その7
長屋の地下部屋では、元締が陽と影による報告に耳を傾けていた。
「そうか……。岡っ引を手先として使っていた同心の背後に旗本の室原光政が関わっていたとは……」
2人の忍は、元締が発するその言葉の一文一句にうなずいていた。それは、不正に対する苛立ちがその言葉に込められているからである。
「改めて言うが、室原という旗本が同心の倉崎に与力への任をちらつかせたということなのか」
「その通りだ。厄介者の若侍を岡っ引として雇ったのもそのためかと……」
室原と倉崎の密接な関係について元締が改めて問うと、陽はそれに至った背景についてその場で返答した。
「まあ、旗本が一介の同心に与力の職を与えるなんてあり得ないからな。あくまで普通に考えればの話だが」
影は名指しを避けながらも、同心屋敷で耳にした2人の男へ言葉を吐き捨てた。これを聞いた陽は、殺しの標的が誰なのかをこの場で示唆しようと口を開いた。
「同心の倉崎にうまい話を持ち掛けるなら、当然ながら旗本たる室原も旨みがあって然るべきものだ」
元締は、忍たちの言葉をじっくりと耳にすると2人の前で濁声を上げた。
「殺しの標的は、旗本の室原光政、同心の倉崎藤之助の2人だ」
忍の男たちは、床に置かれた小判2枚を次々と手にした。すると、影は自分の顔を陽が見ていることに気づいた。
「おれの顔をジロジロ見ているけど、何かあったのか」
「すっかり丸くなったなあ。ちょっと前だったら、すぐに文句を垂れていたのに」
口の悪い男で一匹狼だった影に、心境の変化があったかどうかは分からない。
装束を身に着けた2人の男たちは、忍の姿で闇夜の中に現れた。2人の忍は、静まり返った江戸の町を疾風の如く駆け抜けている。
そんな2人組が殺しを行う目的地がどこなのかは、彼らのよく知るところである。
「倉崎の同心屋敷だな」
「標的は2人だ。倉崎1人だけだったら意味がないぞ」
忍たちが八丁堀にあるその屋敷で息を潜めていると、もう1人の標的が表門から入ってきた。
「おい、室原の奴がやってきたぞ」
「油断は禁物だ。殺しを行うにしても慎重に行わないといけないぞ」
「向こうも警戒は怠っていないようだな」
陽と影は、旗本の室原光政が屋敷に入ったのを見計らうと、屋根裏から密かに忍び込もうと足を入れている。
「あの2人だから、話すことはどうせ決まっているだろ」
「旨い話がなかったら、ここにくる必要もないからな」
忍の男たちが音を立てることなく進むと、標的となる2人の話す声が陽たちの耳にわずかながら入ってきた。
「おい、倉崎と室原が話しているぞ」
「相手に気づかれないように注意しないと」
「そんなこと言われなくても分かるわ!」
2人の忍は小声でつぶやくように会話を交わすと、標的たちの話を聞こうと屋根裏から耳を澄ませている。
「本当に申し訳ない。そちらから預かった若侍が何者かによって命を落としまして……」
倉崎は、旗本にして家格が上の室原の前で正座して頭を下げている。すると、室原は冷静な表情で静かに口を開いた。
「それくらいのことで気にするでない。こちらで若侍の代わりも用意するから」
「室原殿、かたじけない。それよりも、与力への昇格の話はどうなっているのか」
「この件は上の方とすでに話がついておる。心配していただかなくても大丈夫さ」
室原が怪しい笑みを浮かべながら口にすると、倉崎も自分のために手を尽くした相手の旗本へ感謝することしきりである。
そんな2人が互いに談笑していると、暗い闇に包まれた庭先から白い煙が立ち上がっていることに気づいた。
「誰だ! 屋敷の庭先に土足で入りやがって!」
倉崎が居室から廊下へ出たその先には、装束姿の忍たちが待ち構えていた。
「岡っ引2人による町人殺し、やっぱりお前が絡んでいたようだな」
「そんなことなど知らん!」
開口一番に指摘した陽の言葉だが、倉崎はその事実を認めようとはしない。その同心と対峙するかのように、もう1人の忍である影は生意気な言葉を相手に掛けた。
「それなら、はっきり言おうか。あの岡っ引はお前の差し金だっただろ」
「差し金だと……。知らんと言ったら知らん!」
影の挑発にも、倉崎は相変わらず事実から背を向けるばかりである。2人の舌戦を見かねた陽は、影の前に出ると向かい側の相手へ自ら口を開いた。
「それなら、はっきりと言わねばならないようだな」
「どういうことだ?」
「その岡っ引は、おれたちの手で始末したということだ」
その発言を耳にした倉崎は、怒りに震えながら左腰に差した刀の柄に手をやった。
「貴様ら、与力という職を得ようとするのを邪魔しやがって……」
己の野望を思わぬ形で口に出した倉崎だが、それは忍たちに誰が殺しの標的なのかを与えているようなものである。2人の忍は、倉崎が発した言葉にすぐさま反応した。
「同心・倉崎藤之助、旗本・室原光政、お命頂戴つかまつる!」
忍の男たちは標的となる相手に口にすると、背中に差している刀を引き抜いた。苛立ちを隠せない倉崎は、旗本の室原とともに怒りに満ちた声を上げようと必死である。
「こいつらは忍を騙った狼藉者だ! 斬れ斬れ! 斬ってしまえ!」
屋敷の当主の命を受けて、若侍たちが彼らの元に集結した。2人組の忍を相手に、侍たちは左腰に差している刀を一斉に抜いた。




