その2
その翌日、つかの間の晴れ間となった表通りには、菅笠を被った読み売りを目当てに町人衆が次々と集まってきた。
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! どえらいことが起こったよ! 何がって、京橋界隈で殺された3人なんだけど、ここでは口に言えねえってもんだ! 事の顛末はこれを読めば分かる! さあさあ、買った買った!」
菅笠を被った読み売りの男が聴衆に向かって声を上げると、野次馬は我よりも先に銭を差し出して読み売りを受け取った。
日が暮れて黄昏に入る頃、蕎麦屋『善治そば』には木兵衛と清蔵が向かい合うように席に座っていた。
注文したかけ蕎麦が運ばれてくると、2人はそれをすすりながら木兵衛が取り出した読み売りに目を通している。
「町人衆が路地で斬られて命を落としたのって、ここ10日ほどの間に9人もいる訳だが」
「確かに、ここに書かれている限りでは、いずれも数か所にも及ぶ深い刀傷を負ったとあるな」
木兵衛と清蔵は、他の客に知られないように小声でお互いに話し交わしている。
影は、記事で気になる箇所を指さしながら再び口を開いた。
「それよりも、殺されたのがいずれも雨が降り続く中というのがなあ……」
「殺しを行った者は、わざわざ降雨の時を狙っていたのだろうか」
書かれている事柄は、菅笠の男が発した煽り文句の如く誇張されている部分も多い。しかし、殺しを行った人物に繋がる重要な資料であるであることは間違いない。
2人はかけそばを食べ終わって銭を払うと、すぐに南傳馬町の表通りへ出た。
すると、木兵衛と清蔵は表通りに現れた侍の一団を見逃さぬよう目を凝らしている。
「あの侍たち、3人で横に並ぶようにして歩いているな。周りを見回しながら睨みつけているし」
「我が物顔で振る舞うと言うのは、まさにこのことを言うのだろうな」
表通りを闊歩している3人組の武士の姿に、町人衆は腫れ物に触らないように路地の脇へ避けている。ほんの些細な一言が、侍たちの逆鱗に触れて命を落としかねないからである。
「ああやって権力を振りかざす連中って、正直言って気に食わねえな」
清蔵は、侍たちの振る舞いに拳を握りながら怒りに震えている。木兵衛は、そんな清蔵の肩に手を当てた。
「気持ちはよく分かるが、まずは落ち着いて考えることだ」
木兵衛の声に冷静さを取り戻した清蔵は、雨中で血にまみれた屍を思い起こしながら口を開いた。
「あの3人、これからどこへ行くつもりなんだ」
「後を追って探りを入れる必要があるな」
2人は、南傳馬町から日本橋通南へ連なる表通りを早足で追った。すると、侍たちは日本橋に入る手前で右へ曲がるとそのまま海賊橋へ足を入れた。
「海賊橋ということは、この先は八丁堀なのか」
確かに、八丁堀は海賊橋を渡った場所にある。けれども、3人の武士は立ち止まることなく路地の真ん中を歩いている。
「八丁堀でないとすれば、一体どこへ……」
侍の連中は霊岸橋を経て湊橋を通ると、永久橋から日本橋浜町へ足を踏み入れた。そこには、多くの武家屋敷が立ち並んでいる。
木兵衛と清蔵は、相手に気づかれないように息を潜めながら後を追い続けている。すると、細い路地の途中にある屋敷の前で3人は立ち止まった。
「おう、帰ってきたぞ!」
偉そうな態度で屋敷へ入った侍たちの姿に、木兵衛たちは首を傾げざるを得ない。
「この屋敷にいるのがあの3人か……」
「これほどまでに性根の腐ったやつを目にしたのは初めてだ」
「確か、この屋敷の主は黒川豊後守だったような……」
3人組の侍がいる場所はつかめたが、黒川との繋がりがあるかどうかは定かではない。
「これ以上、表の立場で長居するのは禁物だ」
「武家屋敷がある場所で、おれたちみたいな町人衆がいたら睨まれるからな」
木兵衛の言葉に清蔵がうなずくと、2人は一旦その場から去ることにした。
その日の亥の初刻、忍の装束を身にまとった2人が暗闇の中を疾風の如く屋根の上を駆け抜けていた。もちろん、忍たちが向かう先は黒川豊後守の屋敷であることに変わりはない。
「あの屋敷にいるということは、何らかの形で黒川が関わっている可能性があるな」
「あんな厄介者の侍がどうして屋敷にいるのか」
2人の忍が互いに言葉を発すると、陽がある一言を口にした。
「家臣としての若侍なのか、それとも……」
「それともって、いったい何だよ」
「あの3人組、黒川の家臣であるかどうかはまだ分からない。だけど、何か妙なものを感じるんだ」
野良犬の遠吠えがかすかに聞こえる中、陽と影は黒川豊後守の屋敷へ飛び移った。
「相手に気づかれないように屋根裏に入るぞ」
「そんなこと言われなくても、頭の中で分かってるわ」
忍たちの大きな目的は、3人組の侍連中を偵察することである。屋根裏へ入った2人は、梁の上を音を立てることなく足を運んでいる。
「どの辺りの部屋にいるのだろうか……」
忍の男たちがさらに足を進めると、影が足を止めて屋根裏に耳を当てた。
「若い男らしき声が聞こえるぞ。それも、明らかに尋常でない声を上げてだ」
「まさか、3人組の侍か?」
その頃、屋敷の奥にある部屋には、3人の侍が徳利から酒を注いで飲みながら談笑している。無論、2人の忍が真上で偵察していることに3人は全く気づいていない。
「いやあ、これほど刀の切れ味が抜群だとはなあ」
「単なる修行じゃ物足りないし、ぜひとも切れ味を確かめないと」
侍の2人が自らの刀を見せ合いながら話していると、もう1人の侍が口を挟んできた。
「梅雨時の晴れ間とは言うけど、これでは刀を試せる好機とは言えねえなあ」
「となると、やはり雨の降る時か」
「やるからには、他の人に気づかれないようにしないと」
3人組の侍は、酒を飲んでほろ酔い気分で会話を続けている。そんな彼らの耳に入ってきたのは、部屋の出入口の障子を開ける音である。
「は、春之助殿!」
3人の前に現れたのは、黒川家当主で旗本の黒川春之助である。表通りで傍若無人に振る舞う侍たちも、屋敷の主を前にして気持ちを引き締めて目を向き合っている。