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見知らぬ街で・02

 長い長い迷路のような路地を抜けると、広い通りに出た。人が多いだけでなく、道端のあちこちに開かれたお店から飛び交う声で、これまで歩いてきた道が嘘のように賑やかで明るい空気が流れている。

 通りのそこここに掲げられた看板には、見たこともない文字が綴られていた。読めるはずもないのに、どうしてだか、私はそれらを「鍛冶屋」や「刀剣販売」と読み解いていく。また訳が分からない。

 首を捻りながら歩き続けてしばらくすると、今度は巨大なアーチが見えてきた。通りの両端に立てられた柱を繋ぐ半円状の梁には、「招籠」と流麗に崩された漢字が刻まれている。この街ではあの知らない字だけでなく、漢字も一緒に使われているみたいだ。

「ここから先が招籠だ。街の中心部とも言える。ここまで来りゃあ、『黒の――」

「お? 何だお前、珍しいじゃねえかよ!」

 喋り掛けられていた言葉を遮って声が聞こえたかと思うと、にゅっと伸びてきた手が、男の人の肩を叩いた。やれやれとばかりに男の人がため息を吐いて、後ろを振り返る。

「ヒューゴか」

 おうよ、と元気よく答えたのは、浅黒い肌の男の人だった。歳は二十代の真ん中くらいだろうか。これまた背が高くて、羨ましい。

「悪いが、世間話に付き合ってる暇はねえ」

「何だ、急ぎの用事でもあんのか?」

 どうやら二人は知り合いらしいので、黙ってやりとりを見守ることにする。……というか、ヒューゴさんというらしいその人が、私は少し怖かったのだ。

 うなじで括られた長い銀髪は綺麗だけど、橙の三白眼は目付きも鋭く、つい腰が引けてしまう。ぼんやり眺めていると、不意にその橙の双眸が私を見た。

「あ、す、すみません、じろじろと」

「おあ? や、違えよ。謝ってくれんな」

 その声は軽く、朗らかだった。目を細めて笑う顔は人懐こい少年のようで、さっきまで感じていた鋭いイメージが、びっくりするほど柔らかくなる。

「にしても、お前がこうやって誰かと歩いてて、しかも連れがこんだけ小せえとなりゃ、もう天変地異かってなもんだぜ。一体全体、どういう縁だよ?」

「ヒューゴ。急ぎの用事があるかと訊いたのは、お前の方だろう」

「まあまあ、どういう関係かくらい教えてけや」

「……薄昏で奴隷寸前だったのを逃がすついで、ここまで連れてきただけだ」

 ため息まじりの言葉にヒューゴさんは一瞬大きく目を見開き、そして顔をしかめた。

「嬢ちゃん、よりによって何であんなトコに」

「……その、よく知らなくて、適当に歩いていたら」

「親は? 教えなかったのか」

「ヒューゴ、それはもう俺が訊いた。この街にゃ家族もいねえし、行く当てもなけりゃ、帰る目途も立たねえんだと」

「はあ? 何だよそりゃ。どういうこった」

「さあな。ひとまず、ヘイズに引き合わせる予定だ」

「それでここまで連れてきたって訳か。――っても、嬢ちゃんは金があるようにゃ見えねえぞ」

「はい……」

 全くもって正解、がっくりと項垂れる。やっぱりどこの世界でも必要なものは変わらないのだ。

「働くにしたって、さすがに飛び入りは雇ってもらえねえだろ」

「ああ、渋るだろうな」

「ああ、ってオイ……。何だ、さっきっから。いつの間に楽観主義に鞍替えしたってんだ?」

「阿呆言え。ヘイズも馬鹿じゃねえ。理解するさ」

「あ? そいつは――」

 私のことを話しているのだろうけれど、微妙に遠回しな口振りからは、真意を読み取ることはできない。何を言おうとしているんだろう――と、その時。

 ――キシャアァアアアァァァッ

 ひどく耳障りな、音が響いた。

 薄気味悪い音が頭の中で反響して、割れてしまいそうに痛い。ものすごい勢いで吐き気がしてきて、行けないと思って口を塞ごうとしたのに、指の一本すら動かない。それどころか、足までふらつく。

穿角鳥(コルナーチェ)!? ありゃ、高山の魔物だろうが!」

「召喚……いや、どっかの馬鹿が転移させたか」

いつの間にか、足元には大きな影が落ちていた。鳥だ。ヒューゴさんが叫ぶのが聞こえる。

「んなの、どーせニーノイエに決まってんだろ! それよか、鳴き声に中った連中が出始め――って、嬢ちゃんもかよ!?」

 肩が掴まれて、身体を揺すられる。それが分かるのに、上手く反応が返せなかった。頭がぼんやりして、何かしようとしていた気がしたのだけれど、もう、何が何だか分からない。

