ブルーピル
本日1回目の更新です。
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──ブルーピル
ティボルはアロイスの要求通り、アロイスの前に連れて来られた。
「協力的で助かっているよ、ドクター・ティボル。あなたから渡された情報にいろいろなことが書いてあった。これは保険だったのか?」
「ただの通常業務記録だ。戦闘担当の幹部の名前が記されているのは、ヘルマン・ヒューンライン──あの哀れな男が殺されてから、輸送は戦闘部門が行うようになっていたからだ。一番重要な仕事は一番信頼できる部下に。ギュンターはもう軍警察だった人間しか信用していない。私も疑われていた」
「そいつが事実なら朗報だな」
「私が喋れることは全て喋った。だが、取引がしたい。私はヘルマン・ヒューンラインのように用済みになって始末されるのはごめんだ。君たちに新しい商品を提供する準備がある。精製施設にあった商品は押収したかね?」
「ああ。珍しい青い錠剤があった。あれはなんだ?」
「我々はブルーピルと呼んでいる。ホワイトフレークの精製度80%に合成ドラッグを加えている。青は着色剤だ。特別な商品であることを示すための、まあ商品開発上の努力といったところか」
ティボルはひとつ間違えば、蜂の巣にされるような状況で淡々と商品のプレゼンテーションを行う。アロイスはそれを興味深く聞いていた。
「ブルーピル1ミリグラムはホワイトフレーク10ミリグラムに相当する。君たちのよく使う表現でいえば月どころか火星まで吹っ飛ぶというところか。それでいてオーバードーズによる死亡率は低い。ゼロとは言わないが、ブルーピルでオーバードーズを起こそうと思ったら、5ミリグラムのブルーピルが必要になる」
「そいつの作り方を伝授してくれると?」
「君たちが望むのならば。ただし、条件がある。身の安全を保障してもらいたい。そうすればただちに、ブルーピルの精製施設を建造し、君たちのためにブルーピルの生産を開始しよう。恐らくは君にとっては大きな利益になると思うが」
「だろうね」
ブルーピルが1ミリグラムでホワイトフレーク10ミリグラム分、吹っ飛べるなら、アロイスたちはぼろ儲けだ。輸送コストは削減され、利益は倍増する。オーバードーズが起きにくいというのも喜ばしい。死んだヤク中にドラッグは売れない。
「それにしても本当にギュンターの居場所はしらないのかな?」
「知らない。言っただろう。ヘルマン・ヒューンラインの件で、ギュンターは軍警察の人間しか信頼していない。側近たちも、護衛も、重要な仕事は全て軍警察の特殊作戦部隊にいたものたちが行っている。あれは偏執病だよ」
「ふうむ」
このままティボルを尋問するのは簡単だ。マリーに命じれば、苦痛を限界まで与えて、情報を聞き出そうとするだろう。だが、本当に知らないならば、アロイスたちはブルーピルという素晴らしいドラッグの作成方法を失う。
「ブルーピルもスノーホワイトから?」
「それからいくつかの有機薬品。私が指示した通りにしてくれれば、来週からは生産が開始できるだろう。そして、理解してほしいが、『ジョーカー』がここまで粘り強く戦えていたのは私のブルーピルのおかげだ。ギュンターの居場所が見つからなくとも、早晩彼らは資金難に陥って破滅するよ」
「そいつは朗報だが、手負いの獣は用心して仕留めろというのが何事にも言える」
ギュンターが無茶になるまでのタイマーがスタートした。
ギュンターは巨万の富を生むブルーピルの製造担当と精製施設を失った。ついでに輸送ネットワークは麻薬取締局がズタズタにした。もうかなり追い込まれているはずだ。
だが、軍警察と言えど、ギュンターは軍人だ。活路を見出そうとするだろう。となると、そう簡単に自棄になってバンザイチャージはしてこないというわけになるが。
「決めた。ドクター・ティボル・トート。あんたをヴォルフ・カルテルが雇う。精製施設は西部に作ってくれ。その方が安全だ。西部までは送り届ける。ノルベルトという幹部が手伝うから、早速精製施設の構築にかかってくれ」
「君が直接監督した方がいい。私は裏切った、裏切られたというドラッグビジネス特有のカリグラ染みた偏執病的体質にはついていけない。最初から最後まで、君に見守ってもらいたい」
こいつはここで何が起きているのか理解しているのか? とアロイスは呆気にとられた。戦争をしているんだぞ。抗争をしているんだぞ。それなのに総大将の自分についてこいとこいつは言っているのか?
「あんたは自分の作ったドラッグがどう使われたか理解しているのか?」
「私は技術を活かしただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
ティボルは平然とそう言ってのけた。
ティボルの作ったドラッグはドラッグマネーを生み、『ジョーカー』に武器を与え、民間人を大量に殺させた。それなのにこの男は全くの知らぬ存ぜぬを貫いているのだ。
感心するほどの技術だ。技術がそれを達成可能だったからそうした。それ以外でもなんでもない。優秀な科学者だが、大学で成功しなかった理由はアロイスは分かるようになっていた。こいつには倫理観がないのだ。
科学には倫理が必要だ。科学にできることは多いが、中にはするべきことではないものも含まれる。倫理は良心だ。科学者にやるべきことと、やるべきではないことを教育する。アロイスも大学で倫理学を履修した。
だが、ティボルにはそれがない。
できるからやった。それだけだ。
できるからやるなら、この世はカオスになっている。科学の発展に犠牲はつきものだというが、人体実験は国際医学倫理協定で禁止されているし、他にも科学に関する倫理を守らせるための条約は様々だ。
だが、ティボルはそれに唾を吐いて踏みにじった。
恐ろしく有能なのだろうが、まともな科学者としては成功できず、ドラッグカルテルで新薬の開発に励んでいるというわけだ。
「驚くかもしれないが、俺も薬学の学士号を持ってる。とはいっても、あんたみたいに新薬を開発したりはしない。品質管理や工程の効率化に関わる程度だ。あんたのことは尊敬するよ、ドクター・ティボル。あんたのために俺も西部に向かおう」
「それはありがたい。私が不審な動きを見せたら拷問してくれて結構。だが、仕事そのものは私に任せてほしい。薬学部ではドラッグの作り方など習わないだろう?」
「まさに」
アロイスは本気でこの男を尊敬し始めていた。
「では、後のことはマーヴェリックに任せる。俺は西部に向かう」
「了解、ボス」
控えていた『ツェット』の隊員が敬礼を送って言う。
「では、我々で大儲けしようか、ドクター・ティボル」
「私の給料は控え目でいい。大金があったところで人生のうちに使える額は限られているのだ。国税庁に目を付けられず、上手く金を使う方法など私は知らない。それよりもラボの設備を充実させてほしい。もっといいドラッグが作れるかもしれない」
「あんたは大した男だよ、本当に」
アロイスは心底感心し、ティボルとともに西部に旅立った。
だが、この間も戦争は続いているのだ。
人が焼け、撃たれ、暴行され、吊るされ、バラバラにされる戦争が。
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