雨の週末
翌日は一転して、やや薄曇りな始まりとなった。
少女と子どもに左右からガッチリ抱きしめられたまま目覚めたトールは、大きく伸びをして天幕の入り口から空を見上げる。
前日まで晴れ渡っていた空は、嘘のように白い雲で覆われてしまっていた。
昼から雨だという予報は、やはり確かなようだ。
二人をさっさと起こすべく、トールはまず左隣のソラの耳にそっと手を伸ばした。
わずかに触れるか触れないかのギリギリで指を動かしていると、トールの脇腹に顔を埋めていた少女の頬が徐々に赤く染まり、その口元から忙しくなく息が吹き出し始める。
そして耐えきれなくなったのか、顔を上げたソラは大きく笑い声を上げた。
「もう! 耳はやめてっていってるのに。くすぐったすぎるよー」
「とっくに起きてたんだろ。今日は予定が多いんで、さっさとムーも起こしてくれ」
テントを出たトールが革靴を履いて剣帯を身につけながら振り向くと、子どもは両の頬をソラの手に挟まれて、パン生地のようにこね回されているところだった。
「ほらー、ムーちゃん、朝だぞー」
「むぅぅぅう。むーむー!」
炭火が温まるまで、三人で軽く準備運動をして体をほぐす。
熱々の干し肉入りのスープとパンの朝食を楽しみ、トイレをすませてから、トールたちは蛙狩りを始めた。
「狩り場まで出向く必要がないのは、楽といえば楽だな」
「ムーはお出かけのほうがすきだぞ、トーちゃん」
「わたしもどっちかといえば、歩いていくほうが楽しいかな」
「ま、俺もそうだな。よし、頑張ってさっさとこんな狩り場は抜けるとするか」
朝方は少し出やすいのか三時間ほどで五つの群れに当たり、そこそこの戦果となった。
二十匹とキリがいいところで切り上げ、濡れて困る品々をテントにしまってから、荷物をまとめて下流へと出発する。
歩いていると雲はさらに分厚く立ち込めだし、少しずつ空気に湿気が混じり出す。
雨の気配をすぐそばまで感じながら、トールたちは昼前に広い河原へ到着した。
来客の姿に気づいたロロルフたちが、大きく手を振って呼び寄せてくる。
竈を囲んで昼飯の最中だったようだ。
漂ってくる焼き魚の匂いに、ムーがまっさきに走り出してしまった。
「こんにちは、ムーさん」
「……元気にしていたか、幼い子」
「……一緒に食うか? 幼い子」
「うん!」
追いついたトールたちも、ご馳走になることにした。
なごやかに昼食も終わり片付けもすんだ頃、ポツリポツリと雫が河原の石を叩き始める。
「降ってきやがったか。おい、急ぐぞ」
「もう湧くのか?」
「いや、もうちょっと本降りになってからだな。その前の準備ってやつだ」
男たちは大きな天幕を引っ張り出すと、竈の周囲に支柱を立てて、すっぽり覆うような即席の屋根を作った。
そしてテーブルの足代わりだった空樽を並べ、天幕の端から滴り落ちる水を受けとめる。
「ま、水は貴重なんでな。竈の火はつけっぱなしにしておくから、風邪は引かんでくれよ」
「それは助かるな」
会話を交わす間にも、雨足はどんどんと勢いを増していった。
やがてかなりの雨量となり、河原が水浸しになっていく。
天幕に当たる雨音に目を丸くして聞き入っていた子どもだが、無数の波紋が浮かぶ川面の様子にトールの手をぎゅっと握って笑みを浮かべた。
「……そろそろだな」
「あ、あそこ!」
三男が指さした先には、赤黒く盛り上がった水たまりがあった。
表面を不気味に揺らしながら、なにかを探すようにうごめいている。
「あっちもだ!」
「あそこにもいるぜ。今日は多いな」
「よし、行ってくるか。まずはソラからだな」
「はーい」
噂に名高い泥漁りの戦い方を、ロロルフたちは息を呑んで見守った。
トールから鉄剣を手渡されたソラは、雨で滑りやすくなった河原を慎重に歩いていく。
そして水たまりそっくりな川スライムへ近づくと――。
特に変わった工夫も見せず、さっくり剣を突き刺してぐるぐるとかき回し始めた。
「なっ?」
しばらくすると核が潰されたのか、盛り上がっていたスライムの姿がゆっくりと崩れ始める。
そこへ屈み込んだトールが、手にしていた巻き貝で素早く粘液をすくい上げた。
「はっ?」
溶解性の体液で歪みを帯びながら溶け出す剣身に、雨粒が当たり白い煙となって立ち昇る。
もはや使い物にならないだろうその有り様に、男たちは戸惑った声を漏らした。
「どうなってんだ? スライム退治の専門家って話だろ?」
「あんな倒し方なら、俺たちとまるっきり一緒じゃねえか」
「わかりません。大量の武器をお持ちのようにも見えませんし」
口々に疑問を述べるロロルフたちを横目に、少女は新たな水たまりへ駆け寄る。
そしてまたも、ためらう素振りもなく剣を差し込んだ。
「あれ?」
すでに役割を終えたはずの剣が、いつの間にか普通の状態に戻っていたこと気づき、男たちは驚きの声を上げた。
二匹目もなんなく倒したソラは、剣を一瞬だけトールに差し出してから三匹目に向かう。
先刻までひどい有り様であった鉄剣は、その時にはなぜかまともな状態に戻っていた。
奇妙な幻術でも見せられている気持ちになったロロルフたちは、食い入るように少女の挙動を見つめながら何とか種明かししようと試みる。
だが皆目見当もつかないまま、五匹の川スライムをあっさり片付けられてしまった。
雨水を服からしたたらせるトールたちに、天幕で待ち構えていた男たちはいっせいに詰め寄った。
「なっ、いまのどうやったんだ?」
「ちょっと、その剣みせてくれ!」
「確かに剣は溶けてたはず……ですが」
「いや、なんだこれ? ぜんぜん変わってねえぞ!」
正体不明の不思議なものを出会ったような視線を向けられたトールは、勿体つけずに答えを教えた。
「ああ、それは俺のスキルだよ。剣とか鎧を直すことができる」
他にも色々とできるのだが、トールはあえて黙っておいた。
しばし言葉を失った男たちだが、スキルの意味を理解したのか口々に声を上げ始めた。
「ホントか? そりゃすげえな!」
「そいつはめちゃくちゃ便利だぜ。なるほど、だからスライム退治の専門家ってわけか」
「上手く真似できりゃって考えていたが、これはちょっと無理だな」
盛り上がる兄弟たちを前に少しだけ頬を緩めたトールだが、真顔に戻って河原へ視線を向けた。
そして顎の下を掻きながら、言葉を続ける。
「で、実はだな。俺のこのスキル、一時間に十回までなんだ」
河原ではすでに新たな赤い水たまりが、あちこちで盛り上がろうとしていた。




