棘と蜜
「それはまた穏やかじゃない話だな」
いきなりの物騒な宣言に、トールは顎を掻きながら考える。
サラリサの見せてくれた地図が本当だとすれば、確かに今のペースでは今日中にこの厄介な平地を通り抜けるのは厳しいだろう。
そうなると当然、野営する場所の確保も難しくなってくる。
この強風の中では、風よけがなければ天幕はあっさり吹き飛んでしまう。
何とか張れたとしても、夜の闇に紛れてあの転がる岩甲虫が襲ってきたらどうなるかは想像に難くない。
モンスターを寄せ付けない遠退け香も、この風の前には無意味だろう。
かといって休息を取らずに進めば、ユーリルやムーの体力が保たないのは分かりきっている。
それに疲労が溜まると、魔力の回復にも影響が出る。
有り余る魔力を有するユーリルならまだしも、増加したとはいえソラの魔力量ではまだきついと思える。
もっともその辺りは、トールが<復元>を使えば解決する話である。
ただし、これなら何時間でも歩き続けることは可能だが、さすがに不自然すぎて言い逃れのしようがない。
トールとしても、わざわざ<復元>をおおっぴらにする状況は本意ではない。
特にこの案内人とその義兄のガルウドには、こちらを探るような態度があるとトールは密かに勘づいていた。
だからこそ腕が切り落とされた時も、強引にごまかしてみせたのだ。
彼らの思惑は不明だが、うかつに手札を晒すような真似は面倒事を招きかねないと。
「すまんが、ちょっと相談したい。良いか?」
トールの言葉に無言で頭を振ったサラリサは、最後尾の定位置へ戻っていく。
その様子は普段と変わらず、おかしな意図は感じられなかった。
ソラとユーリルを呼び寄せたトールは、手短かに推測を説明する。
「うーん、サラリサさん、いい人だと思うし、ちょっとくらいならバレても大丈夫な気はするよー」
「私もそう感じますね。ただトールさんが気にかかるとお思いなのでしたら、それもまた正しいかと」
「いえ、俺の考えすぎかもしれません」
そもそも水を惜しみなく使ってる時点で、薄々怪しまれているはずなので、取り繕うのはやや遅すぎかもしれない。
「ただ……、足を引っ張っている身で申すのは憚れますが、引き返すという案には賛成させていただきます」
「何か気になる点でも?」
「はい、これまでの同行で、サラリサさんはある程度、私たちの実力をご存知のはずです。それなのに――」
「なるほど、俺が思いついた以外にも、なにかあると」
「ただの杞憂ですめば良いのですが、万が一を考えれば無理は避けるべきかと思います」
慎重な言葉に、トールは小さく首を縦に振った。
もっと先に進みたいと疼く気持ちはあるが、それはより危険を味わいたいと望む意味ではない。
「ソラはどうだ?」
「わたしは進んでみたいけど、トールちゃんの負担が大きくなるのはイヤだなー」
「そうか。ではここで切り上げるか」
確かに予想外の出来事があった場合でも、何とかできる自負はある。
だがトールが無茶をすれば、その原因の一端であるユーリルたちも心を痛めることになる。
それも避けておきたい事態であった。
撤退を決めたトールたちは、元来た方角へと踵を返した。
今度は強敵だった風が背中を押してくれるおかげで、すいすいと歩きやすい。
もっとも背後の警戒は、やや面倒ではあったが。
進むのに費やした時間のほぼ半分で、トールたちは出発点の岩山に戻ることができた。
午後も半ば過ぎていたが、ここで遅めの昼食を取ることにする。
美味しそうなスープの匂いに、ずっと熟睡していたムーがパッチリと目を開いた。
「おはよー、トーちゃん。朝ごはんか?」
「もう昼過ぎだぞ。それに朝めしは食ったろ」
「むむむ。むっ! ここ、みおぼえあるぞ、トーちゃん!」
昨夜の野営地である岩山を見回した子どもは、驚いた声を上げた。
その様子に茶目っ気を出したソラが、からかうように話しかける。
「ふふ、どうしてかわかるかな?」
