見知らぬ街で・03
「適当に座ってくれて構わん」
扉を閉めると、部屋の中央に置かれたテーブルの辺りを指で示される。失礼します、と近くの椅子に座ると、シェルさんは私の向かいに座った。
「まず――その鋭さは、天性のものか」
「あ、その……私、よく分からなくて」
「分からない?」
「はい。……すみません」
「別に謝る必要はないが、もしやお前はストランジェロの出か?」
シェルさんが眉間に皺を寄せる。怪しんでいるというよりは、どこか警戒しているような表情だった。けれど、私はそれを不思議に思うよりも早く、「はい?」と間の抜けた声を上げていた。シェルさんが目を丸くさせて、拍子抜けしたような顔を作る。
「違うのか?」
「ええと……そこの出身では、ないです」
「では、先の反応は単に獣人を初めて見たからか。扉を開けた時、物珍しそうな顔をしていたろう」
「え」
さらりと言われて、頭の中が真っ白になった。嘘、私、あの時そんな顔してたんだ……!?
「す、すみません! 今まで、あの、私、獣人の人に会ったことなくて――」
ああもう、最悪だ。初対面の人になんて失礼なことをしてたんだろう! 大慌てで頭を下げると、小さく笑うのが聞こえて、
「お前の事情は分かった。謝らんでいい」
顔を上げろ、と言われたので、恐る恐るシェルさんを見る。……良かった、怒ってない。
「本当にすみませんでした……。それと、その、ありがとうございます」
「いや、礼を言うのは、俺の方だ」
ええ? 今の会話のどこにお礼を言われるようなことがあったんだろう。よく分からなくて首を捻ると、シェルさんは苦笑しながら、
「俺はストランジェロも、そこの人間も嫌いでな。さすがに預かっておいて放置では、まずいだろう」
「お嫌い、なんですか。ストランジェロ」
間抜けな返しだとは思うけれど、他に思いつかなかった。すると、シェルさんは「何を当たり前な」とでも言いたげな顔をする。
「あれは魔術を外法と蔑み、人間族を至上と定めた国家だ。獣人が好く理由はない」
「そ、そうですか……」
いきなり物騒な話になってきた。どこの世界でも差別はあるらしい。嫌な話だ。
「それにしても、獣人を見たことがない上に、ストランジェロの事情にも明るくない。浮世離れにもほどがある。一体、どこの山奥から連れてこられた?」
あっ、しまった! ベイルさんが事情を伏せておけるよう、言ってくれてたのに……。答えるに答えられないでいると、
「ふむ……ベイルが言うだけのことはある、ということか。相当込み入った事情のようだな」
「……た、たぶん」
「多分?」
「自分でも、よく分からないんです。何が起こっているのか、何が起こったのか――本当に、何も」
「傭兵志望で、ここに来た訳ではないんだな?」
「それは、はい。そうだと思います」
「なら、別に訊いても構わんか。どんな事情だ」
「……その、本当に、信じられないような話で」
「それは分かったから、ひとまず話してみろ」
シェルさんの追及は緩まない。紫の目で、じっと見つめられる。ううん、これは話すしかなさそうだ。
「ええと……気がついたら、この街にいたんです。でも、私は家で普通に寝ていたはずで――だから、最初は夢かと思って、頬をつねってみたりもしたんですけど。それでも、ちゃんと痛くって」
「夢ではない、と分かったと」
「はい……。だから、本当に分からないんです。故郷がどこにあるのか、ここがどんな場所なのかも」
「ほおー」
喋り終わった途端に聞こえてきた声は、おかしなことにシェルさんのじゃなかった。というか、有り得ない方向から聞こえてきた気がして、ぎょっとして声のした方を見る。そこには窓枠に掴まり、外から部屋の中を覗き込むヒューゴさんがいた。
……え、えええ!? ここ三階! 三階なのに!!
