氷の神殿
大きめの扉を抜けると、玄関口は吹き抜けのこじんまりとした広間となっていた。
正面には大きく弧を描きながら、二階へ通じる回り階段。
左右に伸びる板張りの廊下には、いくつかの扉が並んでいるのが見える。
派手な装飾品は見当たらず、色調も灰色ばかりで地味としか言いようがない。
しかしながら階段の手すりや扉には、細かい透かし彫りが入っており、そこはかとなく厳かな雰囲気は漂っていた。
人影は見当たらないが、どこからか話し声やざわめきは聞こえてきている。
勝手知ったる場所なのか、先頭に立ったユーリルはさっさと近くの扉へ歩き出した。
軽くノックをして、返事を待たずにスルリと入り込んでしまう。
置いていかれまいと、トールとソラもその後に続いた。
そして目を輝かせて階段を見上げる子どもだけが、一人その場に取り残された。
「こんにちは、お時間よろしいでしょうか?」
「ようこそ、灰色の神の神殿へ。御用をお伺いいたしましょう」
トールたちが入った扉の先は、壁が書類棚に埋め尽くされた小さな部屋だった。
紙の束に埋もれかけた机では、灰色の薄手のローブをまとった女性たちが書き物をしている。
その内の一人が立ち上がり、ユーリルの挨拶ににこやかに返事をしてくれた。
「お召に応じて参上しました。梢の方にお取次ぎお願いできますでしょうか」
その言葉にローブ姿の女性は一瞬ためらった表情を浮かべると、ユーリルの格好に再び目を配る。
そして首に下がる冒険者札に気づいたのか、納得いったように頷いた。
「失礼、てっきり新しい教導師の方が派遣されたのかと。神殿長の部屋へご案内いたしますね」
トールたちが連れていかれたのは、廊下の突き当たりにある部屋であった。
小さくノックをした取次の女性は、扉の隙間から顔を入れて用件を告げると、身を引いて中へ入るよう促す。
広い部屋の中は、開け放たれた窓のおかげで隅々まで明るい。
窓際には青々と茂る草花の鉢植えが並び、爽やかに吹き抜ける風が心地よい。
壁には複雑な模様の織物がかかり、奥には大きな黒檀の机が置いてあった。
腰掛けていたのは、年齢不詳の長い耳を持つ女性だ。
ゆったりとした灰色の服をまとい、穏やかだが侵しがたい威厳を備えている。
静かに顔を上げたその女性は、来客を歓迎するように頷いた。
招待されたトールは部屋に入ろうとして、ユーリルの足が止まったことに気づく。
顔を横に向けたまま、耳先をかすかに震わせている。
肩越しに覗き込んだトールは、ユーリルの視線の先にもう一人の人物を見つけた。
窓のそばの鉢植えにかがみ込んでいたのは、同じく灰耳族の女性だった。
何枚かのケープを重ね着したような、奇妙な装いをしている。
銀色の髪はかなり短く、非常に整った顔立ちである。
女性はトールたちに気づく素振りもなく、熱心に植物の様子を調べていた。
動揺したのは一瞬だけだったようだ。
すぐにユーリルは動き出し、机の前まで歩を進める。
そして優雅に一礼した後、よどみなく口上を述べた。
「はじめまして、神殿長様。私はユーリルと申します。お招きに与り参上いたしました。この度はお目にかかれて大変、光栄です」
「こんにちは、神殿長のミーラリリーラよ。非常に優秀な魔技使いだと聞いております。来てくださって嬉しいわ」
しわがれた声の響きからして、神殿長はかなり高齢のようだ。
ただ目尻と口元の笑いジワ以外は、ほとんど若者と変わらない見た目をしている。
「……ところで、その格好は?」
「これは以前、ここに勤めておりました祖母に譲っていただいたものです」
「あら、もしかしてユーラルリールかしら。面影があるわね」
「はい。その節は祖母がお世話になりました」
どうやら、祖母と孫という設定を押し通すための服装であったらしい。
後から似てると指摘されるよりも先にそっくりな理由へ誘導すれば、不自然さが減るという目論見か。
上手い手だと感心するトールの横手から、不意に声が上がる。
「ふーん、ユーラルリールの孫娘か。はじめまして、お嬢さん」
会話に割り込んできたのは、窓の近くにいた女性だった。
こちらも年齢は不明だが、声の様子からしてかなりの年上のようだ。
話しかけられたとたん、ユーリルの耳がまたもかすかに揺れたのをトールは見逃さなかった。
「こんにちは、祖母のお知り合いの方ですか?」
「ああ、結構長い付き合いかな。どう、元気してる?」
「ええ、今は本国に帰ってゆっくりしておられてますね」
「そっかそっか。積もる話も聞きたいし、良かったらあとで薬房に寄ってよ」
「ご招待ありがとうございます。お時間がありましたら、是非伺わせていただきますね」
髪の短い女性の言葉に、トールは彼女がユーリルの知り合いの薬合師であることに気づく。
これは少しばかり面倒な事態になったかもしれない。
薬合師の女性は意味ありげな笑みを浮かべると、今度は神殿長に話しかけた。
「じゃあ日が陰ったら、また引き取りに来るよ。それまでこの子たちを頼んだよ、ミーリラ様」
「はい、ご苦労でしたね」
「いえいえ、それじゃ続きをどうぞ」
神殿長に軽く一礼した女性は、トールたちに軽く耳を振って部屋から出ていった。
扉が閉まると、何事もなかったように会話が再開される。
「では、こちらへ触れていただけるかしら」
黒い机の上に置かれたのは、冒険者局で馴染みの魂測器であった。
もっともあれよりも、一回りほどサイズが大きい。
そもそも魂測器や冒険者札を発明したのは、灰耳族の生まれ故郷、北の大国ストラである。
賢者の塔と呼ばれる研究機関があり、そこで様々な魔石具などが日々、開発されているのだそうだ。
ユーリルの技能樹の詳細を見た神殿長は、わずかに耳を伸ばしながら感想を述べる。
「お若いのに、ずいぶんと修練されているのね。驚きました」
「いえ、私などまだまだです」
「その過ぎた謙遜も、ユーラルリールとそっくりね」
そう言いながら立ち上がった神殿長は、机の引き出しから装身具のようなものを取り出した。
そして机を回り込むと、ユーリルの傍らに立つ。
何も言わず片膝をついたその首に、神殿長は銀の鎖飾りを回して留めた。
「そなたには幹の中階位を授ける。これからは、ストラージン様の尊き教えを守ることに力を尽くしてくれ」
「つつしんでその役目、お受けさせていただきます」
「これはささやかだが、神の力を示す祭具である。そなたの道行きに力を貸してくれるだろう」
「ありがとうございます。この身に余る光栄です」
「それとこれからは、そなたが得た毛皮の尾の部分を供物として捧げるように」
「かしこまりました、ミーラリリーラ神殿長様」
これで神官の階位の授与は終わったようだ。
再び席に戻った神殿長は、机の上の書類に署名してユーリルにも書くように促す。
「あなたのこれからの活躍に期待しているわ」
深々と頭を下げて部屋から退出したユーリルは、静かに扉を閉めてからトールたちに大きく息を吐いてみせた。
困り顔の銀髪の美女は、申し訳なさそうに呟く。
「まさか、ここで鉢合わせするなんて……。本当に間が悪いったら、もう」
「どうします? いったん帰ってから出直しますか?」
「誘われて無視をするのは、さすがにまずいわね……」
顔を見合わせて悩むトールたちに耳に、どこからか聞き慣れた大きな笑い声が響く。
それは吹き抜けの玄関の広間から、聞こえてくるようだった。




