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鏑矢は放たれた・05

「夕食だ、起きろ」

 頭の上から声がして、とんとんと肩が叩かれる。目を開くと、かすんだ視界の中で近くにいた人影が離れていくのが、何となく見えた。

 いつの間にか、すっかり寝ていたみたいだ。目を擦りながら起き上がって、

「……あれ?」

 私、ちゃんと布団に入ったっけ? それに、脱いだコートまで綺麗に畳んでベッドの隅に置いてある。

「人を心配して自分が疎かになるんじゃ、意味がねえだろうに」

 聞き慣れた声が呆れた風で言うのが聞こえて、ようやく頭がはっきりしてきた。慌ててベッドから降りて靴に足を突っ込み、声の方へと向かう。ベイルさんはテーブルの脇に立ち、その上に広げた地図をじっと見下ろしていた。地図の脇には、大陸共通語がびっしり並んだ、写真入りの紙束も置かれている。新聞?

「あの、私は……」

「ベッドに上がって、布団もかけずに寝た」

「はあ……って、何で――まさか起きて!?」

「寝てようが、この部屋の中くらいは把握できる」

 つまり、最初から全部筒抜け、と……。

「穴があったら、飛び込みたい……」

「何を訳の分からねえことを」

「だって、こう、すごく間抜けでしたよね?」

「感謝はしてるがな」

 へ、と間抜けな声が漏れた。ぎょっとして見上げたベイルさんはいつもと変わらない様子で、何でもないように続ける。

「自分が寒い思いをしねえようにやってくれりゃ、尚いいってだけだ」

「……分かり、ました」

 何となくだけど、ヒメナさんの言っていたことが分かった気がした。ベイルさんはいつだって落ち着いていて、慌てたり驚いたりするのはこっちばっかりなのだ。逆恨みだけれど、不公平な気がしてしまう。

「何だ、そんなに目を見開いて。目玉が落ちるぞ」

 怪訝そうに言われて、ハッとする。ああもう、何を考えてるんだ、私は。

「や、その、何でもないです。えっと、もう夕食ですよね!」

 もう何が何だかな感じに訳が分からなくなってきていたので、無理矢理話を変えることにした。

「そろそろ部屋を出た方が、いいのでは……」

 たぶん、話の変え方としては最低なレベルだったと思う。それでも、ベイルさんはちらりと私を見ただけで、何も言わなかった。

 そうだな、と地図を畳みながら頷くだけ。もしかしなくても、気を使ってくれたんだろうなあ……。



 三階からまっすぐ一階に下りて、前に教えてもらっていた食堂に向かう。テオドロさんの説明によると、二階は接客用の部屋で、一階の半分は働いている人の生活空間になっているんだとか。食堂があるのも、その一階の「半分」の辺りになるそうだけれど、いざ到着してみると、中はがらんとしていた。テオドロさんとヒメナさんの他には、誰もいない。

 ベイルさんが二人の向かいに座ったので、少し迷ってから椅子を一つ挟んで隣に座った。テーブルの上にはパンやサラダにスープ、それからこんがりと焼かれたお肉がこんもりと大皿に盛られている。