「ベイルが誤魔化した事情は、そういうことだったって訳か」
どっこいしょ、とヒューゴさんが開け放たれていた窓を乗り越えて、部屋の中に入ってくる。本当に、どうやってここまで来たんだろう……。
「よう、邪魔するぜ」
「邪魔してから言うな」
「まー、細けえこと気にすんなって」
軽やかに笑い、ヒューゴさんがテーブルの空いていた椅子に座る。シェルさんはため息を吐くと、「どう思う」と話を振った。
「ま、どこぞの盗賊にでも攫われて、薬か魔術かで記憶を飛ばされたってのが、一番ありそうな筋書きじゃあるけどな」
「であれば、街をふらふら出歩けまい。それに、記憶――知識の失われ方が、どうも妙だ」
「妙って?」
「ナオからは過去の記憶だけでなく、獣人族やストランジェロに関するような、ごく一般的な知識までもが失われている」
「そうなのか?」
ヒューゴさんが目を丸くして、私を見た。今更隠すのも変だろうし、黙って頷き返しておく。
「記憶と知識は別のものだ。記憶を失う話に比べ、記憶と知識を一度に失うという話は、そう聞かん」
「けどよ、カレルヴォんトコ行った後なんだろ?」
「あ、はい。何も問題はないと言われました」
実際のところ、それは単に私が日本で生まれたから知らないのであって、記憶喪失とは関係ないと思うんだけど……どう話したらいいんだろう。
「不可解過ぎるが――とりあえず、ナオはこの島がどこにあるのかも知らんのだろう?」
「はい。……え、島なんですか?」
「オイオイ、そこから知らなかったのかよ」
「す、すみません」
「謝るこっちゃねえけど――そんな畏まんなって」
「ええと、その……すみません」
「いやだから」
「ヒューゴ、お前は少し黙っていろ。ベイルには魔術を教えろと言われたが、先にこの島ついて話しておくべきかもしれんな」
「あ、はい。お願いします」
「まず、この街はシィラという。ミスミ王国スィレン島にあるが、島そのものが一つの街だと言っていい」
シェルさんが近くの棚から地図を取り出し、テーブルの上に広げる。描かれているのは、横長の楕円形に近い形をした島だった。
「あれ?」
地図に、また漢字が書いてある。「翠珠王国粋蓮島」のに、街で見た文字で振り仮名。町の名前は、白碧。
「どうした?」
「白碧というのも、町の名前なんですか?」
尋ねると、沈黙が落ちた。しばらくして、
「そう言えば、ナオはミスミ語喋れんだぜ」
「ふむ……。ますます妙だな。記憶も知識も失っているというのに、ミスミ語は喋れるとは」
考え込むような素振りで、シェルさんが眉根を寄せる。相変わらず、私にはその意味が分からない。
「前にも言ったけどよ、基本的に俺らが喋ってんのは大陸共通語だろ」
「ああ、はい。そう言っ――」
頷きかけたのを、慌てて止める。そう言ってましたね、なんて答えてしまえば、自分が喋っている言葉のことすら分かっていないとバレてしまう。
「ん? どした?」
「何でもないです」
「そうか? んじゃ、話を続けんぞ。ミスミじゃ、共通語成立以前の古語が日常的に使われてんだ。ショーランとか、通りの入口にアーチ掛かってたろ? それに妙な文字が書いてあったの、覚えてっか」
シェルさんが近くの棚から取り出した羽ペンで「こういうものだ」と「招籠」の文字を書く。漢字は翠珠語の古語らしい。
「ミスミは大陸における最強国の一つだ。それと色々事情があって、ミスミ文字は大抵の奴が読める。んだが、発音まではそうもいかねえんだなあ、これが」
「俺たちのような異国人には、少し難しくてな。この際だ、ヒューゴ、地理の説明はお前がしろ」
「あ? 何で俺が」
「暇を持て余しているんだろう」
