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見知らぬ街で・05

「どちら様です?」

 細く開いた扉の奥から聞こえたのは、女の人の声。

「アルトゥール商会の使いだ。解呪師ハイレインに面会しに来た。話は通ってるはずだ」

「……少々お待ちを」

 短い沈黙の後、「どうぞ」と促す声がして、扉は開いた。その向こうには、声の通りに線の細い女の人。

「馬を頼む」

 ベイルさんが言うと、無言で女の人は片手を差し出した。なのに、ベイルさんは手綱を渡さず、

「帰りに無事走れるようなら、もう一枚出す」

 銀貨を落とした。女の人は掌の銀貨を確かめると、無言で逆の手を出す。今度こそベイルさんは手綱を渡し、私の背中を押して扉をくぐった。

「……!」

 その瞬間、ぞわりと背筋に震えが走った。

 全身の毛が逆立つような寒気、心臓は今にも破裂してしまいそうなほど激しく脈打っている。このまま進んだら、取り返しのつかないことになる。どうしてなのか、そんな確信にも似た思いがあった。

「階段を上がって、すぐ右手の部屋です」

 立ち尽くす背中に、女の人の声がかかる。もう一度背中を押されて歩きだしたものの、自分の足じゃないみたいに動きが遅い。きしきし鳴る床の音まで怖い。

「大丈夫かい」

 何の前触れもなく掛けられた言葉に、思わず肩が跳ねた。首を横に振りたいのを抑えて、頷く。いつの間にか、ぜいぜいと呼吸が速くなっていた。もしかしたら、そのことへの確認だったのかもしれない。

「後ろからの攻撃には、俺が盾になれる。見えてる範囲なら、何か起きても被害が出る前に対応する。そう怖がるな」

 淡々としていながらも気遣ってくれる言葉は、今の私には優しすぎた。今までちゃんと動いていたのが不思議なくらいだった足が、ついに止まる。怖くて怖くて、どうしても先に進めない。歯を食い縛って振り返ると、ベイルさんはかすかに目を見開いた。

「どうした?」

 身体を屈めたベイルさんが、私の顔を覗き込む。何か言わなければならないと思うのに、頭の中がぐちゃぐちゃで、何をどう言えばいいのか分からない。

 少しでも気を抜けば、涙が出てしまいそうだった。シャツの裾を両手で握って、どうにか言葉を押し出す。

「……とても、嫌な感じがするんです。このまま進んでしまったら、取り返しがつかないことが起こって、だから、進みたくない。なのに、進まなければならない、気も、して」

「詳しい話を聞いてる暇は、今はねえな。どうしても辛いなら、『黒の鎧亭』ででも待ってるかい。解呪師との話し合いが終わったら、迎えに行く」

『――それは、困るな』

 急に聞こえてきた言葉。まるで頭の中に直接ねじ込まれているような、訳の分からない感覚だった。

 きっと意味なんてない。理由もなくそう感じていながら、それでも耳を塞がずにはいられない。

『狂おしく待ち望んだ機会だ。逃しはしないよ』

 頭の中の声が笑うと、突然に強い風が吹いた。建物の中なのに。どうして。呆然とする私を、舌打ちをしたベイルさんが両腕で抱え込む。

 あっと思った時には、目の前が真っ黒に塗り潰されていた。身体の浮く感覚。お腹の中がひっくり返るみたいな、嫌な感じ。耐えきれない吐き気に呻いていると、闇は唐突に晴れた。

「強引な招待だな」

 不機嫌そうにベイルさんが言う。気付けば、私たちは知らない部屋にいた。白く光る石の照明で、辺りは驚くほど明るい。

「手荒になったことは謝るよ。君が抵抗しなければ、もっと優しくできたのだけれどね」

 答える声のおかしさに、吐き気も忘れて息を呑む。ベイルさんに抱えられたままの身体を捻って、声のした方を振り返り――もう、目を見開く以外の行動が思いつかなかった。

「おや、驚かせてしまったね」

 ソファに座ったその人が、にこりと微笑む。

 一体「何」なのだろう。「誰」と考えることもできないほど、その人は不思議だった。顔、声、色、服装、体つき。その全てが一瞬一瞬で変わっていく。白い肌の少女だったかと思えば、黒い肌の青年に変わり、ほんの一秒でも同じ姿を留めない。

