王と道化と愚者
本日1回目の更新です。
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──王と道化と愚者
「父さん。どうあれ、俺は父さんの帝国を継ぐんですよね? なら、幹部の地位なんて無意味じゃないですか? それに俺の作ったネットワークを父さんは過大評価している。ついこの間まで麻薬取締局の捜査の手が入ろうとしていたネットワークなんですよ」
「だが、お前は見事にその状況を切り抜けた。州警察の刑事も疑われることなく始末できたのだろう? そして、麻薬取締局は引き下がらざるを得なくなった。ネットワークは守られた。莫大な富を生み出すネットワークは守られたのだ」
畜生。畜生。畜生。
幹部になんてなりたくない。ドラッグビジネスニュースで『ヴォルフ・カルテル、新たな幹部を迎える。その名前はアロイス・フォン・ネテスハイム』なんてことが流れたら、一生俺は追われる身だ。そんなのはごめんだとアロイスは心中で叫んだ。
「お前は功績を残した。いや、今も利益を上げ続けているから残したという言い方はおかしいな。お前のネットワークは完璧だ。麻薬取締局ですら、州警察ですら、手が出せないものとなった。そのことに対する褒美を与えなければカルテルの秩序が乱れる」
カルテルの秩序? そんなものクソくらえだ。ドラッグカルテルの秩序なんて所詮は暴力による秩序だろうが。そんなに褒めたければあんたの腰ぎんちゃくであるノルベルトでも褒めたたえてやれ。俺の功績は全部そいつに譲ってやる。
「まだ俺は学生ですよ?」
「学生だろうと功績を上げたことには変わりない。それに飛び級してもう卒業論文を書いているのだろう? もう学生でもなくなる。そして、大人になればヴォルフ・カルテルでお前は地位を築いていかなければならないのだ。帝国を継ぐために」
終わりだ。もう何を言っても無駄だ。
アロイスは何もかもを投げだして、どこか遠くに逃げたくなった。いっそ共産主義圏に逃げ込めば、カルテルの連中も手出しできないんじゃないだろうかという思いすら浮かぶほどであった。
だが、すぐにそんな考えは非現実的だと思う。ドラッグカルテルのボスを共産主義圏が受け入れるはずもないのだ。
「いいか。お前は俺の跡継ぎになるんだ。ドラッグビジネスについて理解しておかなければならない。何をどうすればいいかをきちんと理解しておかなければ、ドラッグカルテルのボスの座は務まらない」
「そうですね」
俺は10年間ドラッグカルテルに関わってきたんだよ。教えられるまでもなく、何をどうすればいいかを知っている。
ドラッグは国境を越えるたびに価値が上がる。ドラッグは北で売れ。“国民連合”に密輸しろ。警察官と軍隊は常に買収して自分の味方につけておけ。裏切者は容赦なく殺せ。その死は広く宣伝しろ。恐怖と金は支配の道具だ。
ドラッグビジネスは証券取引より簡単だ。ドラッグを輸送し、売る。そのプロセスが些か複雑なだけで、やっていることは駄菓子屋やコンビニと変わりない。商品を安く運んで、高く売る。差額が利益だ。小学生にだってできる。
それで、何を学べというんだ? 拷問のやり方か?
「お前は将来のボスだ。だが、今は幹部のひとりだ。ノルベルトから学べることもあるだろう。暫くはノルベルトとともにビジネスを進めろ。お前には既に精製されたホワイトグラスやスノーパールを扱わせてきたが、それがどうやって作られるのかも知っておくべきだろう。ノルベルトはその点に詳しい」
ハインリヒがそう言うのにノルベルトがアロイスに頭を下げる。
「学業があります」
「学業の中でネットワークを完成させたのだろう?」
「卒業論文は立派なものにしたいんです。無駄に大学に通ったと思われたくない」
「お前にとって大事なのは学業ではない。ビジネスだ」
くたばれ、クソ親父。俺の夢の全てを踏みにじりやがって。
「ノルベルト。アロイスにドラッグがどうやってできるかについて教えてやれ。商品を知らずして商売を続けるのは愚か者のやることだ」
「畏まりました、ボス」
ノルベルトの視線は媚びるようなものだった。
ハインリヒに対しても、アロイスに対しても彼はそういう視線を向けている。
能無しの腰ぎんちゃくめとアロイスは思う。昔の王国貴族たちは道化を傍に置いていた。そして、道化は君主に対して冗談をいうように政策についてアドバイスしたそうだ。自分の間違いを指摘されても道化のいうことだからと王は道化を許した。
どうせ、傍に置くならばノルベルトのような愚者ではなく、道化を傍に置けばいいものをとアロイスは思う。ノルベルトのようなイエスマンを傍に置いているから、ハインリヒは間違いを犯すのだ。そして、その過ちをアロイスが正さなければならない。
過ちは正さなければならない。ハインリヒがボスである限り、そしてアロイスがその下で働いている限り、ヴォルフ・カルテルにとっての損失はアロイスにとっての損失となり、麻薬取締局に付け入る隙を与えるのだ。
麻薬取締局は直に国境を越えた捜査を始める。彼らはアロイス=ヴィクトル・ネットワークを潰せない原因を“連邦”の側に見るからだ。確かに供給源さえ止めてしまえば、アロイス=ヴィクトル・ネットワークはお終いだ。
だが、この広大な“連邦”の大地に何千億エーカーという土地で栽培されているスノーホワイトを本当に根絶できるとでも考えているのだろうか? そこで働いている罪のない農夫たちをどうするつもりなのだろうか?
1度目の人生ではどうなったかは知っている。“国民連合”は小型の農業機で枯葉剤を撒いて畑を汚染し、農夫を村から追い出した。
恐らく2度目の人生でも同じことが起きるだろう。
今の内からスノーホワイトの畑を分散させ、かつ“国民連合”の偵察機に発見されないようにしなければならないと思う。
もちろん、このままドラッグビジネスの基幹となるスノーホワイトが根絶され、どのカルテルも立ち行かなくなり、ドラッグビジネスが全て破産してしまうならばいいことだ。だが、そうはならないことをアロイスは知っている。
需要がある限り、供給は生まれ続ける。ドラッグビジネスは生命の進化のように生き残る道を探し続ける。
そして、ずっとアロイスに付きまとい続けるのだ。呪いのようにして。
「ノルベルト。アロイスにどうやってホワイトグラスやスノーパールができていくかを教えてやれ。全てを理解しなければ、ドラッグビジネスを続けていくのは難しい。お前ならばアロイスに教えられることが多くあるだろう」
「はい、ボス」
安い賃金で雇われ、それでも彼らにとっては大金である10ドゥカート前後の報酬を受けるスノーホワイト農家。これから先、“国民連合”による弾圧が始まり、彼らは窮地に立たされる。
だが、救いの主は現れるのだ。ドラッグカルテルという救いの主が。
彼らは新しい農地を開墾し、そこでスノーホワイトを栽培する。
“国民連合”がいかに大国であろうとも、“連邦”においてスノーホワイトの栽培を完全に止めさせることなどできやしない。彼らは政治的宣伝のために、パフォーマンスのために、罪もない農家を弾圧するのだ。
その弾圧された農家に手を差し伸べるからこそ、農家たちはより一層ドラッグカルテルに依存していく。
世界は負の連鎖に囚われたまま、出口は見えやしない。
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