3.皇太子の婚約者候補
サブタイトルを追加しました。
イクス国の皇太子アルフォンスは十九歳になる。
妃となる女性を決めて貰わねばと周囲からの圧力が高まりつつあり、それに伴い水面下では密かな争いが繰り広げられていた。精悍な容貌、誠実な人柄で慕われるアルフォンスに憧れる令嬢達も多く、茶会や夜会では、必ずと言っていいほど皇太子妃候補は誰かと言う話題が持ち上がる。もはや天気の話題と同じく、それは挨拶代わりになっていた。
以前から候補と目されているのは、隣国の姫や宰相の娘など。更に権力欲旺盛な者達からも、自らの娘や美しいと評判の親戚筋の令嬢をとのアピールがひっきりなしに持ち上がる。このためアルフォンスは忙しい公務の合間を縫い候補者と目される、または推挙のあった令嬢と顔合わせを行っていた。
しかし王家側及び皇太子本人から『この令嬢を』という確たる意思表示は無く、推薦により対面した令嬢に対して皇太子の方から再び会いたいと希望する事は終ぞなかった。
けれども今度こそ本命か、と思われる相手が現れた。秘密裡に数度逢瀬を重ねている令嬢がいる、と言う噂が立った後、それがマルメロ家の長女であると知れ渡るのは早かった。公式に触れがあった訳ではないが、血統と美貌を兼ね備え、女学院を優秀な成績で卒業したばかりの伯爵令嬢セイラ=マルメロが有力な皇太子妃候補である―――それはもはや確定事項だと、社交界では囁かれていた。
この頃から、セイラあてに沢山の贈り物や文が届くようになる。
だが単純に喜べない種類の物も多く混じっていた。皇太子妃になる前に親しくなっておこうと、これまで交流のほとんど無かった親戚や一言二言、言葉を交わしたきりの同窓の令嬢、又はその親から茶会や夜会への招待がひっきりなしに舞い込むようになった。
だが利益を見込んで送られる贈り物や文はまだ良い方だった。中には悪意のある物も混じっている。
遠回しに身を引くよう記された匿名、あるいは偽名の文や、不穏な花言葉を秘めた花束。しかしこちらは可愛い方で、ごく稀な事だが体調を崩す薬草の成分を練り込んだクッキーに、触れると皮膚がかぶれると知られる木の汁が塗られたペンダント……と言ったシャレにならない悪質な贈り物も紛れている事もあった。
このためセイラに手渡しても問題無いと執事が検めた後の文や贈り物を、ミラは自らの加護の能力を使って確認する事にした。これは当主であるマルメロ伯爵に許可をとって、行っていた。
見た目で分からない害意の在る物については、ミラが触れようとすると反発して壁際に飛んで行ったり、例えばガラスの破片でも仕込まれていればパシン! と弾けて消えてしまったりするのだ。
ちなみにミラの最終検閲の際それが害意のある物だと判明した時は、執事が伯爵に報告し処分を決める事としている。
そう言う場合は大抵、触れる前にもう害意の気配が漂って来て胸がムカムカするから、ミラにはこれは悪い物だ、と触れる前からピンと来るのが常だった。
ミラのこの特殊能力は、訳あって公表していない。だから知る者はごく限られている。家族であるマルメロ伯爵とセイラ、クラウス。そしてマルメロ伯爵が子供の頃から仕えている執事と侍女頭だ。
イクス国の王立学院及び女学院の講義で使う教科書には、精霊の加護を受けているものは百人に一人の割合だとされている。精霊の加護の力は様々で、更に言うと加護を受けた人間が一生その加護を受け続けられるとは限らないと言う。よく言われるのは、生命の危機に瀕する確率が高い、または体の弱い子供の時期に加護が付き、大人になるに従って消えてしまう、というものだ。例えば感覚が鋭敏になって危険を回避できるとか、火事場の馬鹿力のように咄嗟の時に力が強くなる、と言ったようなタイプである。
ちなみにミラのような極端に強い護りの力を発揮するような加護は、世間ではほとんど知られていない。
王宮には魔術の研究機関があり、医療や経済、その他軍事利用の為の研究を重ねている。
『魔力があるかどうか』はこの国では、『頭が良いかどうか』『運動能力が高いかどうか』『財力があるかどうか』と言った人間の能力と同じくらい重要なものとみなされていた。しかしこれまで精霊の加護については、大抵大人になると消えてしまうと言う性質もあって、大して重要視されていなかった。
だが、ここ十年ほど魔力だけではなく精霊の力を利用する術はないか、と言った話題が研究所で持ち上がるようになった。
耳の早いマルメロ伯爵は、この流れに危機感を抱いた。もしミラの強い加護の能力が知れ渡れば、半分平民の血が流れる彼女は研究材料とみなされるかもしれない。研究機関に勤める国家魔術師の中には、特権意識からか、若しくは研究に没頭するあまり人道に反する行為にさして抵抗が無い者もいると聞く。
このため、ミラの加護の能力は屋敷の信頼できるごく一部の者にしか知らされる事無く秘される事となったのだった。
ところで加護は百人に一人の割合だが、魔力を持つ者の割合はイクス国には十人に三人の割合でいる。これも学院の教科書に書かれている一般的な常識だ。
ミラの魔術は中の上……いや中の下、と言った所か。一応女学院での魔術の講義では及第点を貰えるくらいの力がある。だがマルメロ伯爵家をはじめ、セイラもクラウスも魔術の成績はトップクラスであった。