 誰でもあって、誰でもないみたいに。

「何者だ」

 低く問うベイルさんの声は、ひどく硬い。

 確かに、この人はおかしい。理屈は分からないけれど、それでも有り得ない(・・・・・)と分かる。

「おやおや、問うまでもなく知っているだろう? 君は私を訪ねてきたのだからね」

 男の子からおばあさんへ、姿も声も変えながら、その人が笑う。ベイルさんが溜息を吐き、屈んでいた腰を伸ばした。身体を抱えていた手が離れていく。ちょっとどころじゃなく心細かったけれど、そんなことを言える訳もないので、黙って隣に並んだ。

「ハイレイン――解呪師で間違いねえかい」

「是、確かに私の名はハイレインという。もっとも、解呪師と、そのような名称で己を括るつもりはないけれどね。呪いを解くことはできるけれど。ともあれ、依頼内容は何かな?」

「解呪を。対象を徐々に消耗させ、やがては命を奪う呪いだ」

「ふむ、極めて深い怨嗟の込められた呪いだね。なるほど、並の術師では太刀打ちもできまいよ」

「それと、この娘に何か呪いが掛けられてねえか」

「診て欲しい? 健康体に見えるけれど?」

「念の為、だ」

 そう、とハイレインさんは息を吐くようにささやかな呟きを落とした。滑らかな動作で立ち上がり、おどけるように両腕を広げる。

「さすがは〈鵺〉――いいや、アルトゥ・バジィの今は無き最大戦力、と言うべきかな? 鋭いことだね」

「生憎と、無駄口に付き合ってやるほど暇じゃねえ」

「そして挑発にも乗らない、と。ますます興味深い」

「御託はいい。お前は何者だ、この娘の何を知ってる」

「発生した状況の、およそ全てを。その思惑自体に興味はないけれどね。私たちから見れば、ヒトは余りに小さく儚い。瞬きの間に消えてしまうものだから」

「――ああ、そうかい」

 応じる、苦々しげな響きにどきりとする。ベイルさんの吐き捨てる声音は、これまでの落ち着いた様子からは信じられないくらい、ただただ冷たかった。

「神にも肩を並べる竜族が、その小さく脆いヒトの身を模して、一体何のお遊びだ」

「いやいや、私は真面目さ。この上もなく、ね。……さて、事の発端はいかばかり前になるか」

 緩く首を横に振ると、ハイレインさんは静かに語り始めた。

「私には、妻がいた。高潔にして才恵まれた、水を司る善き竜。賢く、美しく、愛しい妻だった。しかし、妻は先年永久の眠りについた。私は、その眠りを守り暮らすと誓った」

 だが、と呟くハイレインさんの顔が、一転して憎悪に歪む。怒りに燃える眼で、震えた声で言う。

「あろうことか、愚昧なるヒトの侵略により、その誓いは反故になった。挙句、その愚か者は妻の左腕を持ち去った!」

 その言葉を聞いた瞬間、

「い、ぅっ!?」

 ずくん、と何かが左腕の中で疼いた。

「まさか」

 信じられない、とばかりの声音。見上げれば、ベイルさんが目を見開いて私を見下ろしていた。

「ああ、そうとも。その通り! あの痴れ者はあろうことか、私から奪った亡骸(つま)を、自らの同胞たるヒト()の子に埋めたのさ!」

 髪を振り乱さんばかりの形相の叫び。があんと、重いもので頭を殴られたようだった。

 言われたことの意味も、どうしてなのかも分からない。けれど、ただただ怖い。怖くて仕方がなくて、かくんと膝が抜ける。

「それで、目的は何だ。どこまでが思惑の内だ」

 けれど、転びそうになる身体を、支えてくれる手があった。背中から回って、身体を抱える腕。

「そう買い被らないでおくれ。私は痕跡を追い、やっとこの街に辿り着いたところでね。この街で最も勢力を誇るのは、君達のようだから、接触を図ろうとしていたところに――」

