その5
「陽、行くぞ!」
2人の忍は、空が漆黒に染まった頃を見計らって長屋の屋根に飛び上がった。
「探りを入れる場所は、事前に伝えた通りだ」
「福見屋ということは、六左衛門がやっている砂糖問屋か……。大儲けした金を元手に、色々なことに手を出しているみたいだな」
陽と影は、疾風の如く屋根伝いに走り駆けている。暗闇に映えるその姿は、まるで獲物を狙いつけるかのような雰囲気である。
表通りでは、町人たちが繰り出して賑わいを見せているが、彼らが屋根伝いに走り抜ける忍の連中を見ることはない。いや、正確には読み売りの中でしか知らない存在なのかもしれない。
そんな賑わいを脇目に振らずに、忍たちは目的の場所へと風を切って走り続ける。
六左衛門がいるその建物は、宝町2丁目の表通りに面した場所にある。通りを歩く人にとって、『福見屋』という屋根看板は否応にも目立ってしまう。
「ここは砂糖問屋だよな。だけど、町人衆が何人か福見屋の前にいるし……」
「六左衛門は富師だし、ここで富札を売りさばくということはありそうだ」
六左衛門の裏の顔を探るべく、2人の忍は屋根裏へ密かに潜入することにした。最初に偵察するのは、出入口付近とみられる場所である。
陽と影は音を立てることなく進むと、声がかすかに漏れる屋根裏に耳を当てた。
「やはりそうか。陽が言ってた札屋での富札売りは図星か」
「それよりも、問題は福見屋と加蔵一家が密接な関係にあるかどうかだ」
そんな忍たちの耳に入ったのは、ある町人の一声である。
「あ、あのう……。すいませんが奥のほうへ行ってもよろしいでしょうか」
「どういうご用件でしょうか?」
「ここで話すのはちょっとまずいので……」
受け答えを行った手代は、相手の客を建物の奥まで案内することにした。奥の部屋の前へくると、町人は障子越しに言葉を掛けた。
「すみませんが、入ってもよろしいですか?」
「おう! 早くここへ入れ」
中のほうから野太い声で返事が返ってきたので、客はすぐに障子を開けて足を踏み入れた。町人は部屋にいる連中を見回すと、思わず血の気が引きそうになっていた。
「そんなにおびえなくても大丈夫だ、ここへ座れ」
ここにいる男たちは、全員同じ法被をつけている。衿には『加蔵一家』の4文字が縦書きで、背中の大紋には角文字で『加』と表現されている。
そんな加蔵一家の連中は、どの顔も強面そのものである。町人がその顔を見ただけで尻込みするのも無理はない。
「ここにきたからには要件があるだろ。要件は何だ」
「す、すいませんが……。これを肩代わりしてもらいたいのですが……」
野太い声を出す男の前で、町人は、ある書面を手元から出した。それは、町人の男が別の金貸しから借りたときに交わした念書である。
念書には金5両借り入れにつき、10日につき2分の利子をつけて返すと記されている。いわゆる『十一』と呼ばれるものである。
借金を背負ったその男は利子を返すことすらままならず、元本は膨らむ一方である。
「長屋に押しかけては、胸ぐらをつかまれて『早く金返せ』と大声で叫ぶし……。今度全て返さなかったら、娘を売り飛ばすぞと言われて……」
この様子を天井裏で密かに聞いているのは、他ならぬ2人の忍である。
「やはり加蔵一家はここにいたのか。これから何をするつもりか」
「気になるのは、客が借金を抱えているってことだな」
忍たちが天井裏で耳にしている中、口髭を蓄えた男が町人を前に口を開いた。
「おめえがそう言うのなら、おれたちが借金を肩代わりしてもいいぜ」
「ほ、本当ですか!」
「ああ、本当だとも。ちなみに、借金はいくらだ」
「30両です……」
口髭の男は、他の連中とひそひそと声を掛けている。その口元は、まるで新たな獲物を見つけたとばかりに怪しげな笑みを漂わせている。
「肩代わりするのであれば、ここに名前と捺印をしてもらえれば……」
町人の前に出されたのは、既に記された名前がある1枚の書面である。その書面には重要なことがいくつか記されているが、なぜかその部分は口髭の男が両手で押さえて隠しているようである。
書面に記されたその男の名前こそが『加蔵一家勢吉』である。町人は、勢吉に目を合わさないように自らの名前を筆で書くことにした。
「ほうほう、おめえは甚三郎という者か」
「は、はあ……」
甚三郎は、勢吉をはじめとする加蔵一家の連中に囲まれているので緊張を隠すことができない。早くここから逃れたいとその町人が考えるのも分かる気がする。
ここで交わした念書は、あくまで甚三郎の借金を加蔵一家が肩代わりしたに過ぎない。借金取り立ての権利も、これからは加蔵一家が持つこととなる。
けれども、相手が不利になることを言わないのが借金取りの流儀である。そこで、勢吉は甚三郎の前にある物を出した。
「これが何なのか、おめえでもすぐ分かるだろ」
「こ、これは……。玉岡寺で開かれる富札なのか……」
町人が手にしたのは、庶民がなかなか手に入れることのできない富札である。
「その通りだ。これはれっきとした本物の富札さ」
甚三郎は、全部で5枚ある富札を勢吉から受け取った。普通に手に入れようものなら、1枚金1分を出さないといけない代物である。
「わざわざこんなことまでしてくださって、本当にありがとうございます!」
「いいってことよ。まあ、おめえもこれで富を呼べることになるんじゃないの」
2人の会話の一部始終は、屋根裏に潜む忍たちの耳元にも入ってきた。
「あの勢吉が、加蔵一家の頭ということか。都合の悪いことは一切言わずに、富札という名の美味しいものを用意するということか」
「どうせ、富札を手渡した目的だって決まっているだろ。富札が当たろうとも外れようとも、あいつらが取り立てをすることに変わりはないからな」
影が吐き捨てるように発すると、陽はそれに返答するように再び口を開いた。
「加蔵一家と六左衛門、そして旗本の河原林……。何やら良からぬ動きがありそうだ」