見知らぬ街で・06
ベイルさんの馬に乗せてもらって砦に戻ると、辺りはひどい騒ぎになっていた。たくさんの人が慌てた風で走り回っていて、私たちには目もくれない。その騒ぎの中を、ベイルさんは颯爽とお城に入っていく。
「これからするのは、それぞれの利益を巡る話だ。商会には商会の、ハイレインにはハイレインの思惑がある。くれぐれも、連中の言葉を鵜呑みにするな」
広い廊下を歩いていきながら、厳しい声が言った。ベイルさんも商会の人であるはずなのに、まるで部外者のような言い方だ。
「私も、参加することになるんでしょうか」
「その方が望ましい、とは思うが」
望ましい、かあ……。そうは言われても、あのハイレインさんや、商会の偉い人を相手にして話ができる自信は、これっぽっちもない。
「ええと、その、ハイレインさんなら、そう悪い条件を出したりすることはないんじゃないかなって、思うんですけど」
いっそ、あのひとに任せてしまってはいけないだろうか。そんな弱気が顔を出す。
「自信がねえなら、俺が名代に立つが」
「……へ?」
「不満かい」
淡々とした言葉に、慌てて首を横に振る。
「い、いえ! でも、ベイルさんは商会の人じゃ」
「ここに所属しなくとも、仕事は受けられる」
何でもないことのように言われた、その一言。
前に抱いた疑問が、また顔を出す。かつ、と音を立てて、足が止まった。
「……どうして、ですか」
「何が?」
一歩先から平然と問い返される。何がって……。
「私、何も持ってません。何も返せません」
「依頼主はハイレインだ。お前が気にすることはねえだろう」
答える声は、どこまでも滑らかだ。でも、ベイルさんはあくまでも依頼を受けただけだ。わざわざ私の味方みたいなことをして、自分の立場を危なくさせる意味なんて、どこにもない。
「俺が信用できねえかい」
「そういうことでは、ないんですけど」
本当に親切にしてもらっているし、薄昏でも、さっきのハイレインさんの時も、庇って守ってもらっている。だから、信じられない訳じゃない。
「そういうことではない、ねえ。……本当に、お前は妙な娘だな」
ぽつりと零されたのは、内容とは逆に感心したような声だった。
「はい?」
「或いは、不器用とでも言うべきか。手を貸すと言われたなら、素直に利用しておきゃいいだろうに」
「それは、その、気が咎めると言いますか」
もごもご呟くと、そうかい、と軽く声が返る。
「で、どうしても、理由が気になると?」
「その、まあ……はい」
「生憎だが、期待に見合うような理由はありゃしねえさ。ただの物好きと、陳腐な自己満足だ。俺が勝手にやってるだけのこと、お前が気に病むことはねえ」
はあ、と気の抜けた返事が口を突いて出る。はぐらかされたんだろうか。ちょっと複雑な気分になっていると、覚えのある震えがうなじを伝った。
『お喋りするのはいいけれど、待つ身のことも考えてもらえると嬉しいねえ』
頭の中に響くのは、あのくるくる変わる声。
『言われなくとも、今向かっている。竜族ともあろうものが、暇を持て余した挙句に盗み聞きか』
ベイルさんの声も頭の中に響いて聞こえた。ハイレインさんは、くすくすと笑うだけだったけれど。
「……ったく、趣味の悪い」
ぼそりとベイルさんが呟く。珍しい言葉に驚いて見上げると、小さく肩をすくめる仕草。
「急かされちゃ仕方ねえ。急ぐぞ」
私が止めてしまった歩みが再開される。しばらくして、ベイルさんは大きな扉の前で足を止めた。私が追いついたのを見計らって、扉を叩く。
「入れ」
低い声が入室を促す。準備はいいか、と問うように投げられた視線に頷くと、静かに扉が開けられた。先導する背中の後について、足を踏み出す。
広い部屋は、学校の校長室に似ていた。来客用だろうソファとテーブル、その奥には見るからに立派な机が置かれている。ハイレインさんは、その机の脇に立っていた。
