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見知らぬ街で・07

 会議室を出たベイルさんは一気に三階まで階段を上がると、廊下を右に曲がり、突き当たりの扉の前で足を止めた。鍵を取り出して扉を開ける。

 そう言えば、三階にはシェルさんの部屋もあったっけ。なら、ここがベイルさんの部屋なのかな。

「どうした?」

「あ、何でもないです」

 部屋の中から飛んできた声に答えながら、「お邪魔します」と扉をくぐる。――そして、ぽかんとした。

 その部屋の様子は、あんまりにも予想外だった。壁には明らかにお土産っぽい地名入りのタペストリーが何枚も貼られていて、床には何をモチーフにしたのかも分からない不思議な置物が転がっている。

「すごい……お部屋ですね……?」

「ヒューゴや部下が他所に出る度に買ってきちゃ、勝手に置いていきやがる。椅子も連中が勝手に持ってきて、置いてった」

 どうりでテーブルがシンプルなのに、椅子が妙に派手だと思ったんだ。テーブルと同じ雰囲気のものだけが、ベイルさんが自分で用意したものなのかもしれない。……そう考えると、他にはベッドや小さな棚くらいで、この部屋の原形はすごく殺風景なことになってしまう気もするけれど。

「お前の部屋が殺風景だから、少しは見栄え良くしてやろうという親切じゃねえか。有り難く思えよ」

「ひゃぁっ!?」

 考え込んでいると、いきなり後ろから声がした。飛び上がって振り向くと、目を丸くしたヒューゴさんがくしゃりと笑う。

「おいおい、なんつー声上げてんだ」

「あ、あははははは……」

 引きつった誤魔化し笑いを浮かべると、ヒューゴさんは私の頭をぽんぽんと軽く叩き、背中を押した。その勢いで二歩三歩と進むと、背後で扉の閉まる音。

 そっか、扉の前に立っていたから、邪魔をしてしまった。すみません、と振り向いて言おうとして、息を呑む。ヒューゴさんはひどく厳しい、怖い目つきでベイルさんを睨んでいた。

「〈竜の空蝉〉まで引っ張り出すたあ、とんだ大風呂敷だな」

「その必要があったから、ああ言っただけだ。無関係の人間に、事実をそのまま話す訳にはいかねえ」

「ナオのことなら、今更俺を外せる訳ねえだろ。だってのに、こうやって訊きに来るのを見越して、何も言わねえのが、んっとに腹立つんだよな。お前の掌の上で踊ってるみてえじゃねえか」

 イライラとした風で、ヒューゴさんがテーブルの椅子の一つに座る。ベイルさんはその姿をちらりとも見ず、肩をすくめた。

「言わなくても分かることを言うのは無駄だ」

「ああ、そうかい。ナオ、気をつけろよ。こいつは嫌な奴だからな。割と、結構、かなり」

「はあ……」

「んで、その大層な話は一体どんななんだ。とっとと話せよ」

「少し待て、じきに頭数が揃う。――直生、座れ」

 言われてみれば、すっかり立ったままだった。そそくさとヒューゴさんの隣に座る。ベイルさんは座らずに、壁に寄り掛かったままだった。そうして待っていると、しばらくして扉を叩く音がした。

 入れ、と短くベイルさんが許可を出す。扉を開けて入ってきたのは、シェルさんだった。

「すまん、遅れた」

「いや。それよりも、鍵」

「閉めるのか?」

「念の為だ」

 分かった、と答える声。かしゃんと鍵のかかる音。その後、ベイルさんが何かを唱えたかと思うと、急にピリッとした痺れが身体の表面を走り抜けた。何事かと辺りを見回すと、ヒューゴさんの向かい――私の右隣に座ったシェルさんが、

「結界だ。そう毛を逆立てるほどのものじゃない」

「そ、そうですか……」

「鍵の上に、防音防衛の二重展開。……一体何だってんだ」

 刺々しさを増した声でヒューゴさんが問うけれど、答えはない。ベイルさんは壁から離れてテーブルの方へやってくると、何故か私を見据えて言った。

「直生の身柄は、今や国一つと天秤にかけるに値する。他所に話が漏れちゃ、困るんでな」

 は、とヒューゴさんが目と口をぽっかりと開ける。シェルさんも眉間に皺を寄せ、「ふむ」と低く唸った。

「ど、どういうことだよ」

「そのままの意味だ。それだけの価値があり、また脅威であるとも言える」

「一国を脅かすほどの、か?」

 シェルさんの問いに、静かにベイルさんは頷く。

「ああもう、いちいち回りくどいんだよ! 分かりやすく説明しろ!」

「発端は、ある水竜の亡骸が奪われたことだ。盗んだ奴の目的は竜の亡骸を使い兵器を作ることだったが、水竜には亡骸を守る番いがいた。で、盗んだ奴と水竜の番いが亡骸を巡って騒いでるうちに、その兵器が姿をくらまし、この島に現れた」

