解放日
赤水の邪霊が発生した日から、三週間が経過した。
あの日の翌日、タパとタリは全てをトールたちに打ち明けてくれた。
色々と大人げない言葉とこぶしのやり取りはあったが、ロロルフたちは双子の謝罪を受け入れ、以前と変わらない関係に戻っている。
リシについては静観中である。
今のところ、何の手出しもしてきてはいないが、油断すべきではないという点で意見は一致していた。
こちらから何かを仕掛けるには、冒険者局職員という立場はあまりにも強い。
それに最も大きなダメージを与える方法は、ロロルフたちが橋を完成させ向こう岸でゆうゆうと狩りを行うことだと結論は出ていた。
その肝心の橋の製作であるが、大詰めを迎えていた。
<復元>の使用可能回数に余裕がある時にトールが手を貸すようになったため、石山は急速にかなりの数を増やす結果となった。
その石山を崩そうとする川スライムも、今やスキルポイントを稼ぐ格好の獲物である。
多い時で五十匹ほど湧くため、同じ時間で蛙や魚を狩る時の十倍以上は稼げるのだ。
一応、週に一回でしかないが、雨の日にあわせてユーリルに来てもらい、赤水の邪霊に対して備えはしてあった。
もっとも湧いたのは、今のところあの日だけだったが。
その邪霊が残した雨晶石であるが、これがたいへん使い勝手の良い品だった。
魔力を持つ者が手に持って念じると、こぶしほどの大きさの水の塊が撃ち出されるのだ。
五、六回の使用ででひび割れてしまうが、それも<復元>であっさり直ってしまう。
これで水不足はあっさり解消することとなった。
不便といえば移動時間であったが、これも大きく変化した。
風使いであるタリが、<風速陣>で送り迎えをしてくれるようになったのだ。
追い風を使用者の周囲に発生させるこの魔技は、移動時間を半分ほどに短縮してくれる。
おかげでバテやすかったユーリルも大喜びである。
色々と改善が進む中、トールたちはひたすらモンスターを狩り続ける。
その中でソラの新しいスキル<固定>も、なかなかの活躍をみせることとなった。
対象がモンスターの攻撃に絞られるうえ、体の一部にしか作用しないが、飛びかかる蛙を爪先だけ固定して空中にぶら下げたりと汎用性はかなり広い。
とくにタイミングはかなりシビアであるが、血吹き魚の連続水弾を口内に留めることで、暴発させたりもできたりする。
ソラ本人も色々な使い方を工夫しているようだ。
そんな感じであっという間に時が過ぎ去り、延期されていた暴れ河馬の解放日を迎えることとなった。
あいにく小雨がちらつく天気であったが、昼下がりの採石河原には大勢の冒険者が溢れかえっている。
下流の河原にこもりっぱなしのトールたちは不参加であるが、参加者の中にはあっさり一週間で小鬼の洞窟を制覇してみせたベッティーナたちも混じっていた。
真新しい白い革の胴着に滴る雫を指先ですくい上げて、赤髪の美女は不満そうに空を見上げた。
「なんだか、イヤな天気ね」
「わざわざ雨の日に行うのは、何かしらの意図がありそうですね」
「そうね、あまり前に出ないようにしましょうか。なにを笑っているのかしら? ゴダン」
「いえ、負けず嫌いのお嬢様が我慢なさるなど……。感動で涙が溢れそうになって、つい笑顔に」
「もう、余計な一言ね。私だって成長くらいするわよ。いつまでも、子どもじゃいられないもの」
「……ええ、そうですね、お嬢様」
他愛もない会話を続けていた二人の耳に、高らかと開始を告げる角笛の音が響いてきた。
それに合わせて遠隔攻撃手段を持つ前衛や、魔技使いがずらりと川岸へ並ぶ。
待つこと数分。
川面を大きく揺らしながら、その一団は姿を現した。
水中から半ばはみ出す赤い巨体の群れが、水飛沫を派手に撒き散らしながら川を下ってくる。
