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花降る街・05

 それは歴史の漫画で見た槍衾の絵か、蛇の大群を連想させる光景だった。鎌首をもたげるように、地面から立ち上がる無数の黒い帯。その先端は鋭く、矢のように槍のように尖っているのが分かった。

 そんなものが、数え切れないほど。私の逃げようとしていた方向から、私に向かって――

「ナタン・ラパラ! 話が違うようだがな」

 飛び掛ってくる、と思った瞬間、目の前を真っ白い光が走り抜けた。横一文字の輝き。黒い帯と礫とを一緒くたに両断してしまう、剣の軌跡。

 その剣の主に抱えられて、私は光と闇がぶつかり合う爆心地から逃げ出した。衝突して弾け飛ぶ魔力が、草原の地面すらも抉りむしっていく。

「遺憾ではあるが、そのようだ。エジード! 何のつもりだ」

「ハッ! 何のつもりも何もねえよ。何度も考えちゃみたが、こればっかりは譲れなかった。罰なら、後でどれだけでも受けてやる。だから、譲れナタン。アンドラステとは、俺が最初に戦う」

 咎めるナタンさんに答える声は、何か吹っ切れたみたいに溌剌としていた。

 私を右腕に抱えたまま、ベイルさんはその二人(・・)の様子を一度に窺える場所にまで移動していく。

「本気か」

「冗談だと思うのかよ」

 いや、と首を横に振るナタンさんは苦々しげで、対するエジードさんは、その真逆に見えた。

 二人との距離は、そんなに遠くない。さっきの爆発の跡を挟んで、向かい合うような立ち位置だった。ベイルさんが下ろしてくれたので、私もちゃんと自分の足で立っている。

「〈鳴神〉さんよ、こいつをあんたの隣の奴に渡してくれ。そいつのもんだからな」

 突然エジードさんが何かを投げる素振りをしたかと思うと、ベイルさんが左手を上げた。かしゃん、と小さな音。腕が下されると、そこには一振りの剣……ううん、刀? が、握られていた。

 ベイルさんはそれをちらりと見てから、私に差し出した。ということは、受け取っても問題なさそうってことなのかな。手にとって、柄を握ってみる。自分でもびっくりするくらい、握り慣れた感触がした。

「エジード、あれはベルムデス様が管理していたはずだが」

「毒を食らわば、ってな。命令違反は今更だろ?」

 あっさりと言い放ってエジードさんが笑い、ナタンさんがため息を吐く。正反対っぽい性格だけれど、あの二人は意外と仲が良かったんだっけ。

 ほんの少しの懐かしい気分で、刀を持ち直す。そんな私を見るエジードさんは、もう笑っていなかった。息を呑むほど真剣な表情。ニーノイエにいた頃、私に忠告をする時は、決まってそんな顔をしていた。

「抜け、アンドラステ。そして、俺と戦え」

 命令のはずのそれは、懇願のようにも聞こえた。

「その為に、記憶も、剣も、返してやったんだ」

 けれど、私はその言葉に答えることはできない。代わりに、ベイルさん、と呼んだ。

 ああ、とベイルさんが口を開く。

「連中の勝手に付き合ってやる義理はねえ――と言いたいところだが、まあ、俺もそこまで余裕がねえ訳じゃねえからな。好きにしろ。状況がまずくなってきたら、俺は俺で勝手に横槍を入る」

 ただし、と言って、ベイルさんは私の背中を叩く。

「無茶だけはするな」

「はい。……ありがとうございます」

 頷いて、刀の柄を握る。手応えは軽く、刃はするりと鞘から抜けた。鞘はベルトの隙間に差し込んで、両手で構える。

「思い切りがいいじゃねえの」

 腹は決まったか、という問いには答えない。答えられない、という方が正しいかもしれなかった。覚悟ができたとかできないとか、まだよく分からないから。

 でも、本当なら、これは最初から私が戦わなければいけないことだった。奇跡のような偶然のお陰で、代わりに戦ってくれる人がいるだけで。

 息を吸って、吐く。身体能力を強化する術は……ううん、ちょっと怪しいところがない訳でもないけど、使えそうかな。ぼんやり覚えてる。

 両足に魔力を集中させて、勢いよく飛び出す。空気の壁を貫くように、放たれた矢のような速さで身体が突き進んでいった。爆発の跡を一足で跳び越えて、エジードさんの懐へ。距離を詰め、刀を振る。