「さあて、お出ましだよ」
「……彼女が事態の根幹であると?」
「その通り。彼の地から広がる悪意の波は、やがて魔物となってこの地に届くだろう。彼女を奪う為に、攫う為に」
「下衆めが」
執務机の奥に座る、五十歳くらいに見える男の人が苦々しげに呟いた。整えられた髪は白く、緑の双眸には静かな怒りが燃えている。けれど、その炎も私に目を留めると、すぐに消え去った。
「よく来てくれた、座りたまえ」
優雅な手振りで、ソファが示される。足を止めたベイルさんの隣に並び、そっと視線を投げて窺えば、無言で頷き返された。座っていいということなのだと判断して、「失礼します」と大きなソファの隅に座る。ベイルさんは私の後ろに立ち、その様子を確認してから白髪の男の人は重々しく口を開いた。
「私はエーリヒ・アルトゥール、この商会を統括している者だ」
「あ、天沢直生です」
「うむ。――では、まず各々の目的から整理しよう。ハイレイン氏によると、この島にニーノイエの軍勢が迫っている。到着は明晩。我々は、これを何としても撃退せねばならん」
「……ニーノイエだと?」
「そう。私は直生を追ってこの島に来たけれど、警告に来たのでもある。私の敵は、彼の国にいる。――ともかく、私は直生に無事に私の元へ来て欲しい。その為に〈鵺〉の彼へ護衛を依頼した。目的地は、バドキオン王国東部の湖アイオニオン」
「では、天沢君の目的はどうかね」
「こっちは、少しでも早い出立を希望する」
「おや? 君は己の所属でなく、直生に肩入れするのかい」
「俺はこの娘の名代だ」
へえ、とハイレインさんが笑うも、ベイルさんは構わず続けた。
「とは言え、今すぐ島を出る許可は出ねえだろう」
「そうだな、お前は重要な戦力だ。ハイレイン氏の依頼は承ったが、襲撃があると判明している今、出立の許可はできん」
「つまり、襲撃をどうにかしてから旅立て、ということだね」
「有体に言えば、そうなりますな。あなたが依頼をした者は、あくまでも我が組織に所属する傭兵でありますゆえに」
「さすがに、私もそこまで無理強いする気はないよ」
「有り難く存じます」
「――だが、それは俺が組織に所属していれば、の話だろう」
ベイルさんが言った瞬間、みしりと空気の重さが増した気がした。呼吸をするのも躊躇われるような。
エーリヒさんが眉間に皺を寄せ、「ベイル」と呼ぶ。
「本気ではあるまい」
「さてな。ただ、そういう選択肢もあるって話だ」
ベイルさんの声は相変わらず抑揚が少なくて、真意が読み取れない。エーリヒさんが、渋面のまま言う。
「お前のことだ、他に何か狙いがあるのだろう?」
「ご名答。ヒューゴに正規の手続きを踏んで、同行を依頼すること。可能ならシェルもだが、こっちは当人の意向が優先だ。あいつが断るなら、それはそれで構わねえ」
「分かった、手配しよう。それ以外の同行者は?」
「邪魔になるだけだ、遠慮する。後は、元凶の一人が最大限支援してくれることを祈るだけだな」
「心配しなくても、最初からそのつもりだよ。この島にも、君たちにも、できる限り力を貸す。……巻き込んでしまったからね」
「そりゃ結構。――で、現時点における対策は?」
「島主へ伝令は出した。近隣の島へ避難船を出す準備にかかっているはずだ。こちらでも、通信師に船のやり取りのある港へ状況を伝えさせている。明日、この島は完全に孤立するだろう。被害の拡大は最小限に抑えられる。だからこそ、我々はここで転移させられてくる軍勢の殲滅にかからねばならない」
「部隊は俺とシェルの他、どれだけ残ってる」
「四、六、九、十一、十五の五つだ。その内、人員の全てが残っているのは、三、六、十一、十五のみ」
