38.キュイの行方
「一応エドガーには、間違って掛からないよう魔術避けのシールドは張っていた。だがおそらく、ミラに付いていた加護の所為でシールドが効かなかったようだ」
魔術避けのシールド? あまり魔術に長けていないミラには耳慣れない術だ。学院の授業では習わない魔術だった。これも国家魔術師クラスじゃないと出来ない特殊な術なのだろうか。
「イシュタルはこの娘に加護が付いている事に、気が付かなかったのか?」
「シールドがきかなかった時から変だと思っていたのだが、どうやら加護自身が意思を持って身を隠していたらしい。それからマルメロ伯爵が目隠しの術を掛けていた。その所為でミラに加護が付いている事に直ぐ気が付けなかった」
「マルメロ伯爵が?」
国家魔術師達の間で加護に関する研究の機運が高まり、この一年ほど魔術局が広く加護持ちへの出頭を募っていた。いくばくかの報酬と引き換えに研究に協力させる名目で。が、この頃から加護持ちの平民が姿を消す事例がいくつか見られるようになる。しかし、出頭する加護持ちや研究に協力する者が減るかもしれないと言う危惧から、この事例は公には伏せられていた。
伯爵はそれを知っていたからこそ、ミラの加護が表面化しないように気を配っていた。しかしそれ以前から、伯爵はミラに目隠しの術を掛けている。それは彼女がごく小さい頃だったので、ミラ本人はその事実を忘れていた。
このため実はミラも指摘され、改めて自分に術が掛かっている事に驚いたのだった。
「つまり伯爵は自分の娘が加護付きであるのを魔術局に隠している、と言う事だな。私も知らなかったが……陛下はご存じなのだろうか」
アルフォンスはチラリとミラを一瞥する。だが、その問いに対する答えをミラは知らないので、何と言ってよいか分からなかった。
マルメロ伯爵と国王の関係が特に悪いと聞いたことは無いが、特別親しいと言う事も聞いたことは無い。現国王陛下には把握しきれないくらいの兄弟姉妹がいて、王の血族はそれこそ星の数ほどいるのだ。それに伯爵から、国王陛下について個人的に付き合いがあるような発言をミラは聞いた事がない。ただ単に、家族の前で政治的な話はしないと決めているだけかもしれないが……
「あの、イシュタルは何故そんな事を、知っているの?」
「そんな事?」
「私に『目隠しの術』が掛かっているってことよ。私も知らなかったのに……まさか、私の父から聞いたの?」
ミラの父とイシュタルに面識はない筈だ。ミラはそう思っていた。けれども王宮で何等かの接触をしていて話をしたとか、それか元々知り合いだったと言う事もあるかもしれない。だがよりによって、その秘密を隠している相手である国家魔術師に、伯爵が自らそれを告白する意味は分からない。ミラの頭の中はさっきから疑問符ばかりで、飽和状態だ。
「伯爵ではない」
そんな絶賛混乱中のミラに対して、イシュタルは素っ気なく言い放った。
「『キュイ』から聞いた」
「そんな訳……」
ミラはそこでハッとなる。
「あなた―――キュイを知っているの?」
咄嗟に尋ねはしたものの、そんな事ある筈ないとミラは思ってしまう。
これまでキュイは、ミラとしかコミュニケーションを取っていないからだ。
セイラだってマルメロ伯爵だって、存在を感知できても話す事は出来ない。それに加えて言うと、正確な意味ではミラだってキュイとちゃんとした『意思疎通』は図れていない。かろうじて通じているとは思う。でもお互い、言葉を交わすことは出来ないのだ。
そんなキュイから『聞いた』なんて……信じられるわけがない。
第一キュイは、いつもミラにくっついているのだ。イシュタルとキュイが話をしていたら、ミラの目の前で話していた事になる。全然全く、そんな場面に出くわした事はない。
なのにイシュタルは、重ねてこんなことを言い出した。
「ミラが眠れない時に、キュイを抱き枕にしている事も知っている」
「えっ……?!」
家族にも行っていない恥ずかしい秘密を暴露されたミラは、ボッと真っ赤になった。
誰にも話していないプライベートを覗き見された気分だ。いや、実際覗き見されたのかもしれない。何せ一度この少年は、ミラのベッドに潜り込んでいるのだから。
そうだった。とミラは改めて先ほど心に浮かんだ疑問を振り返る。
そもそも彼は一体どうやってマルメロ伯爵家のセキュリティを突破し、ミラのベッドに潜り込んだのだろう? それに『キュイと話した』と言うのも、意味がよく分からない。
キュイは『キュイキュイ』可愛く鳴くだけで、人間の言葉を話したりしないのだ。少なくともミラの前では、ずっとそうだった。
ずっと聞きたかった質問が、ミラの喉元までせりあがる。
けれどもそれ以上に確認したい事が、彼女にはあった。
キュイは何処にいるのだろう?
キュイに助けを求めたのに、実際そこに現れたのはイシュタルだった。
アルフォンスの変貌ぶりにも驚いた。それにキュイの存在を、加護持ちである事実を口にする訳には行かなかったので黙っていた。
が―――もう、それはバレている。と言うか、イシュタルによってバラされたのだ。
もうここに来て、そんな遠慮をしている場合ではない……!
ミラは一歩踏み出し、イシュタルを睨みつける。
背丈が同じくらいなので、真正面からその珍しいルビーのような赤い瞳を覗き込むことになる。
「ねぇ……キュイをどこにやったの?」
低い声が出た。
ミラの大事な、大切な存在。
ずっとミラを守ってくれた、ずっと一緒にいたいと考えているキュイ。
ひょっとしてイシュタルは、魔術局はキュイの研究をするためにキュイをどこかに閉じ込めているのではないか? そして研究対象として拘束し、ミラやマルメロ伯爵家の秘密を話すよう、無理矢理な事をしたのではないか。
加護と言う存在が、まるで人間のように拘束されたり拷問されたり、するなんて聞いた事がない。女学院の教科書にも、エネルギーの塊のようなものだと書いてあった。
だけどキュイは特別なのか、実体化できるのだ。ミラは、それを知っている。
そして加護の研究を進めている国家魔術師達も、もしかすると実体化した加護を拘束したり傷つけたりする手段を発見しているのかもしれない。
キュイは果たして無事なのだろうか?
チリチリとミラの胸は焼けるようにひりついた。
加護と言う存在は、あやふやなものだ。生き物とは言えないおぼつかない存在で、いつか消えてしまう儚い護符のようなものだ。
でも、ミラにとっては生きた存在だった。温かく、柔らかく、頼もしい……人生のパートナーであったのだ。
「『キュイ』は、いない」
強い視線を送るミラに対して、イシュタルは躊躇うようにフイと目を逸らした。
ずっと飄々として、誰かに遠慮すると言うような態度を見せてこなかった不遜な国家魔術師が初めて見せた、弱気な態度だ。
途端にミラの胸に、不安と言う名の黒い靄が立ち込める。
「キュイは、消えた。だから―――何処にいる、とかそういう事ではない」
追いすがるような彼女の視線を置いてきぼりにして、イシュタルは目を伏せる。
目の前が真っ暗になるような気がした。