「お待たせしてしまってすみません。身内は全員済ませた後ですから、ごゆっくりどうぞ」

「それに、いくつか訊きたいこともあるのよね。いいでしょ、隊長?」

「好きにしろ」

「ありがとうございます。あ、食べながらで構いませんので」

「うちの自慢の料理番が作ったのよ、どんどん食べてちょうだい」

 そんな会話の後に、食事は始まった。頂きます、と手を合わせてから、フォークを取り上げる。

「それで、護衛ってどこまでなの?」

「バドギオン」

「ええ? 遠回りじゃない。セトリア突っ切った方が早いはずでしょ?」

「ホヴォロニカ経由の方が、周りに被害が出にくい」

「何よそれ、周りに被害を出すような追手がかかってるってこと?」

「ああ、それで訪ねてきてくださったんですね」

「そういうことだ。ここなら、竜の目もある。野暮な用事で悪いがな」

「俺たちこそ、昔は散々お世話になりましたからね。お安いご用です」

「そう言ってもらえると助かる。――で、直生。敵の大将から伝言があるんだったな。ちょうどいい、今ここで聞かせろ」

 会話の流れを切って投げかけられた言葉に、びくりと肩が跳ねた。スープ皿を支える手が震えて、スプーンにすくった野菜がスープの中に落ちる。

 その反応には、私自身よりもヒメナさんの方が驚いたみたいだった。目を丸くしていたのも一瞬、気遣う目顔で名前を呼ばれる。

「ナオ、どうしたの、大丈夫?」

「だ、大丈夫です。その、ちょっと驚いただけで――ええと、伝言の内容、ですよね」

「ああ。覚えてるんだろう?」

「はい……はい、大丈夫です」

 頷きながら返した言葉は、ベイルさんに対しての答えだというよりも、ほとんど自分に言い聞かせているような気がした。

 ちょっと待ってください、と断ってスプーンを置いてから、軽く深呼吸をする。そうして思い返すのは、昼間の草原。あの、真っ白な空間。

「……下手にたくさん差し向けても無駄だから、これからは自分の部下の四人だけにする。後、私たちが勝っても負けても喜ばしい、と」

「それで全部かい」

「……はい」

「お前は嘘が下手だな」

 気まずい答え(うそ)は、きっぱりとした口調で切り捨てられた。え、と反射で隣を振り仰げば、凪いだ海のように静かな眼差しに射竦められる。

「そんなに後ろめたそうな顔で言うんじゃ、子供にだって見破られるぞ。――まあ、お前が伏せたことも、想像はついてる。気を使うんだったら、包み隠さず教えてくれた方がありがたい」

「……どういうこと? 隊長」

 ヒメナさんが怪訝そうに言う。私はもう、ヒメナさんもテオドロさんも見ることができなかった。

「言え、直生」

 停滞した空気を切り裂く、有無を言わさぬ声。

「あのひとは『まさかの大物が釣れた』と言って、この話を『中佐に伝えると良い』と言ったんです」

 その一言を口に出すのに、三階の窓から飛び降りるくらいの覚悟がいった。ヒメナさんが掠れた声で「嘘」と呟くのが聞こえて、じくりと胸が痛む。

『そなたの罪科ではない』

 頭の中で、慰める声がする。

 ……ああ、そうだ。何度もこうやって励まされたんだっけ。覚えもないことを、思い出す。

「ベイルさんは……いつ、気付いたんですか」

「昔、部下に赤い髪に緑の目の奴がいて、そいつも独力で数十人を一度に転移させるだけの力を持ってた。同等の技量のよく似た別人がいると考えるよりか、同一人物を疑う方が現実的だろう」

 よほど腕の立つ術師でない限り、生物の転移は〈転移碑〉――という施設があるらしい――を用いなければ実行できない。今一つ事情を把握していない私に、頭の中の声は丁寧に説明してくれる。それこそ〈竜の寵児〉くらいの腕利きでないと無理だ、と。

「セトリアの傭兵が依頼主の情報を喋った時から、まあ……可能性は高いと踏んでた。誰か(・・)じゃねえかと」

 誰か。それは、きっと「昔の部下の中の誰か」のことを言っている。私は、何も答えられなかった。

私がベイルさんと同じ立場だったら、きっと現実的でない考えに望みをかけて、可能性の高い選択肢からも目を逸らしてしまうのじゃないかと思った。

「だが、これで確信が持てた。敵はハーデ・ベルムデス。どういう事情だか経緯だかで、ニーノイエに与してるかは知らねえがな」

「待って、隊長、本気? 本当にハーデと戦うの!?」

「ハーデは一体、何をしたんです?」

「とんでもねえことさ」

 血相を変えるヒメナさんとテオドロさんに、ベイルさんは短くそれだけを言った。ひょっとしたら、説明する気はないということだったのかもしれない。

「はぐらかさないで! ハーデは私たちの仲間だわ。部隊は取り潰されて、散り散りになった。それでもまだ仲間のはずよ!」

「それがどうした」

「ハーデが道を違えたなら、その目を覚まさせるのもまた仲間の役目。そうする為に情報が必要なのは、当たり前でしょう!」

「もうそんな段階はとうに過ぎた」

「どうして!」

「あいつは、文字通りの逆鱗に触れた。もう、戻れはしねえ」

 告げるベイルさんの声は氷のようだった。ヒメナさんが目を見開く。その隣でテオドロさんが息を呑み、沈みきった声で言った。

「ハーデは……竜に、手を出してしまったんですね。もしかして、ナオちゃんにも、何か」

「故郷から拉致した挙句、戦争の道具に仕立てた」

 そうですか、とテオドロさんが目元を手で覆う。

「それでは確かに、もう全ては遅く、到底許されることでもないのかもしれません。……隊長は、何故ハーデがこんなことをしたのか、ご存知ですか」

「いや」

「せめてもう少し……ほんの少しだけでも、原因を突き止める猶予を頂けませんか」

「無理だな」

「何故です」

 淡々とした否定に、テオドロさんは縋るように食い下がる。それでもベイルさんは首を縦には振らない。

「ハーデは既に島一つ沈むだけの戦力を投入した。下手に長引かせりゃ、被害が拡大するだけだ。最悪、ニーノイエと翠珠の間で全面戦争が始まる。そして何より、俺自身があいつの行動を許容しねえ。邪魔をするなら、排除するまでだ」

