小鬼の森の歩き方 その二
「あ、今、なんか割れたよ!」
木にへばりついた茶色の泥にしか見えないモンスターを懸命に掻き回してたソラは、ナイフから伝わってきた感触に声を張り上げた。
すかさず横で待ち構えていたトールが、細巻き貝で滴る体液を受け止める。
液体が貝殻になめらかに収まっていく光景を、ソラは楽しそうに見つめた。
「そうやって集めるんだ。おもしろいねー」
「そうか? こいつのおかげで、泥漁りなんてあだ名がついちまったがな」
「見た目、泥んこだもんね。でもどっちかっていえば、泥漁りじゃなくて泥掃除だよね。トールちゃんのおかげで、木がきれいになってるし」
「それを言うなら、ここらの仕事は全部、掃除みたいなもんだ」
満たんになった貝に栓をして背負い袋にしまい かなり変形してしまったナイフをソラから受け取る。
一瞬で元の状態になったナイフを鞘に戻しながら、トールは自分の腰帯に視線を向けた。
そこには角モグラのほかに、先ほど仕留めたばかりのモンスターがぶら下がっていた。
角モグラとほぼ大きさの変わらないこの鳥の名は、尖りくちばし。
細く鋭いくちばしで、木の幹をつついて回る厄介な習性を持つ。
近づくと小刻みに飛び回り、高速で眼や喉を狙って襲いかかってくるうえ、回避性能も非常に高い強敵だ。
ただ、縄張りにしている木から遠ざかれば深追いしてこないため、角モグラと同じで逃げやすいというのが救いである。
「うーん、全部掃除……?」
トールの言葉と視線の意味が分からず、ソラは首をかしげた。
答えようとしたトールだが、先に木立の隙間から空へ目を向ける。
眩しい日差しを放つ太陽は、天頂をやや過ぎた位置にあった。
「続きは昼飯を食いながらにするか」
その宣言に、少女は目を輝かせる。
街を出てからすでに三時間近く歩き続けており、そろそろお腹もいい感じに空っぽであった。
古い切り株にトールと一緒に腰掛けたソラは、杖を立てかけてフードを脱ぐと大きく息を吐く。
次いで手袋も脱いで、パタパタと顔をあおいだ。
靴も脱ぎたいところだが、そこはトールの前なのでグッとこらえる。
生地の厚い毛織の服の上から、胸当てとローブを着ているのだ。
木陰ばかりとはいえ正直、春も半ば過ぎたこの季節ではさすがに暑い。
だが田舎育ちのソラは、こんな場所で素肌をむき出しにすればどんな目にあうかくらいは十二分に承知していた。
「ほら、お前の分だ」
「ありがとう、トールちゃん」
トールから手渡された葉包みの中身は、干し肉の塊と数枚のビスケット、それとチーズが一切れだった。
包みを解いたソラは、嬉しそうに声を上げる。
「お、お肉だ! いただきまーす」
喜び勇んで赤茶色の肉に噛みついた少女だが、ぐにぐにと噛み締めながら微妙な顔付きに変わっていく。
干し肉を強引に食いちぎったソラは、急いでビスケットに手を伸ばし口に投げ入れた。
そして二口ほど味わってから、目を丸くして革袋の水筒に飛びつく。
無理やり水ですべて流し込んだソラは、ようやく一息ついて声を上げた。
「ふはぁ、塩っからすぎるー」
「汗をかくからな。塩気がきつめなんだよ」
「まさか、ビスケットまで塩味とは思わなかったよ……。ハッ、もしやチーズも?」
「それは普通の味だ」
答えながらトールは、ナイフで薄く剥いだ干し肉と切り取ったチーズの欠片をビスケットの上に載せて口に運ぶ。
「あ、それ、おいしそう!」
「ほれ」
差し出されたナイフを受け取ったソラは見よう見まねで、同じようにして口に運ぶ。
「うんうん。これなら食べやすいね。まだ、塩からいけど。もう、先に教えておいてよー」
「教える前に食うからだ。それでさっきの続きだが、ここまで歩いてきて、気づいたことはあるか?」
