第三刀 初仕合
生徒会長である柳道の独断によって始まった今回の仕合。告知も無ない為、観客は審判である柳道と同じく生徒会役員である室井、そして二人の担任である猫山先生のみの筈だが、移動する際に数人の生徒達に見られた為、始まるまでに興味を持った複数の生徒達が観客として集まっている。
その中には勿論、武芸科の生徒である事を示す黒の制服を身に纏っている生徒達もいる。
そんな中で一際は興奮を隠せず、最前列でメモを片手に仕合が始まる瞬間を待っている生徒 竹下将太がいた。
――――まさか入学初日に、武芸科の仕合が見られるなんて!!
将太は興奮を抑えきれないのか鼻息を荒くしながら、仕合舞台に立つ心護と仙弥の二人を見つめ、その始まりを今か今かと待っている。
自他共に認める武術オタクの将太にとっては、同年代の武士の勝負を見れる事は、何よりも幸運な事である。その為、仕合が行われるという噂を聞きつけ、この場所まで急いで赴いたのだ。
――――二人とも見たところ、刀術を使うみたいだけど、どんな流派だろう!!
くぅ~~~やっぱり、王道な示源流?それとも天念理心流かな?それとも…
二人の姿からどんな流派を修めているのか、それを考えるだけで高揚して顔が赤くなってくる。将太の興奮に周りの生徒達が引いているのだが、本人は全く気がついていない。
将太はただ、此から始まるであろう仕合にのみ注視していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
柳道に連れられてきたのは、天理学園第四体育館。主に柔道や剣道と言った武術では無く武道に部類される部活に所属する生徒達が使用するために作られた体育館である。
その一室は武芸科の生徒たちの仕合などに使用される。そのあり方はまるで未熟な砂鉄から闘争という熱で、鉄へと昇華せんとする為に、武芸科の生徒達からは、 通称鑪場と呼ばれている。
天理学園において、多くの仕合が行われてきたその場所に、心護と仙弥の二人は立っていた。
「さて、準備はいいかな」
「いつでも」
「問題ありません」
対面する形で互いに立つ両者の間に立った柳道の確認に、二人は問題ないと答える。その言葉を確認した柳道は、宣戦する。
「此より、山木心護と坂原仙弥の仕合をはじめる。
両者ともに、己の流派に恥じぬ戦いを。
それでは、仕合開始!!」
仕合の火蓋が切られた。
合図と共に両者は構えを取る。心護は王道的な中段の構え、仙弥はやや前屈み気味な平正眼に近い構えを取っている。
「「______」」
瞬間、構えを見た両者理解する。目の前の敵は強いと。
故に、直ぐには動かない。両者ともに互いの間合いを計りながら、ゴォォオオ!!と大きく息を吸う。
息を吸う。生きている限り、人が生命が自然と行う作業であるが、武術の中で行われるその呼吸は意味合いが大きく異なる。
通常よりも、大量の酸素を肺に送り込むことで、身体中に酸素を行き渡らせ、エネルギーを生成する事で、自身の身体機能を強化する。
武術や武道などに枝分かれしてきた中でも、数少なく遍く武術の基礎と言えるのがこの呼吸、通称息吹である。
武士達は、普段からこの息吹によって心肺機能を鍛える事で、体力の向上や筋力向上を通常よりも向上しやすくし、鍛錬と組み合わせる事で体に対する土台作りを行っている。
これは武術を修める上で最初に学ぶ事であるが、その効力が本当の意味で発揮されるのは大凡で16歳ほどだと言われている。
つまりその恩恵を得られるのは、愚直に武術を続けてきた大馬鹿者達だけだといえる。
――――この独特の緊張感は、やはりいい物だ。
ゴォォオと息吹の音を聴覚と触覚で感じながら柳道は、仕合を行う両者が発する緊張感に心を踊らせる。
肌を刺す剣気、敵を倒さんと射貫く目線、生半可な覚悟ではその場に立つことさえ許さんと言うべき、相手の気迫の全てが、自身の覚悟を、存在を肯定している様に思える。