「……でも、ハーデと戦うなんて見過ごせないわ」

 弱々しく頭を振って、ヒメナさんが呟く。

 ――その瞬間、ぞわりと全身を振るわせる寒気が背筋を突き抜けた。

「なら、お前も俺の敵になるか」

 恫喝でなく、叱責でなく、ただひたすらに平坦な。けれど、その声、その言葉は、今までに見聞きした何よりも恐ろしく感じられた。首筋に研ぎ澄まされた刃を宛がわれているような気さえする。冷や汗が吹き出し、身体はいつの間にかガタガタと震えていた。

 きっと、これが――正真正銘の殺意。

「……いいえ」

 ひりひりするような沈黙の後、テオドロさんが押し殺した声で答えた。

「それは、できません。今の俺たちには、守るものがあります。死ぬ訳にはいきません」

「そうかい」

「けれど、隊長、本当にハーデを?」

「さあな」

「……本当に、意地が悪いわ」

 ヒメナさんがため息を吐く。

 いつの間にか、あの重苦しい空気は消えていた。張り詰めていた肩の力が抜ける。まだ手が震えていたから、スプーンを手に取ることはできなかったけれど。

「殺すとは限らねえ。だが、向こうが強攻策である以上、穏便な終わり方なんてのは無理だろうよ」

「何があったのかしら。ハーデは戦好きじゃなかったはずよね、むしろ厭戦派だった」

「そんなことを、俺が知る訳がねえだろう」

「しかし、ちょうど今年のこの時期とは、間が悪過ぎますね」

「或いは、それも計算ずくなのかもな」

「ああ、なるほど。今年は四年に一度の大祭、醸成(かもな)の祭りも長引きます。足止めには絶好の機会だ」

「後は、ハーデの部下がどの程度かだな。――ともかく、明日はケラソスに面会を求めておくべきか」

「ええ、事情を説明しておいた方がいいでしょう。ただでさえ彼女は争いを嫌う性質ですし、竜に纏わる事件でもありますしね。木の根元へ向かえば、あちらから迎えてくれると思いますよ」

 そこで、また会話が途切れた。でも、今度はそんなに気まずくもない。穏やかな沈黙の中、フォークでサラダを小皿に取り分けていると、

「そう言えば、ナオはメリノットの出なのよね? もしかして、ミスミからの移民?」

「あ、はい、そうです」

「どうりで珍しい響きの名前だと思ったのよねえ。それじゃ、醸成の祭りも知らないでしょ?」

「……不勉強ですみません」

「何言ってるのよ、メリノット人なら知ってる方が驚きだわ。醸成の祭りは、この国で毎年赫林(かくな)の月――秋の終わりに開かれるお祭りでね。今年は四年に一度の大祭だから、期間もずっと長くなるのよ」

「四年に一度っていう決まりなんですか?」

「いや、単純に土地の性質だよ。ホヴォロニカの土地が風の魔力を帯びていることは知っているかな」

「あ、はい。知ってます」

「決まって赫林の月の終わりに、ホヴォロニカの土地は一年間溜め込んだ魔力を放出するんだ。あちこちで竜巻が起こって危ないから、その日は街の外に出ないよう定められててね」

「ずっとですか? 不便じゃないですか?」

「不便は不便だけど、仕方ないもの。時期もちょうどいいし、折角だから収穫祭でもやっちゃおうと思ったんじゃないかしらねえ、昔の人。領主やお役人は、竜巻を弾く結界やら何やらで気が気じゃないでしょうけど。今年は特に長いし」

「どれくらいなんですか?」

「新聞の予報じゃ、この辺りは十四日ね。最長がカトライトの十六日だったかしら」

「うえっ!?」

 二週間も……! 予想以上に長い。

「普通なら、一日前後発生して終わるんだけどね」

「大祭が始まる前に次の街に行くっていうのは、無理なんでしょうか」

 伊達に四年に一度の大祭じゃないってことかあ。

 ベイルさんを見上げて問い掛けてみるも、

「慌てて次の街に移たところで、結局はそこで足止めを食う。だったら、争いを厭う竜の膝元にいた方が、まだ安全ってもんだろう」

「そうそう! アランシオーネはケラソスのお陰で安全が保証されてるから、他の街より人が多く集まるのよ。露店も、吟遊詩人や雑技団もたくさん来るわ。手放しには喜べないだろうけれど、中休みだと思って楽しんだらどう?」

