砂の洗礼
案内を引き受けてくれたサラリサは、少し寡黙な女性のようだった。
最初の挨拶を済ませた以降は、ほとんど声を出さず首を振って答えるのみである。
そして今も出発の準備が整ったトールたちへ、黙ったまま荒野を指さしてみせた。
どっちへ進むか選べということだろう。
「たしか、三つの道があるんだよねー」
「どっこも道なんて見えないぞ。ソラねーちゃん、お目々だいじょうぶか?」
「いや、道っていっても、街のあんな感じじゃなくてね。あー、どういったらいいんだろ」
「誰かが歩けば、そこが道になるんだぞ、ムー」
「おー、トーちゃん。なんかカッコいいな!」
ぐるぐる巻きしていた布を解いてもらい、つばの付いた砂よけ帽子をかぶせてもらったムーは、猫のような紫の眼を光らせながらトールへ飛びつく。
「えー、今のでいいの? なんかずるい!」
白布で器用に髪をまとめたソラも、子どもの真似をして反対側の腕にしがみつく。
トールは二人を左右にぶら下げたまま、太陽を背に東の方角へ顔を向けた。
先ほどのソラの言葉通り、この荒野には三つのルートがある。
風に削られた奇岩だらけの北回りルート。
大地にひび割れのように走る峡谷を、いくつも経由する南回りルート。
そしてまっすぐに荒野を通り抜ける東ルートである。
北と南は大回りとなるため、荒野の奥へ至るには平均で一日半。
だが距離の短い東の道行きなら一日足らずで到着する。
そこから奥地でダンジョンを探すのに一日か二日、帰還で一日の計四日間が理想の行程である。
Dランクの荒野の滞在期間は、長くても四日から五日が限度だと言われている。
絶えず吹き荒れる風と、地形に紛れ襲ってくるモンスターたち。
それらに対処しつつ、食料やテントを背負ったままでの長時間の探索は心身を簡単に消耗させてしまう。
以前は無理をしすぎて消息を絶つパーティも多く、そのせいで今は案内人の監視付きの場合、探索は四日間までと決められていた。
また送迎用の馬車も、予約が押しているため貸し出し期間は四日までと定められている。
御者の食料や馬の飼葉もその分しか積まれておらず、時間が過ぎればあっさり帰ってしまう。
なので運良く時間を過ぎて戻ってこられても、帰りの馬車がないという有り様になったりもする。
今回、トールが選んだ中央ルートは最短ではあるが、その分、難易度は一番高いと言われている。
二時間ほど進んだ一行は、その意味を存分に思い知ることとなった。
「い、いま、どっち向いてすすんでるのー?」
「トーちゃん、ムーは目がまわりすぎてもうだめだ。はやくだっこしないと、ておくれに」
「ほれ、掴まれ。ユーリルさんは大丈夫ですか?」
「は、はい……た、たぶんまだ歩けます。この風、……思っていたよりも凄いですね」
確かに厄介な風ではあるが、歩行に大きく支障をきたすほどではない。
だが問題はその方向であった。
正面から吹き付けたかと思うと、急に横殴りに変わる。
思わずよろめくと、今度はその背中をいきなり押すと言った感じでコロコロと変わるのだ。
一応、トールが先頭で風除けになる計算であったが、それが全く意味をなさない荒れっぷりである。
体重の軽いムーなどは、風の向くままにあっちこっちへきりきり舞いしてる有り様だ。
しかも風どもは白砂をたっぷりと含んでおり、トールたちの全身はとっくに真っ白に変わっていた。
「目がなんかシャリシャリするよー、トールちゃん」
「くふふふ、ソラねーちゃんのかお、まっしろだぞ」
指摘するムーの長いまつげも、白い砂でびっしりと覆われてしまっている。
互いに顔を見合わせた少女と子どもは、クスクスと笑い声を上げた。
「中央は風が変則的だと聞いていたが、予想以上だったな。しかも砂が多い」
