再びの川
準備を整えたトールたちは、再び血流し川行きの馬車に揺られていた。
週末までは晴れるということで、今回も天井席である。
まだ一週間経っていないため、残念ながらユーリルは同行していない。
そのせいでムーの枕役は、ソラが務めることとなった。
最近はかなり親密になってきたのか、二人がくっついているのは当たり前になりつつある。
ただソラの太ももは張りがありすぎてよく弾むせいか、子どもはさっきから言葉にならない寝言をうにゃむにゃと呟いていた。
風が吹きすさぶ茶色の平原を抜けて、馬車は何事もなく目的地に到着した。
出張所で記帳を済ませたトールたちは、すぐに河原へは向かわず馬車が停められている広場へ向かった。
前回の帰り際に気づいたが、どうやら日用品の販売所が設置されているらしい。
それなりの人だかりがある一角へ近づくと、天幕の下に商品が山積みされていた。
抱えるほどの大きさの麦酒の樽に、パンや塩漬け肉、チーズの塊が乗った皿。
さらには血止め軟膏や、火打ち石に麻縄と様々な消耗品もある。
ちょっとした雑貨店並であるが、日持ちしない野菜などは置いてないようだ。
「前の時にユーリルさんもいってたが、あまり高くないんだな」
「うん、ほんのちょっと上乗せってかんじ。おかげでたすかるね」
馬車に持ち込める荷物の量は決まっているため、現地で値段を気にせず色々と購入できるのは非常にありがたい話である。
木炭一束と麦酒一樽を購入したトールたちは、前と同じく下流へ向けて歩き出した。
新しい革靴の履き心地が気にいったのか、嬉しそうに地面を踏みしめるムーが先頭になって三人は進んでいく。
一時間足らずで無人の河原にたどり着いた一行は、荷物を下ろして軽く伸びをした。
「じゃあ、準備をするか」
「はーい、ムーちゃん、石づみ競争だよ」
「む、うけてたつぞ、ソラねーちゃん!」
今回は三人なのでテントは一つである。
ただし雨に備えて、天幕を二重にして周囲には軽く溝を掘って水が入ってこないよう工夫した。
次に土手の向こうにも、野外トイレの天幕を張っておく。
ソラたちの方は石を積んで、即席の石竈をつくったようだ。
さっそく炭に火をつけると、平たい鉄鍋でソーセージを焼きながら串に刺したパンを炙っている。
油のはねる香りが漂い、待ちきれない子どもがよだれを垂らしながらソラの太ももを叩いた。
温めて少し柔らかくなった黒パンに、焼き目のついたソーセージと発熱盤で沸かした香草茶。
メニューは前と大きく変化はないが、加熱するだけで味わいは格段に変わる。
トールたちが食事を楽しんでいると、下流から人影が近づいてきた。
食べ終わる頃にちょうどやってきのは、むさ苦しい無精髭を生やしたロロルフ三兄弟だった。
どうやら仲間のタリの風系魔技である<風察>で、誰かが河原にテントを張るとすぐに分かってしまうらしい。
「約束通り来てくれたか。明日の昼から一雨くるらしいから頼むぜ、トールのおっさん」
「これ良かったら食ってくれって、ディアルゴからだ。あとこれも置いとくよ」
「あれ? 今日、ユーリルさんいないの? なんで? フラれたの?」
手渡された血吹き魚の干物と空樽三つのお返しに、トールも街で手に入れた手土産を渡す。
「ほら、これ。矢羽根が足りないって言ってたろ。あと塩も持ってきてやったぞ」
「お、そいつは助かるぜ。すまねえな」
干物用の塩壺とシサンらに譲ってもらった尖りくちばしの尾羽根に、ロロルフたちは嬉しそうに頷いた。
あまり作りかけの橋を放置したくないのか、二週間に一度くらいしかダダンの街には戻っていないらしい。
「それとこれも。雨が降るんだろ?」
石鹸の欠片を渡された三人は、きまり悪そうに苦笑してから去っていった。
その後、三人で赤毒蛙を狩っていく。
ユーリル不在のため、トールがひたすら回避しながら倒すしかない。
何度か毒液を浴びたり、しつこく傷を再生されたりもしたが、<復元>と切れ味を上げた鉄剣、それに毒に強い青縞のマントで無難に切り抜ける。
血吹き魚の相手も、ソラたちが慣れてきたせいか特に危うい場面はなかった。
魚に関しては倒す手段がないため、現状の対処は気をそらすしかない。
下流の広い河原へ行けば翠羽族の双子に任せられるが、向こうもさほどモンスターが発生するわけではないので、二パーティだと獲物不足になってしまうのだ。
一日目は薄暗くなるまでに、血毒蛙を二十四匹仕留めることができた。
トールが舌を切り取った死体を川へ捨てている間に、ソラが夕食の準備を進める。
ムーは土手を何度もソリで滑り落ちて、大声ではしゃいでいた。
日が落ちてきたので、思い切って買った魔石灯を点けて明るくする。
魔石灯は魔石の消耗は激しいがかなり光量が多いのと、あまり明るくはないが長持ちする二種類がある。
ダンジョンなどは前者で、街灯などは後者が使われる。
今回、購入したのはダンジョン用の品で、銀貨二十枚であった。
先日の大発生を食い止めた報奨金は、これまでの礼と家賃の前払いも兼ねて全額をユーリルに渡してある。
小鬼の洞窟で稼いだ金は、テントや魔石灯の購入費で残り金貨一枚ほどだ。
まだ余裕はあるが、この先についてはトールはいさかか不安を感じていた。
しかしそこをあえて使っていくことで、逆に発破をかける狙いである。
「はーい、できましたよ」
「ありがとう。これはいい匂いだな」
「ムー、すごくおなかすいたから、いっぱいたべれるぞ!」
「はい、どうぞめしあがれ」
ソラが深皿に注いでくれたのは、大きな干し魚の身と丸芋が浮かぶシチューであった。
戦闘の合間に炭火をおこして、焦げ付かないよう遠火でこっそり煮込んでいた品だ。
すっかり味が染み込んでおり、一口ごとに具が崩れて旨味が溢れ出してくる。
またたく間に鍋は空になってしまった。
名残惜しいムーは、ちぎったパンを鍋底にこすりつけて一滴残らず食べようと頑張っている。
「ごっそさん、うまかったよ」
「喜んでもらえてなによりだよ、トールちゃん」
小さく拳を握って、少女はこっそり喜びを噛みしめた。
わざわざ海鍋屋の主人に頼んで、出汁だけを革袋にいれて持ってきたかいがあったようである。
食後は後片付けをすませてから、装備を外し軽く歯をゆすいでテントに潜り込む。
トールを真ん中に、左にソラ、右にムーの並びだ。
狭いのでぴったりとくっつくしかないが、遊びすぎたせいか子どもは一瞬で寝息を立てだした。
残った二人は吐息がかかりそうな距離で目を合わせて、声もなく笑った。
少し体をずらしたソラは、器用にトールの腕を枕にして肩口にもたれかかる。
さらりとした黒髪がゆれ、甘い香りが天幕の中にこもった。
トールの脇腹に耳を当てた姿勢で、ソラは半分眠ったような声でささやいた。
「……こうすると落ち着くね」
「心臓の音が聞こえるせいかもな」
静かに答えながら、トールは何度も<停滞>中の少女から、心音が聞こえてこないか確かめた過去を思い起こしていた。
その日、柔かな感触に包まれたまま、トールは朝まで夢も見ずに眠った。




