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35.イシュタル2

「何故、その侍女を庇う?」

「……」


アルフォンスはミラへ向けてかざしていた手を下ろし、イシュタルに尋ねた。

先ほど突然現れたイシュタルを目の前にしていた時、(したた)かに動揺を含んでいた筈の声は、もう平静さを取り戻している。

いつも通りの落ち着いた、人の心を震わせるような柔らかな声だった。


「エドガーは、どうしたのだ。お前が仕えているのは、エドガーだろう」

「今は、こいつの方が心配だ」

「つまりこの侍女は―――」


アルフォンスは、僅かに眉を寄せる。


我々に連なる者(・・・・・・・)、と言うわけか」


ミラはゴクリと唾を飲み込んだ。

今回のミラの擬態は完璧だった。これまでにないほど注意深く擬態したし、あくまで限定された時間内だけの接触だったから、この新人お茶くみ侍女『マリー』が、マルメロ伯爵家の『ミラ』であるとバレる恐れは皆無である筈だった。


それにミラは、これまで擬態せずにアルフォンスの面前に立つと言う経験をしたことがない。

姉を通して話を聞くとか、式典や大きな夜会で遠くからその輝くばかりに神々しいお姿を拝見するとか、王宮主催の夜会で十把一絡げのピースとして挨拶の場面に混じる、と言った状態でしかアルフォンスと接触する機会は無かった。つまり貴族令嬢達に白王子と呼ばれる高貴な存在と、ミラに直接的な接点はない。

だから当然、自分の身元がとバレるなんてことあり得ない筈だった。エドガー王子が、それをばらしでもしない限り。

いったい今のやり取りの何処に、このしがない新人侍女『マリー』がアルフォンスと親類関係にある、と言う情報が詰まっていたと言うのだろう?


アルフォンスが目を細めて、『マリー』に注目する。『マリー』は、その圧力に耐えられず視線をイシュタルの背に移した。


ところがここで、イシュタルが思わぬ行動に出た。


どういう訳か、ミラがキュイに助けを求めた所に代わりに現れた。そして国家魔術師と言う王国に忠誠を誓っている立場でその皇太子の邪魔をし、その上で『こいつに、手を出すな』とまで言ってのけたのだ。つまりイシュタルは少なくとも、ここではミラの味方である筈だった。

なのに。


イシュタルはミラを振り返り、目の前で軽く手を振る。

するとミラの面前に小さな光が現れ、次の瞬間それはキュピン! と雪の結晶を模して広がった。アッと言う間にミラの顔の大きさほどに広がったその陣は、彼女の頭の先から足元へとすり抜けてゆく。

そして頭の先から順に溶けるように、ミラの偽装はほどけてしまった。


自分の手の色が変わるのを目にして、ミラはそれに気が付いた。

侍女『マリー』の肌は、『ミラ』より僅かに赤みが掛かっているのだ。由緒ある伯爵家の令嬢であるミラの肌は、優秀な伯爵家の侍女達の努力のかいあって、本来透き通るように白い。


「! イシュタル、何をするの?!」


そんなことをしても意味がないと分かっている。なのに『ミラ』は顔を覆って、イシュタルの背後に身を隠そうとした。

だが、もう遅い。それにイシュタルとミラは、男女の差こそありはすれ大して体格に違いはない。到底、アルフォンスの視界から隠れるなんて無理な話だった。


「……君は……誰だ?」


しかも恐ろしいことに、ここで。

イシュタルは、すっと体を横にずらしたのだ。ミラを残して。


ミラは、盾を完全に失ってしまった……!


顔を覆っていた彼女の手が、衝撃に自然と落ちる。

アルフォンスが、僅かに首を傾げてジッと彼女を見下ろしていた。

神々しいほどの美形に、真正面から見つめられている。本来なら、真っ赤に頬を染める所であろう。

アルフォンス皇太子にこれほどジックリと見つめられたなら、普通の貴族女性なら恥ずかしさやトキメキやそんな浮かれた感情に翻弄されて我を忘れてしまうに違いない。

だが、ミラの頭は真っ白、顔にいたっては真っ青だ。


この場で、イシュタルを罵倒したくて仕方がない。

「こいつに手を出すな」「今は、こいつの方が心配だ」とか思わせぶりな事を散々言っておいて、彼のやっていることはただミラを追い詰めているだけだ。

どうせ魔法を使うなら、ミラの偽装を解くなんて余計な事をせずに、この場からミラを穏便に連れ出すなりしてくれれば良いのに……!


それに、キュイはどうしたのだろう?

キュイは何故、ピンチのミラの前に現れないのだ?

まさか本当に、キュイは消えてしまったのだろうか。


近頃のミラは、ひそかに心配していた。

キュイがいつか消えてしまう存在であると、知識では知っている。

だけど、そんなこと一生、起こらないで欲しいと願っていた。

それは無理かもしれない。いや、無理だろう。でもだからこそ、少しでも長く一緒にいたいと思う。別れが来ることをなるべく頭から追い出し、敢えて考えないようにしていたのだ。


それがまさか―――こんなタイミングで起こってしまうなんて。


いや、違う。キュイは約束してくれた筈だ。ミラを守ってくれると、言葉は通じないなりに体で、そう表現してくれた。だからまだ、ミラとキュイは一緒にいられる筈。少なくとも、この侍女として王宮に潜入している期間は……!


なら、イシュタルがキュイに何かしたかもしれない。

国家魔術師達は加護の研究をし始めた、とミラは父であるマルメロ伯爵から聞いていた。もしかしたらその研究の過程で、加護をどこかに閉じ込めたり拘束したり、出現出来ないように抑える事が出来るようになったのかもしれない。


そうだ、そうに違いない……!


ミラは拳を握り、イシュタルを睨みつけた。


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