変遷
深夜。
騒ぎ疲れて寝静まる天幕の一つから、音もなく二つの影が抜け出た。
影たちはそのまま土手を越え、静かに吸精草の草地を歩き出す。
ある程度、離れたところまで進むと急に立ち止まり、影の一人が<風察>の魔技を発動させた。
追跡者がいないことを確かめた翠羽族の双子は、声を出さず頷きあって今度は<風速陣>で風を呼び寄せる。
追い風に背中を押されたタパとタリは、星明りの土手を駆け抜け、またたく間に目的地にたどり着いた。
灯りの漏れる丸太小屋に近づいたタリが、下がっている鐘を鳴らさないよう静かに揺らした。
ふるりと音を伴わない空気の振動が生まれる。
それは頭部に羽を持つ種族にしか分からない合図でもあった。
しばらく待つと、扉のカンヌキが外れる小さな音が響いた。
押し込むようにして中に入った双子は、中に居るのが一人だけだと確認してから受付へ歩み寄る。
そして招き入れた人物へ、手に持っていた青い欠片を投げつけた。
「……どういうことだ、リシ」
「……なぜ、このような真似を?」
その魔晶石の一片は、双子たちが昼間の騒ぎの後、河原で見つけこっそりと拾っておいたものであった。
赤水の邪霊を招き入れた犯人だと決めつける兄たちの問いかけに、出張所を取り仕切る末っ子は小さく息を吐いて答える。
「おや、珍しい品ですね。残念ながらこれだけでは買い取りできませんが」
「……とぼけるな。あの河原は我らが常に見張っている」
「……誰にも気づかれずに、これを置けるのはお前ぐらいだ」
射抜くようなタパとタリの視線に、リシはわざとらしく肩をすくめた。
そして悪びれもせず、あっさり犯行を認める。
「これ結構高かったんですよ。期待してたのに、収穫はなしですか」
「……お前は変わってしまった」
「……人を平気で殺めようとするなど」
「いえいえ、単なる警告ですよ。ま、結果的に悲しい事件が起こるかもしれませんが、戦って死ねたなら冒険者にとって本望でしょ」
弟の目を覗き込んだ双子は、それが本心からの言葉であると確信する。
同時にその瞳の奥に宿る危うい輝きに、深い悲しみを覚えた。
頷きあった二人は、血を分かち合った肉親へ決別の言葉を口にした。
「……もうこれ以上、協力する気はない」
「……次に同じようなことが起きれば、法廷神殿に持ち込むぞ」
「いいんですか? 家長の僕に逆らっても」
「……すでに深翠家の名は捨てている」
「……好きにすればいい。もう我々は、ただのタパとタリだ」
踵を返した双子は、音も立てず扉を引くと夜の闇へ姿を消した。
その気配が完全に消え去ってから、リシは雨晶石の破片を握ったまま強くこぶしをカウンターへ叩きつけた。
リシは元赤鉄級の冒険者である。
才能ある兄たちを慕い同じ道を志して、数年前にこの境界街へやってきた。
だが希望に満ちた少年を待ち受けていたのは、己の限界という悲しき事実であった。
リシが授かった魔技は、自分の姿を隠しモンスターに気取られなくなる<風隠>の枝のみ。
だが頭の回転が速かった少年は、斥候や不意打ちなどの役割で逆にパーティを率いる立場につく。
しかしそれも、この血流しの川へやってくるまでであった。
危険なモンスターとの戦闘を通し、仲間たちが次第に力をつけていく中、リシの風精樹には変化の兆しがまったく訪れなかったのだ。
毎回祈るように<風隠>の枝のレベルを重ねていったが、他の枝スキルが芽生える気配もなく、やがて一本のみの下枝は七段階目で限界を迎えた。
それは同時にリシの冒険の終わりを示していた。
己の身を隠すしか能がない冒険者など、どうやっても使い物にならない。
信頼していた仲間にそう告げられた少年は、深い失意を抱えたまま冒険者を引退した。
幸いにも人当たりのいい性格であったため、リシの冒険者局の職員生活は順風を受けた始まりとなった。
調子よく昇進を重ねた翠羽族の青年は、やがて自分を裏切った血流し川の狩り場の出張所の役職に就く。
そこでリシは、この川を旅立って先へ進んだ元仲間たちが、あっさり消息を絶ったという事実を聞かされる羽目になった。
