一日目の終わり
「トーちゃん、そこにもいるぞ!」
肩の上から一人元気よく指さすムーに対し、やや疲れが残る顔でトールは背後を振り向いた。
魔力切れが近いソラは、どんよりした眼差しで見つめ返してくる。
ユーリルは砂風の中でも相変わらずの美貌であったが、額の汗のせいで前髪が張り付いてしまっている。
「やれるか?」
「うん、ま、まだへーきだよー」
「やっときますか?」
「そう……ですね。ふぅ……そろそろお肉も回収したほうが、良いかもしれませんね」
互いに頷きあった三人は、荷物を下ろし戦闘を開始した。
「霧り、塞げ――<凍晶>」
詠唱が終わるギリギリを狙って、抜き身の剣を携えたトールが砂上をスルスルと進む。
何もないように見える地面へ足を踏み入れた瞬間、砂を跳ね飛ばして白い巨体が真下から姿を現した。
――<反転>。
グイッと大きなトカゲの首が反り返り、無防備となったそこへ鉄の刃が続けざまに斬撃を加える。
すぐさま柔かな砂地を器用に蹴って、後退するトール。
一瞬遅れて、白く凍える空気が砂上を吹き荒れる。
冷え切った凍気を吸い込みながら、岩トカゲは身を翻して砂の中に姿を消した。
完全に気配が途絶えてしまった砂地の様子に、トールは斜め後ろへチラリと視線を送る。
静かに頭を振ったユーリルが、スイっと杖を持ち上げた。
――<氷床>。
今度は祈句を唱えることなく、無言で魔技が発動し周囲の砂上がまたたく間に凍りつく。
そこへ大胆に、トールは足を踏み入れた。
氷を割る足音に砂中のいずこかへ潜んでいた岩トカゲは、再び奇襲を仕掛ける。
砂の層を抜け出た白い頭部が、薄く張られた氷を勢いよく突き抜けた。
その音に反応し、トールは一手速く動いていた。
鮮やかにモンスターの頭部を躱し、長く伸びた首に鉄剣が吸い込まれるように叩きつけられる。
飛び散る赤い血しぶきは、トールの体に触れる寸前、紫色の電流によって弾き飛ばされた。
耳障りな鳴き声を放ちながら、再び岩トカゲは白い体をくねらせて砂へ潜る。
しかし三度目の突撃は、明らかに速度が落ちていた。
吸い込んだ凍気が、ようやく効いてきたようだ。
余裕を持ってその動きを捉えたトールの剣が、首筋の傷をより深く斬り刻む。
またも唸り声を発しながら、モンスターは逃げ去る。
結局、この繰り返しの五回目で、何とかその首を斬り飛ばすことができた。
「ハァハァ……。よし、バラして運ぶとするか」
「トーちゃん、おつかれか? よし、ムーがいやしてやるぞ!」
小さな手を伸ばした子どもは、屈んで解体作業を始めたトールの肩や背中を懸命に揉み始めた。
そのうち飽きたのか、べったりとかぶさって頬を擦りつけだす。
背中の心地よい重みに少しだけ唇の端を持ち上げながら、トールは解体用ナイフをトカゲの死骸に突き立てた。
「まずは首だな。ほら、ここの皮は簡単に剥けるぞ」
「ペリペリだー、ペリペリ、ペリペリ。くふふふ」
ムーの言葉通り、切れ目を入れて引っ張ると首の皮は綺麗に剥がれていく。
このきめ細かく柔軟に伸縮する部分だけが、ただ一つ加工に適した皮らしい。
他の外皮は硬いうえにゴツゴツしすぎて身につけるには厳しく、何かの覆いに使うにしても他にいい皮があるとのことだ。
「じゃあ、次はひっくり返すか。ソラ、そっちを持ってくれ」
「はーい、まっかせてー」
「ムーもやるぞ!」
やや空元気ぎみな返事をしたソラが右の前脚を、トールが右の後脚、ムーが尻尾を担当して息を合わせてひっくり返す。
背面に比べ腹側の方がやや皮が薄いため、まだ刃が通りやすいのだ。