さっくり言い放ち、シェルさんは棚から新しい地図を引っ張り出す。その姿を横目に、ヒューゴさんはため息を吐くと、
「仕方ねえ。そんじゃ、代わりに説明するけどよ」
テーブルの上には、シェルさんの手でまた新しい地図が広げられている。覗き込んでみると、翠珠は西にニーノイエ、東にメリノットという国と接しているようだった。南一帯は海で、北には大きな湖を挟み、セトリアという国がある。
「スィレンは、ミスミとセトリアの間の湖に浮かんでる島だ」
「この島、湖に浮かんでるんですか? 何か海っぽい匂いがしたような気がするんですけども」
「ああ、神話の時代の魔術師の仕業だとかって伝承でな。それと碧色の湖水とがあって、碧の海――碧海って呼ばれてる」
「因みに、セトリアはミスミの最大の友好国でよ。それにも、碧海の特性が関係あんだ」
「潮風とは違った特性ですか?」
「その通り! 碧海は一切の干渉を弾く。それが物理手段だろうが魔術だろうが、区別なしだ。お陰で国境を定めることもできねえ。明確な資源分割も、効率的な国境警備もできねえなら、いっそ融通を利かせられるよう仲良くしといた方がいいだろ?」
「かも、しれません。よく分かりませんけど……」
「ま、俺もよく分かってねえんだけどな。んで、碧海は効率的な警備が難しい。てことは、密入国する犯罪者の類も必然的に多くなる。そういう訳で、この街も治安の悪いトコは本当に悪いんだわ」
「薄昏、みたいに」
「ああ。この島もミスミの領土じゃあるが、本土から遠いせいで一種の独立都市みてえになっててな。島主も王に向かって『互いの不干渉こそが最良』とか堂々と言いやがる。その癖、スィレンで騒ぎの責任はミスミに押しつけられんだよなあ」
「……何というか、ややこしいですね」
「全くだぜ。何か騒ぎがあって国軍を大挙させようもんなら、セトリアへの威嚇とも取られかねねえ。いくら仲が良くても、その辺はどうしようもねえからな」
肩をすくめて、ヒューゴさんは言葉を切る。
「で、シェル。こっからはお前の出番だろ。お前の身内の話だ」
そうだな、と静かな頷き。
そもそも粋蓮の特殊な状況があったからこそ、アルトゥール商会は生まれたのだと、シェルさんは言う。
「スィレンの治安維持にまつわる諸問題への対処を請け負う代わりに、王家の援助を得て、設立された。場合によっては、王家の尖兵として働くこともある」
その来歴から、いかなる国家からも干渉を受けない独立した組織であることを目指す傭兵ギルドとは、微妙な関係にあるらしい。ギルドに加入をせず、あくまで提携という形を取っているのには、そういう理由もあるそうだ。
「もっとも、あくまでも本業は傭兵の管理派遣だが」
「傭兵というお仕事は、何をするんですか?」
「魔物の討伐や護衛、危険地帯の探索等だな。まあ、依頼次第で何でもするのが実情だ。上手く伝わらんかも知れんが」
「あ、大丈夫です。何となく、分かった気がします」
たぶん、ゲームとかの「冒険者」みたいなのってことだよね。そう思って頷くと、ヒューゴさんが大きく伸びをするのが、目の端で見えた。
「んじゃ、話が一段落したとこで、茶でも飲もうぜ」
「……それは、俺に淹れろということか?」
シェルさんの渋い表情も意に介さず、ヒューゴさんはにんまりと「そういうこと」と笑う。ため息を吐きながら、それでもシェルさんは立ち上がった。
「あ、お手伝いします」
「いや、構わん。そこの横着者の相手でもしてやってくれ」
ヒューゴさんを指さして言うと、シェルさんは部屋の奥へと消えていった。そちらにキッチンか何か、あるのかもしれない。
