第五刀 整体師
時間にすれば10分ほどの仕合。しかし今までの人生の中で最も濃密な10分間だったと将太は断言する。
――――く~~~~っ!!初めて生で見たけどやっぱり、武芸科の人達の勝負は凄い!!今度、直接話を聞いてみたいな
先程までの仕合を脳裏でリプレイしながら、気になった点をメモしながらその場を後にする。
明日の学園生活を楽しみにしながら、将太は学園を後にした。
将太が10分間の仕合に感動したように、二人の仕合を見た武芸科に所属する若き武士は、各々に仕合に感じた事を胸に秘め、その場を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆◇
試合を終えた心護と気絶から目が覚ました仙弥の二人は、柳道に連れられて保健室にて怪我の手当を受けていた。
「全く!あんたの気まぐれには困ったもんだよ!
仮に私が早上がりしてたらどうするつもりなんだい!!」
心護の筋肉を解しながら大戸綾子は、柳道に文句を言う。ギロリと鋭い目線を向けられた柳道は、普段の雰囲気がなりを潜め、誠心誠意頭を下げる。
綾子は、武術連盟から派遣された整体師であり、仕合を行った生徒達は派遣された整体師のケアを受けないといけない決まりがある。
防護素材があるとは言え、筋肉がダメージを受けたのは事実である。それをそのままにしてしまえば、正しい型を行えなくなる為の対処であり、未来ある武士を守る為の規則である。
そして大戸綾子は、この道40年の大ベテランであり、還暦を迎えて尚、真っ直ぐと伸ばされた背と、経験を感じさせる皺、年齢以上に若く鋭い瞳が、彼女がいい年の取り方をした老女であると示している。
事実、柳道に視線を向けつつもその手は淀みなく、心護のダメージを受けた筋肉に処置を施している。既に心護よりダメージの大きかった仙弥の処置を終えている事を踏まえても、熟練の技だと言わざる得ない。
柳道自身、ある程度の無茶を行えるのはこの人が在籍しているからと言う事もあり、学園では頭の上がらない人物だ。
「はぁ。まあいいさ。不本意だけど、あんたら見たいなガキ共の我が儘の尻拭いには慣れてるからね。
それでも、毎度のことだけど大人として言わせて貰うよ。
あんたがどれだけ能力が高くても、経験が足りない子どもである以上、事故は起こりえる。
だから、やるなら大人をしっかり巻き込みな!!」
「はい。
毎回、貴方が釘を刺してくださるから、忘れる事なく自戒することが出来ます」
綾子の言葉に柳道は、感謝と謝罪を込めて頭を下げる。それが心からの物だと理解した綾子は、なんとも否無い表情を見せる。
「そしてあんたもだ!山木だっけ。
あの坂原仙弥にも言ったけどね。規則ってのはね、今までの実例を元に作られたんだ。
例外が無いとは言わないけどね。おいそれと破っていいもんでも無いんだよ。
分かったかい!!」
これ以上言う言葉が無かった綾子は、施術を施していた心護にも同様に釘を刺す。釘を刺された心護自身も、規則を破っている事を知っていることに加え、綾子のようなタイプを苦手としている心護は、治療をして貰っているという事もあり、ただ一言「分かりました」と呟く。
「まあ、一回言った程度じゃ本当に理解できないだろうけどね。
心の片隅には常に留めときな。
そんで処置も終了だよ。家に帰ったら、身体を充分に温めて寝な。
それと念のため、寝る前に湿布は貼っておきな」
綾子は、心護の反応に僅かに疑問を持ちながらも、改めて釘を刺しつつ整体師として処置を終えたことを告げる。終了の言葉を聞いた心護は、身体を起こしつつ身体を捻り、痛みが小さくなっていることに舌を巻く。
「ありがとうございました!」
「感謝されるいわれは無いよ。
私は私の仕事をしただけさ」
感謝を告げながら保健室を後にする心護。感謝の事に対して、プラプラと手を振りながらどうって事はないと応える綾子。
心護と仙弥の二人の治療が終わった事を確認にした柳道も、保健室を後にしようとする。
その時、仕事終わりにと茶を用意していた綾子がふと呟く。
「あの二人の仕合だけどね。
山木って子が、隙を突いて斬ったのかい?」
「いえ。相手の刀ごと斬り伏せましたよ。
大した剛剣でしたが、それが何か?」
綾子との言葉に柳道は、自身の乾燥を交えて答える。柳道の言葉を聞いた綾子は、何でも無いよと答えながら茶を口に含む。
柳道は、質問に首を傾げるが、綾子からまだやることがあるんだから早く行きなと言われ、もう一度頭を下げて保健室を後にした。
客がいなくなった筈の保健室で、綾子は茶を含みつつ考えを巡らせた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