すでに太陽は、ゆっくりと西の彼方へ消え去ろうとしている。
後一時間の行程のはずであったが、すでに予定より三十分ほど遅れていた。
内臓処理の面倒な胴体は諦めて、尻尾の付け根を切り落としていく。
「トーちゃん。コイツ、へんな足してるぞ」
「ほう。なかなか面白いな」
砂に素早く潜るためなのか、岩トカゲの足には指の間に大きな皮膜があり、吸盤代わりに弾力のある細かいひだがびっしりと生えていた。
尻尾でも十分な大きさがあったが、後ろ脚もついでに一本切り取っておく。
縄でくくったトカゲの部位を体にぶら下げたトールは、仲間の様子を確認しつつ前を向いた。
数十歩ほど先。
やや穏やかになってきた風が巻き起こす砂塵の向こうに、大きく平らな出っ張りが浮かんで見える。
そこが本日の最終目的地であった。
「よし、あと一息だな。ムー、最後の確認を頼む。こっからはまた避けていくぞ」
「らいらい!」
始めは上手くいったものの、やはり荒野はそう甘くない。
五匹目まではソラの<固定>と、トールの切れ味を上げた剣であっさり片はついた。
問題はその時点で、三十分ほどしか経ってない点であった。
使用可能回数が切れた<固定>から、ソラは<反転>に切り替えたのだが、伸び縮みする首が衝撃を逃すせいかダメージが通らなくなる。
同時にトールも<復元>の残り回数を考えると、通常の切れ味の剣を使わざるをえない。
ユーリルも参戦してくれたが、空気中の水分が少ないこの地では、血流しの川の時のような効果は望めない。
さらに吹き溜まった砂は、すでに足首まで軽く沈むほどの深さとなっていた。
結局、じわじわと戦闘時間が長引き、十二匹目を倒した時点で一時間が経過し疲労困憊な有り様になったというわけである。
途中からは首の皮も取らず、尻尾の先だけ切り取るだけとなってしまった。
買取価格に対し獲物を狩って持ち運ぶ手間を考えると、これにはなるほどと頷けるものがある。
砂の下に潜む岩トカゲの数の多さに膝を屈したトールたちは、仕方なくそこからは回避しつつ目的地を目指す。
そしてやっとのことで、安全地帯へたどり着いたというわけである。
「へー、これすごいねー、トールちゃん」
「崩れずに綺麗に残ってるんだな。はい、お手をどうぞ、ユーリルさん」
「ありがとうございます。えいしょっと」
荒野の真ん中に座していたのは、巨大な円形の岩であった。
高さはムーの背丈ほどで、上部は平たくなっており、直径は三十歩ほどである。
「これが今日の宿泊地か」
「……ええ、大丸岩って呼ばれてます。正式な名前もありますけど……」
「そうなのか?」
「はい、最初に見つけた方は覇者の円卓と名付けたのですが……」
そんな命名をしそうな赤毛の知り合いが一人思い浮かんだが、トールはスルーして案内人との会話を続ける。
「なるほど、誰も使っていないと。この岩場だと、岩トカゲは襲ってこられないのか?」
「はい、手足が岩を登るようにできていないので……。えっ」
眼の前で少女と子どもが、革袋の水でじゃぶじゃぶと顔を洗い砂を落とす姿に、サラリサは思わず言葉を詰まらせた。
その隣の銀髪の美女も、平然と水を流して汗を拭っている。
しかしトールは気にする素振りもなく、目を丸くする案内人に話しかけた。
「なら安心だな。今日は助かったよ。案内、ありがとう」
「い、いえ、どういたしまして。では、明日も早いので……」
それだけ伝えると、サラリサはさっさと巨岩の中央あたりで荷物を広げ始めた。
本日の総会話時間は、五分にも満たないほどの素っ気なさである。
