31.白王子、アルフォンス
しかしそれからほどなく、ミラは再び考えを改めることになる。
黒王子に対比して白王子と称される皇太子アルフォンスは、主にお茶くみの侍女として侍るミラに言わせれば、これこそ『まさに理想の王子様!!!』と呼ばれてしかるべき存在だった。
アルフォンス王子は、眩しいくらいに何処までも高貴な近寄りがたい雰囲気を纏っている。まるで彼の周囲にだけ澄んだ陽光が差し込んでいるみたいだ。
彼の態度はいつでも穏やかで、丁寧である。
実際に近くで見ると、巷で広まっている絵姿が陳腐に見えるほどの凛々しさ、神々しさだった。
もちろん弟のエドガー王子も、一般市民やミラのような普通の貴族令嬢にとっては近寄りがたい存在だ。
だがアルフォンス王子に対しては、近づくのが畏れ多いさえと感じてしまう。
他の使用人や文官達も、同様にそう感じているらしい。王宮で過ごすうちに、そこに仕える者達の、エドガー王子に対する態度とアルフォンス王子に対する態度に微妙な差がある事をミラは感じ取っていた。
言い方は悪いかもしれないがエドガー王子は、黒王子と呼ばれるだけあってちょっとした悪さをしていてもおかしくないような、危うい雰囲気がある。そして実際、そういう噂が彼の周りには絶えない。
悪い仲間と酒場で騒いでいたとか、ギャンブルであくどい稼ぎをしているとか、夜会で親密な雰囲気を醸し出していた未亡人とどこぞに消えた、とか。
けれども本人の身分のためか、はたまたその容姿や人柄を含めた魅力故か、少々悪さをしていても許されるような……周囲の環境が、そういった彼の欠点を許容するような空気を醸し出しているような気がする。
いろいろと巻き込まれ、多大な迷惑をこうむっているミラにとっては非常に納得の行かない事だが。
だが皇太子であるアルフォンスはいかにも清廉潔白、真面目そのもの、と言う風情だ。
主にお茶くみ担当のパートタイム侍女として潜入していた彼女は、当初がちがちに緊張していた。
だが時間が経つに連れ、観察する余裕も出てくる。一週間も過ぎればアルフォンス王子の人柄や、周囲との距離感にも漸く目が配れるようになって来た。そうして徐々に、白王子と黒王子として対比される王子達の存在……輪郭が認識できるようになってきたのだ。
例えばエドガー王子が世間で後ろ指をさされているような原因となる場所にだって、そもそもアルフォンス王子は近づかないだろう。
そして周りも近づかせないだろう、と想像する。皇太子と普通の王子では、従事する公務も責任も段違いだ。その分羽目を外す機会もないし、ひょっとすると本人も気を張っているのかもしれない。
常に皆から見られている、などと言う状況を経験をしていないミラには想像する事しかできないが。
騎士団での経験の差もあるかもしれない。
エドガー王子は騎士団で野営演習を経験した、などと言っていたが、皇太子であるアルフォンス王子には、一介の兵士と肩を並べて訓練する機会は無かったようだ。最初から騎士団では将校待遇だったらしい。
考えてみれば、当たり前かもしれない。彼を山の中で野宿させる訳には行かないだろう。万が一にでも、皇太子に何かあっては大変だからだ。
しかし孤高の白王子、アルフォンスも、若い兵士に混じって蛇を食べたり虫を食べたりなどと言う経験をしていたとしたら……? 彼も、エドガー王子のように使用人に気安い口をきく人間になったのだろうか。
「……」
ミラは、その過程を想像してみようとした。
だが想像の画は、下手くそな線画みたいにヘロヘロになって消える。
やはりそれはあり得無いだろう、と改めてミラは自らに首を振った。
あの神々しい白王子が、この黒王子みたいになる?