「なるほど。ハイレイン、軍勢の規模は」
「ヒトはいないね。魔物がざっと六十、全て大型。属性はまちまちだけれど、やや火が少なく地が多い」
「ふん、本腰入れて奪いに来たって訳か。いきなり街の上に出られるんじゃ、被害が大き過ぎる。術式に干渉して、碧海の上で転移を解くことはできるかい」
「できないことはないが、規模が大きすぎる。今の私では、全てという訳にはいかないよ」
「それで充分だ。転移を解いたところに、グロリアとアズレトの隊を総動員して迎撃させりゃ、かなり数を減らせる」
「分かった、その方針は伝えておこう。お前は、どう動く」
「直生を連れて、東の遺跡近くに陣を張る。下手に護衛をつけて匿っておくより、目の届くところに置いておいた方がいい。念の為、ヒューゴも借りるが」
「構わん。連れていくがいい」
「感謝する。……以上で話は終わりかい」
「そうだね、ひとまずは終わりかな」
「――だ、そうだ。下がって構わん」
「了解。直生、行くぞ」
ベイルさんに従い、ソファから立ち上がって部屋を出る。城内は更に騒がしくなっていた。まるで蜂の巣をつついたような慌しさで、ベイルさんも度々呼び止められては指示を出すことになった。
「隊長! 良かった、探してたんスよ」
そんな時、廊下の向こうから見覚えのある姿が駆け寄ってくるのが見えた。ヴィサさん、だったかな。
ベイルさんが足を止め、私もそれに続く。
「隊長、緊急戦闘準備って命令出てんスけど」
「ああ。明晩、魔物の群れが大挙して押し寄せてくるそうだ」
「ちょ、マジっスか! この島にですよね!?」
「緊急で戦闘の用意の必要な場所が、他にあるかい」
「そ、そりゃそうですけど……」
「一番隊は東の遺跡に陣取る。ヒューゴもだ。詳しい話をするから、動ける面子全員に招集を掛けろ」
「了解しました!」
威勢よく礼をし、ヴィサさんは走り去っていった。私には気がつかなかったみたいだ。ベイルさんの後ろにいたから見えなかったのかもしれないし、緊急事態で余裕がなかったのかもしれない。
どちらにしても、それは事態の深刻さを示しているように思えて、また少し怖くなった。
「大丈夫だ」
ふと、静かな声が聞こえた。
顔を上げてみれば、ベイルさんが文字通りの目と鼻の先から、私を見下ろしている。
「請け負った仕事は、完遂するのが俺の主義でな」
「……はい」
「お前は、ちゃんと送り届けるさ」
そこまで言われて、ようやく励まされていることに気付く。
「あ、ありがとうございます」
頭を下げると、ベイルさんは何も言わず、くしゃりと私の頭に手を置き、踵を返した。
「時間は有限だ。急ぐぞ」
「――はい!」
少しだけ速くなった足取りの後ろをついて行く。
そう言えば、ベイルさんにくっついて歩く時、急いだ記憶がほとんどない気がする。……もしかして、いつも合わせてくれてたのかな。
ベイルさんが足を止めたのは、「1」と刻まれたプレートの掛けられた扉の前だった。ノックもせずに扉を開けて、中に入っていく。その行動に面食らいつつ、続いて部屋に入ってみると、
「あれ、隊長その子どうしたんです」
「新入りですか」
「それにしちゃ、若くねえ?」
「若いっつー以前に、子供じゃねえか」
あちこちから、言葉が雨のように降り注ぐ。部屋の中にいた十数人もの男の人たちが、一斉に声を上げたのだ。……顔に傷のある人も多いだけに、割と怖い。
「質問は後だ、全員揃ってから説明する。直生、座ってろ」
ベイルさんが部屋の前の方の、教室にあるような演壇に立ちながら言う。そこ、と指で示された椅子に座ると、向けられる視線の数も大分減ってくれた。
部屋の中は、ひどく雑然としている。演壇の近くには椅子――私や男の人達が座っている――が密集していて、奥の方には書類の詰まれた机がずらり。少しだけ、学校の職員室に似ていた。
