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境界街


「ねえ、トールちゃんって冒険者なんだよね。わたしもなれるかな?」


 朝一番にトールを出迎えたのは、ソラの弾んだ問いかけだった。

 目標を達成して気が抜けたせいか、今朝は少しばかり寝坊してしまったようだ。

 いつもよりもやや遅い時刻に目覚めたトールは、すぐに汲み置きの水で顔を洗い台所へ向かった。

 そして朝食が並ぶテーブルに着くやいなや、先ほどの言葉が飛んできたというわけである。


「おはよう、ソラ。おはようございます、大家さん」

「あ、おっはよー」

「はい、お早うございます」


 どうやら先に起きていたソラは、すでに大家のユーリルと打ち解けていたようだ。

 冒険者については、彼女から詳しく聞いたのだろう。


 足を擦りながら、トールは少女の質問について思考を巡らせる。

 大家の人柄からして、冒険者を夢のある職業とは決して語っていないはずだ。

 実際のところ、森や荒野や洞窟を延々とさまよい歩いて、凶悪な怪物と命をかけて戦い抜くという強烈な仕事である。

 こうなるとは予想していたが、のほほんとした性格のソラに向いているとはあまり思えない。


 それにトールたちの生まれた村は、弱いモンスターはそこそこ現れることはあったが基本的に平和であった。

 あの"大発生"に襲われるまでは。

 初めて凶悪なモンスターに間近に接したソラには、まだかなりの恐怖が残っているはずだ。


 ソラの気持ちを確認するため、トールは懸命にパンにかぶりつく少女の瞳をさり気なく盗み見た。

 陰りはいっさいなく、かといって必要以上に力が入ってる様子もない。

 何人もの新人と付き合ってきたトールには、少女はいたって平常心であるかのように思えた。

 

「調子はどうだ?」

「わたし? うん、すっかり元気だよ」

「そうか、ならいい。あと、このパンはスープに浸さないと食えないぞ」

「うぐぐ、どうりで硬いと思ったー」 


 村では麦は粥にして食うのが当たり前であったが、この辺りは日持ちする硬いパンが常食であった。

 トールも最初は上手く飲み込めず苦労したものだ。

 慣れない歯ごたえに苦戦するソラの姿に、トールは心を決める。


 あれこれ案ずるより、実際に体験させたほうが理解は早いだろう。

 堅いパンと一緒で、口に合わなければ納得するはずだ。


「うん、おいしい! この丸いのって、もしかしてお肉かな?」

「ああ、モグラの肉だ」

「ほうなんだー。モグラっておいしいんだね!」


 トールには食べ慣れた白雛豆と肉団子のスープであるが、ソラにはご馳走であったようだ。

 夢中でほおばる少女の姿に、トールの口元は知らずに緩んでいた。

 もしかしてソラなら、堅いパンも冒険者もあっさり楽しんでしまうかもしれない。


「じゃあ、飯が済んだら冒険者登録に行くかと、言いたいところだが……」

「ほごぅ。ほんと?!」

「その前に先立つ物がないとな」

「えっ、なにかいるの?」

「その格好だと、色々と面倒だぞ」

 

