河馬VS人間 その二
「来やがれ、このカバ野郎!」
響き渡るモンスターの叫びを遮るように、太く低い声が発せられる。
普段のおとなしい印象が嘘のように、盾士のディアルゴの長い前髪の下からは猛々しい眼光が放たれていた。
名指しされた巨大な暴れ河馬の変異体は、体表に絡みつく霜の結晶を払い落としながら立ち上がり、目の前の人間どもをねめつけた。
次の瞬間、太い脚がわずかな距離で全力を引き出し、巨体が凄まじい速さとなって動き出す。
河原の石を豪快に踏み潰しながら迫るモンスター。
正面からぶつかれば数倍の差がある重量で、人のほうがあっさり吹き飛ばされてしまうだろう。
それは盾を構えた固太りの男も例外ではなかった。
鈍い音と同時に、その体が軽々と宙に浮く。
しかしその先の結果は、意外なものであった。
ふわりと後方へ飛んだディアルゴは、両の足でしっかりと地面へ降り立ち、鮮やかに踵で勢いを殺してみせた。
ぶつかる寸前に体を浮かすことで、衝突の力を逃してみせたのだ。
傷一つない男の着地ぶりに、振り向いたモンスターは苛立たしげに地面を蹴った。
再びの突進も、ディアルゴはやすやすと宙に浮いて受け流す。
いきりたつ暴れ河馬の体当たりを、盾士は次々とさばいていく。
いつのまにか仲間の死体がなく、河原の広い場所へとモンスターは誘導されていた。
その後ろ脚や背中には、すでに数本の矢が刺さり、赤みを帯びた皮膚をさらに赤く染めている。
「そーろそろ、いいかー?」
「ハァハァ……、どうぞ!」
緊張感のないロロルフの問いかけに、肩で息をしながらディアルゴが答える。
傍目からは余裕そうであったが、一歩間違えば全身の骨が砕かれる突撃である。
しかし体力と神経を消耗しつつも、盾を持つ男の目の光は全く衰えていなかった。
盾士が十分に敵対心を稼ぎ、弓士が蛙の痺れ毒が塗られた矢で動きを徐々に鈍らせる。
頃合いを見計らった戦士たちが、そこへ得意の得物を携えて強襲した。
豪快に振り回された横殴りの斧が、脇腹のヒレを激しく打ち据える。
同時にしなる槍先が、鋭く前脚を払うように叩きつけられた。
さらに怒りの声を上げながら、大きく口を開き噛み付こうとしたその顎を、二丁の片手斧が連続で斬りつける。
攻撃を加えた戦士たちは、即座に地面を蹴って後ろに下がった。
追いかけようと頭を巡らすモンスターの視界を遮るように、大きな盾が立ち塞がる。
だがそれを払いのけようとしても、手応えなく逃げ去ってしまう。
そこへまたも駆け寄ってきた三兄弟どもが、渾身の一撃を見舞っては距離を取る。
見事に連携を決める男たちに、圧倒的な強さを誇っていたはずのモンスターは翻弄され疲弊していく。
全身から血を流し動きが鈍ってきた暴れ河馬の様子に、始終この戦闘の主導権を握っていたディアルゴが問いを発する。
「フゥ……、闘気どうですか?」
「いつでもいいぜ!」
「こっちもいけるぞ!」
「もう溢れそうだよ!」
「じゃあ、どうぞ!」
合図と同時に攻撃を繰り出したのは、長男でありながら一番血気盛んなロロルフだった。
バチバチと紫の雷を放つ片手斧たちを両手に握りしめ、勢いよくモンスターへ突っ込む。
そして噛みつきを掻い潜るように避けると、その首の付根に強烈な連打を叩き込む。
――<電乱打>!
電流が体内を走ったことで、暴れ河馬の動きがしばし止まる。
そこへ両手斧ごと全身を回転させていた次男のニニラスが、踏み込みと同時にその凄まじい遠心力を開放する。
――<電旋壊>!
