内通者は踊る
本日2回目の更新です。
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──内通者は踊る
スヴェンの潜入捜査は続いていた。
彼は隠しカメラも盗聴器もなしで、ドラッグカルテルのボスたち2名が集まる会合に向かおうとしていた。
この捜査はドミニクの立件にも、もうひとりのドラッグカルテルのボスの立件にも繋がらない。何の令状も取れない。ある意味では完全に無駄な、リスクだけは高い捜査だ。
少しでも質問したりすれば、少しでも会話に踏み入ろうとしたら、疑われる。そして、ドミニクはイカれている。猜疑心の塊だ。この間も彼に歯向かった売人を自分の手で銃殺しているのをスヴェンは見ている。
それも証拠にはならない。売人を撃った銃はどこかに処分された。
畜生。畜生。畜生。俺は何のために潜入しているんだ。いつ終わるんだ。
カールが逮捕され、司法取引が行われれば全てが終わるはずだった。だが、カールは司法取引できなかった。フェリクスに尋ねても、司法長官が許可してくれなかったと彼自身も憤っている様子だった。
捜査は続く。いつ終わるかもわからない。
フェリクスは最後まで盗聴の許可をスコットから取ろうとしていた。だが、スコットはスヴェンの身に何かあった場合の責任が取れないと拒否した。スヴェン自身も盗聴器だけは勘弁してもらいたかった。
「フェリクス。今のところ全て予定通りだ。いよいよヴォルフ・カルテルの新しいボスと会うことになる。どんな人間だったかは、会合が終わってから教える」
『スヴェン。やはり特殊作戦部隊の出動許可は下りなかった。君ひとりに任せることになる。俺も下手に取引場所には近寄れない。本当に大丈夫か?』
「やるしかないだろう」
ここで逃げれば5年間の潜入捜査が全てパーだ。
スヴェンは死を恐れていたが、それ以上にドラッグカルテルのボスたちが野放しになることも恐れていた。
『幸運を』
「死にゆくものより敬礼を」
今からスヴェンは死ぬかもしれない。いや、ドミニクが激高して脳天に鉛玉を一発ぶち込んでくれたら幸運かもしれない。
ドラッグカルテルには拷問のプロがいる。そいつらにかかったら自分から死を望むだろう。殺してくれと叫び続けることになるだろう。
だが、それでもスヴェンは麻薬取締局の捜査官だ。
ドラッグカルテルには屈しない。“国民連合”の無数の市民をドラッグから守る。そのためにスヴェンは戦略諜報省の工作員から麻薬取締局の捜査官になったのだった。正義を果たすために。正義を執行するために。
これからもスヴェンは孤独な戦いを続ける。フェリクスは相棒だが、一緒にリスクを背負ってくれるわけじゃない。フェリクスはあくまで後方のバックアップ要員だ。要はスヴェンがくたばったあとに死体を探して、家族の下に届けるのが仕事だ。
きっと葬儀屋はエンバーミングに苦労することだろうとスヴェンは思う。死体は原型を留めていないに違いない。そんな自分の死体が家族の下に届くことを想像する。妻はなんと思うだろうか。息子は何と思うだろうか。
麻薬取締局の捜査官になったことを息子は恨むだろうか。それとも同じように麻薬取締局の捜査官を目指してくれるだろうか。
一番いいのは死体にならず帰ることだ。妻を抱きしめ、息子を抱きしめ、クソッタレな潜入捜査とはおさらばする。
だが、その見込みは立っていない。
現段階では誰も立件できないのだ。イカれたドミニクですらも、ドラッグビジネスに関することにはIQ130にはなる。自分たちが何をするべきで、何をするべきでないかを正しく選択し、手を結ぶ相手を考える。ドミニクの知性はドラッグで腐敗していない。
「スヴェン」
ここでドラッグカルテルの人間が声をかける。
「もうすぐヴォルフ・カルテルのボスが来るぞ。配置に付け」
「了解」
実際にここでドラッグがやり取りされるわけではない。