「自分から転がり込んできた、か。……で? 腕を取り返そうって腹かい」

「だとしたら、どうするんだい? 邪魔しようと言うのかな」

 ハイレインさんが試すように、挑むように言う。ひく、と喉が震えた。ただでさえ怖くてしょうがないのに、もうどうにかなってしまいそうだった。

 その気になれば、このひとは息を吹くより簡単に、私なんか一瞬で消してしまえる。どうしてかは分からないけど、それが分かる。分かってしまった。

「腕を奪われたのは貴様の落ち度だろう。それを棚上げにして、この娘を害すると言うのならば、させん」

 それでも、すぐ傍から上がった声はどこまでも強かった。低く、確かに響く。

 最初に感じたのは、驚き。ベイルさんだって、ハイレインさんのことを分かっていないはずはない。なのに、今日知り合ったばかりの私を、ここまで庇ってくれる。そんな風にしてもらっても、私は何も返せないし、渡せないのに。

「ふむ、抗おうと? この――竜たる私に。その意味が分からない訳でもないだろうに?」

「俺は物の意味が分からぬほど暗愚ではないが、矜持を持たぬ畜生の類でもない」

「その覚悟に免じて、退いてやろう。……だなんて、ご都合主義を期待してはいるまいね」

「ほざけ」

 応じる声は、あくまでも退かない。

 でも、きっと駄目なのだ。ハイレインさんには勝てない。ヒトがヒトである以上、どうやったって勝ち得ない。たぶん、これはそういうもので――何より、これ以上ベイルさんを……関係のない人を巻き込んではいけないと思った。

「待って、下さい」

 振り絞るようにして、声を上げた。ひどく震えていて、自分でも情けないけれど。

 今だけは、それでもやらなければならない。

「……すみません、ありがとうございました」

 口早に言って、力の入らない足を動かして、どうにかこうにか身体を支える腕から抜け出す。少しふらついたけれど、何とか一人で立つことができた。息を吸って、吐いて、顔を上げる。今すぐ逃げ出したい衝動を我慢して、真正面からハイレインさんを見た。

「私が目的なら、私と、話をして下さい。無関係の人を、巻き込まないで下さい」

 深い緑色の眼が、私を射抜く。投げかけた言葉はひどく震えていたけれど、そんな調子でも注意を引くことはできたみたいだった。

 じっと私を見つめていたハイレインさんが、不意に切なげな表情を作って目を伏せる。

「名前は、お嬢さん」

「天沢、直生です」

 そう、とハイレインさんが呟く。伏せられていた目が私を見据えると、歌うように、祈るように続けた。

「聡明なお嬢さん、異界のお嬢さん。君の高潔さは、儚く美しい。それが君の命を奪わぬよう、私は祈るばかりだ」

 え、と目が見開く。

 聞き間違いでなければ、今、この人は「異界」と言った。どうしてそれを知っているのだろう。私の疑問を読み取ったのか、ハイレインさんは小さく笑う。

「言ったろう? 私は君の身の上に起こった、およそ全てを知っていると。その上で、君に問おう。――取引をしないか」

「取、引?」

「そう、取引。怯えなくとも、私は君を害しはしないよ。君は被害者なのだからね。哀れにも異界から攫ってこられ、優秀な――有用な兵器たれと虐げられ、地獄のような日々を生き抜いた」

 何秒かの間、呼吸を忘れた。

 兵器。聞き慣れないどころか、聞き慣れたくもない言葉。それが、私? どういうこと? そんな、信じられない、信じたくない――

「本当に、よく生き延びてくれた。今、君を目の前にして、奇跡を見るような思いだよ」

 私を見つめる眼差しと同じように、ハイレインさんの声は真実痛ましげに聞こえた。

 だからこそ、それがどうしようもなく怖い。このひとの言っていることは、もしかしたら……ううん、もしかしなくても、嘘じゃないのかも、って。

「亡骸になったとて、私たちは我が身に膨大な魔力を残す。用いれば、ヒトの手には余る力を揮うことも夢ではないだろう。――けれど、そんなものに力を貸す義理など、ありはしない。そもそも死者を辱め、無辜の子供を虐げることが、どうして許される?」

