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小鬼の森の歩き方 その一


「よーく、見とけよ」


 木の数歩手前で足踏みを始めたトールを、少し離れた場所で杖を構えながらソラは真剣に見入った。

 すでに木剣は剣帯から外され、トールの右手に握られている。

 両の腕をだらんと下げたままで、どこにも力が偏ってない。

 まるで街中をひょうひょうと歩いているような雰囲気だ。


 もっともここは森の中で、ざわめく人の波なぞどこにもない。

 あるのは枝葉をすり抜ける風音と、木漏れ日がちらつく下生えを踏みしめる音だけだ。


 ゆらりと、剣先が揺れた。

 足踏みにあわせるように、ゆらゆらとゆらぐ。


 前後に行き来してた剣先が、次第に円を描くように動き出す。

 くるりくるりと。


 それはいきなりだった。

 木剣の動きに気を取られていたソラは、その一瞬を見逃してしまう。


 気がつくと何かが、トールの腿のあたりまで飛び上がっていた。

 人の頭ほどもある茶色い塊だ。

 トールの足元には、いつの間にか大きな穴が空いている。


 地面の下から現れたその塊は、恐ろしい勢いでトールの胸元へ迫る。

 ソラは辛うじて、塊の前の部分が鋭く尖っていることを見取った。

 このままだと突き刺さる――。


 思わず杖を強く握りしめた少女だが、次の瞬間いらぬ心配であったと悟る。

 音もなくトールの体は後退し、鮮やかに真下からの襲撃を躱していた。


 ぶらりと揺れていた腕がムチのようにしなり、木剣が塊の先端をしたたかに打ち上げる。

 まるで体を引く動きと、剣を切り上げる動きが、見えない糸でつながっているような素早さであった。

 

 天を指した剣は、くるりと空を切って振り下ろされた。

 続けてもう一度、剣が唸りをあげて上下に往復する。

 トールは半歩、身を引いたわずかの間に、四度の剣撃を叩き込んでいた。


 空中では躱すこともできず、茶色の塊は土砂を撒き散らしながら跳ね飛ばされる。

 そのまま地面にぶつかった生き物は、首をひねってトールに顔を向けた。

 

 ずんぐりとした体つきで、前足が異常に大きく長い爪が伸びている。

 全身は濃茶色の毛に覆われ細部はハッキリしないが、顔から飛び出した尖った角のような部分が目立っていた。


 それともう一つ。

 モンスターの両目らしき場所からは、赤い血が涙のように激しく流れ出していた。


 息を吐き出すように鋭い叫びを上げた獣は、またたく間に長い爪で土を掘り起こし地中に消えた。

 見届けたトールは立ち位置を数歩ずらして、またも足踏みを始める。


「また来るぞ、見とけよ」 

「すごいね、トールちゃん。三回も目に当てたよ! すごい!」


 興奮ぎみのソラへちらりと視線をよこしたトールは、ぶっきらぼうな口調で続ける。


「よく見てたな。次は行けると思ったら、やってみろ」

「はーい」


 返事とほぼ同時に、またもトールの足元の土が盛り上がる。

 今度はしっかり集中していたソラは、その動きを見逃さず瞳を見開く。


 土をまとったモンスターは凄まじい勢いで地面から飛び出し、トールへ再び挑みかかった。

 その一連の動きを、少女の眼球は周りの空間ごと切り取って認識する。


 ――<反転>。


 生まれるはずだった衝撃が方向を変え、その持ち主に返還された。

 グシャッとひしゃげる音とともに、何もない空中でいきなり土色の塊の先端が大きく歪む。


 そこを待ち構えていたトールが、両手に握り直した木剣で鋭く切りつけた。

 頭骨が砕け、血が混じった白っぽい小片が宙に撒き散らされる。


 脳みそを叩き割られたモンスターは、地面に落ちて弾むとそのまま動かなくなった。

 