荒野を渡る風は不思議なことに、あまり外へは出ていこうとしない。
そのため巻き上げられた白砂は、中央に集まるようになるらしい。
現に足元からは、徐々に沈み込むような感触が伝わってきていた。
不規則な風向きに、おぼつかない視界と足元。
そんな前へ進むだけでも大変な状況に、新たな障害が現れようとしていた。
最後尾を黙々とついてきていたサラリサが、不意に小さく声を上げる。
「そろそろ、注意を――」
「トーちゃん、そこいるぞ」
案内人の声を遮ったのは、いつの間にか紫の蛇を宙に飛ばしていたムーの言葉だった。
トールの肩に掴まった状態で、斜め前の地面を指さしている。
子どもを下ろしたトールは音もなく剣を抜くと、背後のソラへ目配せした。
少女が頷くと、傍目からはただの地面にしか見えない場所へスタスタと近づいていく。
革長靴が柔らかく砂地を踏んだ瞬間、真下の地面から急激に何かが伸びた。
一瞬でトールの腰元まで到達した白い棒状のものは、そこでいきなり動きを止める。
いや、正確には止められたと言うべきか。
常人には目にも留められぬ速さであったが、待ち構えていた少女の魔技は、しっかりと砂の下からの奇襲を捉えていた。
――<固定>。
砂の中から突き出ていたのは、大人の胴回りほどもあるモンスターの頭部らしき物であった。
白くゴツゴツとした突起に覆われた顔面は、複数の岩が寄り集まった塊のように見える。
その塊は真ん中で、パックリと上下に開いていた。
開いた縁の部分には、円錐状の突起が不規則に並んでいる。
そして岩塊のような頭部に対し、長い頸部は滑らかで細かい鱗に覆われていた。
顔面を宙に固定されたモンスターは、もがくように体を揺すった。
とたんに伸びていた長い首が一息に縮み、砂中に隠れていた胴体を引き寄せる。
地面の下から現れたのは、同じく岩石状に変化した皮膚に覆われた体だった。
その頑丈そうな胴体へ、吸い込まれるように長い首が消えていく。
もっともトールは、それを黙って見逃す男ではない。
滑るように砂の上を回り込んだかと思うと、鉄剣が続けざまに閃く。
同じ箇所を一瞬で何度も斬りつけられたモンスターの首は、半ば千切れかけた状態になる。
そこへ胴体の重みがかかったため、耐えきれず肉や皮がブチブチと音を立てて離れていく。
そのまま分断した胴体は再び砂を巻き上げ、残った頭部も<固定>の効果が切れると同時に落下した。
「今のは良かったぞ、ソラ、ムー」
「ムーはちゃんとトーちゃんの言いつけまもれるいい子だからな」
「えへへ、でも思ってたより速くてびっくりしたよー」
出発前にトールは、十五分おきに<電探>で周囲を探るようムーに頼んでおいたのだ。
頭部を軽く剣先で叩いて動かないことを確認したトールは、しげしげとモンスターの顔を眺める。
大きな口は大人の手足くらいなら、簡単に咥えられそうである。
牙はあまり鋭くはないが、おそらく噛む力はかなりのものだろう。
岩のようにゴツゴツとした皮膚へ解体用のナイフを当ててみたが、全く通る様子はない。
最大限の切れ味にした鉄剣でも、ほとんど刃が潜り込まないところを見るに強度はよほどのものらしい。
しかも柔らかい弱点であるはずの眼球が、どこにも見当たらない。
砂中に隠れるため、退化してしまったのかもしれない。
「うわっ、こんなに大きいんだ、岩トカゲって」
「これが砂の下に潜っていたのですか。驚きますね」
安心だと確信したのか、ソラたちがそばに来て砂に埋れた胴体部分を覗き込んでくる。
覆っていた砂が風に飛ばされると、その全身があらわになった。
尻尾の先まで入れると、優にトールの身長を追い越している。
だが厚みはさほどなく、平べったい体つきである。
面白いのは、その首の構造であった。