大戸綾子はこの道40年の大ベテランである。今までに数え切れないほどに仕合の処置を行ってきた。
故にある程度負傷した筋肉に触れることで、どういう状況で負った物なのかを理解する事が出来る。
だからこそ、坂原仙弥の傷を触れたとき、隙を突かれて切られた物だと思った。
それほどまでに綺麗な筋が通っていたのだが、同時にその傷に僅かな違和感を覚えた。そして、その違和感は、彼女の長い整体師生活の中でも限られた時期にだった。
それを確かめる意味で、柳道への問いかけ。そして得た答えは、綾子の違和感を確証の物にした。
茶を飲みながら休息をしていた綾子は、ふと口を開いた。
「…それであの山木心護は、あの馬鹿の弟子なのかい」
「はい。
山木心護は、あいつの弟子ですよ」
虚空へと消える筈だった綾子の問いかけに反応する様に、明宗が保健室の扉を開けながら現れた。綾子は、突然の訪問者である明宗の来訪にさして驚きはせず、むしろ来訪を予期していたかのように、目線で座りなと合図を送る。
合図を受け取った明宗は、自分で茶を用意しながら綾子と対面する形で椅子に座る。
「驚いたね。
あの馬鹿が弟子を取ってるなんて。
私はてっきり、あの馬鹿で斬荷流は終わりだと思ってたよ」
何処か懐かしむように呟いた綾子の言葉に明宗は、自分も諦めていましたと呟きながら、なぜ心護がこの学園に入学したのかその経緯を語る。
綾子は茶を飲みながら、明宗の話を聞いている。全てを聞き終えた綾子は、頭が痛いと言わんばかりに手を当てる。
「全く、あの奔放さには頭が痛くなるよ。
まあでも、入学式前にあんたが、珍しく慌ただしく動いていた理由が分かったよ。
相変わらずあんたは、あの馬鹿には甘いね」
「甘いつもりはありませんよ。
鉄は熱いうちに打てと言うでしょう。あいつが、弟子の育成に注力している内に、後押ししないと。
飽きっぽさがある、あいつの気が変わってしまうかもしれない。
それは、弟子であるあの子にも、あいつにとっても不幸でしか無い」
だからですよ。茶を飲みながら何処か早口に答える明宗の言葉に綾子は、溜息を吐きながら「それが甘いって言ってんだよ」と一刀両断する。
喋った明宗本人も若干自覚があるのか、ズズズと大きく茶を飲み、綾子から視線を逸らす。
それは、普段から寡黙な明宗らしからぬ姿。何処か子どもっぽい振る舞いは、普段の姿を知る面々が見れば、驚く事は間違いないだろう。
しかし綾子から為れば、それは見慣れた姿だ。
「だがまあ、教育者としては正論だからね。
あんた達も、成長してるって事だね。
あの問題児どもが立派になったもんだよ」
「あいつらと同じにはして欲しくないですよ」
「あたしから為れば、あんたも含めてしっかり問題児だよ」
「俺はただ、巻き込まれただけですよ」
「何言ってんだい。
その後しっかり、暴れてじゃないか」
「自分の士道を守る為に仕方なくですよ」
綾子の何処か皮肉気味に過去の話題まで持ち出された明宗は、当初は反論していたが揚げ足を取られると察して、無言を決め込む。
今までのやり取りから察する事が出来るように、二人の付き合いは長い。
明宗達がまだ学生だった頃、綾子が現状と同じく整体師をしており、彼らが問題を起こし怪我をした際には治療を行っていた。
その関係もあって明宗は、綾子には頭が上がらないのだ。
「さて。お茶も飲み終えたし、伝えるべき事も伝えたので、私はこれで失礼します。
これから、忙しくなると思いますが、よろしくお願いします」
「引退しようとした老兵を前線にまで呼び出した奴が言う台詞かい」
「いえいえ。貴方はまだまだ充分若いですよ」
明宗の言葉に最後まで皮肉で言い返した綾子は、保健室を出て行く明宗を見つめながら、過去の映像を思い浮かべる。
今までで一番忙しかった時期はいつかと言われたとき、綾子は自信満々に明宗達の時代だと断言する。
しかし同時に、一番充実していた時間とも言える。それに本人は絶対に口には出さないが、明宗達問題児を見ているのを好ましく思っていた。
そう思う程度には、印象に残っているのだ。弟子だからと特別気に掛けるつもりは無い。あの馬鹿とあのボウヤは全くの別人なのだから、それを強制的に重ね合わせる青さを綾子はもう持ち合わせていない。
それでもほんの僅かに、気に掛けるぐらいはいいだろうと自問自答で決定する。
楽しみだと思う。幸か不幸か、今の年代は、面白いメンバーが揃っている。
しかし、それはそれとして…
「これから忙しくなりそうだねぇ」
これからを想像して、綾子は何処か諦めたように呟いた。