軽く首を振ったトールは、何も言わずその後に続いた。
考えてみればソラが例外なだけで、基本的に若い子はおっさんには興味を抱かないものだ。
岩の中央には先人が打ち込んでくれた金具があり、縄を張ってテントが立てられるようになっている。
その隣にはゆるい窪みがあり、黒く焦げたような跡が残っていた。
調理などは、ここで行うようだ。
「俺は天幕を張るので、ユーリルさんとソラで夕食をお願いします」
「はい、急いで作りますね」
「じゃあムーは、食べやくをするしかないな」
「ほら、ムーちゃん、こっちきて。いっしょにおいしいの作ろっか」
「むぅ、しかたないなー」
日が落ちると同時に、荒風はすっかり鳴りを潜めたようだ。
魔石灯を点けたトールは手早く砂を掃き出して、鎧猪の毛革を敷布に広げる。
これで岩の冷たさはかなり緩和できるはずだ。
支柱をつなぎ合わせ組み立てると、布の幕をかぶせ縄でしっかりと金具と結びつけて固定する。
今回は砂が入りにくいよう、全面を覆ってある。
サラリサの方のテントも同様だが、やや低目に作ってあるようだった。
二つ目の天幕も張り終えたトールは、あまりのいい匂いに思わず振り向いて喉を鳴らした。
ちょうど食事が出来上がった頃合いか。
発熱盤の上に置かれた鍋からは、ゆらゆらと温かな湯気が立ち昇っている。
「良かったら一緒に食わないか?」
パンと少量の水だけで済まそうとしてた女性は、戸惑った表情を浮かべながらコクリと頷いた。
夕食のメニューは固いパンとチーズ、それに岩トカゲの肉団子のスープであった。
トントンとナイフで叩く音がずっと響いていたのは、この硬い肉を団子にするためだったようだ。
一口噛むと、じんわりと旨味が広がってくる。
意外とあっさりしていて、薬味の赤辛子がよく合っている。
次いで汁に口をつけたトールは、そのまま動きを止めた。
目を見開いて、口内にあふれる美味しさを一心に味わう。
どうやら岩トカゲの真骨頂は、このスープの出汁の役割であったようだ。
疲れを忘れ夢中で飲み干したため、あっという間に食事は終わってしまった。
「トーちゃん、あーん」
後片付けを終えた一行は、あくびをしつつ寝支度を整える。
大きく口を開けて、ムーは歯磨きの磨き残しがないか確認してもらう。
歯ブラシを受け取ったトールは、歯の裏側を丁寧にこすってやった。
それぞれの天幕に入ろうとしたその時、不意に少女が弾んだ声を上げる。
「ねぇ見て。星だらけだよ、トールちゃん。一つくらい、落ちてきそうだね」
見上げてみるとソラの言葉通り、頭上には満天の星が広がっていた。
遮るものが何もないせいか、くっきりと一つ一つの輝きが瞬いて見える。
顔を上に向けたまま、楽しそうに少女はクルリとその身を回した。
「ここは風が多くて、雲が寄り付かないせいだと聞いたことがありますね」
「そうなんですか。これだけの夜空はそうそう見れませんね」
「ええ、やはり旅をしないと……」
トールとユーリルは静かに頷きあったあと、小さく笑みを浮かべあった。
なかなかに大変な一日であったが、無事に終りを迎えられたようである。
「荒野の夜は冷えると聞いています。暖かくしてくださいね」
「まかせろ、ユーばあちゃん! ムーがトーちゃんをぼあぼあにあっためるぞ」
「はい、お任せしましたよ。おやすみなさいませ」
「おやすみなー」
翌朝、惜しげもなく水を使って顔を洗い朝食を作る一行の姿に、道先案内人は言葉を失った。
そして今日で引き返す羽目になるだろうと、心の中で断言する。
だがその予想は、あっさり裏切られることとなった。