才能に身を任せ先へ急いだ若者の末路に、リシは果てしない虚しさを覚えた。
さらに自分があれほど欲した物を、簡単に投げ捨てるその行為に激しい怒りを抱く。
次々とこの血流し川に訪れて、慌ただしく卒業していく若い冒険者たちの姿を何度も見送りながら、リシは一つの結論に達した。
才能に恵まれた人間ほど、それに溺れ地道な積み重ねを嫌う。
そして半端に育てた技能に頼り切って、無謀な行為の挙げ句に命を落としてしまうと。
新たな考えに目覚めたリシは、才能を無駄遣いする人間たちを矯正することにした。
その方法とは狩り場を管理し制限を与えることで、強制的にある程度まで技能樹のみでなく戦闘においても熟練しなければ、この血流し川を抜けることができないといったものであった。
最初は不満も数多く反発も数知れぬほどあったが、持ち前の口の上手さで徐々にそのやり方を浸透させていく。
そのうち卒業した冒険者の死亡率が大きく下がったという事実が広がり始め、このやり方は冒険者たちにも受け入れられだした。
そしてリシの定めた狩り場のルールが半ば公然となり、次の冒険者たちへ引き継がれていくようになる。
安定しきった血流し川の様子に、道半ばで挫折した青年は深々と満足の息を漏らした。
だが数年経つと、そのやり方は次第に違う方向へ変わり始める。
誰かが有利な狩り場を求めてこっそり金を払うようになり、それがいつしか当たり前に定着してしまった。
やがて派閥内での優遇や、職員への根回しがより良い狩り場を得るルールへ変遷していく。
しかし結果が出ている以上、誰もその行為を咎めるものはいない。
そしてリシもまた仲介で得た金は、努力した自らへの報酬だと思い込むようになる。
噂を聞いて諌めようとした兄たちには、その金は日用品の値段を安く抑えるために必要だとごまかした。
実際には冒険者局からの補助金によるものであったが。
そして当然ながら、そんなやり方に馴染めない人間も出てくる。
大きな派閥に所属してない者や、パーティが五人揃っていない半端者たちだ。
そんな目をかけるに値しない冒険者たちは、弾かれ下流の不遇な狩り場へと押しやられてしまった。
だが役立たずでも数が揃えば、何かをしでかす場合がある。
そこで問題を起こされては困ると考えたリシは、吹き溜まりに監視人を派遣することにした。
それが優秀でありながら、人付き合いができずいまだに赤鉄級に留まっていた二人の兄であった。
タパとタリは一番下流の河原に身を留め、可愛い弟のために身を尽くすことを決意する。
こっそりと弟に現状を伝え、そこからリシは反抗心がない優秀な人材であれば上流へと移し結託しないように計らっていく。
兄たちは弟の思想が正しいと思い込み、ひたすらそれに協力し続けた。
こうして血流し川の狩り場は、当初の理想から違う形へ変貌を遂げていく。
血流し川の対岸へは、船でいくことはかなり難しい。
強力な血吹き魚の水弾から、船底を守れるような素材がないのだ。
鉄の橋脚を建てたとしても、血のような赤い水のせいでまたたく間に錆びて朽ちてしまう。
同様に石もあっさりと赤く崩れてしまう。
この川の赤い水は、他からの存在を固く拒むのだ。
ゆえに橋を作るには、川の土を積み上げるくらいしかない。
しかしそれは雨が降れば、川スライムが綺麗に溶かしてくれる。
無駄に向こう岸へ渡ろうと努力を続ける冒険者の姿を、リシはただ笑って見守っていればよかった。
だがそれも、泥漁りと呼ばれる偏屈な冒険者がこの川へやってくるまでの話である。
きつく歯を食いしばったリシは、下流の河原の方角を睨みつけた。
自らが築き上げた素晴らしい冒険者の育成場が、何も知らない男によって崩壊させられようとしている。
それは持たざる者であった人間にとって、許しがたい行為だった。
「くそ、こうなったら…………」
翌日、丸太小屋の掲示板に一枚の告知が貼り出された。
それは今週予定されていた暴れ河馬の解放日を、延期するという知らせであった。