「竜だってんなら、手前でその目論みを潰しゃ良かったろうに」

 ベイルさんの突き放すような一言に、ハイレインさんははっきりと首を振った。

「あの痴れ者は、今や我らに匹敵する。口惜しいことに、空蝉では力が足りないのだよ。あくまでも、これは君たちのような異種族と接触する為の分身であり、私そのものではない。そして、今の私は住処を離れることもできない状況にある」

「それで? 話は簡潔に済ませて欲しいもんだが」

「直生には、私の元へ足労願いたい。無事に妻の腕を運んできてくれれば、それと引き換えに元の世界に帰してあげよう。他に望むことがあれば、それも叶えよう。一つなどとは言わない、二つでも三つでも」

 どうかな、とハイレインさんが首を傾ける。

 迷わない訳ではなかったけれど、これはきっと初めてにして、最大の「帰る」為の情報だった。ハイレインさんのところまで行くにしても、どうやって行けばいいのか分からないし、まだ怖くてどうしようもない気持ちはある。でも、やっぱり他に方法もないし、逃げることだってできそうにない。そう考えると、答えは一つしか思い浮かばなかった。

「……分かりました、よろしくお願いします」

「ありがとう、直生。――そして、〈鵺〉の君よ。君には直生の護衛を依頼したい。君の力は、私とて一目置くに値する。依頼が成功した暁には、君にも望む褒美を授けよう」

「依頼を受けるのはいいが、お前はどうする気だ。事態の元凶の一端を担いながら、知らん振りを決め込むつもりかい」

「そのつもりはないけれど、私も忙しいんだよ。あれが動き始めたからね。周りの被害を気にするような良心もないようだし。余計な被害を防ぐ為にも、色々と動かなければならないんだ」

 ……そう聞いた瞬間、閃いた。反射的に「ハイレインさん」と呼ぶ。緑色の双眸が、はっと私を見た。

「それ、もしかして、昼間のことですか? ……だったら、あれは、私を――竜の亡骸を狙ってたんだ」

 ハイレインさんが目を逸らす。返事はない。でも、肯定がない代わりに、否定もなかった。

「お願いします、教えて下さい。私はどうしてここにいるんですか。自分で来られたはず、ないですよね」

 考えてみれば、ハイレインさんの話には、始めから不思議なところがあった。私がこの街に来る前、どこかで兵器としての訓練を受けていたとしても、自力で逃げ出せたはずがない。ハイレインさんが手を焼く相手を、私が出し抜けたとは考えにくい。

「……私にも、分からないんだよ」

 ため息を吐いて、ハイレインさんは話しだした。

「私はずっと君と妻を取り返そうと、あれを監視していた。けれど、あれの監視は厳しく、また君を縛す呪いは強力で、手出しができなかったんだ。本当に、申し訳ないことだけれど」

「だが、今の直生は何も縛られちゃいねえだろう」

 ベイルさんが問えば、「ああ」と頷き。

「つい先日、あれ自身が解いたんだよ。そして何を思ったか、いきなり君をこの島へ転移させた」

「自分から逃がしたってことかい」

「その通り。でも、妙なことは他にもある。直生、君はこの街に来るまでのことを覚えていないね?」

「え? あ、はい」

 私の中では、この街に来る前の最後の記憶は、自分のベッドに入って寝ようと思った時。それ以外にはない。何も分からない。

 そう思って頷いた瞬間、ぞっとした。

 ……じゃあ、私は、いつ、どこでハイレインさんの言っていたような経験をしたんだろう?

「やはり、君はあれの下で得た知識も記憶も、全て封じられているようだ。私には、あれの考えが分からないよ。自分で逃がしておきながら、自分でまた追っているんだから。それも周囲への被害を全く顧みないほど、形振り構わずにね」

 ハイレインさんが苦々しげに言うのを聞きながら、私はただ黙っていることしかできなかった。

 自分の記憶が、何かおかしいらしい。自分の記憶が信じられない。そんな思いもしない状況に、他にどうすることもできなかった。

「全く、大層な話だな。……依頼は受けるが、商会に話を通しておいた方が良さそうだ。説明責任もある。砦まで同行してもらうぞ」

「元より、そのつもりだったとも。……話は終わったし、時間も惜しい。私は先に行くよ」

そう言うや、ハイレインさんの姿が煙のように消え去った。え、ええ……? どういうことなんだろう、先に砦へ向かった、のかな……?