「しっかりしろ――って、意識飛びかけてんぞ!」

「鳴き声に中てられたか」

「多分な。やべえぞ、目も動かねえ」

「……チッ。俺はあれを仕留めてくる。お前はその娘の面倒を見てろ。下手な魔術でも、穿角鳥の精神汚染くらい癒せるだろう」

「うるせえな、下手は余計だ下手は!」

 誰かに声を掛けられているのは分かる。でも、何を言われているのか分からない。どうしてそんなに叫ばれているのかも、全然、分からなかった。

「嬢ちゃん、死にたくなけりゃ、そこで踏み止まってろよ! それ以上呑まれたら、戻って来れねえぞ」

 ごう、と轟いたのは、何の音だったのだろう。燃える炎か、逆巻く水か。分からないけれど、きっと、それはとても烈しいものだったに違いない。

「祈りの皓輝(しらて)癒復(いお)つは――」

その声を聞きながら、意識はぷつっと途切れた。



 とつとつと身体が揺れる。これまで経験したことのない、穏やかな振動だった。何だろう、と目を開けると、目の前で銀色がきらきらしていた。

「お? 起きたか。調子はどーだ、嬢ちゃん。頭とかどっか、痛くねえか」

 銀色の向こうから、声。少しハスキーな低音。聞き覚えはあるけれど、誰だったか思い出せない。

「まだ具合悪いか? だったらもう少し寝――」

 目が覚めたばっかりの頭は、上手く回らない。正解を拾い上げるまで、少しの空白。――そして、

「……っ、わああぁあぁ!?」

 自分がどういう状況にあるのか分かってきた瞬間、全力でのけ反っていた。

「ぅおい!? 待て転ぶ落ちる落とす落ち着け!」

 慌てた声が上がるのも聞こえていたけれど、答えられない。そんな余裕がなかった。上と下、天と地がひっくり返る。ぞっとする落下の感覚の中、がくんと大きな揺れが走ったかと思うと、

「ふげっ!」

 勢いよく引き起こされる身体。顔が何かに真っ正面から激突した。

「予想外に元気だな、オイ」

 背負い直してもらったのは助かったけれど、勢いあまって背中にぶつけた顔が痛い。ううん、痛いと言ったら、ヒューゴさんの方が痛いだろうけれども。

「す、みません……」

涙目になりながら、もぞもぞと謝る。背負ってもらってるのに頭突きをするとか、本当にすみません恥ずかしい。穴があったら入りたい……。

 がっくりと項垂れたその時、視界の端でまた光るものが見えた。髪とは違う、硬質な煌めき。

(……ピアス?)

 細やかな銀細工と鮮やかな赤い石が、まるでシャンデリアみたい。そんな飾りが、右の耳にだけ。

「まあ、驚くのも無理ねえさ。気にすんな。で、気分はどうだ? 何か痛いとか苦しいとか、ねえか」

 てくてくと石畳の通りを進みながら、ヒューゴさんが言う。その声に、意識が引き戻された。

「あっ、はい、大丈夫です。どこも痛くないです」

「そうか、そりゃ良かった。で、もまあ、今日は大人しくしてた方が良いだろ。砦にゃ癒術師(いじゅつし)がいるし、休むトコもある。もちっと我慢して背負われてろな」

 すみません、と答えかけて、聞き慣れない単語が耳に引っ掛かった。

「癒術師、ですか?」

「おう、それがどうかしたか?」

 あっけらかんとした問い返し。何を訊かれたのか分からない、とでもいうような。

 もしかしたら、「癒術師」というのは普通に知らないとおかしいようなものなのかもしれない。話の流れからすると、お医者さんっぽくは思えるけれど。

「いえ、癒術師さんは、砦? に、いるんですか」

「ああ――そうか。まず、砦を説明しなくちゃならねえよな。前、遠くに城みてえなのがあるだろ」

 ヒューゴさんが顎で前を示すので、首を伸ばして、その方向を見てみる。遠く離れた丘の上に、ヨーロッパにあるような、日本のものとは全く違う造りのお城があるのが分かった。

