仕留められない獲物
本日2回目の更新です。
……………………
──仕留められない獲物
ハインリヒは本当にカールに会って、話し合いを始めたと聞いたときアロイスは我が耳を本気で疑った。
「本気か? あれだけのことをされておいて話し合い? それとも話し合いという名の死刑執行か?」
「話し合いです、若旦那様。ボスはカールと中立地帯で会っています」
「クソッタレ」
ノルベルトがもたらした情報にアロイスが悪態をつく。
「親父は本気で俺を信じないつもりか。クソ」
アロイスは苛立っていた。
あれだけカールが裏切っているという証拠を突き付けたのに、まだ親父はカールを信頼している。カールの保険が恐ろしいのか、カールとの取引を監視している第三者が怖いのか。いずれにせよ、親父はカールを殺そうとしない。
アロイスはそう思って気が狂いそうなほどに苛立った。
「会合は盗聴できたか?」
「はい。これをどうぞ」
ノルベルトは本当に忠誠を尽くすべき相手がどちらかを決断していた。それはハインリヒに死の臭いを嗅ぎ取ったのか。まあ、昔からいうものだ。沈む船からはネズミは逃げていくと。ノルベルトも沈む船から逃げ出してきた。
『カール。今回の件なんだが、これはどういうことなんだ?』
『俺があんたを殺そうとしていると思っているのか? お互いに取り決めをしただろう。俺は帝国を手放す。あんたはそれを手に入れ、その代わりに俺に庇護を与える。俺にはあんたの命を狙う理由はないよ』
『だが、この録音テープがある』
『それを寄越したのは誰だ? キュステ・カルテルのヴェルナーだろう? あいつと最近、仲が良かったか? 俺たちは分かり合えている友だ。だが、ヴェルナーは違う。あいつは自分の帝国を作りたがっている。そのためにはあんたは邪魔だ』
『そうだな。録音テープが編集された可能性もあるな』
『そうだ、ハインリヒ。ヴェルナーのいうことなど信じるな。俺はあんたの命を狙う理由はないし、あんたも俺の命は狙わないと約束した。約束は守るべきだ。そうだろう?』
『そうだ。お互いに約束を守ろう。手間を取らせてすまなかったな』
『なんということはない。友の呼びかけには応じる』
そこで録音は切れた。
「親父は馬鹿か? いや、そうか。デッドマンスイッチか。カールの保険を恐れているんだな。カールの保険でドラッグカルテルの内情が暴かれ、自分たちが損失を出すことを恐れているのか」
ハインリヒはカールの保険を恐れている。
取引を第三者が見張っているという件は会話からは窺えない。やはり、マーヴェリックが言ったように、カールはデッドマンスイッチを持っている。カールが死ねば、他も巻き添えを食らう保険を準備している。
「ノルベルト。ご苦労だった。それから監視カメラの映像は予定通り手に入れたな?」
「はい、若旦那様」
「それをばら撒け。今のカールの姿を麻薬取締局が知るくらいにばら撒け。カールは気づくだろうが、気にすることはない。もう向こうも俺が敵だと気づいている。殺し屋まで送り込んできたんだからな」
アロイスは安全な『ツェット』の敷地から指示を出している。屋敷には帰ってない。
アロイスが自分の命を狙われるのはこれが初めてのことではない。1度目の人生でもなんども敵対するドラッグカルテルや麻薬取締局のフェリクスに狙われてきた。だから、どう対応していいかもある程度は分かっている。
アロイスの潜伏する『ツェット』の施設には滑走路すらも整備されている。もちろん、野戦飛行場程度のものだが。
そこには兵器ブローカーのネイサン・ノースから購入した小型機と攻撃ヘリがバンカーに収められている。バンカーはバラキューダで偽装され、航空偵察では分からないようになっている。滑走路も農地の中に偽装してある。
通信指揮能力も備わっており、いつでも各地に潜伏している『ツェット』の部隊に攻撃命令を出すことができた。
「ノルベルト。帰っていいぞ。お前は忠誠を示した。それにはそのうち報いてやる」
「はい、若旦那様」
ああ。俺はまるでドラッグカルテルのボスだな。いや、紛うことなきドラッグカルテルのボスなのか。何ともやるせない。
「私たちに命令は?」
マリーが抑揚のない声でそう尋ねる。
「今は麻薬取締局頼みだ。麻薬取締局がグライフ・カルテルを潰すようには仕向けた。ブラッドフォードがそう手配した。偽の情報を与えてな。麻薬取締局の情報源は限られている。大使館にいるアタッシェ──それは戦略諜報省の工作員だ。そして戦略諜報省はブラッドフォードの作戦に参加している」
「戦略諜報省はグライフ・カルテル脅威論を麻薬取締局に吹き込み、麻薬取締局はそれに踊らされて、グライフ・カルテルを叩きにかかる、と。しかし、“連邦”の捜査機関の協力なしにカールを捕まえられるかは疑問」
「そこは俺たちの出番だ」
アロイスはそう言って、マリーを見つめる。
マリーは美人だ。真っ白な肌は健康的な褐色の肌とは異なる美しさを有している。吸血鬼特有の生気の薄い瞳は見つめていると魅了されてしまいそうだし、その濡れ羽色の長髪には思わず手を伸ばして触りたくなる魅力があった。
だが、アロイスはマリーには手を出さない。彼女がマーヴェリックのイカれたパートナーだと知っているからだ。彼女に迂闊に手を出して、マーヴェリックを怒らせる真似はしたくなかった。
「俺たちは巧みに麻薬取締局をカールに誘導する。それと同時に汚職警官たちもカール狩りに動かす。あくまで正面に立つのは麻薬取締局。汚職警官は連中が喜び勇んでカールを“国民連合”に移送しているときに自宅から何まで全てを捜索し、カールの弁護士を始末し、弁護士の事務所も調べ、カールの保険を排除する」
カールの弁護士は既に判明していた。かなりの大物弁護士。カールがその弁護士と何度も会うのを『ツェット』は確認しているのだ。『ツェット』の技術チームは弁護士の電話と部屋に盗聴器をつけることに成功し、カールがいつ保険の話をするか待っている。
「カール、カール、クソッタレのカール。あいつを追い詰めて、追い詰め抜き、麻薬取締局が踊ってくれるのが楽しみでならない」
「カールが司法取引を望んだら?」
「予想済みのシナリオだ。カールは司法取引を求めるだろう。だが、“国民連合”はそれを認めない。ブラッドフォードから司法省に圧力をかけたことを知らされている。哀れなカールは逮捕されれば、そのまま永久に監獄の中だ」
「自信があるのね」
「いや。そこまでではない。だが、カールが一度収監されれば、奴がお喋りカールにならないようにする手は打つつもりだ」
アロイスは続ける。
「今のカールはまだ俺たちには仕留められない獲物だ。俺たちが殺せばデッドマンスイッチが作動する。だから、麻薬取締局には頑張ってもらわないとな。カールを捕まえ、グライフ・カルテルを潰し、奴らに一時の勝利に浸る機会を与えてやろう」
アロイスはそう言って、『ツェット』の基地の中に立て籠もる。
カールの雇った殺し屋はなかなか手を出せず、攻めあぐねていた。
……………………
本日の更新はこれで終了です。
では、面白いと思っていただけたらブクマ・評価・励ましの感想などお願いします!