「つー訳だ、お喋りでもしてようぜ。ちゃんと名乗ってもなかったろ。急いで名前教えただけでよ」
そう言われてみれば、確かにヒューゴさんのことも名前しか知らない。
「ヒューゴさんも傭兵なんですか?」
「ああ。商会にゃ入ってねえけどな。傭兵ギルドだけに登録してて――あ、ギルドってのは、商会の仕事を大陸規模でやってる組織っつーか。とにかく、大陸中に支部があるんで、あっちこっち好きに旅するにはうってつけでよ。……で、そっちの話は訊かねえ方がいいんだよな?」
明らかに気を使ってくれている口振りに、何となく後ろめたい気分で「すみません」と頷く。
「謝るこっちゃねえさ。誰にだって、突っ込まれたくねえ事情の一つ二つはあるもんだ。そーすっと……普通、自己紹介って何話すよ?」
「ええと、年齢とか、趣味、特技……ですかねえ」
「んじゃ、俺は質問に答えたから、そっちな?」
「あ、はい。十五歳で、趣味は読書と料理です。特技は……えー、足は速い方だと思いますけども」
「何だ、炊事洗濯家事万能ってか?」
「そこまでじゃないですけど、一応、一通りは」
「シェルみてえだなあ」
シェルさん? どういうことだろう、と首を捻った時――
「俺がどうしたと?」
シェルさんが戻ってきた。手に持っているお盆の上には、ティーセットとお菓子が載せられている。
「茶は、湯が沸くまで少し待て」
「あ、いえ、お構いなく……」
「気にするな、客はもてなすものだ。不法侵入者はともかく」
「俺を見ながら言うなよ」
「お前に言っているんだ。それで、俺がどうしたと」
「ああ、ナオが家事一通りできるってんで、お前と同じだなって話してただけだ」
「その歳でか? 大したものだな」
言いながら、シェルさんはテーブルの上にお盆を置き、お菓子を載せたお皿を配った。お礼を言って、受け取る。
「そんな大したことでも――必要だっただけなので」
「謙遜することはないだろう」
「そうだそうだ。――っつー訳で、自己紹介ってのをしてたんだよ。ヤカン鳴るまで、お前も喋ってけ」
「具体的には、何をだ」
「年齢、趣味、特技だったか。あ、俺は歳二十六で、趣味は鍛練と昼寝な。特技は……狩りと釣り?」
「……サバイバルですね?」
「自慢じゃねえが、野営もうまいぜ」
へっへっへ、とヒューゴさんが胸を張る。確かに山や川を縦横無尽に走り回る姿が似合いそうだ。
「おら、次はお前だ」
「歳は二十八。趣味と特技は……」
何故か、シェルさんの言葉はそこで止まった。
「そこで止まんなよ。先言えって」
ヒューゴさんが急かすものの、シェルさんは黙ったまま。何か悪いこと訊いちゃったかな、と冷や汗が流れそうになった時、部屋の奥からピィッと甲高い音が聞こえてきた。ヤカンかな。
「む、湯が沸いたようだ」
「ちょ、おま、逃げんなよ!」
ヒューゴさんが吼えるも、シェルさんは足早に部屋の奥へ戻っていってしまった。
「全く、潔くねえな」
「話したくないなら、無理に聞くことは……」
「んにゃ、ありゃ単に出し渋ってるだけだ。どうせこの後話すしな」
にやり、ヒューゴさんが笑う。
しばらくして戻ってきたシェルさんは片手にはヤカンを持っていて、テキパキとお茶を淹れ始めた。
「ヒューゴ、後ろの棚から白い箱を取ってくれ」
これか、とヒューゴさんが背後の棚から取り出したのは、細かい蔦模様が彫り込まれた白い木箱だった。箱を見つめていると、目の前に淡い橙色のお茶の注がれたカップが置かれる。
「まずは、冷めんうちに飲め」
「ありがとうございます」
軽く頭を下げて、カップを手に取る。口をつけてみると、ほのかに花の匂いがした。紅茶と似ているようで違う、不思議な味。上目に見ると、ヒューゴさんも黙ってお茶を飲んでいる。