 真横に一線描く軌道で振り抜く刀は、本来とは逆向きに。向けるのは刃ではなく、その峰を。

「戦う時は殺す気でやれって、俺は何度言ったよ?」

 けれど、それは当たらない。刀の刃を短剣の根元で受け止め、ひどくささくれ立った声でエジードさんは言った。もどかしげな、苛立った口振り。

「何度言われても、聞けないこともあります」

 互いに互いに押し退けあって、距離を取る。エンデのサポートを受けて、詠唱は省略。魔力を凝縮させながら、一気に術を発動まで持っていく。

 ふよ、と浮かび上がる水の塊。拳大の水弾は次から次に発生し、エジードさんへと放たれる。たぶん、私がこういう攻撃ができるってことを、元々知ってるんだろう。軽快な足取りに避けられていくけれど、焦りはなかった。あの人は左前からの連続して攻撃を受けると、三歩目でほんの少し足取りが乱れる。そういう癖があると、知っていた。

 ナタンさんが近くにいれば、その隙をフォローしたのかもしれない。でも、周囲を探り続けている術式は、今も変わらずベイルさんが優位を保っていることを伝えていた。苛烈にナタンさんを攻め立てながらも、いつでも私の方に手を出せる距離を保って、状況をコントロールしている。そこまでしてもらっているんだから、私だって頑張らなきゃいけない。

 エジードさんの三歩目の隙を狙って、水弾を集中させる。数で押し込んで、確実に当て――

「い、っ!?」

 たと思ったのに、痛んだのは私の方だった。

 左腕で突然に弾けた痛み。腕が吹き飛んだんじゃと思うほどの衝撃に驚いて見てみたものの、血も流れていなければ、腕がなくなってもいない。

 なのに、痛い。涙が出そうなくらいに痛くて、それどころか腕が丸ごと痺れて動かなくなっていた。

『見えたか、ナオ』

 頭の中で囁くエンデに、何が、と訊き返す。

 水弾の弾幕が切れた隙を縫って、エジードさんが距離を詰めてくる。右手だけで、刀を構えた。

『エジードは呪い師。その身に呪いを纏っている』

『もっと短く分かりやすく言って!』

『そう焦るでない。己の身に向けられた術式を反射させる。それが、あれの竜騎兵としての特質だ』

『反射って、私の式は何もされてなかったよ』

困惑しながら、胸を狙って突き出された短剣を刀で逸らす。追撃の蹴りは、後ろに跳んで回避。

『左様、反射するのは術式そのものではない。向けられた術式を解析分解し、それが齎すはずの結果のみを反射するのだ』

 過程を無視して結果だけを反射するとか、そんなの反則だ。本当に人間業じゃない。

『無論、竜の亡骸があるからこその大道芸よ。エジードに傷を与えるなら、奴の呪いを凌駕する術式を組まねばな。精度か規模か、どちらでも構わぬが』

 そんな術を、今の私が組み上げられる自信はない。自分を強化する術だって怪しいのに。他は?

『簡単な話だ。奴の呪いは術にしか反応せぬ』

 つまり、物理で殴れってこと? ああもう、それなのに左腕はこんな風になっちゃってて……嫌だな、狙い通りにしてやられている気がする。

 嘆く暇もなく、振り下ろされる短剣をまた刀で受ける。鍔迫り合いになる前に受け流して、刀を持つ手首を返した。向けるのは切っ先ではなく、柄の頭。みぞおちを狙って、打つそれは――

「そんなもんが、当たる訳ねえだろ」

 あっさりと掌で受け止められた。

 吐き捨てる声は苛立ちを通り越して、憎々しげにすら聞こえた。

「俺すら殺せねえなら、今ここで殺されとけ」

 頭の上で光る短剣。深く踏み込んだ体勢で、刀も掴まれている。今度こそ武器は手放せない。それなら、どうやって防ぐか。動かない左腕を盾にしてしまおうか、と考えた瞬間、

「!!」

 空を焼いて、眩く閃くものがあった。

 雷光を纏った一振りの剣。流星に似て夜空を貫いた剣が、鈍い音を立ててエジードさんの肩へと突き刺さる。大きく仰け反ってふらついたところへ、更に容赦のない追撃が降り注いだ。苦しげに体勢を立て直したエジードさんは私の刀を手放し、後退していく。