「帰るぞ」

 淡々とした声が聞こえ、はっとして目を向けてみれば、ベイルさんはもう部屋を出ようとしていた。状況はひどく忙しくて、きっと早く砦に戻らなないといけないのだろう。

 ――けれど、一つだけ。言わないと。

「あの、すみません」

 声を上げると、扉の外を窺っていたベイルさんが振り向く。その目を見返して、言った。

「大変なことに巻き込んでしまったみたいで」

「お前のせいじゃねえだろう。竜がああやって証言した以上、お前は完全に被害者だ。……そう言や、『異界から攫ってこられた』とか言ってたな。『夢じゃない』と言ったのは、だからか」

 夢――薄昏でのことかな。そんなことも言った気がする。けれど、どう答えたらいいのか分からなくてもごもごしていると、ベイルさんが扉を閉めて近づいてきた。目の前で足を止めた人の、私より頭二つ分くらい高いところにある顔を見上げる。

「竜は、創造神と共に世界を拓いた種だという。秩序と真理の具現、途方もない魔力と膨大深遠な知識を持つ。連中は偽りをなさない。それが必要なほど、弱くも愚かでもないからだ。故に竜が口にするなら、それは真実――事実でしか有り得ない」

 ベイルさんが、床に片膝をつく。私を見上げて紡ぐ声は、厳かに聞こえるほどだった。

「お前は、ここじゃない、どこかから来たんだな?」

 まっすぐに注がれる眼差しの(あお)さは、まるで海のようだ。その深さに、呑み込まれるように圧倒される。

 言葉が声にならなくて、頷きだけを返す。そうか、と頷いたベイルさんが噛んで含めるように言う。

「異界に関する研究は今も行われちゃいるが、確たる成果が出てねえのが実情だ。つまり、お前はその手の学者連中にとって、極上の研究材料になる。ああいう奴らは、大抵倫理も常識も意識の外にあるのがお決まりだ。実験動物にされると言えば分かるかい」

「分かります。……想像したくもありませんけど」

「全くだ。だから、警戒は怠るな。素性に関する全ては、今後一切口にしねえくらいの腹でいろ」

 はい、と頷くと、ベイルさんもまた小さく頷いた。

「良し。ひとまずは、翠珠系のメリノット人ということにでもしとけ。魔物の呪いを解く為に商会を訪ねたとでも」

 分かりました、ともう一度頷いてみせる。ベイルさんは立ち上がり、頭を掻きながら呟いた。

「穿角鳥の鳴き声に中てられたのは、竜の腕を埋められたことで極端に体内の魔力が増えて、制御しきれてねえからだろう。魔力が多くあればあるほど、外界の魔力的な反応や変化にも聡くなるもんだ。推測に過ぎねえが、お前は竜の亡骸――その魔力を利用する為、一種の生物兵器として鍛えられたってところか。竜は亡骸でも断片でも、ヒトの手には余る。ハイレインじゃねえが、よく生き延びたな」

 しみじみとした風で、ベイルさんが言う。その過去を思い出すこともできない私は、ぼんやりと相槌を打つだけだったけれど。

 その時、ふと頭に鋭い痛みが走った。反射的に目を閉じれば、瞼の裏に知らない景色が映し出される。


 深い森。私を見下ろす二つの眼。縦に細長い瞳孔、青とも紫ともつかない不思議な色の虹彩。

『そなたの在り様は、ひどく歪だ。――だが、だからこそ美しい。良し、この身はそなたに預けよう』

 囁くのは、鈴の鳴るような女の人の声。


 唐突に、左手で痛みが弾けた。慌てて目を開けて左手を見れば、傷跡がくっきりと浮かんでいた。掌を貫通する、周りの皮膚とは違う色の痕跡。

「何だ、そりゃ」

 怪訝そうに、ベイルさんが私の掌を覗き込む。

「今までは無かったろう」

 心臓の音が、どくどくとうるさい。そうだと思います、という答えは、半分くらい声にならなかった。

「記憶どころか、傷跡まで消してたのか。何を考えてやがるんだが……いや、考えても仕方ねえな。とっとと帰るぞ」

 肩を叩かれて、気を取り直す。

 そうして、私は再び砦へと戻ることになった。

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