人によっては、野蛮と評される武術だが、ただ二人だけに許された世界ともいえる空間。言葉で表す事など出来ない、その場に立った事がある人間だけが知る事が出来る世界が、その場にあるのだ。
その全てを柳道は好いていた。
静寂がその場を支配する。ただ両者の息吹だけが、観客の耳に聞こえている。
ジリジリと間合いを計り合う。見る者にとっては退屈な時間。しかし、その緊張感を感じ取る事が出来る他者達からすれば、何時起きるか分からないその瞬間に思いを馳せる事が出来る。
視線は逸らさず、互いの間合いを感じ取りながら隙を伺う。硬直状態が続くが、これは決して両者が攻めあぐねている訳では無い。
実際の武術において一対一の勝負では、漫画やアニメの様な無駄な斬り合いはしない。
無駄な斬り合いは武具を消耗させるだけでなく、体力を消耗させ、技の質を下げてしまう。加えて、無駄な動きは返って隙を生み出してしまい、相手に付けいる隙を与えてしまう。
勘違いされている事が多いのだが、流派における技とはそれそのものが必殺であり、放つ時は必ず敵を倒し殺すせる時なのだ。
故に、動きは最小限に。敵の隙を見つけるか、誘発し技を叩き込む。これこそが、武術における兵法の基礎あり奥義とも言える。
しかし、それを成すのは至難の業。互いが間合いを計りつつ、隙を伺うが実力差などから隙を見つけられなかった場合、仕掛けるしか方法は無いのだ。
「シィ――――!!」
硬直を切り開いたのは心護。一足一刀。息吹の吐き出すと共に地面を蹴る。仙弥の間合いの外から、一足で間合いの内側へ。
踏み込みの迷いのなさ、その鋭さに、柳道は感服し、仙弥は虚を突かれる。加速しながら振り下ろす一太刀は、正中線をなぞるように鋭く放たれる。
虚を突かれたが為に回避は不可。故に受け太刀しない。
「ぐぅ―――」
コンパクトな太刀筋に見合わず、一太刀は重い。体勢が崩れる。押し込まれると察した仙弥は、身体を捻り、太刀の軌道を逸らしつつ、半円を描くように間合いを取る。
――――いける!!
押し込みが決まった。そう察したが故に攻め手を緩めない。振り下ろす太刀に合わせ足を動かし、次手の構えを取る。二太刀目にて体勢を崩させ、三太刀目の技にてトドメを刺す。
場の流れから、勝利の組み立てを行う。
後は、己が思い描く道筋を現実にするのみ。次手にて放つは、横薙ぎの太刀。
しかしそれが決まることは無かった。
「にぃっ!!」――――あの体勢から踏み込んで来やがったッ!!
「くぅ…」
心護が太刀を振る要理も早く、踏み込んできた仙弥の体当たりによって今度は心護の体勢が崩れる。体勢を崩したにも関わらず、ほぼ間を開けること無く、間合いを詰めてきた仙弥に心護は驚きを露わにする。
意趣返しとも言える仙弥の体当たりだが、本人も無傷では済んでいない。太刀を振るわんとしたいた所に無理矢理、身体を突っ込んだ形となったのだ。
如何に間合いの内側で速度が劣るとは言え、太刀にぶつかってしまえばダメージは免れない。
しかしそれでも…
――――いける!!
先手を取られ、流れを持って行かれかけたのを自分へと流れを引き寄せられたのは大きい。相手は想定外の自体に加え、想定を上回られた事で、動きが止まっている。
ならば、攻めるしか無い。先の一太刀と動きから、山木心護という武士が生半可な実力ではない事は、体感済みだ。
このチャンスを逃せば、また押し込まれる恐れがある。故に此処で決めろ!!
――――肉を切らせて骨立つ!!
それこそ己が最強と信じる流派の流儀だ。鋒を下に、踏み込みは深く重心は敢えて前へ!!
仙弥の動きに反応する様に心護は迎え撃つ形で太刀を振るう。体が後方に流れている状況で、太刀を振るう姿に柳道は感心したような顔を見せ…
――――見事!!故に、全力で応える!!