「そうか……。きのうかとおもったけど、まだきょうだったのかー」
「えっ、いや、ここに着いたのは昨日だけど、今日は今日だよ」
「あれぜんぶ、ユメかー。なかなか、たのしかった!」
「どんな夢だったの?」
「えーと、あさのお日さまがすごいきれいで、あと、あるいてたらイワがゴロゴローて。それから……」
「うんうん、それからどうなったの?」
「ユーばあちゃんの氷がすっごくキレイだった! あとソラねーちゃんが、ムーになんかイジワルしてた気がする」
「えー、わたしの活躍とばしてるよ! あと意地悪じゃないよ。親切だよー!」
「よく寝てると思ったが、結構覚えているもんだな」
遅い昼食を終えたトールたちは、再び千刃ヶ原に足を踏み入れる。
今度は追い風となるので、片っ端から根張り岩甲虫を氷漬けにして、硬白石を回収しながら進む。
だが誰も通りかかった痕跡はなかったが、昨日倒した岩甲虫の死骸などは綺麗に失せてしまっていた。
夕方前に中央の尖岩に囲まれた安全地帯にたどり着いたトールたちは、夜営の準備を始める。
ぐるりと立ち並ぶ岩のおかげで岩甲虫も居らず、風もほとんど入り込んでこない場所だ。
面白いことに、ここには先客が居た。
といっても人間ではなく、無言で地面に根を張る植物たちである。
緑の柱のような太い茎を持ち、分厚い奇妙な葉があちこちから突き出ている。
全身を小さな棘でびっしりと覆うその珍しい見た目から、この植物は千棘花と呼ばれていた。
「おー、これもみおぼえあるぞ、トーちゃん」
さっそくトゲトゲの植物に近付いたムーは、嬉しそうにその茎に触れる。
「くふふ、ちくちくだな。ちくちく」
「あー、わたしもやるー!」
「ほら、先に天幕を張るぞ。お前らも手伝え」
夢中になって千棘花を弄り回していた二人を呼び寄せ、トールは天幕をさっさと設営する。
その後、日暮れまでにもう少し岩甲虫を狩って、夕食を済ませて眠りにつく。
翌朝、またも二人が騒ぐ声にトールは目を覚ました。
「あ、おはよー、トーちゃん」
「トールちゃん、見て。ほら、キレイだよ」
よくよく面白い物ばかり見つけてくるなと感心しながら、トールは二人が騒いでいた先へ視線を移す。
そこにあったのは、いつの間にか白い花を咲かせていた千棘花の姿だった。
小さく可憐な花弁が、緑の茎のあちこちから顔を出している。
思わず目を引くその様子に頬を緩めたトールだが、ふとあることを思い出す。
「これって、オードルさんに見つけたら、集めておいてくれと頼まれた奴じゃなかったか?」
「あ、そうかも!」
先日の薬房探訪の時に、ユーリルの古い友人である薬合師のオーリンドールから、色々と採取の要望を受けていたのだ。
もっとも集めるのは、千棘花の花弁ではない。
急いで天幕に戻ったトールは、細巻き貝の束を持ってきて二人に手渡した。
そして自分もさっそく、白い花の下に栓を抜いた貝殻を添える。
白い花びらに盛り上がった朝露が、蜜と混じり雫となって滴り落ち出す。
それをこぼさないように、手分けして丁寧に受け止めていく。
朝日が昇りきると、花たちは急速に萎れて閉じていってしまった。
短い時間であったが、細巻き貝で三本分ほど回収することができた。
その後、朝食を済ませたトールたちは、周辺のモンスターをひたすら狩り続けた。
三日目は、これで丸一日を費やす。
翌朝、また千棘花の朝露を回収してから、天幕を畳んで馬車の停留地へ向かう。
途中、見かけた岩甲虫を狩りながら進むが、すでに硬白石は運搬ソリいっぱいのため放置である。
それなりの荷物があったが、追い風のおかげでトールたちは無事に昼前に停留場に到着した。
四日ぶりのその場所は、ちょうど新たな来客があったようで少し賑わっていた。
中央の木箱のテーブルそばに立つ顔ぶれの一人が、トールたちに気づいて口を開く。
「あら、ちょうど今お帰りかしら。地味な英雄――」
「てい!」
「痛っ! だからなんで叩くのよ、この子」