 ねえ隊長、とヒメナさんがベイルさんに振る。ベイルさんは食事の手を止めることなく、

「護衛つきで良けりゃな」

「い、いいんですか?」

「毎日は勘弁してもらいたいが」

「そんな、一日で十分です」

「そうかい」

「――って、ちょっと隊長、それはないでしょ!」

 何が、とベイルさんが怪訝そうな目を向ける。ヒメナさんは呆れ果てたという風でため息を吐いた。

「そこはもう少し気の利いた返事をすべきでしょ? 頷いてどうするのよ! 本当、愛想ってものが致命的に欠けてるんだから。いくら女嫌いでもねえ」

「別に嫌いだって訳じゃねえがな」

「でも、好きでもないでしょ」

「まあな」

「前から思ってたけど、隊長って結局何なの? 女に興味なくて、男は更に眼中になくて、何? 禁欲主義とかいうの?」

「単なる個人主義」

「微妙にズラした答え方しないで欲しいんだけど」

 ……何となく、ソリゾジーニャという言葉の意味が分かってきた。どうしよう、聞いてない振りとか、してた方がいいのかな……?

「この際だからもう全部訊いちゃうけど、今まで誰かこれと思った人はいなかった訳? ……少将は?」

「ただの上司」

「仕事でもいろいろあったでしょ? たらし込むの得意だったじゃない」

「仕事に挟む私情はねえな」

「模範的すぎて殴りたいわ」

 それなのに、どーして、どんどん話が深まっていくんだろう。ベイルさんも、はぐらかすとか答えないとか、そういう反応をするかと思ったのになあ……。

「あー、ほら、ヒメナ、ナオちゃんが困るから。そういう話はまた別の機会に」

「ナオがいるからこそ、はっきりさせておいた方がいいのよ。二週間も同じ部屋で寝起きするんだから。それ以前に、何で護衛が隊長一人なのよ」

「後で二人合流する」

「……もしかして、また男?」

「ああ」

「気が利かないにもほどがあるわ」

「手落ちがあるのは事実だから認めるが、事情が事情だ。不用意に話を広げる訳にもいかねえ。仕方がねえだろう」

「そうかもしれないけど、ナオだって辛いでしょ」

「――はい?」

 なるべく話を聞かないように、食事に集中していようと思っていたせいで、つい反応が遅れてしまった。取り皿から顔を上げると、ヒメナさんがやけに真剣な顔で私を見つめている。

「こんな人でなしと四六時中顔を合わせて、辛くないのって話」

「ええと、とても親切にしてもらってばかりなので、辛いこととかは、何もないですけど」

 そう答えると、ヒメナさんは眉間にくっきりと皺を寄せて「隊長」と呼んだ。

「脅してたりしないでしょうね」

「お前は俺をどうしても悪役にしたいらしいな」

「ただの親切心よ」

「有難迷惑って言葉を知ってるかい」

「残念、初耳だわ。チラシの裏にメモして捨てとく」

 まだちょっと怖いトーンの会話はなるべく聞かないことにして、ことりとスプーンをテーブルに置く。

 もう大分満腹だった。

「ナオちゃん、もういいの?」

 すると、それを待っていたかのように、テオドロさんが声を上げた。頷いてみれば、ほっとしたような顔をしている。……ひょっとしたら、テオドロさんもさっきの話に困っていたのかもしれない。

「はい、ご馳走さまでした。美味しかったです」

「いえいえ、お粗末さま。今から三階で用意をするんじゃ大変だから、身内の使った後で構わなければ、浴室を使っていったらどうかなと思うんだけど」

「あ、じゃあ、お願いします」

「うん、置いてあるものは自由に使ってくれていいからね。それじゃヒメナ、案内して」

「はいはい、相変わらず話を変えるのが下手ね」

「ほっといてくれ」

「ま、良いけどね。ナオ、行きましょ」

「あ、でも片付けが――」

「テオがやるから良いわよ。ついでに他に使いそうな部屋を教えておくから、ついてらっしゃい」

「あ、ありがとうござます……」

 ヒメナさんに促されるまま、席を立つ。入口の方へ向かいながら、頭を下げた。

「ええと、それじゃ、お先に失礼します」

 ああ、とベイルさんが頷くのを横目に食堂を出た。

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