 その足跡を、剣の雨が追っていった。次々と草原に突き立つそれは、まるで墓標の群れのようだ。

『ナオ、呆けるな!』

 警告の声に、ハッとする。上空に強力な魔力反応。逃げる? 間に合わないかも。だったら、どうにかして防ぐしかないけど……

「わっ!」

 障壁を組もうとした途端、お腹に腕が回って引っ張り上げられた。宙に浮いた足の下を、刃の渦めいた風が抉っていく。ほんの少し前まで立っていた場所に、さっきの爆発の跡のような穴が開いていた。……あ、あれを防御しようと思ってたとか、私馬鹿かな!?

「す、すみません、ありがとうございます」

 思わず、お礼を言う声が震えた。

 ああ、と短く答えるベイルさんは、どんな魔術を使っているのか、宙を滑るように駆けていく。地上ではナタンさんがエジードさんに合流して、肩に突き刺さった剣を引き抜くのが見えた。い、痛そう……。

「直生」

 呼ばれて、地上に向けていた意識が引き戻される。

「左腕は大丈夫かい」

「もうすぐ、動かせます」

 今の私に治癒の魔術は少し難しいから、主にエンデがやってくれている。骨に少し罅が入っていたみたいだけど、何とかすると言ってくれた。

「何をされたか、は?」

「エンデが教えてくれたので」

「分かってる、か。勝ち目は?」

「……作ります」

 そうかい、とベイルさんが呟く。そうして地上に降り立つと、私も地面に降ろしてもらえた。

「だが、奴の言葉にも一理ある。手加減をしてお前が傷つくようじゃ、元も子もねえだろう」

 遠回しな言葉の、その真意が分からない訳じゃなかった。でも、頷くことはできない。

 遠目に、手当てを終えたエジードさんが短剣を左手に持ち直すのが見えた。あの人は左手でも利き手と同じくらいに使えたはずだから、油断は禁物だ。

「その強情さを、どうして他に発揮できねえんだか」

 ため息が聞こえて、肩がびくついた。

 すみません、と馬鹿みたいに繰り返す。謝ったって変える気はなくて、それなら謝ること自体に意味がないのに。でも、それでも――

「まあ、いい。まだそこまで余裕がねえ訳でもねえ。やりたいようにやれ。骨は拾ってやる」

 ふと、耳に馴染む低い声が囁いた。ぽん、と軽く左肩が叩かれる。

 え、と思わず声が出た。その声の穏やかさに。嘘みたいに、左腕の痛みが消えていることに。

「あ、ありがとうございます」

「礼を言うなら、勝て」

 正論を残して、ベイルさんは空へと踏み出す。左腕で宙を掴み、何かを投げる動作。その直後、並んで立つナタンさんとエジードさんの間で砂煙が舞い上がった。地面に突き刺さる剣。直撃の間際に動き出していた二人の距離は、一瞬で遠く離れていた。

 こんなにも状況を整えてもらって、何から何まで助けてもらって。これ以上、足を引っ張る訳にはいかない。脚力を強化、エジードさんの元へ。

 探査術式の応用で、魔力を集めて目を凝らす。うっすらと、エジードさんの纏う呪いが透かし見えた。やっぱり、傷を受けた肩の辺りに綻びがある。

 右手に握った刀に左手を添えて、手から刀へと魔力を注いでいけば、抜き身がほのかに青く輝き始めた。魔力を注げば注ぐだけ、光は強くなる。

 青く煌いて輝く刀は、重みさえ増して感じられた。それを大きく振りかぶり、振り抜く。青い光は夜の闇に星屑のような軌跡を描き、逆巻く水の渦となって迸った。視界を一面に覆い尽くすほどの大渦。

 殺到する渦を迎え撃つエジードさんが、顔をしかめて障壁を作り出すのが見えた。黒い壁と青い渦が正面から激突し、押し合う。拮抗していたのは、ほんの一瞬の間のことだったと思う。