胴体部分に折り曲げて収納できるようになっており、獲物に襲いかかる時だけ一気に伸ばすようになっている。
その首部分だけ小さな鱗に覆われており、他の部分とは明らかに手触りが違っていた。
「この首の皮だけが使えるんだったな。胴体はさすがに重くて運べんし置いていくか」
「ええ? お肉だよ、トールちゃん!」
「肉だぞ、トーちゃん!」
またも風荒ぶ中、肉踊りを繰り広げていた二人が、相次いで抗議の声を上げた。
そこへ穏やかなユーリルの声が、落ち着かせるように響く。
「たしか岩トカゲのお肉は固くて、食べるのは大変らしいですよ。それにまだまだいっぱいいそうですよ」
「そうですね。今日の宿泊地は、もう少し先だったかな?」
「………………えっ、あっ、はい。この速度でしたらあと一時間ほどです」
急に問いかけられて口ごもったのか、案内人は少しばかり遅れてから答えてくれた。
出発したのは午後も半ばなので、もう日はかなり傾き始めている。
「じゃあ首の皮と尻尾だけ回収してから進むか。ムーは<電探>を十分おきで頼む」
「りょーかい!」
岩トカゲの尻尾は討伐証拠である。
千切れてしまった皮をこっそり<復元>でくっつけたトールは、ナイフで素早く剥ぎ取っていく。
かなり滑りやすいが、この首だけはなんとか刃が通るので作業に手間取ることはなかった。
その背中を見つめながらサラリサは、激しい困惑の念に囚われていた。
つい先ほどの光景が、あまりにもあり得ないことだらけだったせいだ。
岩トカゲの砂中からの不意打ちは、慣れているCランクでも躱すのが精一杯である。
トールの足運びからかなり動けるとは推察していたが、それでも初見は厳しいのではと考えていた。
致命傷は避けつつも苦戦し、おそらく撤退を選ぶであろうと。
だがその予想は斜め上の結果となった。
空中でモンスターをいきなり留める魔技なぞ、サラリサは見たことも聞いたこともない。
しかも唯一の弱点とはいえ、岩トカゲの首の皮は非常に滑りやすくまともに斬りつけるのは困難である。
だがトールは一瞬で半分まで斬り裂いてみせたのだ。
武技ではないただの剣技でそれほどまでの鋭さは、サラリサの記憶の限りでは初めてであった。
そしてそもそもの話、ここが一番驚いたのだが、岩トカゲは<電探>では簡単に察知できない。
このモンスターは普段は砂中で眠りにつき、その生命活動はほぼ休止状態となっている。
獲物の足音を聞き取って目覚めるため、他の生物の放つ電気信号を感知する<電探>では、おおよその位置くらいしか把握できない。
それをあの子どもは、ハッキリと潜んでいる場所を指さしてみせたのだ。
<電探>を持つからこそ逆に過信して痛い目にあうパーティを、サラリサはそれなりに知っていた。
さらに今回は未熟な子どもである。
だが同様のケースだろうという思い込みは、あっさりと裏切られてしまった。
サラリサは知らなかったのだ。
実のところ<電探>の効果は、その使用者のスペックに大きく影響を受けるのである。
より鋭い感受性を持つ人間ほど、小さな信号まで見落とすことなく拾い上げてしまう。
そして目の前ではしゃぐ幼い子どもは、二ヶ月近く大人たちと感覚を共有してきた経験があった。
トールの要点を瞬時に押さえる視線移動。
ソラの異常な動体視力や深視力を伴う空間知覚。
さらにユーリルの種族特有のかけ離れた聴力。
それらを数倍に増幅する<雷針>。
大量の情報量を通して研ぎ澄まされたムーの感覚は、密かに常人を超えた域に達しようとしていた。
もっとも本人を含め、誰一人そのことに気づいてはいなかったが。
いとも簡単に最初の一匹を仕留めたパーティは、再び風に逆らいながら砂上を進み始める。
その背中を、案内人は食い入るように見つめていた。