 今のソラは、羊毛で編んだ膝下まであるワンピースにズボン姿である。

 野外での作業にはそれなりに向いているが、モンスターと立ち向かうには心もとない。


 もっともソラの持つスキルだと前に出る必要はないのだが、最低限の守りがないと冒険者の登録許可が下りない場合もある。

 もしくは装備品の売り込みや、事前講習の誘いで長々と時間が取られる可能性も高い。


 モグラ革の装備品を一つ買ってやれば済む話だが、トールの着ている上衣でも銀貨三枚はする。

 こつこつ貯めてきた金が銀貨五枚分あるので、無理をすれば買えるが他に入り用なものも多い。


 ゆっくりと噛みしめてパンを飲み込んだトールは、ちらりと上座にすわる老女に視線を向けた。

 彼女は若い頃、各地を巡った高名な氷使いだと聞いていた。

 厚かましい願いだと承知しているが、今さら繕っても仕方がないと割り切る。


「すみません、大家さん。近いうちに揃えますので、それまで少し防具の用立てをお願いできませんか?」

「私のを? ずいぶんと使ってないけど良いかしら?」

「それはこちらで、なんとかできますので」

「そう。ならこんなお婆ちゃんのお古で良ければ、どうぞ使ってくださいな。ソラさん」

「いいんですか? ありがとうございます」


 何とかしますならなら分かるが、できますと言い切るトールの物言いに内心驚きながら、ユーリルは快く承諾した。

 十年近い付き合いで、トールに並外れた慎重さと強い意志があることはよく知っている。

 今朝はそれに加えて、自信に溢れているようにも思えた。


 あの生き返った少女と関係があるのだろうかと推し量りながら、ユーリルはそれ以上の言葉は控えた。

 年老いた女性にとって、すでに冒険者の心躍る暮らしは終わったものであった。

 それがいかに心残りのある打ち切られ方だったとしても。 


 朝食後にユーリルが用意してくれた亜麻布のローブと白硬銅の胸当ては、少しデザインは古いがとても良い品であった。

 買うと銀貨二十枚近くなる装備だ。

 といっても、さすがに時の経過には打ち勝てず、ローブはかなり黄ばみ、胸当てにもカビのような錆びが浮かんでいた。


 さっそく大喜びで身につけようとした少女を押し止めて、トールはそっと品々に触れた。

 一瞬のうちに、ローブと胸当てが新品同然になる。

 その変わりようにユーリルは目を丸く見開き、ソラは満面の笑みでトールの腕に抱きついた。


「トールちゃん、ありがとう!」

「今のは……?」

「俺のスキルです。驚かせてすみません」


 トールの<復元>は与える変化が大きすぎるため、隠しきれない可能性が高い。

 それならば身近で信頼できる人にだけ、とっとと明かしておいた方が余計な説明の手間が省ける。

 という判断である。


「あ、かるい! もっと重いと思ってたー」

「着け心地はどうだ?」

「ちょっとグラグラするかなー」

「それは留め具で調整するの。ほら、ここをね、こうやってね」


 胸当ては肩帯と横帯で固定するのだが、帯は留め具を引っ掛ける穴で長さが変えられるようになっている。

 さりげなく見ていると、ソラは二つほど穴を戻されていた。

 復元する前は、確か一番端の穴が使い込まれていたことをトールは何気なしに思い出す。


「……二回り、違うのか」

「そんなに背の高さちがうかなー?」

「いいえ、私の若い頃とあまり変わりませんよ。うん、あつらえたみたいにピッタリ」


 胸当ての上からローブを着込んだソラは、その場でクルッと回ってみせる。

 思った以上に似合っており、トールは無言で顎の下を掻いた。


 身支度を整えたトールは、予備の背負い袋をソラに手渡し身につけるよう促した。

 真っ白な亜麻布のローブを翻し、眩い輝きの胸当てを襟元から覗かせる少女の姿は、中々に冒険者らしさが溢れている。

 濃茶色の革鎧姿のトールとでは、少しばかり不釣合いであった。


「俺が先を歩くから、少し遅れてついてくるか? その方が目立たんだろう」

「手、つないでいい? トールちゃん」

「あらら、仲良しさんなのね。はい、お弁当どうぞ」

「歩きにくいから止めてくれ。いつもありがとうございます、大家さん。では行ってきます」

「がんばって冒険してきますねー」

「はい、お気をつけて」


 結局、並んで下宿先を出た二人は、街の広場へと向かった。

 午前中も半ばを過ぎているが、通りを行き交う人間はそれなりに多い。

 物珍しそうに辺りを何度も見回すソラに、首根を揉みながらトールは小声で話し掛けた。


「あんまりキョロキョロしてると、客引きにつかまるぞ」

「こんなにいっぱいの人、初めて見たよー。今日ってお祭り? あ、あそこ屋台がいっぱいでてるよ!」

「落ち着け、屋台は毎日出てる。ここはけっこう古い境界街だから、住人がかなり多いんだよ」

「きょうかいがい?」


 トールは道すがら、少女にこの街の成り立ちをかいつまんで教えていく。


 この世界の中心には巨大な空洞"昏き大穴"があり、そこから溢れ出す瘴気は土地を覆い数多の怪物を生み出してしまう。

 ちゃんと目撃した人間などいないらしいが、トールたちも幼少時に村の老人たちから散々脅かされたものだ。


 汚れた土地は瘴地と呼ばれ、モンスターが徘徊し人が住めなくなる。

 その失われた大地を取り戻すため、瘴地と人の生存圏の境目に作られた堡塁拠点――それが境界街である。


「へー、そうなんだ」

「だから、冒険者もたくさんいるってわけだ」

「おー、なるほど?」


 生き物に対し強い捕食衝動を示すモンスターたちであるが、実は厄介な習性を持っている。

 人や家畜が大勢集まっている場所を察知すると、群れをなして襲いかかってくるのだ。