 ベイルさんが淡々と言う反面、それを聞いているヒューゴさんの顔はみるみる強張っていく。ベイルさんが口を閉じると、ヒューゴさんは信じられないとばかりの驚愕の表情で、

「まさか、その兵器ってのが、ナオか」

「ああ。竜の亡骸を埋め込まれてる」

「……有り得ねえ」

「本当に有り得なかったら、誰も困ってねえだろうが」

「どこのクソ野郎だ、ンなことしやがったのは!!」

 ベイルさんが一刀両断するや、ヒューゴさんがテーブルに拳を叩きつけて怒鳴った。ヒィ、と思わず悲鳴が口を突いて出る。

「落ち着け、ヒューゴ。お前が騒いでも仕方ない」

「こんな話聞いて、落ち着いてられっか! 竜の亡骸を盗むだの、ガキを兵器に使うだの!」

「やかましい。喚くな」

「ごわっ!?」

 流れるような動きで、ベイルさんがヒューゴさんの頭に拳を振り下ろした。ガツンと、いい音が……。

「て、てめえ……今、本気で殴ったろ……」

「手加減する義理はねえな。この状況で一番喚きたいのは誰か、よく考えろ」

 言葉に詰まったヒューゴさんが一瞬の間を挟み、私を見た。目が合い、バツの悪そうな顔がぼそりと「悪い」と呟く。

「い、いえ、大丈夫です」

「んにゃ、気い遣うな。大丈夫な訳ゃねえだろ」

 そう言って、ヒューゴさんは大きく空咳をした。

「そんじゃま、気を取り直してだ。バドギオン東部の水竜ってのは、アイオニオンのヒュドールか」

「知っているのか?」

「そりゃ、俺はそこの近くの生まれだもんよ。ガキの頃、よく兄貴に言われたもんさ。『バカやってっと、アイオニオンの氷の中に蹴り落とすぞ』ってな。……死んでたのか」

 少し切なそうにヒューゴさんは言う。なるほど、だからベイルさんは同行をお願いしたのかな。

「シェルは知らねえのかい」

「俺が生まれたのは、バドギオンの北部でもかなり西の方だからな。さほど東部の事情に明るくはない。竜がいるという話は知っているが。そういうお前は、どうなんだ」

 尋ね返すシェルさんは、ベイルさんが何か知っているはずだと確信しているようにも見えた。けれど、ベイルさんは表情を変えず、首を横に振る。

「俺はバドギオン生まれじゃねえからな」

「で、ナオに記憶だとか、一般的な知識? がねえのは、それに関係があんのか?」

「あると言えばあるが、全てだって訳じゃねえな」

「だから、その回りくどい喋り方を止めろよお前」

「直生は異界の住人だ。この大陸の事情なんぞ、何一つ知らなくて当然だ」

 沈黙。シェルさんもヒューゴさんも、もう驚きを通り越して呆れているようにも見えた。

「信じらんねえっつか、意味が分かんねえ」

「信じようが信じまいが、事実は変わらねえさ。今、空蝉を寄越してる竜――ヒュドールの番いが、そう言った。直生は件のコソ泥が兵器を作る為に、わざわざ攫って来たらしい」

「だったら、信じるしかねえけどよ……」

 はあ、とヒューゴさんが溜息を吐く。その一方で、「もしや」とシェルさんが声を上げた。

「襲撃を知らせたのは、その竜か」

 ああ、とベイルさんが頷く。すると、そのやりとりが驚きを上回ったのか、ヒューゴさんの表情に鋭いものが戻った。

「そういう訳かよ。おかしいと思ったんだ。生き物を転移させるなら、〈転移碑〉を使わなきゃならねえ。使ったなら、出所は割り出せるしな。――てことは、昼間のも同じか? あんな街中に出てきたってこたあ、使ってなかったんだろ」