「あれ、アルトゥール商会って傭兵組織の根城でよ」

「あ、それ、さっき招籠まで案内をしてくれた人が言ってました」

「ああ、そうそう――って、嬢ちゃん、ミスミ語喋れんのか?」

「へ? ミスミ語?」

「いや、今、ショーランを『招籠』て言ったろ」

「い、言いましたけども」

「……自覚ねえのか?」

 自覚も何も、何がどういうことなのだか。

「あー……俺や嬢ちゃんが喋ってるのは、大陸共通語な訳だが」

 初耳だ。けれど、さすがに「そうなんですか」なんて答える訳にもいかない。自分の喋ってる言葉も分かってないなんて、さすがにちょっとおかしすぎる。

「ま、細かいことはいいか、面倒臭え」

 どうしよう、と悩んだのも一瞬。何を言おうかと悩んでいた間に、あっさり会話が放り投げられた。私が言えることじゃないけど……いいのかな。

「ともかく、商会はでけえ組織だ。腕のいい魔術師や癒術師も、大量に抱えてる。だもんで、嬢ちゃんに変調がありゃすぐ分かるし、対策もできる。だから、砦にご招待って訳よ」

「でも、部外者が入っていいんでしょうか」

「あいつが責任持つってたから、いいんじゃね? 嬢ちゃんにゃ、そうするだけの価値もありそうだしな」

「え? どういうことですか?」

「穿角鳥の鳴き声は、錯乱やら昏睡やらの精神汚染効果があるが、人並みの抵抗力がありゃ、そう大事にゃならねえ。だってのに、嬢ちゃんはあそこまでやられちまってた。敏感すぎんだな。あそこまで無防備なんじゃあ、ちっと危険すぎる」

「ちょ、ちょっと、待って下さい。何が何だか」

 魔力とか何とか――そういう漫画とかに出てくるようなものが、ここでは本当にあるんだろうか。

「ヒューゴ」

 その時、聞き覚えのある声が降ってきた。見上げれば、招籠まで案内してくれたあの人が屋根から飛び降りて、石畳に降り立つところだった。

「遅かったな」

「仕留めた後の事後処理に、少し手間取った」

 ヒューゴさんにそう答えた後で、濃い藍色の眼が私を向いた。

「起きたかい。具合はどうだ」

「はい、大丈夫……だと思います」

「そいつは重畳。ああ、そう言えば、まだ名乗ってなかったな」

「あ、私、天沢です。天沢直生」

「何だ、やっぱりミスミ人なんじゃねえか。アマサワって、その名前はどう聞いてもミスミのだろ」

「へ? や、天沢は苗字です。直生が名前で」

「じゃあ、ミスミじゃなくてメリノット人か?」

 め、めりのっと? 何のことだろう、余計に分からなくなってきた……!

「ヒューゴ、質問は後にしろ。それで――直生、でいいかい」

「あ、はい!」

「申し遅れたが、ベイルという」

「俺はヒューゴ・パルツィファル。よろしくな」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「おう。しかし、随分と礼儀正しいのな。そんな畏まる必要なんてねえのによ。俺たちゃ、礼儀を気にする身分でもねえし」

「はあ、すみません。癖のようなもので」

「癖なあ……。そういうもんか?」

 そういうもんですね。とりあえず、曖昧に笑っておいた。



 砦と呼ばれるお城は、小高い丘の上にあった。

 思わず見惚れてしまうほど壮麗でありながら、どこか武骨な印象も受ける。城の周りには、淡い光沢のある灰色の石壁がぐるりと巡らされていた。正門かな、大きな門の扉だけが眩しいくらいに白い。門の前には門番なのか、屈強な男の人が何人も控えていた。

 ベイルさんがその人たちに事情を説明して、通用口を開けてもらう。扉をくぐると、お城はもう目前だった。そして、辺り一面の畑も。……え? 畑?

「えええ?」

 きちんと列を作って植えられた植物、たわわに実った果実。どこをどう見ても、立派な畑だ。

 収穫の時期が近いのか、葉っぱの茶色くなった植物が植えられている列の端には「イモ」と街で見かけた文字で書かれた札も立っていた。……イモって、じゃがいものことでいいのかな。

「んあ? いきなし変な声出してどうした?」

「ええと、お城の前に畑があるとは思わなくて」

「ああ、なるほどな。身内しか出入りしねえトコで、庭を整えといたって仕方ねえしよ。畑にしといた方が経済的だろ?」

「ちょっと、潔さすぎるような気もしますけど」

 そんなことを話していると、遠くから子供の声が聞こえてきた。一人や二人じゃなくて、かなり多そう。

「子供がいるんですか?」

「孤児を養ってんだ。畑は農夫の爺さんと、主にガキ共の仕事。もうすっかり秋だし、収穫の時期になったら暇してる連中も手伝うけどな」

 そうなんですか、と頷いて答える。……ていうか、今って秋だったんだ……。確かに、今着てる長袖のシャツ一枚だけじゃ、ちょっと肌寒い。上着とか手に入れられればいいんだけど……。

