国境での虐殺
本日1回目の更新です。
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──国境での虐殺
ニコたちは国境を仕切る川を渡る。
泳いで川を渡る。ニコは泳ぐのは得意だったけれど、目立てば“国民連合”の国境警備隊に射殺されると思うと、あまり素早くは泳げなかった。
それに腹の中にはドラッグが詰め込まれているのだ。激しい動きをすると袋が破けるという。そう思うと満足には泳げない。
結果として犬かきのように不格好な泳ぎになり、なんとか対岸に辿り着けた。
ひとり、ひとり、国境を越えていく。
なんだ。国境を越えるなんて簡単じゃないかとニコは思った。
地雷もないし、国境警備隊もいない。何も気にするものなどないじゃないか、と。
だが、ニコたちの行く手を阻むものはあった。
「畜生。鉄条網だ」
ニコはそこで初めて鉄条網というものを見た。
鉄でできていて、尖った針があちこちに突き出している。
こんな恐ろしいものを見るのは初めてだった。故郷ではこんな禍禍しいものを見たことはない。ここから先に向かうものを傷つけ、痛めつけ、そして通すまいとするようなおぞましいものだった。
「何をぼうっとしている。突破するぞ」
「ど、どうやって?」
「ジャケットを使え。ジャケットを被せて、それで乗り越えろ。いいな?」
ニコは自分のジャケットを見る。
ゴミ捨て場で見つけたものだ。これを見つけたときはとても嬉しかったことを覚えている。一生大切にしようと思った。
だが、このジャケットを使わなければ鉄条網は突破できない。
「急げ。置いていくぞ」
「わ、分かった」
ニコはジャケットを鉄条網に投げつけて、そして鉄条網を越えようとする。
痛い! 鉄条網の茨がニコの体を引き裂く、動けば動くほど鉄条網の茨はニコを傷つけ、ニコは悲鳴を上げそうになる。
ニコの他にもひとりずつ、鉄条網を越えていっている。急がなければ置いていかれる。それは嫌だった。こんなところで置いていかれたら、国境警備隊に見つかって射殺されてしまう。そう思うとニコは必死だった。
体中傷だらけになりながら、鉄条網を越える。体中が痛い。
「不味い。民兵だ」
男はそう言って、急いでついてくるように示した。
腹にあまりに多くのドラッグを詰め込んだ男がよたよたと歩いていく。そこに車のヘッドライトは当てられた。
「動くな! 動いたら撃つぞ! 不法入国者だな! このクズめ!」
ピックアップトラックから5名のスノーエルフの男たちが下りてきて、逃げ遅れた男を包囲する。銃口を男に向け跪かせ、両手を上げさせ、地面に押し倒して顔を踏みにじる。民兵たちは所有が許可された魔導式自動小銃を手にし、ジーンズに迷彩服とタクティカルベストという奇妙な組み合わせで武装していた。
南部の人間は純血種至上主義者だと聞いている。ニコたちの故郷を奪ったようなスノーエルフとサウスエルフの混血などを良しとせず、スノーエルフはスノーエルフで、サウスエルフはサウスエルフで、ハイエルフはハイエルフで繁栄していくことを良しとしている。彼らは混ざりものを嫌うし、混ざりものの使いぱっしりであるニコたちも嫌っているという。
現にニコたちの仲間は蹴られ、踏みにじられ、また蹴られ、といたぶられている。
「国境警備隊が来るぞ」
水先案内人の男がそう呟くように言う。
やがて国境警備隊の四輪駆動車がやってきて、停車すると国境警備隊の制服を纏った人間が降りてきた。国境警備隊の隊員は暴力を止めるように命じ、民兵の男たちをニコの仲間から遠ざけようとする。
だが、民兵の男たちは立ち去る間際にニコの仲間の腹を蹴った。
ドラッグの袋が入っているのに! ニコは叫び出しそうになった。
それからニコの仲間は泡を吹き始め、激しく痙攣する。国境警備隊の隊員たちはニコの仲間を助けようと心臓マッサージをするが、ニコの仲間はぐったりとして動かなくなった。オーバードーズの症状で死んだのだ。
国境警備隊の隊員たちは首を横に振り、早くどこかにいくように民兵に命じる。そして、ニコの仲間の死体が国境警備隊の四輪駆動車に乗せられた。
「まだいるぞ! 鉄条網に服が引っかかっている!」
「犬を放て!」
民兵たちがニコたちが置いて来たジャケットと血の跡を発見した。
犬が放たれる。猟犬たちは人の臭いを追い、ニコたちに迫る。
「逃げろ! 逃げろ!」
全員がバラバラになって逃げる。
背後で銃声が響く。
民兵たちが叫んでいる。犬が吠えている。ニコの仲間たちが悲鳴を上げている。
銃声が何度も、何度も、何度も響く。ニコは自分が狙われていると思って、必死になって逃げる。もう水先案内人の男の姿は見えない。彼も撃たれたのか、犬に噛み殺されたのか分からない。
ニコは逃げる。必死に逃げる。腹のドラッグの袋が破けるかもしれないが、犬に噛み殺されるよりマシだ。
そう思ってニコは走り続ける。草原を突っ切って、大きな道路に出たが、すぐに草原に飛び込む。そうやってひたすら北へ、北へと逃げ続けた。
やがて銃声がしないことに気づいた。
ニコは息を整えて、まだドラッグの袋が破けていないことを祈った。
「ねえ」
不意に声をかけられてニコは思わず飛び上がった。
「大丈夫。私もあなたと同じだから」
よく見れば同じトラックに乗っていた同じ年齢と思われる少女がニコの背後にいた。
「みんな逃げられたの?」
「ううん。ほとんど撃たれた。それか犬に噛み殺された。奴ら、喉を狙うように訓練されているの。噛みつかれたら、死ぬ。それでほとんどが死んだ。国境警備隊が撃つのを止めるように言って、ようやく引き上げていった」
「ずっと見てたの?」
「動けなかったから」
少女はそう言って、肩をすくめた。
「けど、あなたもどこを走っていたの?」
「北に向かってずっと」
「あそこからそう離れていないよ」
パニックと草原の草木のせいで方向感覚が狂い、どうやらニコはぐるりと一周してきたらしい。民兵が引き上げていったのが幸いだ。
「君、名前は?」
「私はエメリナ。あなたは?」
「ニコ。水先案内人の男はどうなった?」
「死んだわ。撃ち殺された」
「そうか」
ニコは途方に暮れる。
“国民連合”は全然自由とチャンスの国じゃない。ジャングルと同じで民兵が殺しに来る世界だ。こんな場所はすぐに離れて、元いた場所に帰りたい。母と妹に会いたい。ニコは強くそう思った。
「ボルソナにいかないと」
「場所、分かるの?」
「地図をくれた。けど、今どこだ?」
ニコはギャングの男がくれた地図を広げる。
「道路が交差している国境地帯の場所はここ。だから、ここから北東に歩いていけばいいわ。私も一緒に行く」
「君もドラッグを?」
「やらないと弟を殺すと言われた」
エメリナは忌々し気にそう言った。
「じゃあ、やるしかないね」
「ええ。やるしかない」
ニコとエメリナはふたりでボルソナの街を目指して進んでいく。
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