「やったー、トールちゃ、うわ!」


 駆け寄ろうとしたソラは、トールの姿に思わず声を上げた。

 近距離でおもいっきり、脳漿や血を浴びたので仕方はないといえるが。


 <復元>で衣服から戦いの痕跡を消し去りながら、トールはかがみ込んで仕留めたばかりの獲物の後ろ足を掴んで持ち上げた。


「これが角モグラ?」 

「ああ、ちょっとやりすぎたな」

「そうなの?」

「角がなくなっちまってる」


 突進の勢いを自らに返されたモンスターの顔面は、見事に内側に凹んでいた。

 そのせいで角状の鼻先も、跡形もなく潰れてしまっている。


 冒険者の収入の大半は、モンスターの討伐料である。

 ただし倒した証拠がなければ、受け取ることはできない。

 そのために定められた部位を持ち帰る必要があるのだ。


「……ごめんね、トールちゃん」

「いや、なんとかなるか」


 こぼれたスライムの粘液を貝殻に戻せたことを思い出しながら、トールはモンスターの頭部に触れる。

 吊り下げられた状態の角モグラの体が、瞬きする間もなく傷一つない体に戻っていた。

 まるで今にも動き出しそうな姿に、ソラは慌ててトールの服の袖を掴む。


「い、生きかえらせたの?」

「それは無理だ。魂は創世の神様たちの領分だからな。俺にできるのは、せいぜい死体を生前と同じ状態にするくらいだな」


 もっとも戦闘で倒したモンスターにしか適用できず、自然死などでは対象外になるようだ。

 それとあとで密かに試してみたが、モンスター自体を瘴気で変異する前に戻すのも不可能であった。

 これは怪物化の際に行使されたのが、滅世神の力だからであろう。


 生え直したモグラの角を、トールは解体用ナイフで切り落とす。

 すかさず<復元>して、次はさっきより深い位置で切り取る。

 三度目あたりで、ソラがじーと眺めてきた。


「トールちゃん、ズルしてない?」

「ちょっとした確認だ。それに家族が増えたし、実入りを少しでも増やしておかんとな。大丈夫、怪しまれん程度にやるさ」

「えっ、あ、そう。うーんと、ふつーにモンスターを倒してまわっちゃダメなの?」


 家族という言葉に浮かんでくる笑みを隠せないまま、ソラは首をかしげた。


「この森の角モグラは、一時間に一匹見つかれば多いほうだぞ」

「えええ! そんな少ないの?」

「街のすぐそばだからな。ここらへんは瘴気も薄いし、何より同業者が多い」


 言われてみると、つい先ほども見知らぬ冒険者たちとすれ違ったばかりであった。

 納得する少女をよそに、トールは首を落とした角モグラの後ろ脚を麻縄で縛り、木から吊るして血抜きを始める。 

 

「うわ、爪、すごく大きいねー」


 脇から覗き込んできたソラが、興味津々な声を上げた。


「これで地面の中を掘って移動するからな」

「あっ、だから、ここら辺、ボコボコなんだ」


 根っこ周りの土が盛り上がってることに、目ざとく気づいたソラが指摘する。


「こいつらは木のそばを棲みかにしていて、近づくと足音を聞き取って襲ってくる。根元が荒れてる木には、うかつに近づくなよ」


 トールの言葉に、ソラは顔をひきつらせて後ずさりする。


「ああ、モンスターには縄張りがあるからな。一匹居たら、近くに他のは居ないから安心しろ。それと角モグラは足が遅い。最初だけ躱せれば、あとはひたすら走れば簡単に逃げ切れるぞ」

「その最初を避けるのが、むずかしいよー」


 渋る顔になったソラの胸を、トールがコツンと突く。


「そのための胸当てだろ。モグラは心臓あたりを狙ってくるから、かなり躱しやすい相手だぞ」

「そうなんだ。さっきのトールちゃんの動き、すごく速くてびっくりしたよ」

「ああ、体をあちこち<復元>しておいたからな。もうちょっと慣れてくれば、もっと動けるようになる」

「それで今日、体中さわってたんだ」

「……本当に、よく見てるな」

「そりゃ、よく見るよ。トールちゃんカッコよすぎだもん」


 さらっと惚気てみせるソラを見つめながら、トールは全く違うことを考えていた。

 先ほどの戦闘、わずか一度見ただけでソラはあっさり適応してみせた。

 おかげでトールだけなら二十分かかるところが、三分で終わってしまったが。


 田舎育ちとはいえ、以前のソラにあれほどの視力はなかったはずだ。

 死にかけたことが影響しているのか、それともずっと<停滞>されていたことに関係があるのか。

 気になったトールは、ソラの肩にそっと手を伸ばした。

 そのまま少女の頭上あたりを意識すると、真っ白な幹が浮かび上がる。


 覗いたソラの技能樹は、螺旋を描くトールのとは違い柱のようにまっすぐであった。

 まだ短いが、<反転>の枝も水平に伸びている。 

 その幹の下の方に、わずかにふくらむ白い小さな果実をトールは見つけた。

 気づいたとたん、文字が脳内に流れる。


<空間知覚>――対象の空間を詳細に把握する。

発動:自動/効果:小/範囲:視覚


 どうやらトールの<時列知覚>の空間バージョンのようだ。

 位置からして生まれつきの根源特性か、特殊なモンスターを倒して得られる幹果特性の区別がつかない。

 

 考えながら触れていると、ソラの技能樹全体が奇妙にブレだした。

 以前にも見たその眺めに、トールは己の<復元>の底知れなさを改めて確信する。


「ど、どーしたの? トールちゃん」

「いや、気にするな」


 目をつむって頬を上気させていたソラの言葉に、トールは何事もなかったように肩から手を離した。


 そのまま、今度は自分の右手首に触れる。

 角モグラに切りつけた時、思った以上にしなりが生まれなかったので、二十五歳の時点に<復元>し直す。

 二十歳の時点だと筋肉の張りはあったのだが、力が入りすぎてしまうようだ。

 十八歳の腰も別人のように調子がいいが、こちらも軽すぎて動きすぎてしまうきらいがある。

 五歳ほど歳を取らせて、もっと重みを出してみるかと考える。


 こうやって筋肉と経験が絶妙に織り成す時期を、部位ごとに試して調整していく。

 上手くいけば、トールの体は全盛期以上に動けるようになるはずだ。

 ありえないほど軽くなった己の体を確認しながら、トールはボソリと呟いた。


「……これは思ったよりも早く、森の奥へ行けそうだな」



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【コミカライズついに145万部!!】
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― 新着の感想 ―
[良い点] しれっと全身改造……復元?してる!? もう復元ではなく改造だよね、うん
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