被検体666号
本日2回目の更新です。
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──被検体666号
「失敗です。また貴重なサンプルを無駄にしました」
「発展のためのやむを得ぬ犠牲だ」
“国民連合”の山岳地帯。そこにその施設はあった。
「そもそもこの実験の意味が分からなくなってきました。我々は今のままでも十分に戦える。そうでしょう? 今は暗黒時代とは違って銃もあるし、魔力に頼らない電子製品もたくさんある。それでもこの実験を?」
「今の魔術は堕落した!」
ハイエルフの男が不意に叫ぶ。
「魔導式拳銃がいい例だ。工業製品としての魔術。そんなものはクソだ。何の役にも立ちやしない。我々は世紀末に備えなければならないのだ。そして世紀末を生き延びるには神の子が必要になってくる」
世界は終わりを迎える。一部の人間はそう信じていた。
“社会主義連合国”と“国民連合”の第五元素兵器という最悪のパイの投げ合いで、地表は汚染され、人々は地下で暮らさなければならなくなる。そして、そんな時代を生き延びるためには本物の魔術が必要だと言われていた。
ここで行われているのはそういう研究だった。
汚染された大地でも生き延びられる。地下に籠っても生き延びられる。ポストアポカリプスの兵士を作るのがこの実験の目的であった。
研究は南部で進められていた。黙示録を生き延びるのは純血でなければならないという思想もあったからである。
「博士! 被検体666号が成功しました!」
「本当か? ついにやったのだな」
博士と呼ばれた男が安堵の息を吐く。
「これで世界は、“国民連合”は救われる。このまま真の魔術を使える人間を増やしていけば、黙示録の日が訪れようとも、我々は勝利するだろう。勝利は我々の手にあり。いざ、この成功を祝おうではないか」
だが、彼らが研究成功を祝うことはなかった。
被検体666号は研究所のメンバーを皆殺しにして去っていったからだ。
その後被検体666号と呼ばれていた少女は研究所の敷地から出て、近くを通りかかっていた民兵に保護された。それから警察に連絡がいき、終末思想を掲げるカルト集団に孤児たちが大勢拉致されていたことが分かる。
少女は彼女を保護した民兵の養子になった。
少女は民兵に生き残り方を教わった。森の中でどうやって生き延びるか。銃はどのように撃つか。獲物はどのように捌くか。テントはどのように張るか。
それは少女にとって楽しいキャンプも同然だった。民兵の夫婦はあるだけの愛情を実の娘のように少女に注ぎ、彼女は成長した。
そして、彼女は軍に入ることになる。
「んあ……」
マーヴェリックは間の抜けた声を出してソファーから起き上がった。
「おはよう、マーヴェリック。コーヒーはいるかい?」
「ああ。頼む」
マーヴェリックはぼーっとする頭でアロイスにそう言った。
「ここ最近は忙しかったからね。ようやくゆっくりできるよ」
「そうだな。ようやくゆっくりできる。人を焼くのも、撃ち殺すのもなし。退屈だね。少しばかりスリリングなことがしたいよ」
「あいにく、今はそういうのはなしだ。今はそういうことは必要とされていない。まあ、これまで存分に暴れまわったから十分だろう? それでも物足りなければ、ちょっとした催しがあるけれど」
「へえ。どんな?」
「エルニア国観光。ついでにベスパの様子も見てくる。連中が上手くやっているかどうかを。売り上げは順調だけれど、何かミスをしていないか確認しておきたい。俺は弱い人間だから、ギャングの前に立つには護衛が必要だ」
「けっ。前はひとりでいって、“大共和国”のドラゴンとも商談を纏めてきたくせに」
「それはそれ。これはこれだ、マーヴェリック」
アロイスはマーヴェリックと旅がしたかった。
もはや脅威であった『ジョーカー』は存在せず、麻薬取締局の注意はキュステ・カルテルに向いている。海外でバカンスを楽しむなら今しかない。
状況はいつ変化するか分からない。ブラッドフォードがアロイスの共産主義者との取引に勘づくかもしれないし、共産ゲリラが何かしらの勝利を手に入れるかもしれない。あるいは『ジョーカー』の残党や、『オセロメー』が権力を握るかもしれない。
それに新生シュヴァルツ・カルテルは脆弱だ。ちゃちなギャングが相手であっても、打撃を受けかねない。シュヴァルツ・カルテルが『ジョーカー』の残党や『オセロメー』に乗っ取られることは完全には否定できないのだ。
あの『ジョーカー』との戦争で、大量の武器が“連邦”に流入した。魔導式自動小銃から何まで、様々な武器弾薬が“連邦”に流入した。“連邦”の捜査機関は『ジョーカー』や『オセロメー』から不法な武器の押収と回収を行っているが、全ての武器が回収されるまで何十年かかるか分かったものではない。
だが、今はそれぞれの派閥が交戦意欲を失い、戦力は全体的に見ればアロイスたちの側が有利であり、相手も仕掛けて来ようとは思わないだろう。
だから、バカンスに行くのだ。
今を逃せば次がいつになるのか分からない。
また抗争が起きるか、麻薬取締局の捜査の手が伸びるかすれば、アロイスたちはまた“連邦”の作戦司令部で地図を睨み、駒を動かし、人を焼き、人を撃ち、人を解体し、そういう残酷で、退屈なことに専念しなければなくなるのだ。
それにアロイスはマーヴェリックといる時間が心地よかった。
恋人のようで恋人ではない。愛人程度の関係は付き合っていて疲れないし、報復の対象になることを心配する必要もなかった。
もし仮にマーヴェリックが報復の対象に選ばれても、彼女は自分で自分の身を守れる女性だ。男性がエスコートする必要がない。それもまたアロイスの気を休ませてくれた。アロイスは家族は欲しくないが、孤独でいたいわけではないのだ。
家族は弱点になる。家族を持つことのデメリットは大きい。無視できない。
アロイスは家族を持つつもりはなかった。1度目の人生でもそうだったように、独身を貫くつもりだった。家族を人質に取られたり、家族を殺されることで、行動に乱れが生じるのは困るのだ。
だから、アロイスは自分が愛情を向ける相手を選ぶ。
それがマーヴェリックだ。アロイスはマーヴェリックを妻にするつもりもなかったし、今以上の関係になるつもりもなかった。
どうしようもなく救いがなくて、どうしようもなく堕落していて、どうしようもなく悲惨で、どうしようもなく暴力的。マーヴェリックが好むような状況だ。アロイスには救いはないし、堕落しているし、悲惨で、暴力的な行動をとることが多々ある。
アロイスは今の状況を好まないが、マーヴェリックは気に入るだろう。
「それで行くかい、エルニア国。バカンスも楽しめるよ」
「ま、いいよ。その代わりマリーもね」
「了解。マリーも誘って来よう」
こうしてアロイスたちはエルニア国に観光と視察を兼ねた旅行に向かうことになった。飛行機を予約し、ホテルを予約し、レストランを予約し、そういうものは全てノルベルトにやらせて、アロイスたちはただ使用人に荷物を準備するように命じておいた。
「では、行こうか」
アロイスたちはエルニア国に旅立つ。
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