「転移室で調べたが、使用形跡はなかった」

「ケッ、〈転移碑〉要らずで送って寄越すたあ、恐れ入るぜ。竜がわざわざ警告するだけあるってか」

 言葉の割に、ヒューゴさんは妙に楽しげだ。

「ともかく、その竜の依頼で、俺は直生をアイオニオンへ連れていくことになった。依頼を達成すれば、直生は竜の亡骸から解放され、俺たちもこの件から手を引ける」

「んで、それを手伝えってか?」

「そういうことだ。シェルはもう話を聞いてるな?」

「ああ、会長に依頼の受理を伝えてある」

「話が早くて助かる。ヒューゴも構わねえな」

「まあな。何だかんだで誘導されて、結局俺に選択肢は与えられてねえような気もするけどな」

 ヒューゴさんがジト目で零したぼやきにも、ベイルさんは肩をすくめてみせるばかり。この野郎、とヒューゴさんが頬を引き攣らせた。

「そう言えば、明日の襲撃はニーノイエからだと聞いたが」

「直生を狙ってる奴が、そこにいるらしくてな」

「ったく、連中も暇なのな。ついこの前まで、身内でドンパチやってたってのによ」

「そうなのか? 進退窮まっているとは聞いたが」

「過激派と穏健派が対立して、軽い内戦状態だったんだと。さっき言った兄貴が、今ラクスにいてよ、この前手紙に書いてあった」

「或いは、直生はその内乱の中で身柄を狙われたのかもしれねえな。さもなけりゃ、ニーノイエが素直に手放すはずがねえ」

「どんどん面倒臭え話んなってきたなあ、オイ」

「そうだな……。ところで、ベイル。敵はナオの位置を把握していて、それでこの島に軍勢を差し向けたのか? それとも、単なる無差別侵攻か?」

「さあな。だが、竜が手を焼く相手だ。前者の可能性の方が高いだろうよ。どっちにしろ、明晩にはそれもはっきりする」

「ああ、なるほどな。あんな辺鄙なトコにわざわざ出て来やがったら、そりゃナオの居所が知られてるってことになるか」

「そういう訳だ。でもって、単純に直生に関わる人員は少ねえ方が良くもある」

「ふーん……。つか、敵が直生の居所を把握してんなら、明日は相当面倒なことになりゃしねーか?」

「だから、俺とお前で守るんだ。それに、予測が当たって遺跡に直接現れるようなら、その分周りの手が空く。不利ばかりじゃねえさ」

「つっても、護衛は苦手だって知ってんだろ」

「お前にそれを期待しちゃいねえ。片っ端から敵を殲滅しろ。それが仕事だ。得意だろう」

「そうだけどよ……ったく、人使いの荒いこって」

 諦めたような顔で、ヒューゴさんがため息を吐く。思えば、さっきから驚かせたり困らせたりしてばかりだ。「申し訳ない」っていうのは、こういう気持ちのことを言うのかもしれない。

「あの、すみません」

「あ? どうしたよ、いきなり」

「竜とか、護衛とか、巻き込んでしまって」

 そう言うと、どうしてかヒューゴさんは眉尻を下げて、見るからに戸惑った顔になってしまった。おかしなことを言ったはずはないんだけど、と余計に不安になっていれば、「それは違う」と声。シェルさんだ。

「俺たちは、あくまでも自分の意思で依頼を受けた。強要されたのでなく。ゆえに、依頼を遂行する中で何が起ころうとも、全ては己の責任であり、余人に謝罪を求めることではない。求めてもならない」

「お、シェル、いいこと言った。そーゆー訳だ、謝ることはねえよ」

 ほっとした顔で、ヒューゴさんが笑う。そして、すぐにその表情は心配げなものへと変わった。

「そもそも、本当に危ねえのは俺たちじゃねえさ。追われてんのは他の誰でもなく、お前だもんよ」

「……そう、ですか?」

「当ったり前だろ。だから、妙な気い遣う必要はねーの。俺たちは依頼を受けた。だから、お前を守って、お前を連れてく。それだけのこった。余計な心配してねえで、自分が助かる方法だけ考えてろよ。子供はそれで良いんだ」