「抗魔術の術式を付与した魔道具は、幸い一つ残っている。これで完全に安心という訳にはいかんが、多少なりとも改善はされるだろう」
シェルさんが箱を開けて、何かを取り出す。手の甲まで白い毛に覆われた手がテーブルに置いたのは、薄紅色の結晶で作られた薔薇のネックレスだった。
銀の鎖に通された、細やかに形作られた薔薇。まるで本物のように細部まで彫り込まれていて、装飾品にして使うのが勿体なく思えてくる。
「わあ、綺麗! 凄いなあ……これ、お借りしていいんですか?」
「いや、持っていていい。やる」
「え? でも、私、お金を――」
「構わん。元々暇潰しに作ったものだ」
さらりと告げられた衝撃の事実に、かぱっと目と口が開く。目を丸くしてシェルさんへ顔を向けると、「しまった!」とでも言いたげな顔をしていた。
「分かったろ? これがこいつの趣味で、特技な訳だ」
物凄くにやにやしているヒューゴさんが、言う。
「な、なるほど! ひえー、本当に凄いですねえ」
「……とにかく。それはやるから、役立てるといい」
「い、いいんですか」
いい、とシェルさんが頷いてくれるので、ドキドキとうるさい心臓をなだめながら、そうっと薄紅の薔薇を手に取ってみる。軽い。
「あ、ありがとうございます」
もう一度頭を下げる。銀の鎖を首に回して着けてみると、何だかくすぐったいような気分になった。にへらと、つい顔が緩んでしまう。
「――にしても、嬉しそうだな」
「だって、凄く綺麗じゃないですか」
「ほーう。……だってよ」
「その胡散臭い笑い方を止めろ。……ひとまず、これで役目は一つ果たした訳だが。ヒューゴ、お前は誰に訊いてここに来た? ベイルには会ったか」
「んにゃ、会長のおっさんに報告した後、カレルヴォに訊いた。ベイルはさっき、おっかねえ顔で転移室と通信室を行ったり来たりしてんの見たぜ。カレルヴォから聞いたけどよ、解呪師探しに大慌てなんだってな? ご苦労なこったぜ」
やれやれ、とヒューゴさんが肩をすくめる。そして、「一応説明しとくと」と前置きして、更に続けた。
「解呪師ってのは、呪いを解くのを専門にしてる術師だ。天性の素質が必要なんで、数がそう多くねえ。んでもって、呪いは魔術の一種じゃあるんだが、主に対象に災いや不利益をなすように束縛する類の術式のことを言うな。その逆が祝福で」
そこまでヒューゴさんが説明すると、今度はシェルさんが近くの棚から、また違う箱を取り出した。その箱からは七つの石が取り出されて、テーブルの上に並べられる。
「何だ、魔石なんか取り出して。何すんだ?」
「話の流れついでに、魔術について話してしまおうと思ってな」
「ああ、さっき言ってた奴か」
そうだ、と頷いて、シェルさんはテーブルの上の石を並べ替える。円を描くように揃えられた石は、赤、青、緑、琥珀色、白、黒、それから透明の七色。
「魔術には七つの属性――系統がある。火、水、風、地、光、闇、無。この世に存在するものは、何であれいずれかの属性の魔力を秘めている。因みに、俺は地属で、ヒューゴは火属だ」
「おうよ。ベイルの奴は風属だったっけかな」
「ああ。だが、地属と水属に限っては、その中で更に二つの種に分類される。鉱物と植物、流水と結氷。俺は鉱物系だな。その他、無属は例外的に属性に関係なく、魔力がありさえすれば行使できる魔術系統全般を指す。……ナオ、手を出せ」
右手を出すと、掌に透き通った欠片が落とされた。
「握って、一呼吸置いてから開け」
言われるままに、指を開閉する。すると、いつの間にか石は淡い青色に変わっていた。少し紫色が混じっているような気もするけれど、青は青かな……?
