功績なきヒーロー
本日1回目の更新です。
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──功績なきヒーロー
フェリクスは新しいオフィスに移った。
だが、彼は自分自身で、このオフィスにいる時間はそう長いものではないだろうと思っていた。彼は麻薬取締局本局で働くよりも、パラスコ支部で働きたかったのだ。もっと具体的に言えば、“連邦”に直接乗り込んで捜査が行いたかった。
だが、それはなかなか難しい話であることをフェリクスは思い知る。
何故ならば彼は英雄として扱われていたからだ。
麻薬取締局本局では誰もが彼を英雄として扱う。フェリクスが何も突き止められなかったにもかかわらず、彼が死体爆弾の爆発から生き残ったというしょうもない事実のために彼を英雄視しているのである。
負傷なら海兵隊時代にもしたとフェリクスは苛立つ。
そのおかげでパープルハート勲章を授与された。だが、あの戦争でパープルハート勲章ももらえなかった人間はいなかったのではないかというぐらい、皆が傷ついていた。
そもそも俺が攻撃を受けた死体爆弾の死体は同僚のスヴェンだったんだぞ? 俺は彼のバックアップの立場にありながら、彼を救えなかった。彼は内臓を取り除かれ、爆薬を詰められ、死者の尊厳を踏みにじる方法で処理されたんだ。そう、フェリクスは憤る。
死体はそこら中に四散し、死体がスヴェンのものだと分かるのには相当な時間がかかった。彼は歯形すら完全に採取できないほどバラバラにされていたのだ。
その後、飛び散った死体の採取が念入りに行われたが、それでも死体は家族に見せられるものではなかった。死体にはさらに拷問の痕跡も刻まれていたのだ。
スコットは既に家族のお悔やみを伝えたそうだが、それとは別にフェリクスもお悔やみを伝えに行った。そして、スヴェンから託されたメッセージを彼の家族に伝えた。
まだ中学生の子供は涙をこらえていた。歯を食いしばって、悲しみに耐えようとしていた。まだ中学生だというのに。彼は父親を失ったのだ。
スヴェンの妻はもう泣きつかれていた。彼女たちはスヴェンとの思い出の家を去り、実家に帰ると言っていた。ここにいてはどうしてもスヴェンのことを思い出してしまい、そのたびに胸が苦しくなると言って。
それなのに、それなのに、麻薬取締局本局の人間はフェリクスを英雄視する。
「パラスコ支部に行かせてください」
フェリクスは局長に直談判する。
局長は既にスコットではない。彼は議会で吊るし首にされた。彼の予言通りに。議会はどうして1名の捜査官が死亡し、1名が重傷を負う羽目になったのかを徹底的に追求した。また改革派政党は過去の『ブラックナイト作戦』まで持ち出し、彼は元からそういう危険な賭けをするような人物だったと批判した。
スコットの首は高らかと吊るされ、マスコミは連日のように彼を叩き、彼は大統領から局長の座を追われた。
代わりに局長の座に座ったのはハワード・ハードキャッスルというハイエルフの男だった。大統領がスコットのような無謀な捜査を行う人間ではなく、着実で安全、かつ正確無比な捜査を行う人間であると請け負って任命した男だった。
確かにハワードの捜査は着実かつ安全だった。その代わり、ドラッグカルテルに対する捜査はまるで進んでいないが。
「フェリクス、フェリクス。君は英雄なんだ。ドラッグカルテルのテロに打ち勝った勝利の証だ。それをパラスコ支部に? 左遷じゃないか。そんな人事は受け入れられないね。君は本局の安全なオフィスで、捜査を進めていればいいんだ」
「しかし、捜査は何も進んでいません」
ヴォルフ・カルテルのボスの名前と顔も分からないまま。シュヴァルツ・カルテルも誰がスヴェンを拷問して殺したのか分からない。もし、それさえ分かれば、フェリクスはそいつに法の裁きというものを教えてやるつもりだった。
「パラスコ支部は全力を尽くしているよ、フェリクス。彼らからの吉報に期待しようじゃないか。それに君はまだ報告書をいくつか提出していない。麻薬取締局は銃が撃てればいいわけではない。書類仕事も仕事のうちだ」
「では、書類仕事を終えたらパラスコ支部に異動にできますか?」
「無理だ」
ハワードはすげなく却下した。
「君もそろそろ政治というものを理解するべきだな。ケーキが欲しかったらお手伝いをする。子供でも分かる簡単な政治だ。恩を売れ。麻薬取締局に、この私に。そうすればパラスコ支部だろうとなんだろうと好きな場所に移動させてやる」
「何をしろと言いたいんです? 自分は海兵隊の出身なので政治など分かりません」
「分かるはずだ。今の大統領閣下を見てみろ。上院議員時代に数々の議員に恩を売っておいたおかげで、自分の政策もスムーズに進むようになっている。その恩とは他者を助けることだ。難しい法律が通るように背後で手を回し、他の議員を助けてきた。だから、彼は今の地位にあるんだ」
「私に法案を通させろと?」
「君は馬鹿か? 麻薬取締局の捜査官が法案に関われるわけがないだろう。だから、こう言いたいのだ。まずはこの本局でできる仕事で成果を上げろ。私が着実にドラッグカルテルを追い詰めているということを示せ。それが君の出来るお手伝いだ」
これで分かっただろうというようにハワードは椅子にもたれかかって手を広げる。
「西部にはいけますか?」
「レニ以外なら。だが、君は向こうで相当嫌われているぞ。ギルバート・ゴールウェイ警視の死は君の責任だと思っているものが少なくない。行っても州警察の支援は受けられず、大した成果も上げられないだろう」
「では、フリーダム・シティは?」
「そっちなら、まあ見込みはあるな。行くなら書類仕事を片付けてからにしろ」
「了解」
海兵隊時代はよかったとフェリクスは思う。
誰が敵で、誰が味方かがはっきりと分かった。上官の命令は簡潔かつ実行不可能なものではなかった。困難こそあったものの、上官の部下も信頼し合っていた。
それが政治とは!
政治の世界は複雑怪奇だ。どうしてあそこまで頑なに反共保守を貫く現政権が支持を集めているのか分からない。東西冷戦の危機がピークに達しているのは、大統領官邸にいるあの男のせいなのではないか?
だが、自分もまた政治の世界に入り込んでしまったのだ。
議会でフェリクスが吊るし首にされなかったのは、代わりにスコットが吊るし首になったからだ。彼は自らの政治的立場を犠牲にして、フェリクスたちを庇った。
そして、フェリクスは英雄として担ぎ上げられることになった。
これで完全に政治の世界の住民だ。
政治家の仕事は取引だ。ドラッグカルテルと同じ取引だ。
政治家とドラッグカルテルの取引の違いは扱っているものの違いだけだ。政治家たちは言葉を取引する。ドラッグカルテルはドラッグを取引する。前者も後者も隙を見せれば、たちまち八つ裂きにされるという点で同じだ。
お手伝いをしなければケーキはお預け。
恐らく、フリーダム・シティでも決定的な証拠は手に入らないだろう。
だが、スノーパールが10キロでも押収できれば、市警も麻薬取締局もメンツが立つ。その10キロのスノーパールが全体の取引からすれば、ほんの僅かなものであるとしても。
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