潜入捜査のジレンマ
本日1回目の更新です。
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──潜入捜査のジレンマ
「正直、はっきりそう言われたのは初めてだ。誰もがドラッグビジネスに手を貸して、潜入捜査をやっている俺のことを蔑視する。尿検査を受けさせろって露骨に言う奴もいる。支部長がそういう人間は黙らせているが、支部長自身がよく尋ねるんだ。『スヴェン。本当に向こう側に行ってないか』ってな」
「辛い立場だな。だが、俺はあんたの苦労を理解するし、あんたの努力に敬意を表する。ともにやっていこう、相棒」
「おう」
スヴェンはそう言うと車を降りて街角にあるカフェに入った。
フェリクスはその間、街中を観察する。
メーリア・シティは首都だ。そして、腐敗の中心地でもある。ドラッグカルテルのボスたちは“国民連合”政府に銃器メーカーがやるようにロビー活動を行うという。『大統領閣下。平穏な政権運営がお望みでしたら、我々には手出ししないように』と。
どこまで本当かは分からない。“連邦”政府は“国民連合”の政治的植民地であると同時にドラッグカルテルの傀儡でもあるのか。それらは両立するのか?
ドラッグカルテルを見逃しながら、エリーヒルにお伺いを立てるというのをやってのけているとしたら“連邦”の政治家はとんでもない腹黒か、とんでもない有能か、とんでもない間抜けだ。
暫くして、スヴェンが戻ってくる。
「どうだった?」
「ヴォルフ・カルテルの内部粛清は事実だった。連中が分裂しかかっているっていう分析官の分析は当たりかもしれない。しかし、どうにも引っかかるものがある」
「というと?」
「内輪もめにしては時期も短く、内部粛清を行った連中はどこまでも統率が取れていたそうだ。これは何か別のことを指しているのかもしれない」
スヴェンは考え込む。
「分析官の分析が間違いなら、どうするんだ? グライフ・カルテルを追い詰めるってことでもう方針は決まっているんだろう? いまさらヴォルフ・カルテルに攻撃目標を変えるのは難しいぞ」
「分かってる。あくまでグライフ・カルテルを叩く。そのための情報も集めてきた。グライフ・カルテルのボス。伝説の麻薬王。カール・カルテンブルンナーについてな」
スヴェンは封筒をフェリクスに押し付けるようにして渡す。
「これが情報か?」
「ああ。ここ最近のカールの写真だ。本局勤めだったあんたの方が写真分析は得意だろう。これを手に入れるのにヴォルフ・カルテルに恩を売る羽目になったんだ」
フェリクスは封筒を開ける。
「10年前のカールの写真を見たが、その時より明白に老化が進んでいる。だが、アルコールは控えているらしい。体型はあまり変わっていない。それから目立つ格好を止めたな。カールだと説明されないと分からない格好をしている。10年前はもっと派手だった。敵が増えたのか。あるいはあんたのいう引退説を裏付けるのか」
「流石だな。俺は写真を見ただけでそこまで分からない。場所はグライフ・カルテルの縄張りの外だとしか聞いていないが、どこか分かるか?」
「男たちの服装からしてかなり厳重な警備された場所だ。よく写真が撮れたな。どの男たちも懐が膨らんでいるし、このアングルは……。監視カメラの撮影した映像か?」
「わお。俺はまだ末端の売人やカルテルの下っ端としか交渉できていないが、そこまでの情報が手に入るとは朗報だな」
「朗報なんてものじゃない。明らかに内通者はこの現場の警備を任されていた人間だ。ヴォルフ・カルテルからの情報提供だと言ったな? そいつはヴォルフ・カルテルを完全に裏切っているのか?」
フェリクスが鬼気迫った様子で尋ねるが、スヴェンは困った表情を浮かべる。
「そこまでは……。だが、下っ端が売った情報にしては上等すぎるってわけか?」
「ああ。どうにも怪しい。だが、この写真の意図が見えない。何を目的としているのか。警備された場所にカールがいて、監視カメラはヴォルフ・カルテルがコントロールしている。つまり、カールはヴォルフ・カルテルの施設に出向いたということだ」
「分裂の危機を迎えたヴォルフ・カルテルの抗争の仲裁に向かった?」
「あるいは最新のカールの顔を俺たちに伝えたかった」
「それに何の意味が?」
「連中は俺たちを利用しようとしているんじゃないかってことだ」
フェリクスはそう言って写真を封筒に収め、ダッシュボードに仕舞った。
「ドラッグカルテルが麻薬取締局の協力を? いや、これを受け取ったのは俺だ。俺の正体はまだ連中にはバレてないはずだ」
「そうなるな。ということは、誰かがドラッグカルテル全体でマンハントを企てているという可能性もある。カールの写真を配りまくって、懸賞金をかける。そこまでされるということはカールは何かしらのヘマをしたということに繋がる」
スヴェンの素性はドラッグビジネスを手伝っている観光客だ。麻薬取締局の捜査官だとはバレていない。そうだとするとヴォルフ・カルテルの誰か、いやシュヴァルツ・カルテルやキュステ・カルテルの誰かが、哀れなカールおじさん相手にマンハントをやろうと思っているのかもしれない。
「もう少し、潜れないか? ヴォルフ・カルテルでも、シュヴァルツ・カルテルでも、キュステ・カルテルでもいい。グライフ・カルテル以外のカルテルに潜って、カールの取り扱いがどう変わったかを知りたい」
「難しいぞ。連中の信頼を得るためにはさらに連中の仕事を手伝わなければならない」
「分かっている。それができるあんただからこそ頼んでいるんだ」
「畜生。潜入捜査のジレンマだな。悪党にはなりたくないが、悪党にならなければ情報はお預け。法律を守るために潜入捜査を行うが、信頼を得るためにはその法を破らなければならない。全く以てジレンマだ」
スヴェンは苦々しい表情でため息を吐く。
「カールの取り扱いが変わっていたら、どうなる?」
「グライフ・カルテルを壊滅させることに意味がなくなるかもしれない」
「『フィッシュネット作戦』を全面否定するのか?」
「グライフ・カルテルを潰すことでドラッグカルテルの誰かが得をするというならば、俺はこの作戦を全面否定する。奴らは麻薬取締局すらも欺こうと思っているかもしれない。どうにも俺には分析官の分析結果が喉に閊えているんだ」
フェリクスはそう言って、額を押さえる。
「俺はあんたの捜査の邪魔になると思うか?」
「顔は割れているのか?」
「恐らくは」
「だとしたら、困る。こうしよう。俺は潜入捜査を続ける。あんたはそのバックアップだ。本局はパラスコ支部に連絡を取って捜査状況を伝えてくれ。応援が必要な場合や、情報分析が必要な場合はあんたに頼む」
スヴェンはそう言って、フェリクスの肩を叩く。
「せっかくもらえた相棒だ。こき使ってやらないとな」
「酷い奴だ」
それからスヴェンは潜入捜査のためにメーリア・シティ郊外に残り、フェリクスは“国民連合”大使館がある近くのホテルに宿泊した。
フェリクスはどうにも確信が持てなかった。
カールが全ての黒幕だということには。
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