、いう。


「それでかまわない。知ればいいというものでもないさ。私には、いっそ最後まで逆らってくれれば心置きなく殺してやれたのに、という顔ばかり思い浮かぶ」

「わたくしへの愛は望みません。その代わり、陛下の臣民たる者たちへの愛を」

「悪いが、私はそういう性分ではない」


 ふいに表情が消え、レイグリフは手をほどいた。クレアペトラの貌が、哀しい色に染まる。


 鉄面皮に戻ったレイグリフは淡々とつづけた。


「私は生まれもっての王ではなく、神や天から力と権威を授けられたわけでもない。万民の父など、願い下げだ」

「それでも、陛下は正しき王としてこれまで歩んでこられています」

「私は単に、目の前の相手の流儀をそのまま返してきただけだ。悪意あるものには悪意を、敬意を払ってくれたものには敬意をもって応じてきた。それだけだ」

「……わたくしは、陛下によき統治者(ドミヌス)たれと求めました。お応えは、いかがなりましょう?」

「私は人間だ」


 そっけない返しだったが、覇王の底には寂寥があるのだと、クレアペトラはようやく気づいた。

 いや、彼女のほかには、これまでだれも気に留めようとしなかった。


 憎悪され、恐怖され、利用され、頼りにされ、尊敬され、仰がれることはあっても、レイグリフ自身の声を真に聴こうとした者は、だれもいなかった。


 クレアペトラは五歳の子供を相手にするときのように優しく微笑み、諸手を伸ばしてレイグリフの両肩をつかむと、そのたくましく丈高い身を屈させる。レイグリフの総身に力はなく、あらがうことはなかった。


 ここ二十年、他者にひざを屈したことのなかった覇王の顔を胸に埋めさせ、豊かな黒髪の頭と背に腕を回して抱擁する。


「レイグリフ、わたくしはあなたを愛します。だから、あなたも愛してください。わたくしではなく、あなたの愛を必要とするすべての人々を」


 ひときわに(おお)きな花火が光の尾を曳きながら打ち上がり、空に大輪の華を咲かせた。


 その閃光は、一瞬、闇に覆われた地上をくまなく照らしたが、皇宮のバルコニーでひとつに重なるふたりの影を目にした者はいなかった。


 なすがままにされていたレイグリフは、ほどなくクレアペトラの胸から顔を上げた。


 皇女の手から離れて身を伸ばしたが、それもわずかなあいだで、すぐにクレアペトラの肩と腰へ腕をかけ、横抱きにかかえ上げる。


 びく、と身を固くしたクレアペトラへ、有無をいわせぬ、しかし冷徹な覇王のものとは異なる声をかけた。


「私が愛するのは貴女ひとりだ。貴女の愛するすべての民草のことは、せいぜい、嫌いにならないよう努力するとしよう」

「……はい」


 レイグリフは新妻をかかえたままバルコニーから室内へ戻り、開け放たれたままの窓に吹き込む風が、カーテンを動かして視線を閉ざした――



    ・・・・・


 覇王レイグリフは氏を持たず、神とも天啓とも無縁の一人間であることを最後まで誇りとしたため、後期西方帝国に王朝名はない。


 レイグリフとクレアペトラの四人の皇子は、それぞれ近東沿海、北方、西方、央海沿岸を治め、五人の皇女は東方、南洋の諸勢力との修好のよすがとなった。


 セードス島には当時の皇宮の一部がいまも遺っており、ヴァルディオールの最終帝(ラストエンペラー)クレアペトラの衣と伝えられる、絹のドレスも旧皇宮博物館に所蔵されている。


 その胸もとにわずかに残るかすかな染みは、伝承によれば、皇宮のバルコニーでクレアペトラに抱擁されたとき、愛に餓えていたレイグリフが流した涙の痕なのだという。



    了


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[一言] 格調高い歴史の語りを聞いたような荘厳さと漂う王者の孤独が見事でした。 ひとりの人間として抱き合った少女の胸は熱かったろうな…
[良い点] 4男5女って、どれだけ頑張ったのか 外野が「側室を」とか絶対言えないヤツだ
[良い点] レイグリフ、己の道を突き進んだ結果覇王になったという人生ですが 覇王という言葉に相応しい豪傑ですね。 クレアペトラもまた、その隣にいるに相応しい淑女だと感じました。 歴史の1ページを目撃し…
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