前脚を半分近くもぎ取られたモンスターが、ぐらりと体を揺らす。
機を逃さず、ディアルゴが一息に距離を詰めた。
<岩杭陣>で足元の地面を隆起させられた暴れ河馬は体を傾かせ、無防備に腹部をあらわにする。
そこへ颯爽と両手槍を構えた三男のググタフが、タイミングよく滑り込む。
太い紫の電流をまとわりつかせた槍が、目にも留まらぬ速さで突き立てられた。
――<電閃破>!
鋭い槍先は深々と肉に食い込み、その奥に隠れていた心臓を突き破る。
口を最大限に開けた暴れ河馬は、くぐもった叫びを漏らしながら動きを止め、一拍置いて地に倒れ伏した。
その両目はいつ刺さったのか、数本の矢で塞がれてしまっていた。
モンスターの口元から血が溢れ出し、その動きが完全に止まったのを確認したディアルゴは大きく安堵の息を吐いた。
誰一人、犠牲を出さずに強敵を打倒した喜びを分かち合おうと、共に戦った仲間へ熱い視線を向ける。
そこではすでに新たな戦闘が始まっていた。
「てめぇ、なに勝手に止め刺してんだよ!」
「またかよ! このちゃっかり野郎が!」
「戦場は早いもんがちでしょ、兄貴。イテッ!」
「うるせぇ、次からは年功序列にすっぞ!」
「それは横暴すぎるだろ! やっぱり一番強え俺が――」
「だまれ、このぶん回し野郎が!」
殴り合いを始めた三人の姿にため息をついた盾士は、振り向いて双子たちと目を合わせると力の抜けた笑みを浮かべた。
そして激闘を繰り広げた男たちの隣では、トールとソラが全く違った戦いをすでに終えていた。
ロロルフらが懸命に戦っていた少し前。
巨大なモンスターが、雨水を風圧で撒き散らしながらトールに迫る。
剣をだらりと下げた男は、普段と変わらぬ歩みで迎え撃った。
衝突の少し手前で、トールの体がスルッと右へ動く。
獲物が動いたことで身をよじった暴れ河馬は、なぜかそのまま大きく体を揺らした。
軸がぶれた瞬間を見逃さず、鉄剣が地面から跳ね上がる。
刃は一瞬のうちに何度か閃き、一呼吸遅れてモンスターの太い左の前脚がゴロンと地面へ転がった。
バランスが崩れ、暴れ河馬の巨体が一気に傾く。
しかしモンスターは喉奥から唸り声を発しつつ、トールの頭部めがけて口を最大限に開けた。
だがまたも奇妙な角度にその顔がねじれ、暴れ河馬は無様に横転する。
すかさず距離を詰めたトールの鉄剣が往復し、今度は鼻先が地面に落ちた。
モンスターが攻撃しようするたびに、その体が予期せぬ角度へ歪み、生じた隙にトールの凄まじい斬撃が襲いかかる。
二分もかからずして、両の前脚と顔面を切り刻まれた暴れ河馬は、いっさいの抵抗も許されないまま息絶えた。
ソラとの完璧な連携で、凶悪なはずのモンスターを無傷で倒したトールは満足げに頷く。
その表情につられて、少女もニッコリと口元をほころばせた。
赤水の邪霊と戦って以来、二人の動きはもはや声を出さずとも通じ合うほどになっていた。
ロロルフたちが最後の一頭を倒し、動くものがなくなった河原を、トールは黙って眺める。
これからどうしようかと考えたその時、雨音に奇妙な響きが混じっていることに気づく。
トールだけでなく、全員がその音に気づいたようだ。
三兄弟も喧嘩を止めて、辺りをキョロキョロと見回している。
「……あそこだ」
「……いつの間に」
不意に双子たちが声を上げて、赤い濁流の流れを指差す。
言われてみれば音は、川の中に並ぶ石山から響いてきていた。
中央に近い橋脚の上に、雨が消え失せる空間があることにトールは気づいた。
降り注ぐ雨が、その何もない場所で、いきなりかき消すように見えなくなるのだ。
急にその空間が揺らいだか思うと、唐突に誰かの姿が浮かび上がる。
なにもなかったはずの場所から突然現れたのは、わざとらしく拍手を続ける翠羽族の男だった。