仙弥はその姿に尊敬と称賛を!!そしてそれを抱くが故に湧き上がる勝利絵への欲求が、仙弥を突き動かす。
平正眼に近い構えから左手を上げることで、迫る太刀を柄の部分で受け止めると同時に、身体が沈む力を利用して更に一歩踏み込む。
「ッ!」
畳み掛けるように想定外の相手の動きに心護は息を呑む。柄で相手の斬撃を受け止めるなど、一歩間違えば、己の手や指にダメージを負い、下手をすれば刀を握れなくなる。
自身にとって負が大きい防御。されど成功すれば得られる利は大きい。刃を防御に回さない故に、攻撃に移れる速度が速い。加えて受けた場所が柄であるため、少し頭を押し込むだけで、太刀を外し、自由にすることが出来る。
心護の身体が後方に流れている中で踏み込んだ仙弥の一歩が、本人に取っての理想的な間合いと位置を生み出した。
正に捨て身が生んだ勝機。故に、その技は外れない。加速時に重心が前方にあったが故に体勢が崩れかけるが、この技はそれを利用する。
体勢が崩れかけた瞬間、身体を捻る事で体勢を無理矢理戻すと共にその勢いを、腕力を持って刃に乗せて放つ剛の一太刀の名は…
――――天念理心流 咬牙
◆◇◆◇◆◇◆◇
【天念理心流 】
織田幕府末期にて最強の武闘派集団と恐れられた治安維持組織【新撰組】。
その筆頭や隊長達が多く修めていた流派として、その名を全国に知らしめた幕末における実践最強流派の一角と呼ばれた。
そして現在に至るまで多くの門下生を要する、代表的な流派の一つである。
流派における最大の特徴は捨て身を持って活路を開く。即ち、肉を切らせて骨を断つ。命を捨てた上でも勝利を得ようとする恐ろしき流派である。
◆◇◆◇◆◇◆◇
防御姿勢を取る間もなく叩き込まれた一撃に、心護は堪える事が出来ずに舞台の端まで吹き飛ばされる。心護と仙弥の二人の体格にそれほど差はない。
即ち、自分と同体重の相手を吹き飛ばす程の威力だった事に他ならない。
――――今の技は、咬牙か。理心流における代表的な技だが、あの歳で此処までの練度で放つとは。
今年の1年は、もしかしたら粒ぞろいかも知れないな
その一連の動きを誰よりも近くで見ていた柳道は、その威力に驚きを露わにする。今の技は、理心流において一番はじめに習う技として有名であり、流派に入門した事がある人間ならば誰もが使う事が出来る技と言える。しかし、その技を使えるのと使いこなすのでは話が違う。
今の一撃は,明らかに使える領域を越え、使いこなす域に達している。明らかに年不相応な練度である。
故に、仙弥が見せた技を一見て理解する。彼が一体どれほどの研鑽を積み重ね、真摯に武に向き合い続けたのかを。
「フゥー―――」
刹那の攻防を制した仙弥は、大きく息を吐く。その吐息は、攻防を制し技を決めた安堵であり、高めた集中状態から、通常の集中状態へと意識を切り替えるためのスイッチだ。
――――ギリギリだった……一歩間違えば立ち位置が変わっていた
僅かに踏み込みが遅れていれば、斬られていたのは自分だった。僅かに防御地点が、防御が遅れていれば、押し込まれていたのは自分だった。
ほんの僅かな差で、斬られ吹き飛ばされていたのは自分だったと確信がある。だからこそ、それを制し技を放てた事が、自身をより高みへと導いてくれると確信する。
仙弥は、構えを解くこと無く心護が吹き飛んだ方向を見る。仰向けに倒れたまま動く気配が無い。無防備に技を食らった為に仕方が無いしある種当然の結果だ。
そう思い。審判である柳道に視線を向ける。柳道も仙弥と同じ事を思ったのだろう。視線で伝えたい事を察し、最後の確認のためにと心護の方へと歩を進めようとした瞬間
「ハハハハッ!!」
身動ぎ一つしなかった筈の心護の心の底から発せられた笑い声が響いた。その場にいる全員が、慌てて心護のいる方を向けば
「やべぇ、やべぇ。師匠が何で俺を此処に入れたのか、何となく分かった気がするわ。
ああ、確かにこれは、師匠と二人だけだと、絶対に得る事が出来ないわ」
技を食らった脇腹を押さえながらも、楽しそうに立ち上がっている心護の姿。その姿に仙弥は驚愕を露わにする。慢心があった訳では無い。それでも自分の渾身の技をほぼ無防備で受けて立ち上がるなんて、想像する事が出来ないでいた。
「それにしても、坂原だっけか。すげぇな今の技。
捨て身の上で成立する技とか、今まで考えたことも無かったわ。
流派を教えてくれよ」
称賛と尊敬を持って放たれた問いかけ。心護の問いかけによって、驚愕で固まっていた仙弥がハッとしたように構えを取りながら「天念理心流だ」と告げる。
仙弥から告げられた流派の名前を反芻した心護は、まるで斧を振りかぶるような上段の構えを取ると
「天念理心流を見せてくれた礼だ
今度は俺が、斬荷流をみせてやる!!」
何処までも真っ直ぐな称賛と歓喜の籠もった声音で、世界に告げるように流派の名を告げた。