先頭の一体にたちまち矢や槍が集中し、炎の弾や紫の蛇が飛び交った。
怒りの雄叫びを上げたモンスターどもは、次々と河原に這い上がってくる。
体高はゆうに大人の背丈を超え、体長はその三倍以上の長さを誇る。
小鬼の森の最大級と言われる鎧猪を、さらに二回りほど大きくしたサイズだ。
水の中で動きやすいためか、その体には余計な突起は何一つ見当たらない。
体型からはのっぺりとした印象を受けるが、子どもなら丸呑みできそうな口が開かれた瞬間、その気持ちはまたたく間に消え失せるだろう。
大きく突き出された巨大な数本の牙たちは、暴れ河馬に秘められた凶暴性を如実に表していた。
赤い体液を分泌する表皮は分厚く、並大抵の攻撃では傷をつけることも敵わない。
鉄鎧さえも簡単に噛み砕く強度の前歯。
加えてその大重量からの激しい体当たりと、Dランク昇格試験の相手に採用されるのも納得の強さである。
たちまち河原のあちこちで怒号と悲鳴があがった。
モンスターは基本的に、誰でも自由に攻撃を仕掛けることはできる。
ただその場合は、モンスターの持つ修練点は敵対心を稼いだ人間や、それを支援した人間で分散されてしまうため、非常に効率が悪くなってしまう。
そのため最初に攻撃を仕掛けた人間にそのモンスターの占有権があると、冒険者局はルールを定めている。
ただその見極めはなかなかに難しい。
ゆえにこの暴れ河馬の取り合いは、いささか揉め事に発展しやすい場でもあった。
さらにはスキルポイントだけを狙って、わざとらしく攻撃を仕掛ける連中もいて、現場はさらに混乱を極めていく。
容赦なく暴れるモンスターと、言い争いを続けながら武器を振るう冒険者たち。
たまたまの興味本位で参加してみたお嬢様とその従者は、あまりの有り様に目を合わせると肩をすくめて息を吐いた。
「思っていた以上に、これはダメね」
「同感です、お嬢様」
「優秀な育成狩り場だと聞いていたけど、なにを育てているのかしら、これは」
「さて、わたくしの口からは申し上げにくい事柄ですね」
隣のパーティに突き飛ばされたローブ姿の少女が、石の河原へ身を投げ出す。
そこへいきなり向きを変えた暴れ河馬が、巨体を揺らして迫った。
惨劇を予感した周囲から、押し殺した悲鳴が上がる。
終わりを予感して目を閉じた少女であるが、いつまで経っても痛みは襲ってこない。
恐る恐る目を開くと、そこにはモンスターの突進を盾一枚で食い止めた誰かの姿があった。
男の足元の地面がグッと盛り上がり、暴れ河馬の体が徐々に押し返される。
唖然としたまま見守る周囲。
そこへ赤い何かが、閃光のように走った。
轟くモンスターの悲鳴と同時に、その頭部に数条の赤い線が走る。
一呼吸遅れて、そこから紅蓮の炎が一時に噴き出した。
顔面を燃やされた暴れ河馬は、地面に倒れ込むと痙攣しながら激しく暴れだす。
だが尽きない火に煽られ、その動きは次第に弱くなり、やがて止まった。
その様子にいつの間にか倒れていた少女を抱きかかえたベッティーナが、少し驚いた声を上げる。
「あら、つい倒してしまったわ」
「今のは不可抗力ですよ、お嬢様」
「そうね、仕方がないわね。でも、ごめんなさい、邪魔しちゃったかしら」
「……い、いえ、ありがとうございました」
怯えた顔でお礼を述べる少女に軽く会釈した赤毛の冒険者は、広場を興味深げに見渡した。
どうやらかなり時間をあけた解放だったため、いつも以上にモンスターの数が多かったようだ。
かなり広いはずの河原のあちらこちらで、衝突が起こり始めている。
そこへさらに新たな波飛沫が近づいてきた。
そちらへ目を向けたベッティーナとゴダンは、思わず目を丸くした。
周りの冒険者たちも、いっせいに動きを止めて言葉を失う。
新たに現れた群れは、先ほどよりさらに巨体を誇る暴れ河馬の一団であった。