アルフォンス王子が若い侍女に「マチルダ(王宮の侍女の一人である)、髪型変えたのか? 似合ってるよ」なんて声を掛ける所なんて、全く想像できない。
やはり気安い態度(主に女性に対して)を取るのは、エドガー王子の生まれ持った性質なのだろう……。
だから、アルフォンス皇太子に愛人なんて。
改めて、あり得ないと思った。
「皇太子殿下は、とても真面目な方ですよね。そもそも出歩いて(あなたのように)女性と接する機会はあまりないでしょうし、その、そういった俗っぽいことを(あなたのように)しそうにもないと言うか、なんだか神々しくて、そもそも普通の男性と違う……と言うか。あ……」
ここで、ミラは少し口ごもった。
その神々しいまでの高貴な王子に相応しくない単語を口にするのは、どうしても憚られる気がしたのだ。
だが、この人にははっきり言わないと伝わらないだろう、と思い直す。
遠回しに言う事をやめ、自分を励まし言いなれない単語を口にした。
「あ……『アイジン』なんて! やっぱり、何かの勘違いではないですか?」
ある日、ミラは正面からエドガー王子に思い切って、こう尋ねた。
侍女として潜入して以来二週間が過ぎていた。職場に慣れてからはジックリと王子を観察することができたと思う。
けれどもやはり、ミラの目には、何処をどう見てもアルフォンス皇太子はそのような不埒な真似をする人物には見えなかったのだ。
そう―――エドガー王子なら、いざ知らず。
と、考えてしまう。
彼は、あらゆる階層の人間に声を掛ける。すなわちそれくらい、あらゆる女性と言葉を交わしているのだ。高貴な身分の美しい王子に気安い口をきかれて、ときめかない若い女性がいるだろうか。
彼とちょっと親密な時間を持っただけで、親しくなったように錯覚してしまったミラだから分かる。
彼に声を掛けられた女性達は一様に瞳をキラキラさせて、頬を染めていた。
その場をエドガー王子に従って十分に離れた後、廊下の奥で微かに歓声が聞こえる事もしばしばだ。王子の面前ではかろうじて平静を保っていた女性陣が、こらえきれずに声を上げたのだろう。
ここで思わず「若い女性に人気ですね」と、ミラは指摘してしまった。
すると、彼は口の端を上げて「若い女性ばかりじゃないが、な」と返すのだった。
暗に、幅広い世代の女性から視線を集めていることまで、ほのめかされる。
『自慢ですか……っ?!』
ミラは呆れて、二の句が継げなかった。
なのに、その態度を都合よく解釈して、エドガー王子が「ひょっとして、やきもちか?」と、楽しそうに体を寄せて来る。
「違います!」と言ったのに「そうか、そうか。案ずるな、何があってもお前の正室としての地位を俺が揺るがせることはない」と、安心させるように肩を抱いて来た。
検討違いも、甚だしい!
……と言うか、まるで始末に負えない。
『正室の地位』って。
もう、婚姻関係を結ぶ前提だし。
おまけにその内、側室ができるかも……って、含みが感じられるし……!!
ちょっとだけエドガー王子の事を見直していた気持ちが、ここで一気に萎えた。
やはり、高貴な身分の方とミラでは考え方が違い過ぎるのだ……と、溜息を吐き、その後余計な口をきくのを自らに固く禁じたのであった。
だからなのか、より一層アルフォンス王子の株が、ミラの中で上がってしまう。
白王子と呼ばれるアルフォンス王子なら、例え恋の魔法に掛かったって、こんな自意識過剰な台詞は吐かないだろうし、いちいち女性にペタペタ触れたりもしないだろう。
いや、今はミラに夢中だからか、エドガー王子が直接触れる若い女性はミラにだけなのだが。女性に対して馴れ馴れしい口をきく、とは言ってもさすがにミラの目の前で不用意にその女性に触ったりはしない。
……見てない所では、触ってたりして。
一瞬、彼女の頭をそんな想像がよぎった。が、そうすると、まるで王子が言うように『嫉妬している』みたいだから、その考えは急いで頭から追い出した。
そう、やはりエドガー王子の言ったことはデタラメで、清廉なアルフォンス皇太子はセイラに似合いの紳士なのではないだろうか。
