その5
黄昏から闇に包まれる頃、忍たちはろうそくに照らされた地下部屋にいる。2人は、元締を前に野頭屋の屋根裏で密かに聞き耳を立てた内容を伝えているところである。
「それで、殺しの標的とする者は誰にするつもりなのか」
「駿東藩藩主・笠田正重、同じく御用人・柴山宗政、それに野頭屋の徳左衛門の3人ですが、もう1人気になる者が……」
「気になる者とはいったい誰なのか」
「岩田という駿東藩の家臣とおぼしき男で、編笠の男に関するネタを読み売り屋に持ち込んでいた者です」
陽は、年相応の濁声で発する元締からの問いに名前を挙げながら返答している。殺しの仕事をすぐに行わないのも、標的にする男が正重や宗政とつながりがあるのか見当がついていないからである。
「それで、岩田と名乗るその男は?」
「駿東藩に仕えているから、正重の屋敷に出入りしているのはほぼ間違いないかと」
陽と影は、もう1人の標的となる岩田という男を探るべく、目的の武家屋敷に向かって暗闇の中を走り駆けている。
「さて、岩田が葉住屋へ例のネタを持ち込むなら、この屋敷から外出しているのは間違いないようだな」
「どうせ、編笠男による殺しのネタでしょ。それを駿東藩の家臣が読み売り屋に売り込むこと自体がおかしいんだけど」
忍たちが武家屋敷の屋根の上で確認し合っている時、陽は背後に何やら殺気らしきものを感じ取った。
「そこか!」
陽が振り向きざまに手裏剣を投げると、闇に隠れていた男の姿がいることに気づいた。
「貴様らか……。わが藩の屋敷で盗み聞きするとはなあ」
2人の忍の前に現れたのは、駿東藩の隠密らしき者である。その隠密は、間髪入れることなく刀を抜いては忍たちに襲い掛かってきた。
相手の動きをすかさずかわした2人の忍は、互いに自ら抜いた刀を隠密の男のほうへ向けた。
「正重の差し金か」
「はあ? 貴様らはいったい何が言いたいんだ」
隠密がしらばっくれる様子に、陽は相手を挟み撃ちにするべくある妙案を影に身振り手振りで伝えることにした。
「我々の秘密を知ったからには、この暗闇の中で死んでもらうぜ」
相手の男が振り下ろした刀に反応するように、陽は自ら手にした刀で食い止めている。
「その言葉、こちらから返してもらうぜ」
忍と隠密の刀同士が何度もぶつかり合う中、影はその隙を突こうと後方から刀を斬りつけた。
「ぐえっ!」
隠密が後ろから斬られたのを見て、陽は縦横無尽に相手の体を斬っていった。月明かりにかすかに照らされた闇夜の中、2人の忍は隠密の顔を隠していた頭巾をはぎ取った。
「き、貴様ら……。おれを岩田裕之進ということを……知っていたのか……」
「もしかして、葉月屋に編笠の男に関するネタを流していたのは……」
「そ、そうだ……正重殿の命を受けてな……」
「そうさ……。このおれが流したのさ……」
意識がもうろうとする中、岩田は口を開けて自らの言葉を伝えようと必死になっている。
「ついでに……言っておくが、編笠を頭に……被った……男に指示を……出していたのは……このおれだ……」
忍たちの前で言うべきことを言い切った瞬間、岩田はその場で息絶えることとなった。2人の忍は、短い生涯を終えた岩田の屍を前にしながら小声でこうつぶやいた。
「どうりでおかしいと思ったぜ。藩の提灯記事を何度も読み売り屋に持ち込むことなど考えにくいからな」
「これで、岩田の指示のもとに編笠の男が動いていたということか。駿東藩と野頭屋が結託して、新たな借金ができなくなった旗本や御家人に殺しの仕事を斡旋するとは……」
陽と影は、駿東藩の家臣から気づかれないようにその場を後にすることにした。
そんな頃、正重は藩の屋敷にある表御殿でろうそくに照らされながら政務を行っていた。静寂の中で書物に目を通していると、御用人の宗政があわてた様子で室内へ入ってきた。
「た、大変です! 庭先のほうに……」
「どうした! こんな夜中に騒々しいぞ」
「正重殿! それどころではございませんぞ! 庭先にあの方の死体が……」
宗政が発した言葉の意味に気づいた正重は、鞘に入った刀を左腰に差して屋敷の庭先へ足を踏み入れた。そこで見たのは、すでに息絶えた装束を身に着けた男の変わり果てた姿である。
「ま、まさか……。こんな姿で最期を迎えるとは……」
正重は、宗政とともに信頼を寄せていた岩田裕之進の死を受け止めることができなかった。なぜなら、岩田がどんな奴に斬られたのか目星をつけることが可能だからである。
「おそらく、これは伊賀者に斬られたとしか考えられないな」
正重は、自分の腹心の屍を前にしながら怒りに震えている。けれども、その怒りをぶつけるべき相手はまだ分からない。
「探せ探せ! 狼藉者を探し出して斬ってしまえ!」
「ははあ、承知つかまつりました!」
宗政に命を下した正重は、自分の家臣を守れなかった無念さと容姿の分からない狼藉者への怒りが交錯している。握りしめたその拳は、正重の偽らざる思いがそのままにじみ出ている。




