選挙当日
本日1回目の更新です。
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──選挙当日
選挙管理委員会は他の街の職員を借りて組織された。
候補者は3名。
いずれも政党には所属しておらず、この街を変えるために立ち上がった。
選挙前の和気あいあいとした雰囲気から察するに、この3名の誰が市長になってもわだかまりはないように思われた。ただ、選挙という民主主義的手段で、住民から選ばれることが重要だということが分かった。
もちろん、ひとりしか立候補しなければ、選挙なんてやる必要はない。選挙管理員会も投票所も警備する必要はなくなる。だが、それでは住民に選ばれたのだということを主張できない。
市長たちは主張したいのだ。『我々はお前たちドラッグカルテルと違って選挙で、ここに暮らす市民の意志で選ばれたのだ』ということを。
「郵便物はどうするんだ?」
「郵便投票はなしだ。全て破棄しろ。爆弾が送りつけられるのは想定の範囲内だ。ドラム缶に詰めて、十分な距離を取って、焼却しろ」
「了解」
フェリクスとエッカルトはまるで西部劇のような気分を味わっていた。
銃が使えるのは自分たちと保安官だけ。それだけでこの街をならず者たちから守らなければならないのである。
シャルロッテにそう話したら彼女はそれを早速記事にした。
「『どこからでもかかってこい。西部のガンマンは健在』と」
「勘弁してくれ」
シャルロッテは悪乗りし過ぎる傾向があるとフェリクスは思った。
この暗いご時世のせいかもしれないが、立候補者を聖人に例えてみたり、選挙をさも世界を揺るがすことのように描いたり。確かに住民の士気は上がるだろうが、これはジャーナリズムというよりもアジテーションだ。
「それの何が悪いんですか?」
フェリクスがそれについて指摘したところ、シャルロッテはきょとんとしてそのフェリクスの指摘を聞いていた。
「考えてみてください。私は正しいことを大々的に知らせているだけです。確かに表現は過剰かもしれませんけれど、真実のみを伝えています。それにですね、ドラッグカルテルの死体を使ったプロパガンダに抵抗するにはこっちもある程度の情報戦は必要なわけですよ。分かってくれますよね」
そう言われてはフェリクスも肩をすくめるしかない。
確かにドラッグカルテルは死体と暴力を使ったプロパガンダを展開している。『ジョーカー』とキュステ・カルテルの戦場となった街や村では、死体が惨たらしい姿にされて、さらし者にされていた。
そのことで住民は恐怖を覚え、従順になることをドラッグカルテルは知っているのだ。まさに死体を使ったプロパガンダである。
それに対抗するためにシャルロッテが過剰に事実を書き立てるのは仕方のないことなのかもしれない。そうでもしなければ、住民は選挙に行こうとも思わなかっただろう。
それでもフェリクスはあまり過剰に書き立てると、いずれ反動が来るのではないかと不安視していた。ドラッグカルテルにとって、自分たちの思い通りにならないものは気に入らないものだろう。
「ところで、フェリクス。嫁さんとはどうなんだ?」
「もう何ヶ月も会ってない。愛想を尽かされているかもしれないな」
「おいおい。夫婦の危機か?」
「冗談抜きでそうだ」
フェリクスは夫婦仲が限りなく冷え込んでいるのを感じていた。電話での会話も2、3言で終わり、子供は寝ていると言われることが多々あった。
だが、これは完全に自分に非があるとフェリクスは感じていた。何ヶ月も家族の前からいなくなり、帰ってきてもすぐにまた“連邦”に戻る夫を見て、妻がどう感じるかなど分かり切っているではないか。
妻は幸い、仕事がある。妻は作家で既にデビューして何冊もの本を出版している。今も新作を書いているとのことだった。収入は麻薬取締局に勤めているフェリクスよりも多いぐらいだ。
いざとなったら、とフェリクスは思う。
妻とは別れなければならないだろうと。
この危険な仕事に妻を巻き込むわけにはいかない。妻には妻の人生がある。フェリクスの仕事のせいでそれが破滅させられることだけは避けたい。
家族は弱点だ。
家族を脅迫の材料に使われて、捜査を止めざるを得なかったことがあることをフェリクスは知っている。そうであるが故に家族が麻薬取締局の捜査官にとって弱点になると知っているのだ。
それに家族はドラッグカルテルにとっても弱点だ。
ドミニクのように。
ドミニク。家族も殺されて、自分も惨殺されたあの男に救いはあっただろうか? ドラッグカルテルのボスであってもあそこまでされるいわれはないのではないか?
「いよいよ投票時間だ」
「不審者に警戒。金属探知機はちゃんと動いているな?」
「準備万端だ、相棒」
「それでは始めよう」
投票所の外には列ができていた。
ドラッグカルテルの脅迫にもかかわらず、これだけの人間が集まったことにフェリクスは感嘆の息を漏らす。
シャルロッテは一生懸命この小さな歴史的出来事を記録しようとエルニア国製のカメラで撮影を行っている。シャッターを切る音が響き続け、投票に訪れた人々が金属探知機の下を通って、投票所に入っていく。
投票は爆発や銃撃なしで進み、そのまま終わるように思われた。
突如としてSUVが投票所の前を走り抜け、助手席から魔導式短機関銃の銃声が響き渡るまでは。銃声が響き渡り、人々が悲鳴を上げて伏せる。
「伏せろ、伏せろ! エッカルト! 逃がすな!」
「オーケー!」
エッカルトが走り去ろうとするSUVに向けて発砲する。
9ミリ拳銃弾がSUVのタイヤを撃ち抜き、SUVが路肩に嵌る。
「怪我人は!」
「こっちにひとり!」
フェリクスが尋ねるとフローラが手を上げた。
「怪我の程度は?」
「幸い、掠った程度みたいです。他に怪我人はいません」
「それはよかった」
ほっと胸をなでおろす。
「おい。SUVの連中が逃げるぞ」
「フローラ。君の仕事だ」
フローラは頷くと警察車両で動かなくなったSUVに向かい、フェリクスが犯人たちに銃口を向けている間に犯人たちを拘束した。
その間にもシャルロッテはフローラが犯人を拘束する様子や、拘束された犯人たちの様子を撮影し続けている。
「フローラ巡査。今のお気持ちを」
「正当な民主主義による選挙を妨害するものを逮捕できて喜ばしく思います」
シャルロッテは一字一句逃さず、記録していく。
「なあ、シャルロッテ。それを本当に記事にするつもりなのか? ドラッグカルテルを刺激し過ぎない方がいいぞ。報復に遭うのは君ではなく、フローラなんだ。フローラが惨殺された死体の写真を撮りたくはないだろう?」
「しかし……」
シャルロッテが困った表情を浮かべる。
「構いませんよ。報復なんて恐れていませんから。今は警察が機能していることを知らせないと。ドラッグカルテルの暴力に屈したらお終いです」
「フローラ。君はドラッグカルテルを甘く見ている。連中は残忍で、狡猾だ」
「それでもです」
フローラはそう言い再び投票所の警備に戻った。
投票結果はパウラの勝利だった。
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