「すんません、これで全員ス!」
そう言いながらヴィサさんとヒューゴさんがやってきたのは、更に五分が経った頃だった。壁の時計は私の知っているものと形も動きも同じだったので、大体五分くらいで間違いないと思う。
「ご苦労。それでは、今回の作戦概要を伝える」
ヴィサさんとヒューゴさんが席に着いたのを見計らい、ベイルさんが口を開いた。部屋の中は、しんと静まり返っている。
「全隊に緊急戦闘準備が命じられたことは、既に知っていることと思う。これはニーノイエの侵攻が判明した為だ。軍勢は六十の魔物から成り、個々がかなりの大型と推測される」
ベイルさんがそこで言葉を切ると、低いどよめきがあちこちで上がった。けれど、ベイルさんが手を叩くと、すぐに収まる。
「商会は、これの殲滅にあたることを決定した。一番隊の担当は東の遺跡だ」
「東の遺跡――って、ありゃ旧時代の遺物でしょう。わざわざ俺らが出張って守るほどの価値があるとは思えませんがね」
「防衛拠点として使うだけだ。あれを守る訳じゃねえ」
「オイ、ベイルよう」
その時、話の流れを断ち切って、陽気な声が上がった。誰かは確かめなくても分かる。ヒューゴさんだ。
「まさか何も話さねえつもりか? それとも、ナオを新入りだなんて誤魔化すつもりじゃあるめえな」
「え、隊長、ナオが何か関係あるんスか?」
今度聞こえた声は、ヴィサさんだ。
ベイルさんは二人がいるらしき方へ目を向け、ため息を吐く。余計なことを、とでも言いたげに。
「ヒューゴが仄めかした内容は、第一級秘匿事項に相当する。聞いた者は全て、沈黙の誓いを立ててもらうことになるが」
緊張した沈黙。それでも反論はない。ベイルさんはもう一度ため息を吐いてから、
「直生は、〈竜の寵児〉だ」
そう言った瞬間、部屋中で声が弾けた。窓ガラスが震え、壁の時計までカタカタ揺れるくらいの勢い。
「待って下さい隊長、つまりそれ〈竜灯〉でしょ!?」
「てことは、あれだろ、〈竜の空蝉〉だろ!?」
「英雄の代名詞! うわー、俺初めて見た!」
「――静かに」
わんわんと声が反響するくらいの大騒ぎでも、ベイルさんの声は不思議なほど明瞭に響いた。たった一言で、あっという間に静けさが戻る。
「直生の親は、娘が〈竜の寵児〉でなくなることを望んでる。その為の旅の護衛を、俺が請け負った。――が、魔物が大挙して攻めてくる時に、のこのこ出る訳にもいかねえ。それで護衛を兼ねて、東の遺跡に陣取ることにした。あれだけ辺鄙な場所なら、わざわざ狙う物好きもそういねえだろうからな。他、質問は?」
「魔物の詳細な転移元は? それが分かれば、今からでも干渉術式を組むことができるのでは」
「転移元は調査中だ」
「分かっていないんですか? なのに、魔物が転移されてくることだけは分かっていると?」
「ああ」
不可解だと言わんばかりの問いに、ベイルさんはあっさりと頷く。部屋の中に、何とも言えない空気が流れる。転移元が分からないのに結果だけが分かるというのは、どうやらかなり異常なことみたいだ。
「疑問に思うのは分かるが、今回の件には不確定要素と面倒な事情が絡み過ぎてて、多くを説明する訳にはいかねえ。だが、お前らの不利になるようなことはしねえし、俺の立場をもってさせねえと確約する。異議のある奴は?」
何度目かの沈黙。
「結構。出発は明朝一〇三〇、街を経由して遺跡に入る。分かったら、沈黙の誓いを斉唱」
「我ら掟の定めに誓い、何時如何なる場においても語らず黙するのみなり」
声を揃えて唱えられた誓いの言葉は、まるで地響きのようだった。その音の余韻が消えると、ベイルさんは軽く頷き、「以上、解散」と告げた。あちこちでガタガタと席を立つ音が上がる中、演壇を降りるベイルさんに目線で促されて、私もまた立ち上がった。