その6
陽と影は、休息所前多聞の屋根に身を潜めながらうつ伏せ状態で少しずつ進んでいる。
「ほんのわずかといえども、音を立てたら命取りになりそうだ」
忍たちは互いの目で意思確認すると、うつ伏せのままで屋根の側面を濠沿いに警戒しながら進み続けている。そして、本丸御殿に近い数寄屋二重櫓へ近づいたその時、陽は何やら殺気らしきものを耳元で感じた。
「影、気をつけろ! 隠密が向かい側に身を潜んでいるぞ」
陽が背中に差している刀を取り出した途端、隠密が突如として襲い掛かかってきた。
いきなりの襲撃に、2人の忍は辛うじてかわすこととなった。忍たちと似たような装束を身に着ける隠密であるが、頭巾で覆ってるのは頭だけである。
「ここで正体を相手に知れないようにしないと……」
心の中で思い浮かべたその言葉は、2人にとって忍の掟と密接なかかわりを持っている。それは自らの正体が相手に知れたら、仲間によって命が絶たれるというものである。
頭巾で頭と口を覆った2人の忍は、相手の隠密を前に自らの刀を横に構えた。
「よくも、御公儀に土足を踏みつけることをするとは……」
隠密の冷淡な口ぶりは、上の者に尽くすことへの矜持をそこはかとなく漂っている。そんな状況の中でも、2人の忍は相手への攻撃をためらうという選ぶ気はさらさらない。
「わしらの動きを妨げるのであれば、この刀でお前を斬る!」
陽は隠密の前へ出ると、自らの刀で相手に斬りつけようした。その動きに、隠密は素早く取り出した刀で食い止めている。
「わずかな隙すら見せないとは……」
刀同士がぶつかった陽と隠密が膠着する中、影の背後には濠から高く飛び上がったもう1人の隠密が現れた。
「飛んで火にいる夏の虫め、地獄へ落ちやがれ!」
背後から分銅鎖を投げつけようとする隠密の姿に、もう1人の隠密と刀を合わす陽はすぐさま声を上げた。
「影! 後ろからの攻撃に気をつけろ!」
陽の一声に気づいた影は、後方からの飛び道具を何とかその場からかわすことができた。すると、相手は自ら取り出した短刀で影へ振り回してきた。
「ちっ、ちょこまか逃げやがって」
「このままでは……」
かわすのが精一杯の影は、相手の足元に撒菱を素早く投げた。
「うっ!」
撒菱を踏んで痛がりながら動きが止まったのを見て、影は自らの刀で隠密の体を縦横無尽に斬り裂いた。
その頃、陽はもう1人の隠密に刀を向けながら対峙している。しぶとい相手を前に、陽は冷静な目つきで相手の動きを読んでいる。
そのとき、助太刀としてやってきた影が刀を横に構えている。
「いいか、おれが隠密と刀を合わせる間に横から斬るんだ」
影が陽に小声で伝えると、自らの刀で相手に向かった。その刀を受け止めた隠密は、刀同士を合わせては次の攻撃をうかがおうとしている。
相手の様子を見た途端、陽は隠密の背中に回り込むとその場で刀を振り下ろした。まるで十字の如く縦横に斬ると、隠密は自ら崩れ落ちたまま動かなくなった。
屍となった2人の隠密の姿を確認すると、忍たちはすぐさま城壁から去ることを決めた。
「このままだと、いつ追手がくるか分からない」
人の気配を感じ取った2人の忍は、煙玉を使って白い煙を上げるとその場から跡形もなく姿を消した。その煙が消え去った後、数寄屋二重櫓に飛び上がるように現れたのは1人の隠密である。
「お、おいっ……」
隠密は、仲間2人の息絶えた姿に声を詰まらせた。
「この斬られ方からすると、斬った連中はおそらく我々と同じく伊賀者なのか……」
伊賀者が隠密として使い勝手がいいのは、偵察や監視による情報収集において優れたものを持っているからである。だからこそ、忍が外部に存在することは隠密にとって邪魔で仕方がない。
「このままでは、定信公から何を言われるか分からないぞ……」
隠密は、定信の機嫌を損ねる前に何とかやり遂げようとある妙案を思いついた。
「定信公に歯向かうやつは、ただでは済まないことを教えないといけないな」
意味深な言葉を口にした隠密は、風のような動きで城内へひとまず戻ることにした。
一方、陽と影は主なき長屋の地下部屋で江戸城での偵察が中途半端に終わったことへの思いを吐露している。
「城壁から音を立てずに進もうとも、隠密がすぐさま襲い掛かって先へ進むことができない」
「元を正せば、陽が江戸城本丸へ忍び込もうとしたのがそもそもの始まりなんだが」
影は誰も群がらない一匹狼であるが、陽とはあくまで裏の仕事の仲間という形で行動をともにしている。陽に対して珍しく声を荒げる様子は、元締の耳にも届いている。
「影よ、その気持ちは分かるが少し落ち着いたほうがいいのでは」
「だけど、あんな無謀なことをしたら……」
陽も影も、忍の端くれという立場であることに変わりはない。ただ、城内の本丸に忍び込む際の考え方に微妙な違いがあるの否めない。忍としての姿勢と密接に関係するので、こればかりはどうすることもできない。
「わしは、2人にこれだけは言っておく。それは、忍としての一体性を持ち続けることだ」
「要するに、殺しの仕事は2人で組んで行うと……」
「もちろん、相手の偵察とかは個々で行うというのは可能だろう。しかし、わしが指示する標的に対する殺しを行うのは、どちらか一方が欠けてはいけないことだ」
元締が口にする言葉の数々に、2人の忍は固唾を飲みながら耳を傾けている。忍の男たちが、その言葉の意味を理解するのに時間はかからなかった。
「さっきは、感情を抑えきれずに強く言ってしまって本当に済まない」
「そんなことぐらい、わしは全く気にしていないぞ」
考え方に違いのある2人であるが、与えられた殺しの仕事で結果を出すという点では一致している。
そんな忍たちに、元締はこの言葉を忘れることはない。
「探りを入れるにせよ、殺しをするにせよ、くれぐれも忍の掟を忘れるんじゃないぞ」
元締の言葉の重みに、陽と影は気持ちが締まる思いで正面にいる相手を見つめている。