「ふむ……? 少し妙な色合いだが、水属だろう。白混じりの青が結氷だというから、流水だな」
言いながら、シェルさんは私の掌から青く染まった欠片を摘み上げ、箱に投げ入れた。
「属性には相性がある。火は水、水は地、地は風、風は火に弱い。光と闇は互いに反目するが、他の四つに対して強弱はないな。この相性は、二重属性の成立にも関わるそうだ。ミスミ国軍の魔術部隊長は地と光の二重属性だが、火と水や、地と風では淘汰関係にある為、二重属性として成立せんらしい」
「じゃあ、私はシェルさんに弱いんですね」
「まーな。単純に、火力や質量で覆されることもあるけどよ」
「ひとまず、自分が何をできるのかは把握するのが先決だろうな。水属の流水系ならば、文字通り流水を扱うことになるが」
「他のことはできない、んでしょうか」
「無理だわなあ。水属なら水を生むだけ、火属なら火を生むだけだ。無属は治癒とか解呪とか……他六属性以外全部ってことだ、つまり」
「結構、大雑把なんですね」
「まあな。……だが、魔術とは、すなわち魔力をもって世界を改竄する術だ。そこに無いものを作り出す術であると言える。使い方を誤ってはならん」
シェルさんが厳かな、真剣な声で言った。改めて気が引き締まる。はい、と答えると、
「後、魔力も使い過ぎるとぶっ倒れるから、気い付けてな」
のんびりした声が続いて、一瞬で緊張感は消えてしまった。はあ、とシェルさんがため息を吐く。
「まあ、いい。長話にも疲れたろう」
中身の減ったカップに、シェルさんがお茶を注ぎ足してくれる。お礼を言って再び口をつけると、ほっと息が漏れた。
「しかし」
ポットをお盆に置き、シェルさんが呟く。カップを持ったまま目を向けると、シェルさんは何やら思案する風だった。ヒューゴさんが眉間に皺を寄せる。
「何だよ。勿体ぶらねえで、はっきり言えよ」
「……いや、ベイルの真意は何かと思ってな」
「袖振り合うも何とやら、って奴じゃねえのか。こんだけ魔力に敏感ってことは、持ってる魔力も相当なもんだろ。その辺で利用されたら厄介じゃねえか」
「それはそうだが……ヒューゴ、ベイルは自分からナオを連れてきたのか? それとも、ナオに助けを求められてか?」
「言い出したのは、あいつだ。最初は……確か、ウスガレで一悶着あったんだよな?」
「あ、はい。助けてもらいました」
「穿角鳥が出るまでは、ヘイズに預けるみてえなこと言ってたよな。その後、いきなり砦に連れくって方針変えだ。何でかは分からねえが、どうした? どっかおかしいか?」
「おかしくはない――かもしれん。だが、ベイルは自分から他人にそこまで関わる奴か? あいつが、お前の言うような理屈で動くと、本当にそう思うか」
シェルさんが言うと、ヒューゴさんも口を閉じた。じっと考え込む素振り。しばらくして、ヒューゴさんは「いいや」と首を横に振る。
「そんな訳ゃねえな。傍からは面倒見はいいように見えるかもしれねえが、ありゃ単に断るのが面倒だから相手してるだけだ。自分で言っといて間抜けだが、そもそも商会やてめえの立場が悪くなるのを心配して動くようなタマじゃねえ」
「だろう。だから、その辺りが少し解せん」
橙と紫の視線が、私を見つめる。心当たりはないのか、と言外に問う眼差し。でも、私は首を横に振るしかなかった。本当に、何も分からない。
「ま、ここで考えても仕方ねえやな。後であいつに直接訊くのが一番だ」
「そうだな」
「さて、そんじゃあ休憩ついでに砦見物にでも出てみねえか。ずっと部屋に籠ってちゃ、気詰まりだろ」
椅子から腰を上げながら、私を見てヒューゴさんが言う。けれど、シェルさんは「ひとまず休憩」と言っていた。なら、まだ続きがあるんじゃないのかな。シェルさんを窺ってみると、テーブルの石を箱に放り込み、元の棚へと戻しながら、
「ヒューゴの言にも一理ある。が、時間を掛け過ぎるなよ。ベイルと行き違いになっては困る」
「あ? 何言ってんだ、お前も来るんだよ。ここはお前の住処だろ。お前が案内しねえで、誰がすんだ」
「……見物に誘ったのは、お前だろう」
「案内するとは言ってねえ!」
清々しいまでの断言。一瞬の沈黙の後、シェルさんが深い……深すぎるくらいのため息を吐く。どこか諦めたような表情だった。
「そう時間は掛けんからな」
……思えば、シェルさんはさっきから頼みごとばかりされている。それだけ頼られる、いい人なんだろうけど、ちょっと頼まれすぎじゃないかな……?