「ほうだねー。えーと、思ったより歩きやすくてびっくりしたかな」
「なんでだと思う?」
「ちゃんとした道があるのと、見通しがいい……そういえば、倒れた木とかなかったし、ツルや下枝も刈りとってあるせいかな。あと、下草もふさふさだから日当たりもいいんだろうね」
人差し指をくるくると回しながら次々と気づいた点を上げていく少女を、トールはわずかに唇の端を持ち上げながら見守る。
「うん、この森、すごくよく手入れされてるね」
「そうだ、よく見てたな」
街を出てすぐの小鬼の森は、樹木を伐採するために整備されてきた場所だ。
長い時をかけて安全な道を作り、木の並びを整え、危険な獣を追い出してきた。
今ではぐるりと森の中ほどまでを巡る林道と三ヶ所の伐採場があり、良質な木材の産地として知られるまでとなった。
トールの説明を聞いたソラは、振り返って森スライムが作った木の穴をしげしげと眺めた。
そしておもむろにポンと手を打つ。
「そっか。だから掃除なんだね」
「正確には駆除といったほうがいいか」
角モグラは根を傷め、尖りくちばしは幹を穿ち、森スライムは幹を溶かして枝を枯らしてしまう。
林道周辺に出るこの三種のモンスターは、木の天敵であった。
これをひたすら歩きまわって狩り続けるのが、新人冒険者の最初の仕事である。
「ところで、今の時点でスキルポイントはいくつもらえたと思う?」
「三匹倒したから、三ポイントかな?」
「残念ながら一ポイントだ。モグラと鳥は二人で倒したからポイントはなしだぞ」
「えー!」
スキルポイントは戦闘に関わった人間で頭割りされるのだが、小数点以下は切り捨てになってしまう。
三ポイントのモンスター一匹を二人で倒しても、一ポイントしか入ってこない仕組みだ。
ただしモンスターが群れの場合は、合計を人数で割る計算となる。
三ポイントのモンスター二匹の群れを二人で倒せば合計六ポイントのため、一人三ポイント入ってくるのだ。
それとモンスターの修練点はだいたい五の倍数になっているので、パーティの最大人数が五人のところが多いのはそのせいである。
「うーん、きびしい話だね」
三時間で三匹、一日中歩きまわって一桁稼ぐのが精一杯。
単純計算でスキルをレベル2にするのに、休みなしに退治し続けても二百日以上かかる計算になる。
しかも誰の手助けもなしでである。
ソラは今さらながら、トールの辛抱強さとその成し遂げたことに激しく心を打たれた。
「トールちゃんって、やっぱりカッコよすぎる……」
「話を戻すぞ。今までの林道周りは、二人組だと効率が悪いってのはわかったな」
「うん、よくわかったよー」
「そこでもう少し奥へ進もうと思う」
「おー、進んじゃいますか!」
もう二、三日は林道巡りをするつもりだったのだが、ソラが予想以上に優秀だったのでトールは予定を早めることにしたのだ。
冒険において慎重を期すことはもちろんであるが、機を逃さないという判断も重要である。
それにモグラや鳥相手ではすぐに終わってしまうので、トールが<復元>を戦闘の最中に使う練習ができないというのもあった。
小鬼の森の開発が進んでいるのは、あくまでも森の中間地点までである。
その先、森の奥はうって変わって昼間でも鬱蒼と薄暗く、現れるモンスターも一変してしまう。
そしてそこは、パーティを組んだ冒険者の狩場でもあった。
「水はまだ残ってるか?」
「半分あるよー」
「小便は済ませたか?」
「さっき、行っといたよー」
「調子はどうだ?」
「うん、申し分なし!」
調子よく答えるソラの目には、無理は浮かんでいない。
むしろ初日とは思えない元気っぷりである。
「じゃあ三十分ほど休んで魔力を万全にしたら、この森の名の由来となった連中に会いに行くとするか」