その3
廓詞で挨拶してきた遊女の姿に、木兵衛は戸惑いを隠せない。遊女と直に顔を会わせるのは、生まれてから初めてのことである。
「さあ、ご一緒に部屋へきてなんし」
木兵衛は、まるで公家のようなおしとやかな雰囲気の女性の後をついて行くことにした。しかし、木兵衛はあくまで遊女から情報を聞き出すのが本来の目的である。
「遣手が遊女の動きを監視している以上、座敷ではうかつに聞き出すことはできない。むしろ、部屋で2人きりになれば……」
8畳ほどの部屋へ入ると、木兵衛はおしのに言葉を掛けようと口を開いた。
「ちょっと尋ねてもよろしいでしょうか?」
「なんざんすか?」
「あなたは、どこからここへ出てきたのか?」
遊女が廓詞という吉原独特の言葉を使うのは、自らの出身地を悟られないようにする狙いがある。
「そんなことをお話なんすところではおっせん」
木兵衛は、唐突に聞き出そうとして遊女の心情を害してしまった。まずは、お互いの気持ちを確かめようと酒を酌み交わすことにした。
「おしのが酌んだ酒、言葉にできないほどのうまさだ」
「うれしうざんす」
おしのと飲んだり食べたりと楽しむ木兵衛だが、その間も遊女の表情や仕草を決して見逃すことはない。
「表向きは遊女としての表情を取り繕っているけど、右腕を見ると紫色に広がる大きなあざが……」
遊女と楽しむ場で、こういうことを考えるのは不謹慎かもしれない。しかし、木兵衛は裏で忍の仕事を行う身である。些細なことであれど、常に周りの動きを見極めなければならない。
木兵衛はおしのを怒らせないようにしながら、出身地について再び聞き出すことにした。殺された遊女の情報を引き出すためにも、2人でいる今が絶好の機会である。
「ふつつかなことだが、おしのはどこの地方の出なのか?」
木兵衛は、低姿勢で遊女の気持ちを引き出そうと言葉を掛けた。すると、おしのは木兵衛に気を許すように重い口を開けた。
「わっちは伊予松山藩の出でありんす」
遊女の言葉を聞く限り、表向きは表情を崩すような素振りは見せていない。けれども、吉原にいる遊女は、借金の形として地方から連れてこられることが多い。
親の代わりに借金を背負う遊女たちは、年季明けまでに借金を返すためにお客さんを楽しませようと必死である。しかし、年季明けまでに借金を返済して遊女から離れることができるのは、ほんのわずかに過ぎない。
「もしかしたら、おしのも同じような境遇に置かれているのでは……」
木兵衛は、おしのの笑顔が作り笑顔ではないかと邪推している。それは、出身地を自ら口にするときにためらいを見せたときから気になっていたことである。
「それでは、今日はこの辺で失礼します」
「あい、おさらばえ」
木兵衛は、おしのとまた会うことを約してその場を後にした。一度会っただけでは、遊女の死の真相までたどり着くことはできない。とはいえ、収穫が全くないわけではない。
「武士が内所に刀を預けずに丸木屋へ入った挙げ句に、自ら指名した遊女を殺害か……。楼主や若い者がそれを黙認したばかりか、楼主自らが殺しを行った者を匿ったということも十分に考えられるな」
木兵衛が大門を通って吉原から去ると、入れ替わるようにもう1人の忍が丸木屋の天井裏にやってきた。
その容姿は、頭巾で頭と顔を隠しながら、紺色の装束を身に着けている。梁の上に乗っている影は、下から聞こえる話し声を逃すまいと天井板に耳を当てている。
その話声の主は、楼主の久衛門と番頭の長次郎の2人である。
「おい! あの件はどうした!」
「はっ、誰にも気づかれていないようです」
2人は、一度会話をすると警戒そうに周りをキョロキョロしている。
一方、影は耳をそば立てて2人の声を聞き続けている。
「内所だから楼主がいるのは確かだが、もう1人の男はいったい……」
天井裏で忍が潜んでいるにも関わらず、それに気づかない楼主と番頭はさらに言葉を続けた。
「でも、刀を持ったままで座敷に入ったということがばれたら……」
「なあに、それくらい織り込み済みさ。あの与力が手を回していることだしなあ。ふっははははは!」
久衛門の高笑いは、天井裏にいる影の耳にも入った。
「やはり、刀を持ったままで屋敷に入ったことをもみ消そうとしているのか」
持ち込みの禁を破ったどころか、その刀で殺しが行われたことが露見されれば、丸木屋が取り潰しになるのは間違いない。その事実を無かったものにしようとしているのが、妓楼を営む立場の久衛門である。
しかし、それ以上に気になったのは楼主が口にした与力の存在である。
「なぜ与力という言葉を……」
無人の長屋の地下にある隠し部屋では、陽と影が個々に集めた情報を交換している。
「おい! あの与力の名前を知ってるって」
「丸木屋で殺された遊女の検屍を行う同心に指示を出してたのが、南町奉行所の筆頭与力・村崎柴三郎という者だ」
陽は、自ら持っている村崎の情報を影にも伝えた。さらに、丸木屋の屋敷でおしのと会ったときの状況も語り出した。
「おしのの表情、優しい顔つきの裏には故郷に戻ることのできない哀しさが隠されているような……。彼女の右腕にある紫色に腫れたあざも気になるところだ」
そんなとき、見慣れた顔の男が薄ら笑いを見せながら、2人のいる隠し部屋へやってきた。ろうそくが1本だけ灯された部屋に浮かんだその顔は、闇の中に漂う不気味さが似合いそうである。
「陽と影よ、例の吉原の件はどうか」
元締の言葉に、2人は緊張を隠すことができない。それでも、表と裏から探りを入れている旨を伝えると、元締は柔和で落ち着いた顔つきになった。
「村崎柴三郎という与力、丸木屋の楼主と何か繋がりがあるようだな」
「奉行所の筆頭与力という立場にある者が……。何か後ろめたいものがあるかもしれないぞ」
陽と影が共通するもの、それは筆頭与力が遊女殺しに何らかの関係があるということである。しかし、村崎が関与しているかどうかはまだ定かでない。