連中が話し合うのは密輸・密売ネットワークだ。どこの誰にドラッグを託して“国民連合”の国境を越境させ、どこの誰に国境を越えたドラッグを捌かせるか。
それが分かれば捜査は少しは進む。スヴェンの情報が裁判で使えなくとも、フェリクスたちはスヴェンの情報から捜査を進めてくれるはずだ。
少なくともそう願いたい。スヴェンはそう思った。
やがて軍用四輪駆動車と装甲が施されていると分かるSUVがドミニクの城である高級アパートメントの玄関に停まる。
スヴェンの配置は会合が行われるはずの部屋の扉前の警護で、下の階の連中がヴォルフ・カルテルのボスと護衛のボディチェックを済ませたら、ドミニクのいる部屋に彼らを案内するのが仕事だった。
この仕事をやり遂げれば、ヴォルフ・カルテルのボスの顔と名前も分かる。だが、それを伝える手段も記録する手段もない。隠しカメラも盗聴器もなしということを要求したのはスヴェン本人なのだ。
スヴェンは定位置に付く。
やがて、エレベーターが昇ってくる音がする。
スヴェンはヴォルフ・カルテルのボスの顔を見て、少し呆気にとられた。
確かにヴォルフ・カルテルは代替わりしたそうだが、やってきたのは大学生でも通じるような若い人間だったのだ。
ドラッグビジネスに染まったようなならず者の様子は見られない。金のアクセサリーも入れ墨もなし。服装はきっちり高級スーツを纏っている。ネクタイも締め、ドラッグビジネスのボスというよりも、証券会社のビジネスマンに見える。
「ドミニクは?」
「こちらです」
スヴェンは丁重にやってきたヴォルフ・カルテルのボスをドミニクの部屋に案内する。この男がヴォルフ・カルテルのボス。使い走りは寄越さないはずだ。使い走りにしてはしっかりとしている。
スヴェンは相手に悟られないようにヴォルフ・カルテルのボスの顔を覚える。確かに頭に刻む。隠しカメラがなければ、自分の目を脳で記録するしかない。
「よう、よく来たな! 待ちわびていたぜ。いよいよネットワークの本格始動だな」
「ああ。そうだ。ドミニク。一緒に儲けていこうではないか」
名前を言え。名前を呼べ。ヴォルフ・カルテルのボスの名前を呼べ。
「しかし、よくカールの口を封じたな。俺が殺したとしても、だ。奴が司法取引せずに済んだのはどういう仕組みだ?」
「“国民連合”政府内に協力者がいる。俺はある作戦に携わっていてな。そのおかげで司法省に圧力がかけられた。そのおかげで哀れなカールは司法取引もできずにくたばった。だが、これについては詳細は話せない」
「本当なのか?」
「疑ってどうする」
“国民連合”政府内に内通者がいる……?
スヴェンは恐怖にかられた。もし、その内通者が麻薬取締局本局のデーターベースでスヴェンの名前と顔写真を見つけたら、潜入捜査は完全に失敗だ。
「少し席を外す。便所だ」
「早く戻って来いよ」
スヴェンはこの情報をフェリクスに伝え、自分を脱出させることを要請しに、向かいの公衆電話を目指した。
公衆電話に入れる硬貨を握る手が震える。もう既にバレているのかもしれない。ヴォルフ・カルテルのボスはそのことを伝えに来たのかもしれない。
『もしもし』
「フェリクスか? 俺だ。スヴェンだ。“国民連合”政府内にドラッグカルテルの内通者がいる。俺の正体がバレた可能性も高い。今すぐ脱出したい」
『分かった。車を回す。それまで生き延びてくれ』
「ああ。絶対に生き延び──」
そこでスヴェンのうなじに拳銃が付きつけられる感触が伝わった。
「そこまでだ、色男さん。お喋りはお終い。ついてこい」
マーヴェリックはスヴェンに魔導式拳銃を突き付け、連れていく。
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本日の更新はこれで終了です。
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