猟犬のトラウマ
本日1回目の更新です。
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──猟犬のトラウマ
フェリクスはフリーダム・シティ国際空港に降り立つなり、タクシーでフリーダム・シティ市警本部を目指した。ザ・タワーとも呼ばれる建物がフリーダム・シティ市警本部であり、人口700万人の市民の守り主である3万人の警察官たちを統べる場所だった。
「麻薬取締局のフェリクス・ファウスト特別捜査官だ。麻薬取締課のトマス・ターラント警視に会いたい。アポはある。確認してくれ」
「確認しました。ターラント警視のオフィスは4階です」
「ありがとう」
麻薬取締局のバッジを見せた途端に、受付の職員の態度が悪くなるのを感じた。
ここではフェリクスは外様だ。身の程をわきまえておかないと、捜査協力は絶望的なものになる。だが、ドラッグ犯罪への追及の手を緩めるつもりはない。市警が押収品の隣にならぶ新聞の一面を飾りたいならば飾ればいい。フェリクスはドラッグビジネスを叩き潰せればそれで満足だった。
「失礼。トマス・ターラント警視のオフィスは?」
「この先だ」
制服姿の警官はフェリクスのことを睨むように見ると、そう言ってさっさと行けというように顎で方向を示した。
「トマス・ターラント警視。麻薬取締局のフェリクス・ファウスト特別捜査官です」
「ようこそ、市警本部へ。警官たちの態度の悪さは許してやってくれ。彼らと市民の距離は中央の捜査機関よりも身近だ。君は家族はいるか?」
「います。妻と子供が」
「そうか。その幸せな家庭を他所の男に任せたくはないだろう? 我々も同じものだと思ってほしい。我々と市民も同じ家族だと我々は思っている。警官を見るとサービスしてくれる店は多いし、警官に敬意を払ってくれる市民もいる。そういう人々を守ることが、我々の責務だと考えいているんだ。決して君に悪意があるわけではない」
トマスはそう言った。
トマス・ターラント警視はリザードマンの移民二世であり、ノンキャリアでこの地位に上り詰めたと聞いている。若いころはおとり捜査なども行い、ホワイトグラスやバレットパールの摘発を行ってきたのだと。経験豊かな警官は歓迎だとフェリクスは思う。俺は警察よりも海兵隊にいた時間の方が長いのだから、と。
「まずお聞きしたいのは、スノーパールの密売量の増加とブランド品とやらの流通は同時期で間違いありませんか?」
「間違いない」
「西部でも同じ問題が起きています。西部ではスノーパールの密輸量が増加してから、ブランド品とやらが出始めました。ここではそれが同時期に起きた。考えられるのは、ひとつのドラッグカルテルが、西部で取引している間にブランド品の開発に成功し、そのノウハウを活かしたまま──そして、恐らくは密売ネットワークについてもノウハウを活かしたまま東部での取引に望んだということです」
「西部でも同じ問題が起きているのか?」
「はい。西部もドラッグクライシスを迎えています。そして、それは解決していません。私とともに捜査に当たっていた刑事は……」
フェリクスの背中がぞわりとした。
そうだ。俺はともに捜査を行っていた人間を殺されたんだ。それなのに市警に同じように協力を求めていいのか? また同じ間違いが起きるのではないか? また俺は遺族から危険な捜査に父を、兄弟を、巻き込んだと非難されるのではないか?
「殺されたのか?」
「はい。殺されました。自分はドラッグカルテルを甘く見ていました。連中がいくら強大でも“連邦”を越えて、力を振るうことはないと。だが、現実は違った。奴らは血も涙もない殺戮機械です。邪魔ならば殺す。それが“国民連合”の刑事であっても」
フェリクスは後悔を込めてそう述べる。
「だが、その刑事は立派に職務に殉じたのだろう?」
「そうです。だが、死ぬべきではなかった。彼には息子がいたんです」
「辛いことだ。だが、市民を守ると宣誓した以上、義務を怠るわけにはいかない。我々は警官としての義務を果たす。市民を守る。ドラッグから、ドラッグのもたらす暴力から。たとえ、この身が朽ち果てようとも」
フェリクスは迷っていた。ここで自分が狙われているのだということを告白するべきか。自分には死神が憑りついており、自分の巻き添えになる人間がまた出るだろうことを、ここでトマスに言うべきかを迷った。
「自分は狙われています」
「ドラッグカルテルに?」
「ええ。連中の寄越した殺し屋に襲われました。今も狙われているかもしれまんせん」
「だとすれば、我々とともに行動するべきだな。ひとりで撃たれたら、次のチャンスはないかもしれないぞ」
「巻き込まれる可能性が」
「それがなんだ。ここはフリーダム・シティだ。そして我々はフリーダム・シティ市警だ。ドラッグカルテルであれ、マフィアであれ、ギャングであれ、この街にいる人間に手を出したら、我々は黙っていない。それが中央の捜査官でもだ」
トマスは力強く宣言する。
「それに君も宣誓したのだろう。この国の人間を守ると」
「……はい」
フェリクスは二度宣誓した。一度は海兵隊員として、二度目は麻薬取締局捜査官として。この“国民連合”の国民を守ると宣誓した。誓ったのだ。敵国からこの国を守ると、ドラッグ犯罪からこの国を守ると。
「それならば、気遣いは無用だ。我々も覚悟の上で捜査には当たっている。それにこの街で警官殺しを行おうという犯罪組織はまずいないと思っていい。ひとりでも警官が殺されれば、この街の警官全てを敵に回すことになる。そして、判事は警官を殺した組織の人間にもっとも劣悪なムショにそいつを叩き込むように命じるだろう」
「それが抑止力になればいいのですが」
ドラッグカルテルは手段を選ばない。
連中の国である“連邦”では警官殺しは日常茶飯事だ。奴らは法に敬意を払わないし、その執行者である警官も軽視している。
だから、奴らは堂々とギルバートを襲ったし、フェリクスのことも襲った。
法は無視され、純粋な力のみを信奉する。すなわち、金と暴力を信じる。
それがドラッグカルテルだ。
もちろん、連中が揃って越境してくることはない。連中は“国民連合”において麻薬を密売するのに現地の犯罪組織を使う。西部でもそのような兆候は見られていた。連中の手足、代理人。その連中も信じているのは法ではなく、力だ。
ならば、フェリクスたちも力を示そうではないか。
法の番人がどれほどの力を持っているのかを連中に見せつけ、屈服させてやる。
「分かりました。単独行動はしません。そちらと組みます」
「それが賢明だ。安心しろ、フェリクス・ファウスト特別捜査官。我々市警も荒事には慣れている。ついこの間までマフィアが殺し合いをしていたのを調べていたところだからな。そして、恐らくはそのマフィアの殺し合いの原因がドラッグだ」
「マフィアはドラッグに手を出さないのでは?」
「こちらの情報源によるとドラッグを扱うかどうかで揉めて、そのまま抗争に突入したらしい。我々の捜査ではカルタビアーノ・ファミリーという5大ファミリーの一角だったファミリーが怪しいとみているが、証拠は何ひとつ掴めていない」
「令状も?」
「現状では無理だ。昔は銃声がしたとかで強行捜査ができたんだが、最近はそういうことをすると裁判で相手にとって有利に働く。ドラッグを扱っているような連中が早々にムショからでてきてもらっても迷惑だ」
「とりあえず、どこから手を付けるべきです?」
フェリクスが尋ねる。
「売人だ」
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