疑似餌か否か
本日2回目の更新です。
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──疑似餌か否か
フェリクスは休暇に釣りをする。
疑似餌を使った釣りは好きだ。魚には悪いが、魚が獲物とするものの動きを模倣して、そうして魚を釣り上げたときの達成感は大きい。
「問題はこれが疑似餌かどうかだ」
フェリクスが並べられた資料を見て述べる。
カールに関する情報だ。
カールの身辺警護の情報から、カールが脂肪肝の危険性を指摘されてアルコールを控えていることまで様々な情報が入り込んでいる。
情報の入手経路はふたつ。
ひとつはスヴェンの潜入捜査。ひとつは大使館のアタッシェ──戦略諜報省の情報。
スヴェンの方は彼がまだ下っ端の売人からちょっと上がった程度の存在なのに、カールの情報が決壊したダムのように流れ込んできている。戦略諜報省の情報もかなり踏み入ったものが入り込んでいる。
何故、ここまでの情報がありながら、今までカールを逮捕することができなかったのだろうか、そう感じるほど情報は詳細で、踏み込んでいた。
まるで誰かがカールを意図的に逮捕させようとしているかのように。
「疑似餌だった場合、これらの情報はどうみるべきなんだ?」
「俺たちを釣り上げるための罠。潜入捜査官であるあんたを釣り上げるのか、それともカールを逮捕させることに利益のある誰かの釣果」
「またカール追い込まれ説か」
「そうとも考えておくべきだろう」
スヴェンも薄々と分かってきている。どうにも情報の流れがおかしいと。
まるでこれからマンハントでも始まるかのように、カールの情報がだだ漏れになっている。カールの居場所の情報こそないものの、汚職警官程度までカールの金銭事情を知っているのは、正直言ってどうかしている。
そう、これだけの情報が流れていながらカールの位置情報はない。
「この情報を流しているのはカールの身辺の人間ではないな。別のカルテルに所属している人間で、それでいてこれだけの情報が集められる資金力を持っている人間だ。誰か候補は思い浮かぶか?」
「ヴォルフ・カルテルは抗争の後始末でそれどころじゃないだろう。となると、シュヴァルツ・カルテルと考えるべきか。キュステ・カルテルはそこまでカールには近くない。所詮はヴォルフ・カルテルからの分派だからな」
「シュヴァルツ・カルテルか。だとすると、理由はやはり売人の逮捕か?」
「思い当たる不和の原因となるとそれしかないが……」
フェリクスたちにとってドラッグカルテルの相関関係はブラックボックスだった。何がどう繋がっていて、何がどう対立しているのか分からない。
「ただ、俺はカールは今まで争いの調停をしてきたと考えているんだ。カール引退説ではそうなるんだ。事実、カールは自分から分裂した帝国を奪い返す動きを見せなかった。そのカールを恨むとなると、その調停に不満があったということになる。シュヴァルツ・カルテルと誰かの調停でケチがついた。そう考えるべきじゃないか?」
スヴェンはそう語る。
「憶測になるな」
「ああ。完全な憶測だ。証拠となるものは何もない。流れて来ない情報はカールの位置情報だけじゃなく、カールと他のカルテルの関係を示すものもだ。フェリクス、確かにあんたの言うように、これは疑似餌かもしれん」
情報を分析すればするほど情報は溢れ返っているようで、偏りがあることに気づかされる。カールの位置情報、どうしてカールの情報が溢れているのか、カールと他のドラッグカルテルのボスたちの関係はどうなのか、カールは何故帝国を手放したのか。
「スヴェン。これも憶測だが、敵は自分たちが絶対に怪しまれないと思って情報を流しているんじゃないか? 自分たちがカールが死ぬことで得をするわけではない。あるいは、自分たちはカールを狙っているような暇はないと思わせている」
「となると、ヴォルフ・カルテルか」
「ああ。このカルテルはどうも臭う。抗争が早期に決着していることもそうだが、組織だった武装勢力を内に抱えているというのも怪しい。やつらが抗争で弱体化したという分析官の分析は本当に正しいのか。やつらはむしろ、内部の反乱分子を粛清して、強固になったのではないかと思えてくる」
フェリクスはヴォルフ・カルテルに違和感を覚えていた。
麻薬取締局本局の分析官も、戦略諜報省の情報も、スヴェンまでも声を揃えて弱体化というドラッグカルテル。だが、本当に弱体化したならば、今も何かしらの抗争を起こしているはずだ。だが、抗争はあまりにも早く決着している。
情報の偏りはこのドラッグカルテルもまた同じだった。
「俺は今、シュヴァルツ・カルテルに潜っている。そう簡単にヴォルフ・カルテルに鞍替えはできない。だが、今後はヴォルフ・カルテルについても情報を集めておこう。そこまであんたが気にするんだ。何かあるんだろう」
「憶測だ。証拠は何もない。ただ、その証拠がないという状況が逆に怪しくてな。何もないというのが一番おかしいって言う状況だ」
抗争で分裂したならば、ボスの情報を売ったり、その組織だった武装勢力の情報を売ったりする人間がいてもおかしくない。だが、ヴォルフ・カルテルではそういう動きは見えない。逆にグライフ・カルテルは抗争の話など聞かないのに、情報が溢れ続けている。
これをおかしいと感じるのはフェリクスだけではないはずだ。
だが、今この状況をおかしいと感じているのはフェリクスとスヴェンだけらしい。
麻薬取締局、戦略諜報省、国務省。どの組織もヴォルフ・カルテルは脅威ではないと声を揃えて歌う。まるでそう歌うように誰かが裏で糸を引いているかのように。
だが、そんなことができる人間がいるのか? いたとして何のメリットが?
流石にヴォルフ・カルテルの人間が“国民連合”の情報機関に干渉できるはずがないとフェリクスは信じていた。
「隠されている情報に事実がある。カールと他のドラッグカルテルの関係。ヴォルフ・カルテルの抗争。怪しい点はいろいろあるが、まずはこれだ。シュヴァルツ・カルテルから調べられるところを調べてくれ。俺も大使館から情報を収集して、分析する」
「分かった。かなり深いところまで潜れそうな感じはしてきている。俺のことをただのドラッグの運び屋程度の存在じゃなくて、販路も拡大できると思わせている。こうなるとこっちにとって都合がいい。実際にドラッグを輸送しても、金さえ払っておけば、ドラッグが街に出回ることはなくなる」
「気を付けてくれよ。潜入捜査官が失敗すると孤立無援の上に、ドラッグカルテルの連中を完全に激怒させることになる。そうなった潜入捜査官の末路は悲惨なものだ。死体が帰ってくれば、御の字というぐらいに」
フェリクスは本気でスヴェンを心配してそう言った。
スヴェンはいい男だ。好感が持てるし、知性的だ。フェリクスの初めての相棒である彼は、最初の相棒としては最高の相棒だった。
フェリクスはまだギルバートの死を少し、いや完全に引きずっている。自分が捜査を急いだばかりに、自分が無茶な捜査をしたばかりに、ギルバートを死なせてしまったことを後悔している。
スヴェンにはそうなってほしくない。心底そう願っていた。
「安心しろよ。俺は上手くやる。あんたはバックアップに徹してくれ」
「任せろ」
ふたりはそう言葉を交わし別れた。
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