 そのため昔は瘴地の中に砦を築き軍隊を駐留させていたが、日夜構わず押し寄せてくるモンスターを前に遠からず撤退する羽目になった。


 大部隊での活動で都合が悪い点がもう一つあり、モンスターを倒して得られるポイントが戦闘に参加した兵士の頭数で分散されるというところだ。

 これだと効率よくスキルを育てることができず、戦力の向上が期待できない。


「あー、だから冒険者なんだ」

「ああ、少数で行動した方が利点が大きいからな」


 冒険者という名前の由来については、トールは詳しくない。

 おそらく央国軍が引き上げた後、単独で瘴地に踏み入った連中が自分たちの行為を冒険とでも呼んだのであろう。


 絶えず厳しい瘴気に晒される地では、植物や鉱物が異常な発達を遂げることがある。

 また頑丈なモンスターの皮や腱、角や牙も非常に優秀な武具や防具の素材となりえる。


 そこに目をつけたのは、商人たちであった。

 彼らは冒険者たちを雇い、モンスターを狩らせたり採取させた貴重な草木や鉱石を買い取ることで財を成していく。


 モンスターは大穴に近い場所ほど、強さと数が増す。

 逆に中心から離れるにつれて、モンスターの数は減り比較的安全になる。

 やがて瘴地からは離れすぎず、かつ凶悪なモンスター群を引き寄せないギリギリの位置に、冒険者と取引しやすい酒場や宿泊所の施設が造られ始めた。

 これが今の境界街の走りである。


 この時代には様々なモンスターやスキルの研究もなされ、瘴地を利用した商業活動はますます盛んになる。

 そして当然の流れであるが、央国政府がこれを見逃すはずもない。


「ふーん、そうなの?」

「上からすれば、強力な私兵を抱えた金持ちどもの集まりだ。放っておけば国が乗っ取られかねんからな」


 といっても、武力を使って制圧に乗り出したという話ではない。

 冒険者と商人が築き上げた仕組みを、まるごと取り込む方針を取ったのだ。


 まず冒険者を束ねる冒険者局を街ごとに設置し、義勇兵的な扱いで一括管理する。

 給与も固定ではなく出来高制にすることで、意欲を向上させ同時に有能な人材を選抜していく。

 さらに冒険者をランク分けすることで競争心を高めながら、進めるエリアを制限することで生存率も上げると。


 商人の方も瘴地から出る素材の取引を独占させることで、まず不満を抑えた。

 それでいて食肉や皮、鉱石、木材などに扱いを分け、それぞれ専用の商取引組合ギルドを作らせる。

 大手商会に、商材と利益が一極集中することを避けたのだ。


 こうして国が主導となった瘴地への開拓が、本格的に始まったのである。


「これに魔石とか地下迷宮ダンジョンなんかも絡んでくるんだが、そこらへんの説明はまた今度な」

「えー、今、聞きたいなー」

「もう、時間切れだ。ほら、着いたぞ」


 立ち止まったトールは、前方に見える大きな建物に顎をしゃくった。


「ここからは一人で行けるな。必要な金は背負い袋に入れてあるから使え。堂々としていれば、すぐに終わる」

「えっ、付き添ってくれないの?」

「知り合いだとバレない距離で見守ってやるから安心しろ」


 思春期の娘を持つ父親のような気遣いっぷりである。

 腰に手を当てるトールの言葉に、ソラは頬を人差し指で突きながら考え込む。

 そしていきなり地面にしゃがみこんだ。


「あ、いたた。すごくお腹いたいよ、トールちゃん。うーん、あの建物までつれていってくれたら治ると思う」

「雑だな、おい」


 <復元>の効果を知っていながら、あえて仮病を選ぶソラにトールは呆れた声を出す。

 だが、効果はそれなりにあるようだ。

 わざとらしいうめき声を上げる美少女の様子に、通りすがりの視線が次々と集まりだす。


「わかった。じゃあ今回だけ俺が若くなろう。二十五歳ぐらいになれば、十分にごまかせるだろう」

「それを変えるなんてとんでもないよ! トールちゃん」

「そ、そうか?」


 膝を抱えたまま声を張り上げるソラの剣幕に、トールは思わず顎を掻く。

 しばらく黙ったあと、淡々と心配している理由を少女に打ち明けた。


「俺は周りからよく思われていない。一緒にいればお前も嫌な目にあうぞ」

「なんか悪いことでもしたの?」

「いや特にはな。だが俺みたいな年寄りで、いまだに最下級の冒険者は恥ずかしい存在なんだよ」

「わたしのためにがんばってくれたことを、恥ずかしいなんて思うほうがおかしいよー」

 

 唇を尖らしながら、少女は言葉を続ける。


「そんなことでトールちゃんをバカにするような人は、なにもわかってない人だよ。そんな人たちになに言われても、わたしは全然気にしないから!」

「でも、こんなおっさんだぞ?」

「トールちゃんはおっさんでも、カッコいいおっさんだからいいの!」


 そういえばソラは幼い頃に父親をなくし、年上の男性に憧れる節があったことをトールは今さらながら思い出した。


「腹痛はもういいのか?」

「手、貸してくれる? トールちゃん」


 苦笑いを浮かべるトールへ、うずくまったまま少女は可愛い声でねだってくる。

 ため息とともに差し出された手に、ソラはそっと自らの手を重ねた。

 それからギュッと力を込める。


 互いの手を握りしめたまま、二人は冒険者局の建物へ歩き始めた。




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【コミカライズついに145万部!!】
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― 新着の感想 ―
[良い点] 4度目くらいかな、読み返すの……… ほんわかした(*´∀`*)
[良い点] ほんわかする……
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