その5
主なき長屋の地下は、裏の仕事を行う陽と影が顔を合わせる場所である。
「一連の町人殺しの件だけど、春之助の屋敷にいる3人の若い侍が大きく関わっているようだ」
「屋根裏から密かに聞き取ったのか」
「そういうことだ。そちらのほうは?」
「激しい雨が降る中で表通りを歩いていたら、町人に斬りつけた3人組らしき者が逃げて行ったな」
2人の忍は、これまで集めた情報を相手のほうへ互いに伝えている。忍たちの意思疎通を図ることも、ここでは大きな意味を持っている。
「そういえば、3人組の1人である晴之丞が何者かを斬りつけたことをほのめかしていたけど」
「おれが雨中でかすかに見えた3人組って、まさか……」
「そのまさかだよ。雨が降りしきる時に表通りで行われた町人殺しの張本人が誰かということだ」
陽は、一連の町人殺しが幕府の要職に就いた旗本にも伝わっていることに言及した。3人組の侍がどこまで関わっているかは確証できていないが、少なくとも晴之丞が関与していることだけは間違いないようである。
「それはそうと、春之助のほうは?」
「どうも裏があるのではと注視していたが、侍たちを勘当した旗本の父親と話していた時の春之助の様子は違っていたな」
陽はその時の様子について、さらに言葉を続けた。
「天井裏から耳にした春之助の言葉は、裏取引とかする人間の言葉じゃなかった」
「と言うと?」
「あくまで個人的な推測だが、春之助はあの3人の扱いに苦悩しているのでは……。春之助が不在であるのをいいことに、晴之丞ら3人の侍が我が物顔で振る舞っているようだし」
3人組の侍がどういう動きをするか、忍たちは引き続き探りを入れることを確認した。
次の日、清蔵は相変わらず雨が降り続く表通りを歩いている。これから向かう先は、京橋畳町にある権三郎の長屋である。
裏通りに入ると、庇に出てきた1人の女と出くわした。
「あっ! 清蔵さん」
「おゆう」
清蔵の前にいるのは、権三郎の女房・おゆうである。
「この前、権三郎さんを連れてきてくれてありがとうございます」
「そんなこと言わなくても……。おれは当たり前のことをしただけさ」
清蔵は、おせじにも言葉遣いが上手であるとは言えない。けれども、相手からのお礼には謙虚な気持ちで受け止めている。
「ところで、権三郎は中で何をしているのか」
「それが……。大ケガを直すのが先決なのに、畳職人の仕事があるから雨の中を外へ出かけていったのよ」
江戸市中でも、畳を敷く町人の家が増えたこともあり、それに応えるべく畳職人は多忙を極めている。
「権三郎も、無理を承知の上で出かけたのでは……。こればかりは親方の考え方にもよるけど」
清蔵は、権三郎の仕事先である笹倉屋へ足を運ぶことにした。権三郎の様子を見ようと、畳屋の出入口をそっと少し開けた。
そこには、他の職人仲間とともに畳床作りを手がける権三郎の姿があった。権三郎は、足踏みで畳床を絞める作業を行っている。
「わしがこんな大ケガをしたばっかりに……」
「そんなこと気にするなって! 畳作りは1人でするものじゃないんだから」
「とにかく、まずは無理をしないことが大事だぞ」
仲間たちの励ましを受けて作業に励む権三郎に、清蔵は感心そうに見つめている。
「これで女房の心配も杞憂に終わりそうだ。それにしても、何人もの手によって畳が作られるとは……」
清蔵は障子をそっと閉めると、雨が降り続く裏通りの路地を歩き去ることにした。
再び表通りに足を入れた途端、何やら悲鳴らしき声が南傳馬町2丁目の方向から聞こえてきた。
「あの悲鳴って、まさか……」
雨の降りしきる中を清蔵が駆け抜けると、道の真ん中で倒れたままの男に寄り添う女に出くわした。
「あ、あなた……。ううっ、ううううっ……」
男の体には、血に染まった刀傷がいくつも切り刻まれている。それは、今まで見た殺され方の中でも残酷な部類である。
清蔵は、雨中で横たわる屍に泣き崩れる女にそっと声をかけた。
「これは本当にひどい。誰がこんなことを……」
その一声を聞いた女は、少し沈黙してからようやく重い口を開けた。
「結婚を約束していたのに……。その夢を奪ったのは、若い旗本らしき3人組だわ」
「3人組って、名前とか分かるか」
「確か、晴之丞と霧左衛門、それに名前は分からないけどもう1人いたわ」
女の口から出た3人組の侍の名前に、町人衆を狙った一連の雨中殺人に春之助の屋敷にいる若い侍たちが大きくかかわっていることを清蔵は確信した。
「春之助がこのことを知ったとしたら……」
一連の町人殺しが露見されれば、それに関わった連中は全員打ち首獄門となるのは間違いない。仮に、清蔵が春之助の立場だったら、3人組の侍を奉行所へ突き出すことだって十分あり得るだろう。
「問題は、あの3人が素直に罪を認めるかどうか……」
無残に殺された男の屍を見ながら、清蔵は取り返しのつかない過ちを犯した3人の侍の粗暴ぶりに一抹の不安を抱いている。
その不安が現実のものとなってしまったのは、その夜のことである。