その4
丑の刻が始まりし頃、ろうそくで照らされた隠し部屋には2人の忍が元締に伝えるべく口を開いた。
「岡嵜町の玉岡寺で開かれる富札の興行だが、あれに関わっているのが砂糖問屋の福見屋六左衛門という男だ」
「その六左衛門と繋がりがあるのが、旗本の河原林利孝という者です」
富師と旗本の深い関係について語った忍たちの話を耳にして、元締は2人の前で静かに声を発した。
「福見屋か……。上方から江戸へ出てきたとは聞いていたが……」
「元締、六左衛門のことをご存知だったんですか?」
「わしも知っているのはこれだけだが、砂糖を扱う問屋は大坂に集まっているというのは耳にしたことがある。まあ、砂糖の産地は奄美や讃岐、阿波といった西国に限られるし、あとは出島で清国やオランダ経由で手に入れるくらいか」
元締の表の仕事は材木問屋であるが、そこで客と話す中で他の問屋の情報が入ることがある。やけにその辺のことに詳しいのは、商人らしい気質がなせる業と言えよう。
「富札の買い占めや横流しを直接口にしなかったけど、玉岡寺の住職と懇意にしているのは間違いないぜ」
「富師というのは、用意周到に事を進めるもの。買い占めや横流しもその中に織り込み済みと考えられるな」
今回の一件は、富師の福見屋が大きな関わりを持っている点が挙げられよう。あとは、加蔵一家との黒い繋がりの有無である。
翌日、清蔵は鞘への漆塗り作業を中断して長屋から出てきた。そこで深呼吸をするのは、鞘作りで要求される集中力を保つためである。
そんなとき、何か人の気配を感じた清蔵は長屋の中へ戻ると、入口の障子を少し開けて密かに覗くことにした。
「数人がかりの集団か……。あの男たち、もしかして……」
相手に気づかれないように見続けると、男たちは加蔵一家が記された法被を身にまとっている。
「どこへ行くつもりなんだ」
清蔵は、借金取りが長屋の前を通り過ぎたのを見計らうと、障子を開けてすぐ出ることにした。
「裏通りに足を運んだということは、やはり借金の回収なのか」
加蔵一家に気づかれないように、清蔵は足元を静かに踏みしめている。裏の仕事とは違って、表の立場で行う場合にはどうしても動きの制約が生じてしまう。
「こんなところで忍の正体を知られるわけにはいかないし……」
清蔵は、長屋と長屋の間にある曲がり角に身を潜めながら加蔵一家の動きを注意深く見ている。
そのとき、ある長屋の障子を乱暴に開ける借金取りの姿を目にすることになった。清蔵は、強面の男たちが続々と入る長屋の前で止まった。
長屋の中では、自分と同じ鞘職人の男が加蔵一家から胸ぐらをつかまれて脅されていた。
「おう! 先月借りた金の返済はどうした! 返済期限はとっくに過ぎているぞ!」
「あ、あと少し待ってください……。必ず返しますから……」
鋭い眼光でにらみつける借金取りの顔つきに、職人の男は震えるばかりで声が詰まって途切れてしまう。
「必ず返しますから……」
「おめえが返した銭なんぞ、はした金で利子にもならねえんだよ!」
加蔵一家は、抵抗できない鞘職人に殴る蹴るの暴虐ぶりを見せている。その様子に黙っていられない清蔵は、障子が開いたままの長屋の入口から立ち入った。
「おい、無抵抗の人に力でねじ伏せるのはやめんか」
清蔵の一言に、加蔵一家の連中は一斉に振り向いた。借金取りは、取り立てを邪魔した清蔵へのいら立ちを隠せない。
「よくも邪魔しやがって……」
「おめえ、この松助とどういう関係なんだ」
「ただの通りすがりの者だ。よくもまあ、こんな荒っぽいことをするとは……」
清蔵のこの発言に、加蔵一家の1人が着物から短刀を取り出すと、激高しながら突っかかってきた。
「調子に乗りやがって!」
清蔵は、感情の赴くままに牙をむいてきた借金取りの右手首を強く握りしめた。そのまま逆方向へ捻じ曲げると、強面の男は地獄のような痛みに思わず悲鳴を上げた。
「いててっ、いててててててててっ!」
強烈な痛みに耐えかねてその短刀を床に落とすと、清蔵は握っていた男の手首を放した。
「いかんなあ、そんな物騒なものを持っていたら」
「ぐぬぬぬぬっ……」
「くそっ! 覚えてやがれよ!」
加蔵一家の連中は、清蔵への怒りに震えながら松助の長屋から一斉に走り去った。
「おい! 松助、大丈夫か!」
「大丈夫だ……。こんな情けないこのわしを助けてくれるなんて」
松助の体には、加蔵一家から受けた数々のあざが目立つ。そんな状態の体であっても、松助は清蔵の手を借りながら立ち上がることにした。
「おれは、あくまで単なる通りすがりだ。だけど、あんな酷い仕打ちを受けていれば、黙っている訳にはいかないだろ」
一匹狼の清蔵は、同じ京橋南鞘町で暮らす住民と交わることがほとんどない。それ故に、清蔵という名前を知る裏通りの者は少ない。
「それよりも、あの加蔵一家からどのくらい金を借りているんだ」
「30両だ。いくら返しても、借金が膨らむばかりで……」
あまりの窮状ぶりに、松助は涙声を上げている。
「加蔵一家の連中はどこにいるんだ」
「お前さん、福見屋って知ってるか?」
「福見屋って、砂糖問屋の?」
「そうだ。その奥に入った部屋にいるのが加蔵一家だ」
松助が小声でしゃべるのを聞いた清蔵は、頭の中でこう思い起こした。
「六左衛門と加蔵一家が繋がっていたとは……。福見屋に探りを入れないといけないな」