ミラが雑念を振り払うようにそう言うと、エドガー王子は目を細めて、甘いため息を吐いたのだ。
「ああ……ミラは素直で純真なのだな。なんて可愛らしいのだ」
と、何故かそんな頓珍漢な台詞を返して来る。
異性との接触に慣れていないミラは、最初の内精悍な美丈夫にまっすぐ見つめられ、こんな甘い台詞を吐かれるたびに、真っ赤になったり言葉に詰まったりしていた。
が―――今では、いい加減慣れてしまった。
甘いお菓子はもう少し食べたい、と言う所で止めるのがベストなのだ。
ただでさえお腹一杯な所に、口に無理矢理追加のお菓子を突っ込まれては胸やけしてしまう。
彼女は顔色も変えずに、真顔でこう返答した。
「清廉潔白を人にしたら、まさにあんな感じ! と言う気がしますよ? 真面目でまっとうな……理想の皇太子ですよね?」
『あなたと違って』と言う言葉を、かろうじて飲み込んだ。
不信感をあらわに、エドガーにジトッとした視線を送ると―――
「……その『真面目』で『まっとうな』ってのが、一番やっかいなんだ」
ぼそりと、彼には珍しく歯切れの悪い口調で何かを呟いた。
言われている意味をとらえきれず、ミラは首を傾げる。
「?」
「まぁ、その内分かるだろう―――」
「その内って……」
「ああ、ミラ! お前は、本当に可愛いな……!!」
小首を傾げるミラを食い入るように見つめ、エドガー王子は再び甘い言葉を囁やいた。
同時に頬に伸びて来た手を、ミラはひょいと躱して避ける。慣れたものだ。躱された王子も、特に気にすることなく軽く笑って、自分の膝の上にその大きな手を収めた。
この時、ミラは『皇太子アルフォンスに愛人がいる』と言う彼の言葉を、すっかり虚言だと決めつけていた。
そして姉のことしか頭にない、自分のことにトコトンうといミラだが、自分の外堀がじわじわと埋められていることに、気づいてしまった。
王宮での行儀見習いに、王子と連れ立っての王宮見学。
ああ、気づくのが遅すぎた。これが既成事実でなくて、何であろう……!
ミラの王宮通いについて王子の説明を受けているらしい侍女長やエドガー王子の担当文官や直属の侍従などは、無論そのような事は微塵も顔に出さずに対応している。
が、彼らはきっとミラの事を『婚約者候補』であると認識しているのだろう。
考えてみれば、当たり前のことだ。
だけど、鈍いミラは気づかなかった。
と言うか、セイラの事ばかり心配していたし、情報を整理し環境に慣れるに手一杯で、じっくり自分の事を振り返る余裕がなかったとも言える。
王宮で偶然二人と顔を合わせた人間が、皆ミラにチラチラと遠慮がちに、稀にしっかりと……興味深げに視線を向けて来るのには気づいていた。それは仕方ない、と考えていた。
今思うとこの時もっとよく考えてみればよかったのだが……。
ミラとの関係を尋ねられ、エドガー王子が言葉を濁すたびに、何故か焦りともつかない気持ちが沸き上がりモヤモヤした。でも自分の事にいっぱいいっぱいなミラは、その訳を考えないようにしていた。
それに王子は、何も言っていない。その時はミラの気持ちをおもんばかって「婚約者(候補)だ」などと言わずにいてくれたのだと思った。実際まだ何も決まっていないのだから、と。
しかしここで、漸く自分の立場に思い至った。
そうだ、偶然王宮で会う人間達に関係をハッキリ言わないのは、思えば彼の作戦なのかもしれない。
だからこそ、皆の好奇の目線がミラに突き刺さっていた。説明されないからこそ、更に周囲の興味は募る。
『自分の要求を通すために、わざわざ兄王子の醜聞をでっちあげるなんて!』
ミラの怒りが、メラメラと足元を炙る。
あっさり口車に乗ってしまった自分のことは、もちろん棚に上げている。
上げてしまわないと、自分の馬鹿さ加減に、今度は大声で奇声を上げてしまいそうだからだ。
だからこそ、呑気に彼を見直しつつあった自分に、ますます腹が立ってしまった。
しかし、それから数日過ぎた頃。
約束の期間に終わりが見えて来たと言った時期に。
エドガー王子が『その内』と言っていた出来事を、ミラは目の当たりにすることになる。




