その6
藍色の空が広がった逢魔時、寒さに震える町人衆が表通りの賑わいを横目に急いで住処へ戻ろうとしている。
その表通りから裏通りに通ずる細い道のそばにある長屋の地下部屋では、ろうそくに照らされた元締を前に2人の忍がある決断を下そうとしているところである。
「こちらで始末した岩田裕之進ですが、やはり彼が葉月屋に編笠の男のネタを流していたようです」
「おまけに、こいつは正重の差し金で隠密もやっていたとはなあ……」
岩田に関することを口にした忍たちに、元締は黙ったままでうなずくばかりである。相手の顔つきを見て、陽と影は元締が何を求めているのかすぐに感じ取った。
「殺しの標的は、駿東藩主・笠田正重、駿東藩御用人・柴山宗政、それと野頭屋の徳左衛門の3人で間違いありませんでしょうか」
「その通りじゃ」
「それに関することだが、正重の武家屋敷に徳左衛門が訪れるそうで」
幽霊や妖怪など怪しいものが現れるであろう戌の初刻に、2人の忍は殺しの標的となる3人が集まる武家屋敷へ向かおうと風を切りながら疾走している。
「来客の者が正重や宗政といった藩主や重臣と話ができるのは、池のある庭園が見える奥座敷だけだ」
「それじゃあ、徳左衛門はそこにいるということか」
「まだきているかどうかは分からない。殺しの仕事は、標的の3人がそろってからだ」
忍の男たちは、駿東藩主がいる江戸屋敷の屋根裏の入口に身を隠している。わずかな隙間から表門をじっと見ているのは、野頭屋の徳左衛門がこの屋敷へ入るのかこの目で確認するためである。
すると、大名屋敷の表門に提灯を持った1人の男がやってきた。その風貌は、まるで太平の世を謳歌しているかのような雰囲気である。
「もしかして、あれが徳左衛門なのか?」
「口入屋をやってるから大儲けしているだろうけど、おれはこういう奴は気に入らねえんだよ」
2人の忍が表門のほうを密かにのぞき込むと、商人らしき男が表門をくぐって玄関へ向かう様子が見えた。
「奥座敷のある場所へ行くぞ」
陽は自ら指示を出すと、影とともに音を立てることなく3人が出会う場所の真上へ向かった。
「この下にある部屋が奥座敷か」
2人の忍は息を潜めながら、座敷にいる者の会話を聞こうと屋根裏に耳を当てた。
「正重殿、こんな一介の商売人をお呼びくださるとは本当にかたじけなく存じます」
「徳左衛門様、そんな堅苦しい恰好をしなくてわしは大丈夫じゃ。それよりも、例の件はうまくいっているのか」
奥座敷には、徳左衛門と宗政が藩主の正重を相手に話を行っている。
「それが、岩田様が亡くなってからというもの、指示を出す者がいなくて困ったことに……」
「やはりそうか……」
非業の死を遂げた岩田の代わりになる者がいないこともあってか、正重と徳左衛門はため息をつくばかりである。
そんな2人の様子が気になった宗政は、徳左衛門の耳元に声かかけた。
「それでは、あの件はどうなるのですか」
「これまでもお世話になった手前、いろいろと手を尽くしましたが……」
宗政と徳左衛門が顔を合わせたそのとき、夜に浮かぶ庭園から白い煙が立ち上がった。
「おい! 屋敷の庭に土足で踏み込む奴は誰だ!」
突然の出来事に声を荒げた正重は、即座に自らの足を廊下へ進めた。宗政と徳左衛門の2人も、それに呼応するように廊下へ出てきた。
そんな男たちの前に現れたのは、装束に包まれた2人の忍である。
「お前ら、伊賀者なのか……」
「まさか、岩田を斬ったのもお前らか……」
怒りに震える正重たちとは対照的に、陽と影は冷徹な口ぶりで相手に言葉を返した。
「その通りだ。岩田裕之進を斬ったのはわしら2人だ」
「読み売り屋に編笠の男のネタを流したのも、編笠の男に指示を出していたことも、岩田は俺たちの前で全て言ったぜ」
忍たちは、岩田が上からの指示を受けずに行っていたとは考えられないという認識で一致している。そして、2人はおなじみの台詞を標的の男たちに向かって口にした。