 な、と更に一押しされて、頷いてしまう。

「よし、いい子だ!」

 手が伸びてきて、わしゃわしゃと頭を撫でる。

 その瞬間、何かが崩れた気がした。

 ぼろ、と目から転がり落ちるもの。頬を飛び越すように、握り締めた手の上で弾ける。ぬるい温度。

おわ、とヒューゴさんが裏返った声を上げた。

「ちょっ、ど、ど、どうした! 痛かったか!?」

「ヒューゴ、何を泣かせてるんだ」

「ガキを泣かせてんじゃねえ」

「いや、ま、待て、泣かせようとした訳じゃねえ! 何だ、アレだ、とりあえずベイル、何か拭くもん!」

 全く、と呟きながらベイルさんが壁際の棚へと歩いていく。

「シェルは、えーと、そうだ! その毛皮貸せ! お前、もこもこだってガキ共に人気だもんな!」

「意味が分からんし、そもそも無理だ」

「あーもー、何だどうした! ええい、俺が悪かったってことでいいから、な! 泣き止んでくれ! 泣き止んで下さい!」

「うぐっ、ず、ずびばぜん……」

「だから、謝らなくっていいんだっつの!」

「だから、叫ぶなやかましい」

 戻ってきたベイルさんが、ヒューゴさんの後ろ頭を叩いた。すぱーんと、勢いよく。それから差し出されたタオルを、お礼を言って受け取る。

「喚く暇があるなら、下に行って厨房から何かもらってこい。具体的には、食べるものと飲むもの」

「ああ? 何で俺がお前の小間使いしなきゃなんねえんだよ」

「襲撃騒ぎのせいで、食事がまだだ。泣いた分の水分補給も必要だろう。発端なら、それくらいの埋め合わせをしろ」

 発端ってなあ、とヒューゴさんが唇をへの字に曲げて、不満そうにする。けれど、その目がちらりと私を見たかと思うと怯んだみたいな顔になって、

「……仕方ねえな」

 ため息。そうして、ガタリと音を立てて椅子から立ち上がった。

「あ、そんな、ヒューゴさん――」

「んにゃ、気にすんな。こいつに指図されんのは腹が立たねえでもねえけど、お前は悪くねえしよ。さっさと行ってくるから、少し待ってろな」

「す、すみません……。ありがとうございます」

「ついでに俺の分もな」

「――あ!?」

「一人分も二人分も似たようなもんだろう」

「何だよ、結局てめえの都合じゃねえか!」

 叫びにも似た抗議にも、ベイルさんは素知らぬ風を貫き通す。目を向けることさえない徹底ぶりだった。

「詐欺師か、この野郎!」

 そんな叫びを残して、ヒューゴさんは部屋を出て行った。激しい足音が遠ざかっていくのが聞こえる。

 全く騒がしい、とシェルさんがため息を吐いた。

「それで、バドギオンにはどのルートを通って向かう? まっすぐにセトリアを北上するか」

「いや、ホロスを経由して、まずはホヴォロニカに入る。最初の停泊地は、アランシオーネだ」

「アランシオーネ? ああ、そうか……。少し迂回する格好にはなるが、被害は最小限に抑えられるか」

「今回はそれを最優先した方がよさそうだからな。来月の半ばにバドギオンに入れりゃ、御の字だ」

 ホヴォロニカは、昼間見せてもらった地図に書いてあったのを覚えている。セトリアの東の国だ。バドギオンは翠珠の周りにはなかったと思うから、もっと遠いところなのかもしれない。

「ああ、ナオは国の名だけでは分からんか」

「あ、ホヴォロニカは、分かります。昼間の地図で見ました。セトリアの東の国ですよね」

 そう答えると、シェルさんは軽く目を瞬かせて、「覚えがいいな」と笑った。

「その通りだ。俺たちはセトリアを経由してホヴォロニカに入り、ホヴォロニカを縦断して、バドギオンに向かう。バドギオンは、セトリアやホヴォロニカの北に広がる国だ」

「シェルさんと、ヒューゴさんの生まれた国なんですよね?」

「そうだ。雪に閉ざされた国で、魔術研究が盛んだ。とは言え、魔道大国を称するミスミには適わんし、最近はアルト――アルトゥ・バジィに押され気味で、大陸第三位に転落するのも遠くはないかもしれんが」

 アルトゥ・バジィ。聞き覚えのある名前だ。

 どこでだっけ、と考えていると、特徴的な声と一緒に、その時の光景が頭の中に蘇った。はっとしてベイルさんを見れば、頷き返される。

「俺の生まれた国だ。ニーノイエの北で、セトリアの西。山以外に何もねえ国さ。魔術研究の経緯も、褒められたもんじゃねえ」

「どういうことですか?」

「戦争に勝つ為」

 さらりと言われた言葉に、息を呑む。何も言えないでいると、「止めとくかい」といつにも増して淡々とした声に問い掛けられた。先を聞くのを、ということだろう。……迷わなかった訳ではないけれど、気付けば首を横に振っていた。