 今になって寒気がしてきて、ふるりと震える。すると、ちょうどその時、今度はお城から人影が飛び出してくるのが見えた。黒髪の男の人だ。

「隊長ぉおおぉ!」

 その人は大声で叫びながら走ってくると、ベイルさんの前で足を止めた。そして、ヒューゴさんに背負われた私に気付いて、ぎょっと目を見開く。

「うわっ、ヒューゴさん! ついに犯罪に……!」

「ついにって、お前は俺を何だと思ってんだ。喧嘩売ってっか?」

「あっはっは、冗談すよ。んで、どしたんです?」

「……街に穿角鳥が出やがって、その縁だ」

「げっ、何すかそれ! やっぱニーノイエが?」

「さあな。証拠も残っちゃねえから、確かなことは言えねえよ。どっちにしろ、ここと街とで何か対策はすんじゃねえの?」

「そりゃそうだ、忙しくなりそうすね。最近、ニーノイエもゴタゴタしてるって聞きますし、あーもう厄介っすよ……」

 男の人は肩を落として嘆く。そこに、これまで通りの落ち着き払った声で、ベイルさんが問い掛けた。

「それで? ヴィサ、用事があって来たんだろう」

「そうでした! 隊長、カレルヴォが癒務(いむ)室でお帰りを待ってます」

 隊長は、ベイルさんのことだったみたいだ。となると……やっぱり、偉いのかな。そんな人に散々迷惑をかけてしまったなんて――ああ、もうやだ。

「カレルヴォが?」

「ええ。ザハールの班が帰還したんですが、どうも妙な呪いをもらってきたようで。やけに衰弱してて、癒術師連中も手を焼いてます。……なんですが、最近あちこちで妙に呪いが流行ってるでしょう。そのせいで解呪師は出払ってるんすよね」

「身内じゃ解呪しようがねえ、か。面倒だな。ヒューゴ、お前は先に会長を訪ねて事の次第を報告しとけ。俺は直生を連れて、癒務室に行ってくる」

「へいへい。ナオのことは何て言っとくよ」

「伏せておけ。後で俺が話す」

「はいよ。んじゃ、ナオは――」

「あ、歩きます! もう大丈夫なので」

「そうか? 無茶はすんなよ?」

「はい、ありがとうございます」

「じゃ、俺は一足先に行くぜ。また後でな」

 私を下ろすと、ヒューゴさんは颯爽とお城の中に消えていった。その背中を一瞥した後で、ベイルさんがヴィサさんへ向き直る。

「ヴィサ、これから用事は?」

「ありません」

「なら、門番に島主の使いが来たら、すぐ中に通すよう伝えといてくれ。俺の名前を使っていい」

「了解っす!」

 敬礼をして、ヴィサさんが門へ走っていく。その背中を見送って、私とベイルさんもお城に向かった。

見るからに重そうな扉をくぐり、広いホールに足を踏み入れる。外観とは逆にホールはあんまり飾り気がなくて、殺風景にすら見えた。

 すれ違う人たちに珍しいものを見るような顔をされながら、黙々と廊下を進む。しばらくすると、ベイルさんは艶やかな栗色の扉の前で足を止めた。ノックすれば、「どうぞ」と入室の許可。

 ベイルさんが扉を開けると、つんとした匂いが鼻を突いた。ミントとか、何かたくさんのハーブを混ぜたような、ちょっと癖のある匂い。

「いらっしゃい――って、アレ?」

 ベイルさんに続いて中に入ると、入室を許可した声が不思議そうに語尾を上げた。そうして首を傾げながら部屋の奥から出てきたのは、細身の男の人。

 歳は私より少し上くらいかな。くるくるしてる灰色の髪はいかにも柔らかそうで、黒い目は眠たげに半分閉じていた。

「ベイル隊長、その子はー?」

「さっき街に転送されてきやがった穿角鳥の鳴き声に中てられた。後遺症が残ってねえか、診てくれ」

 あいあい、と頷くと、その人は床に山積みにされた本や木箱、ベッドの間を滑るように抜けて、するすると私の前までやってきた。にこりと微笑んで伸ばされてきた右手が、額に当てられる。