「口入屋・野頭屋徳左衛門、駿東藩御用人・柴山宗政、そして駿東藩藩主・笠田正重、お命頂戴つかまつる!」
2人の忍は標的となる男たちに言葉を発すると、背中に差している刀を引き抜いた。刀を構えたその先には、苛立ちに震える敵方の男たちの姿があった。
「ええい! 斬れ斬れ! 忍を騙る狼藉者を斬ってしまえ!」
正重の命を受けて集結したのは、主君に仕える侍の連中である。侍たちは、すぐさま左腰から刀を抜いて相手の忍に襲い掛かった。
二手に分かれた忍たちは、斬りかかろうとする侍の動きをかわすと、自らの刀で敵の男を真横から斬り倒した。
「くれぐれも油断するんじゃないぞ」
お互いの役割を確認すると、陽と影は次から次へと刀を振り下ろす侍たちを正面から斬りまくった。
「しぶとい奴らだぜ」
「冷静にならないと命取りになるぞ」
庭先には、忍たちに倒された侍連中の屍が地面に転がっている。それを横目に、2人の忍は少しずつ標的の男へ近づこうとしている。
それを阻止しようと、侍たちは相手の忍たちに刀を向けてきた。
「ここから先は通すわけにはいかないぜ」
侍たちが言葉を発したのは、自らが盾となって主君を守ろうとする意思の表れである。
そんな相手の動きにも、忍たちの冷静な表情が変わることはない。侍たちが先んじて刀を振り下ろそうとしても、忍び姿の2人は身をかわしてすぐに相手を縦横問わずに斬りつけた。
「あれだけ減らず口を叩いたものが……。あっけないものだぜ」
影は、侍たちの屍が重なっているのを見ながら自ら言葉を吐き捨てた。一方、正重たちは呼び寄せたはずの侍連中が息絶えた様子に、相手の忍への怒りに震えるばかりである。
「ぐぬぬぬぬっ……」
装束姿の忍たちは、標的となる3人の男を追い詰めるべく、刀を正面に構えながら屋敷の中へ足を踏み入れた。
「正重! 宗政! 徳左衛門! もう逃げられないぞ」
正重たち3人がそれぞれ刀を抜いて対峙している中、2人の忍は刃先を相手へ向けながら好機をにらんでいる。
そんなとき、徳左衛門が先んじて刀を振り下ろそうと構える様子を影は見逃さなかった。影は相手の動きを見切ると、横から刀で素早く斬り裂いた。
「まだ正重と宗政が残っている。油断するな」
忍の男たちは、元締から報酬をもらって殺しの仕事を行っている。標的となる敵の男たちに情けを掛けるのは、仕事を行う上での妨げになるだけである。
「貴様ら、よくも大事な取引相手を……」
正重と宗政を刀を抜いたその先には、2人組の忍が刀を構えている。互いに対峙する中、忍たちは冷静な表情で敵方の動きを見ながら機会を見計らっている。
そして、わずかな隙を見つけた次の瞬間に、陽と影は刀を振り下ろそうと構えた相手へ縦横に斬りつけた。
標的の男2人は、忍たちに斬られるとその場に崩れるように倒れた。
「い、伊賀者め……」
「わしらの野望が……こんな形で……終わるとは……」
正重と宗政は意識が遠ざかる中で言葉を発しようとしたが、その途中で息を引き取った。2人の忍は、うつ伏せのまま動くことのない正重たちの姿を見ながらつぶやいている。
「いつの世も、真っ先に犠牲になるのは弱い者たちばかりだ」
「自らは手を汚さずに、ということか……」
仕事を終えた忍たちは、血にまみれた死体が転がる屋敷を後にした。
「施術してくれてありがとうございます。これで無事に年が越せそうです」
「くれぐれもお大事にしてくださいませ。それでは、よいお年を」
大晦日のこの日、木兵衛は最後の客を送り出すと長屋の外へ出ることにした。
「今年もあと少しで終わりか……」
路地から見えるのは、雲の切れ間から見える茜色の夕焼け空である。
時間か経てば、この空も深い闇に包まれるだろう。長屋で一睡している時に、近くの寺がつく鐘の音を耳にすれば新しい年の始まりである。
「いつもの店で蕎麦をすすっ手から、ここへ戻って寝るとするかな」
冷たい風が吹く中、木兵衛は温かいものを食しようと表通りへ向かって足を進めるのであった。