そうではないミラは、周囲からこう見られている。
血統もイマイチ、成績も中くらい。容姿は悪くはないが、取り立てて目を引くというものでもない、取り柄の無い令嬢。
だからミラは、周囲からこう言われている。
けれども性格に特に問題がある訳でもなく、姉に比べて競争率も高くない。だから妻とすれば由緒あるマルメロ家と繋がりを持てる―――かなり『お買い得な令嬢』だと。
しかしそれは、大抵揶揄いを含んだ口調で騙られるのが常であった。
実際、ミラには男性からアプローチされた経験はない。夜会でダンスに誘われれば、すべからくそれはセイラ狙いの男性であるし、男性に話し掛けられれば必ずその間はセイラの話題ばかりになる。
ただし、ミラは根っからのセイラ信者である。聞かれなくともついつい姉の自慢に終始してしまうのだ。だから例え相手の男性が本当にミラ目当てだとしても、本人は気付かないままであったに違いない。
魔力を持つ事は爵位の高さや財力の大きさと並んで貴族にとっての重要なステータスシンボルである。魔力量が多い、または使いこなせる能力があると言うのは、貴族にとって自慢すべき事なのだ。このため魔力量の多い女性は、爵位が低くとも高位の相手から望まれる可能性が高くなる。
そんな長い淘汰の結果、貴族であれば大なり小なり魔力を持つのが一般的になっていた。名誉ある王宮騎士団に入団する試験にも、必ず魔術の審査がある。不幸にも魔力に恵まれなかった者は事務方の仕事に配属され、花形の要職に就く事が出来ないと言うのが通例だった。
とは言え身分格差が顕著なイクス国では、例えどんなに魔力量が傑出している人物だとしても、その女性が平民であったなら、正妻にすることなど滅多にない。少なくとも由緒ある血統の貴族で、そんな真似をしている者は、ミラが知っている限りではいない。何処かにいるかもしれないが、それが周囲で話題にあがったことは無い。そんな奇特な真似をしているのは、ミラとクラウスの父親であるマルメロ伯爵くらいなものだった。
平民の魔力の強い女性を愛妾として迎え、子供を産ませる事はあるようだ。しかしあくまで嫡男は貴族同士の結びつきから生まれる者が正当であると考えられている。
だからセイラとミラは、こう願っている。二人の大事な弟、クラウスがマルメロ伯爵家を継ぐ頃には、そう言った偏見が消えている世の中であっていて欲しい、と。
クラウスは血筋以外は全て申し分ない嫡男であるのだから、尚更だ。本人もそれを意識していて、努力で何とかなる分野に関しては人一倍精進しているようだ。
ところで魔力量も魔術の成績も普通なミラだが、一つだけ得意分野があった。それは擬態の魔術である。これは一般的に講義で習う魔術では無く、かつてセイラの母であるレイラの、護衛兼侍女として活躍した実母イーナ直伝のものだった。
それは相手の視覚や聴覚といった感覚に関与し、錯覚を起こさせる魔術だ。何処までの精度を保つか、どれほどの時間その術を保つかによって必要な集中力が異なるが、顔見知り程度の相手に対してなら、ほぼ十割の確率で誤魔化せる自信が、ミラにはある。
……ただ試験には擬態魔術の問題はないため、ミラの女学院の成績は中の上であることに変わりはない。そして普通の貴族令嬢が擬態する必要は無いので自慢にもならないから、家族以外にはその能力については言っていない。
そう。ミラは唯一得意な魔術『擬態』を使ってセイラになりすまし、王宮に向かうつもりなのだ。そこでセイラとして呼び出したアルフォンスに会い、それが本人で、かつその場に危険な仕掛けや罠がなければ、その場を早めに切り上げて退出するつもりだった。
しかしもし呼び出した相手が万が一、アルフォンスを騙っていたり、若しくは呼び出した先で何か害意のある罠を仕掛けられたなら―――ミラを守るキュイの加護が、発動する。
王宮内では決してあり得ない事だと思うが、例えばセイラを傷つけようとしたり、かどわかそうとしたりするような企みがあったのなら、キュイがそれを無力化してくれる筈だとミラは信じて疑わなかった。それが杞憂であれば、言うことは無い。
ミラには、少々考え無しな所がある。
例えばこの文が、封蝋と署名が証明する通り本物で、正しく皇太子からセイラに対する招待状であった場合。そこで、ミラがアルフォンスを謀った事がバレたとしたら?……それが一番危ない展開だとは、自分の企てが失敗するとは、彼女は全く考えていなかった。本来なら手順通りに大人に相談するのが、最も妥当な対応であったのに。
幼い頃からキュイの強力な加護で守られている為、自分が危険な目に合うなんて露ほども考えていないのだ。そう言うミラの向こう見ずを、周囲の者は密かに心配していた。
そう。何があったって、私は安全。
だからお父様や執事のハンスに相談しなくとも、自分は上手くやれる。
イーナお母さまが言うように、ちゃんとセイラお姉さまを私が守って見せる!
私だってもう、守られるばかりの子供は嫌なんだから……!!
2020.04.18 誤字修正(さくや様に感謝)
2020.05.02 誤字修正(のり吉様に感謝)