 そうかい、とベイルさんが呟く。

「開戦は、もう十二年も前になるか。相手は隣国のラクストゥ・バジィ――アルトの更に北にある国だ。ラクスは覚えてるかい」

「ヒューゴさんの、お兄さんが」

「そうだ。俺とヒューゴはその戦争で会った」

「え? ……あの、それじゃ」

 思わず口ごもる私をよそに、ベイルさんはあっさり「ああ」と言い放った。

「あの頃、俺はアルトの軍人で、あいつはラクスの傭兵だった。終戦までの七年間、飽きもせず延々と殺し合った仲って訳だな」

 敵同士。思いもしない言葉には、もう何を言えばいいのかも分からなかった。ヒューゴさんとベイルさんは、あんなにも気の置けない間柄に見えるのに。

「ま、その後色々あって戦争が終わってから、つるむことになった。一年近く一緒に旅してたか」

 ベイルさんがそう言った瞬間、ガンガンと扉を叩く音が聞こえてきた。やれやれとこぼしながら、シェルさんが扉を開けに向かう。

「こんな使いっ走りは二度と御免だからな、俺は!」

 荒い足音と、声。目を向けると――

「器用ですね……」

 ヒューゴさんは頭の上と両腕に食べ物が載ったお盆を載せ、脇には三本の瓶を挟んでいた。慣れた様子でシェルさんが瓶やお盆をテーブルに並べていく。

「この時間では、流石に温かいものはないか」

「火はとっくに落としちまったって、料理長にどやされた」

「す、すみません……」

「あー、いや、まあ気にすんな。どうせこいつのせいだろ」

「確かにな。夕飯時に連れ出したのはベイルだ」

「あっ、そう言やそうじゃねえか! やっぱりひでえ奴だな」

「オイ、栓抜き取れ」

「――って、人の話聞けよ!」

 ヒューゴさんの叫びもどこ吹く風、ベイルさんは瓶を取り上げる。その手で机の上のお皿を指差すと、

「明日に備えて、食べとけ」

「あ、はい……。頂きます」

 考えてみれば、この街でちゃんとした食事をするのは、これが初めてだった。きゅる、と小さくお腹の中が動いたような気がしたかと思うと、一気に空腹感が込み上げてくる。

 机の上には、いろんな料理が並んでいる。少し迷ってから、見慣れたハムサンドを手に取った。ぱくり、とかじりついてみれば、

「……おいしい」

 自然と声が出た。だろ、とヒューゴさんが笑う。

「ここの料理長の飯は美味えからな。それだけでも城に間借りする価値があるってもんだぜ」

「そう言いながら、何故お前まで食べてるんだ」

「目の前に飯があったら、そりゃ食うだろ。お前もどーよ」

「遠慮しておく」

 呆れた顔で言いながら、シェルさんは瓶を手に取った。栓抜きを使って、軽々と封を開ける。

「水分も必要だろう」

「あ、ありがとうございます」

 差し出された瓶を受け取る。ベイルさんもヒューゴさんもそうしているので、瓶に直接口をつけて飲むことにした。中身は……オレンジっぽいジュース? 甘すぎなくて、さっぱりした感じが飲みやすい。

 そうして、食べて飲んでを繰り返していると、

「……ナオ、お前、顔が赤くないか」

 ふと、シェルさんが強張った顔で言った。

「え? そうですか?」

「おわ、マジだ。顔から首から綺麗に赤くなっちまって、大丈夫かオイ」

「……直生、酒は得意かい」

「ちょっと、分かんないです。まだ十五歳で、飲んだことなくて」

 そう答えると、ベイルさんが深々とため息を吐き、「ヒューゴ」と呼んだ。その目には、明らかな非難の色が浮かんでいる。

「ちょっ、俺のせいじゃねえだろ不可抗力だ! 酒持たせた料理長が悪い! つーかシェルも飲ませる前に気付け!」

「無理を言うな、ラベルまで見るものか」

「無理でもやれよ! あ、待て、フラフラしてねえかコレ? どーする、カレルヴォ呼ぶか?」

「さすがに、この時間では寝ているだろう」

「その上、子供に酒を飲ませたとなりゃ、お前の説教は確実だ。さぞやかましいことになるだろうよ」

「そいつは御免だ――って、何で俺限定だよ!」

 会話をする声は聞こえていたけれど、だんだん頭がぼんやりしてきて、誰が何を言っているのか分からなくなってきた。お腹が一杯になって、眠くなってきたのかもしれない。……うん、着替えて寝よう。

「あ、ちょ、待てナオ、服! 脱ぐな脱ぐな!」

「シェル、押さえろ」

「何で俺だ!?」

 どうしてか慌てた声が聞こえたような気もしたけれど、気のせいだったかもしれない。

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