 ぱりん、と音を立てて障壁が砕け、渦は狙った場所へと命中した。

 エジードさんの、負傷していた右肩へ。傷に直接攻撃を受けたエジードさんは、足をもつれさせてふらつく。その隙を逃すことなんてできなかった。側面に回りこんで、刀を一閃。――でも、入らない。

「まだ峰打ちかよ……!」

 すんでのところで刀を受け止めたエジードさんの低い叫びは、血を吐くようだった。ぶつかりあった刀と短剣が、カチカチと音を立てて震えている。

 鍔迫り合い。普通に力比べをしたら押し負ける。両脚で強く地面を踏みしめ、全身に魔力を回した。

 お前は、とエジードさんが軋る声で零す。顔を上げれば、朱色の眼と真っ向から視線がぶつかった。

「どこまで甘ったれてんだ、馬鹿野郎!」

 響く怒号に、歯を食い縛る。分かってる、どれだけ私が甘えていて、甘やかしてもらっているかなんて。でも、だからこそ、ここで負けることはできない。

 言葉で答える代わりに、身体に満たされた渾身の力で刀を振り抜いた。短剣の刃が砕け散り、刀の峰がエジードさんの脇腹を直撃する。

 痛みにか驚きにか、息を呑む気配がした。それを確かめる間もなく、足元で影が渦巻く。ゆらりと立ち昇る輪郭は、まさしく蛇そのものだった。

 後ろに距離を取りながら迫る影を避け、逃げてはみるものの、どうしても数が多い。刀で防ぎきれない切っ先があちこちを掠めて、その度に走る痛みで怯みそうになる。もっと距離を取って、さっきみたいに水で押し込んでしまおうか。でも、水を使えば使うほど竜の腕が活性化して、エンデの負担も増えてしまう。

 そう考えながら低い位置から迫る影を跳んで避け、着地した瞬間、がくりと身体が揺れた。前のめりに倒れそうになるのを手を突いて逃れ――ようとして、失敗する。右足が勢いよく後ろに引かれて、身体を支える前に地面に転がってしまった。

 何で、と慌てて見れば、右脚に地面から這い上がってきた黒い線が巻きついている。何!? 影!?

「――しまった!」

 ざあっと、全身の血の気が引いた気がした。

 正面からの攻撃を防ぐことで手一杯で、それ以外のことが見えていなかった。ちゃんと周りを探っていれば、気付けていたはずなのに!

 影だから、足を振ったくらいじゃ剥がせない。魔力を爆発させて吹き飛ばそうとエンデが急いでくれているけれど、見上げた空にはまた月を覆い隠すほどの槍衾。あれが、全部落ちてくる?

 だめだ、と諦めそうになった時、

『呆けてねえで、立って走れ。援護してやる』

 うなじが震えて、頭の中に声が飛び込んできた。

 見上げた空が、真っ白く塗り潰される。ごおん、と一瞬遅れて轟いたのは雷鳴? 一瞬、夜の草原が真昼のように照らし上げられた。影が消える。右足が自由になる。行け、と声が言った。

 はい、と答えて立ち上がる。きっと、この返事は届かないだろうけれど。

 雷は蠢く影を一掃して、行くべき道を開いてくれていた。力いっぱい地面を蹴って、走り出す。魔力を脚へ。矢のように、風のように。

 エジードさんは青褪めた顔で、その場から動くことなく私を待ち受けていた。さっき脇腹を打った時、嫌な手応えがした。たぶん、肋骨の二、三本は折れているんだと思う。だとすれば、動かないんじゃなくて、動けないのかもしれなかった。

 最後の一歩は大きく、跳ぶように踏み込む。

 刀から左手を離せば、開けた掌の中に私のものではない魔力が集まってくる。組み上げられていくのは、複雑な精神干渉の術式。もちろん、私がやっているんじゃない。その技術も、知識もない。

 それを叩き込めと、エンデは言った。そうすれば気絶させることができるから、と。

 もう、手を伸ばせば指のかかる距離。そこまで近付いて、やっとエジードさんは動いた。左手に握られた短剣が、ゆっくりと持ち上げられる。

 ……でも、それだけだった。

 何かの術が放たれる訳でも、剣が振るわれる訳でもない。ただただ持ち上げられただけの手は、まるで招いているように見えた。

 ここに来い、と。

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