11.魔法に掛かった黒王子
鋭い指摘に、ミラはギクリとする。
「……それにはお答えしかねます。それは、その……そう! マルメロ家に伝わる秘術に関わることですので!」
正確には、単なる精霊の加護なのだが。それは周囲に漏らさぬ約束だ。ましてや一番伝えたくない相手―――国家魔術師に教えるなんて、もってのほかである。
何とか苦しい言い訳をひねり出した『セイラ』を、イシュタルがまるで観察するかのようにジッと見つめている。その目が笑っていないように見えて、ヒヤリとした。
「そんな事より、喫緊の問題を解消しませんこと? とにかく、あの王子様を何とかしてくださいな。まるで『待て』をされた大型犬みたいに、恨めしい目でこちらを見ていらっしゃるわ。どちらにせよ、魔法を掛ける相手を間違えたのだから、今すぐ魔法を解いていただかないと……!」
そう、このまま本物のセイラに絡まれでもしたら、大変なことになる。
それにエドガー王子は、少なくとも自分がセイラを追い回す事になるなんて想定していなかった筈だ。何故そのような悪意のある魔術をセイラに掛けようとしたのか。その意図する所はとても気になるが、それを確認するかどうかは別にして、即刻この迷惑な魔法を解いてもらわなければ。
王子が意図したような、セイラが彼を追い回す不名誉な状況はかろうじて避けられた。だが、依然事態は好転したとは言えない。
先ほどまで『一刻も早くこの場を逃げ出したい』と言うことしか考えられなかったが、魔術の詳細な内容を聞いてしまった今では、このまま事態を収拾せずに去る事がベストだとは思えなくなってしまっていた。
ちゃんとこの厄介な魔法が解除された事を確認しなければ―――セイラに多大な迷惑を掛けてしまう。
しかし返ってきた答えは、激しくミラを落胆させた。
「残念ですが―――それは、出来ません」
しかもとても残念そうに聞こえない、軽い口調で返答される。
「どうして?!……ですの?」
つい強い平常のミラ口調になってしまい、慌てて語尾を修正する。見た目や声の擬態は維持しているものの、振る舞いや口調は完全にミラ自身に近づいて来ている。取り繕うのが辛いほど、混乱した状況だからだ。
けれども話し方に引きずられて、うっかり擬態の方まで剥がれてしまっては困る。そろそろ本当に疲れて来た。集中力が切れそうな瞬間が訪れるたび、じりじりとした焦りが沸き上がってくる。
そんなミラの焦りを余所に、イシュタルは淡々とこう続けた。
「追加で要求いただいた仕様に、問題がありまして。『誰にも解けないように魔法陣を組め』との御依頼でした。つまり掛けた当人……僕にも解けないように、魔法陣を定義付けしております」
「そんな! そんな酷い事って……まさか、あり得ないでしょう?」
開いた口が、塞がらない。そんな絶望的な事実を淡々と口にできるイシュタルが信じられず、目の前の魔術師を『セイラ』は凝視した。今なら悪い冗談だと言ってくれれば、これまでの非礼も無礼もすべてひっくるめて、彼を許してしまいそうだ。祈るように、両手を胸の前で握りしめた。
「まさか……このまま王子は、もう元には戻らないと言うの?」
そんな状況、考えるだけでも恐ろしい……!
「いえ、代わりに時限装置が付いていますので―――時期が来れば、ちゃんと解けます」
僅かに差した希望の光を感じ、両手を握りしめたまま『セイラ』は前のめりに尋ねた。
「『時限装置』ですって?……いつ? この魔術はいつ解けるようになっているの? まさか明日までこのままって事はないでしょう? エドガー王子にとっても、大変な事になるわよ」
そうイシュタルに詰め寄ってから、チラリと背後を確認する。するとエドガー王子が、こちらに恨めし気な視線を向け続けているのが見て取れた。背中が焦げそうなくらいの強い眼光を感じる。さきほど『セイラ』から『待て』をされてから、忠犬よろしく距離を保ったままなのだ。
一瞬前まで傲慢を絵にかいたような態度だった彼が、おとなしく『セイラ』の言いつけを守っている―――そこに、狂気の色が混じりかけているような気がして、思わず『セイラ』は身震いした。
魔術を解かなければ―――下手したら、本物の忠犬のように朝までマルメロ家の前で待ちかねない雰囲気だ。
「ねぇ。一体この魔法はいつ解けるの?」
叫びだしそうな自分を押さえつつ『セイラ』は重ねて尋ねる。
しかしイシュタルの答は、決して彼女を満足させるものではなかった。
「……そうですね。二月もすれば、自然に解けます」
「ふ、『二月』?! 嘘でしょう?!!」
『セイラ』は思わず、悲鳴を上げそうになった……! 掴みかからなかったのは、かろうじて自分の演じている役を覚えていたからだ。
「本当に二ヵ月も、このままなの?!」
「ええ。そうですね。二月の間びっちり、彼は貴女を付け回すでしょう」
真顔で頷くイシュタルに、『セイラ』は眩暈を覚えた。
「セイラ! 何をイシュタルと話し込んでいるんだ。今すぐ帰らなくて良いなら―――それなら俺と、話をしよう。直ぐにお茶を用意させるから」
眩暈を覚えたまま、『セイラ』はエドガー王子を振り返る。
「いえ、私は帰らなくては行けなくて。でもこのままでは―――」
放置される事に苛立ちを募らせるエドガー王子を、どうにか宥めようと言葉を探し―――
「私……あの。私、違います」
そこでプチン、と何かが頭の中で千切れた。
「私は、セイラお姉さまじゃありません!!」