 ひんやりとした感触に、ぞっと身体が震えた。

「うひゃっ」

「冷やっこいよねー、俺冷え症なのよねー」

 確かに掌の冷たさにも驚いたけれど、たぶん、それだけじゃない。触られた場所から、何かが入ってくるような感じがした。

「特におかしいトコはないですけど、やたら敏感ですねー? 俺の探査にもこうやって反応しちゃうってのは、相当やばいー。感覚鈍化の呪い掛けるか、抗魔術の魔道具持たせるかくらいしなくっちゃー」

「分かってる。シェルは残ってるかい」

「部屋にいると思いますよー」

「エリアスは?」

「アリーチャー隊長と七番隊室で会議中、本土のいざこざで七番隊総出の任務だそーです。もうすぐ出発しちゃいますよー」

「間の悪い……。連中は当てにゃならねえか」

「ですねー……って、そうだ。ベイル隊長、ザハールの班が帰ってきたんですけどねー」

 ヴィサさんが言っていた話だ。てことは、この人がカレルヴォさん? 癒術師――お医者さんなのかな。大学生くらいにしか見えないのに。

「妙な呪いを掛けられたそうだな? 具合は」

 ベイルさんが問い返すと、カレルヴォさんがきゅっと眉間に皺を寄せた。厳しい表情になる。

「すごく強力な呪いですよー。徐々に衰弱させて、やがては命を奪う。今は薬草と魔術で進行を遅らせてますけど、解呪師が戻るまで最短でも五日。正直、それまで持つかは……」

「全く、ついてねえな。街で探してはみるが、本土に人をやって探した方が早いかもしれねえ。問題は、その呪いだけかい」

「他は、多少の外傷だけでしたー」

「分かった、ご苦労。解呪師はこっちで手配する」

 いいえ、とカレルヴォさんが礼をするのを見届けると、ベイルさんは私を促して部屋を出た。先に立って廊下を歩きながら、淡々とした調子で言う。

「話は聞いてたな? どうも厄介な事案が重なってるらしい。俺はその処理があるから同席できねえが、これからシェルって奴に会いに行く。そいつが当座の助けになるはずだ。面倒の始末が終わったら迎えに行くから、それまでそいつのところにいてくれ」

「あ、はい、分かりました」

 頷きながら廊下の角を曲がると、階段があった。三階まで上がり、またしばらく廊下を進む。やがてベイルさんが足を止めたのは、黒い木の扉の前だった。

「シェル、いるかい」

 呼びながら、扉をノックする。短い間の後、重い音をさせて扉は開き、部屋の主が顔を出した。

「何だ」

「頼みごとがあってな」

 そう言ってベイルさんが説明する声も、耳に入ってこない。扉の奥から出てきた人に、私の目は完全に釘づけになっていた。なんたって、その人は、

(羊……!)

 ――だったのである。

 ただ、羊が二本足で立っているんじゃなくて、漫画に出てくるみたいな獣人――人と動物が混ざっている感じだ。目鼻立ちは人間のものだし、頭を掻く手も五本の指が揃っている。ただ、腕は髪と同じ白い毛に覆われていて、頭の横の方には捻じれて巻いた、硬そうな角が生えていた。

「――と、いう訳だ」

「呪いか……。解呪なら、お前もできたろう?」

「多少はな。だが、それでどうにかなるなら、問題になっちゃねえだろうよ。ともかく仕事を片付ける間、この娘を預かって欲しい」

「何者だ?」

「ちょいと縁があって、連れてきた。穿角鳥の鳴き声で、あっさり意識が飛ぶほど敏感でな」

「穿角鳥の鳴き声で? 相当だな。頼みは、それを抑える魔道具か」

「ああ。暇なら、ついでに魔術の基礎でも教えてやってくれ」

「分かった、預かろう」

「助かる」

 そう言って、ベイルさんが扉の前から脇にずれる。今度は、私が獣人の人と向き合うことになった。

 雰囲気からして、歳はベイルさんと同じくらいかもしれないけど、身体は一回り以上も大きい。瞳孔が横に長い紫の瞳は「理知的」の言葉を連想させる落ち着きぶりで、何だか高校の数学の先生を思い出した。

「名前は?」

「天沢直生です。ええと、直生が名前で」

「メリノット人か?」

「シェル、直生の素性は後で俺から説明する」

「お前が? ……事情があるようだな。であれば、後で訊くとして――俺はシェル・フォーセルという。ナオ、でいいか? とりあえず、中に入れ」

「あ、はい。お邪魔します」

 お辞儀をして、一歩足を踏み出す。その時、遅れて気が付いて、振り向きながら頭を下げた。

「ここまで、ありがとうございました」

 顔を上げると、ベイルさんが「ああ」と頷く。

「また、後でな」

 その言葉に頷き返し、今度こそ扉をくぐった。

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