帝国の夢
本日2回目の更新です。
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──帝国の夢
カールは年老いた人間だ。
彼は人間の衰えというものをよく知っている。
だが、体が衰えようとも野心は衰えないことをカールは知っている。
カール。カール・カルテンブルンナーはかつて帝国を持っていた。この彼の祖国である“連邦”において大規模なスノーホワイト農園を保有していた。それを加工する精製所も保有していた。
彼の帝国はスノーホワイトを農夫とともに育て、そこから取られた成分を精製し、ホワイトグラスやスノーパールに加工していた。まだ彼の帝国の時代にはホワイトフレークという劇物は存在しなかった。
“国民連合”に細々とそれを輸出して、彼は彼の帝国を維持していた。
大金を生み出すことはなかった。だが、帝国は帝国だ。そして、彼は皇帝だった。皇帝として帝国を治めていた。帝国は彼の言うままに動いたし、帝国の民は彼のことを皇帝として扱ってくれた。
皇帝と臣民の間には分かちがたい絆があった。彼の臣民たちは本当にカールのことを尊敬していた。カールのことを偉大な親父様として、尊敬していた。カールは農夫と一緒に汗を流し、ともに利益を分かち合った。
その帝国は長く続いた。
“国民連合”がスノーホワイトの取引を禁止した1940年代。そのときにはカールは帝国の基礎を作り、彼の帝国はそこからじわじわと根を伸ばし、枝を伸ばし、葉を茂らせ、そして花を咲かせた。
彼の帝国は栄えていた。今のドラッグカルテルほどの効率も、利益も、残虐性もなかったが、彼の帝国はカール個人にとってしては栄えていた。それはせいぜいホワイトグラスやスノーパールを幾分か“国民連合”に輸出する程度だったのでそうだと言える。
だが、彼の帝国は奪われた。
カールは忘れもしない。1960年代。ハインリヒが主導する組織犯罪捜査担当次長検事局がカールの帝国を奪った。カールは野良犬のように追い立てられ、皇帝の地位から追いやられた。彼の帝国は失われた。
それから、いくつもの秘密協定が結ばれて、カールは追われる身ではなくなった。だが、彼の帝国は二度と戻ってこなかった。彼の帝国はハインリヒが奪い、ハインリヒはドラッグカルテルとしての仕事を始めた。
カールの時代と違ってドラッグカルテルはより効率的で、より利益を上げ、より残虐になった。ドラッグカルテルはカールの帝国だった時代とは違い、支配する側と支配される側が決まっていた。ドラッグカルテルは無慈悲に農夫たちを治め、冷酷に売人たちを支配し、カールの帝国より多くの金を集めた。
カールの帝国はさらに削られた。カールの弱腰を見抜いたドミニクのシュヴァルツ・カルテルがカールの帝国から独立したのだ。カールの帝国はほんの少ししか残らなかった。カールはその残された帝国──いや、辺境領主の領地で、自分の帝国を奪ったハインリヒを、自分の帝国から逃げ出したドミニクを、ハインリヒの部下であるヴェルナーを呪った。ハインリヒが死ぬのを夢見なかった日はない。
カールは見ているしかなかった。
ハインリヒの帝国が栄えるのを、ドミニクの帝国が栄えるのを、ヴェルナーがハインリヒから得た領地で栄えるのを。自分以外の人間が自分のものだったはずの帝国を支配し、我が物顔でのさばり、多くの利益を上げ、奪われた帝国が栄え続けるのを見ているしかなかった。
憎かった。全てが憎かった。ハインリヒも、ドミニクも、ヴェルナーも。彼の帝国を奪った人間どもが全員憎かった。
だから、彼は陰謀を企てた。
ハインリヒが、もっとも憎いハインリヒが苦しむように、陰謀を企てた。
ハインリヒとドミニクとヴェルナーが殺し合う陰謀を企てた。
それは上手くいっていた。
ヴェルナーを焚きつけるのは容易だった。ヴェルナーもまたハインリヒを憎んでいて、カールの言葉によく耳を貸した。『今こそ、真の独立を手に入れる時だ、ヴェルナー』『ハインリヒはクズだ。君たちを3人目の情婦のように扱っている』と。
ドミニクに関しては焚きつけるまでもなかった。傲慢なハインリヒはシュヴァルツ・カルテルを“国民連合”への生贄の羊として捧げるつもりだったからだ。カールはそのことをドミニクに教えてやり、ヴェルナーが戦争を起こした瞬間に同時にハインリヒを攻撃するようにと促した。
全ては上手くいくはずだった。
だが、戦争は起きなかった。
いくら待てども、戦争は起きない。
いや、戦争は起きた。
カールが戦争と同時に反乱を起こすようにと促したヴォルフ・カルテルの下部組織が攻撃を受けたのだ。憎きハインリヒのひとり息子であるアロイスが組織した私設軍によって粛清されたのである。
そして、ヴェルナーは戦争を起こさなかった。
シュヴァルツ・カルテルのドミニクも動かない。
カールの企てた陰謀は全て止まってしまったかのようだった。
カールは考える。
アロイスだ。あの若造が俺の陰謀を邪魔したのだ。どこで自分の陰謀を掴んだのか分からないが、アロイスこそがカールの陰謀を邪魔したのだ。それは間違いない。阿呆のハインリヒはカールの誕生日を祝う品を送ってきていた。敵意などなかった。
ただ、アロイスだけが正確に、まるで盲腸でも切除するようにカールの息のかかった人間を次々に殺し、そのためにヴェルナーは戦争を決断するのをやめた。彼は勝ち目がないということが分かったのだ。
カールは窮地に立たされている。
自分がけしかけるはずだったチンピラ連中は助けを求めてカールのグライフ・カルテルの領地に逃げ込んできている。カールはそれを撃ち殺し、死人が何かを喋るのを阻止してきた。だが、もう陰謀が露見したのは明白だ。
真の敵はハインリヒではなかった。真の敵は奴の息子であるアロイスだった。
忌々しいアロイス! ドラッグビジネスを始めて2年程度の若造が自分の行動を邪魔している。アロイスを殺すべきだ。アロイスさえ死ねば、カールは再び陰謀を始められる。ハインリヒはカールをまだ疑っていない。
機会はあるのだ。機会はある。
『もしもし』
「私だ。殺し屋を準備してもらいたい。消してもらいたい目標がある」
『この電話の盗聴は?』
「されていない」
『消すのは?』
「アロイス・フォン・ネテスハイム」
『ハインリヒの息子か? リスクが高すぎる。請け負えない』
「請け負え。さもないと貴様の家族を生きたまま切り刻んで豚の餌にしてやる」
『無茶苦茶だぞ、カール。そんな仕事の引き受けさせ方はない。お前からは依頼は二度と受けられなくなることを警告する』
「構わない。アロイスを消せば一生遊んで暮らせる額の金を渡してやる。1億ドゥカートの報酬だ。どうだ、引き受けるな?」
『……消すのはアロイス・フォン・ネテスハイム。ただひとりか?』
「そうだ。ただひとりだ」
『5億ドゥカートだ。それ以上は譲れない』
「分かった。5億ドゥカートだ。報酬はいつものように支払う」
『了解した。引き受けよう。たが、俺たちがするのは殺しだけだ。あんたの関与の否定や、証拠隠蔽は行わない。それはあんたがケツを持つべき事案だ。俺たちは誰がアロイス・フォン・ネテスハイムを殺したか、隠そうとはしない』
「分かっている。それはこちらでどうにかする」
これで陰謀は続くのだとカールは思った。
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本日の更新はこれで終了です。
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