束の間の休息 その一
外街の中央広場から南大通りを入ってすぐに、その大きな酒場はあった。
緑色に塗られた酒盃の看板を掲げる店の名は、緑樫の木立亭。
分かりやすい名が示す通り、緑樫級の冒険者でも気安く来れる値段が売りの大衆食堂である。
昼過ぎ、ごった返す店内の隅のテーブルへ、トールは四人の客を招いていた。
「時間を取らせて悪かったな」
「いえ、ぜんぜん平気です! な?」
「メシおごってくれるってんなら、いつでも大カンゲーだぜ、おっちゃん」
「お前、ちょっとはエンリョしとけよ。あ、どうもです」
「こんにちは、トールさん。今日はソラちゃん、いないんですか?」
「ああ、先約があったらしくてな」
「あの、それで今日は何のご用ですか?!」
頬を紅潮させたシサンが、やや前のめりな調子でトールに尋ねてくる。
異様に張り切るリーダーの様子に、ヒンクとアレシアが呆れた顔で目を合わせた。
その横では呼び止めた給仕の女性に、リッカルがあれこれ勝手に注文している。
四人の若手冒険者たちは、変わらずの元気ぶりであった。
屈託のない彼らの表情に、トールもつられて少しだけ頬を緩める。
その笑い顔が珍しかったのか、赤毛の少年を除く三人は目を丸くしながら瞬きした。
小さく頷いてごまかしたトールは、本日の用件を持ち出す。
「実はちょっと困っていてな。少し助けがほしい」
まだ驚いているシサンたちへ、トールは今の狩り場の現状をかいつまんで説明した。
最初は興味深そうに聞いていた四人も、話が進むにつれ表情がこわばっていく。
そしてだいたいの事情を飲み込むと、合わせたように全員が大きく息を吐いた。
「……予想以上にきびしい場所ですね」
「うう、今、リッカルとヒンクが口喧嘩ばっかりしてる未来がくっきり浮かんだわ」
「なんだと! ま、するとおもうけど」
「たしかにな。このままだとそうなるのは間違いないな」
現状の四人は、ようやく安定してゴブリンの群れを一日五つは狩れるようになったレベルである。
だが下宿代と日々の食事代に武器防具の修理費と、多くの必要経費で蓄えはほとんど残らない。
もっとも以前のように、外壁の夜間警備などの日雇い仕事をやらずに済むようになっただけ大きな進歩であるが。
暗い顔になる四人へ、トールは慰めるように言葉を続けた。
「待て待て、今の話はあくまでも俺が経験したってだけで、すべて正しいってわけじゃないぞ。少し込み入った事情もありそうだし、決めつけるのは早いかもしれん」
「そうなんですか。でも……」
「ああ、それとな俺の知る限り、お前らの伸びっぷりは素晴らしいと思う。このまま行けば、もうすぐ小鬼の洞窟の挑戦権も回ってくるはずだろう。そこで俺たちみたいに焦らず丁寧に挑めば、きっと大丈夫だ」
「お、おっちゃん、わかってるな。そそ、オレ様がいれば安心だって」
「ま、ここんとこのお前なら、前衛はまかせても安心だな」
「おい、そこはツッコめよ。チョーシくるうだろ」
二人のいつもの会話に、シサンとアレシアも笑みを取り戻す。
場の雰囲気が戻ったところで、彼らを束ねる少年が口を開いた。
「それでトールさん、困ったことってなんでしょう? いろいろと多すぎて心当たりが……」
「俺たちが役に立てそうなとこって、一個くらいしかなかったけどな」
弓士の少年の鋭い指摘に、トールは小さく頷いた。
「ああ、魔石を少しばかり融通してほしくてな」
トールの提案は、シサンたちが手に入れた魔石をいくつか譲ってほしいというものであった。
その見返りとして、彼らの冒険を手助けするという話である。
獲得した素材を、冒険者局を通さず個人で売り払う行為は固く禁じられている。
だが例外として自分で使用したり、冒険者間での譲渡は認められていた。
もっとも冒険者同士の派閥の内では、こっそりと売買行為は横行しており、その辺りは取り締まりが難しくほぼ放置された状態である。
「はい、喜んで。どれくらい入り用ですか?」
「おい、まてって。いきなり決めるなよ、シサン」
「そうよ。もっと、ちゃんとみんなの意見も聞かないと」
「な、おっちゃん、肉もっとたのんでいいか?」
いきなり即断したリーダーとは違い、残りの三人は冷静な様子である。
なかなかの良い組み合わせに、トールはまたも頬を緩めた。
トールが彼らを取引相手に選んだのは、もちろん<復元>の効果を知っていながら黙っていた口の固さもある。
だがそれ以上に、素直で伸び代のある少年少女たちを手助けしてやりたいという感情が湧き上がったせいもあった。
「返礼として俺が用意できるのは、そうだな、ちょっとした助言と情報、あとはこうやって飯を奢るくらいか」
「オレはそれでいいぜー。十級魔石なんて売っても銅貨十枚だしな。ここで腹いっぱいくったら、そっこうで消えちまう」
「トールさんのお話は、これから先へ進む俺たちには非常にありがたいと思う。だから賛成だな」
「私もあのすごい治療の魔技のコツとか教えてもらえるなら……。それにソラちゃんが困ってるなら、力になってあげたいし」
「うーん、聞いた話だとこの先、おれたちも魔石不足になるかもしれないってのがな。ゆずってるような余裕があるのか?」
もっともな長髪の少年の呟きに、トールは考えを述べる。
「その辺りはおそらく大丈夫だ。今の狩り場を抜ければ、次の荒野は亜人が多いらしいからな。そうなれば、今度は俺たちが魔石を返せるようになる。それの目途が立たないようなら、すぐに断るから安心してくれ」
「……だったら、おれもそれでいいです」
四人が頷きあい結論が定まったところで、料理がタイミングよく運ばれてきた。
大皿に盛られた丸芋のフライは、たっぷりの薄切りされたニンニクと溶かしバター付きだ。
手のひらサイズの半月状のパイ包みには、熱々のひき肉と炒めた玉ねぎが詰め込んである。
炭火で焦げ目をつけられた赤辛子入りのソーセージに、尖りくちばしの骨で出汁をとった透き通るスープ。
リンゴの果汁が絞ってある水のカップも全員に行き渡る。
さあ、食べようと声をかけようとしたその時、不意にトールの背後から声が響いた。
「あっれ? アレシアちゃんじゃね」
「うわ、きっぐー。こんなとこでナニしてんの?」
「なにって飯だろ、飯。それ以外にナニすんだよ」
「いやガンバれば、できるかもしれねえだろ。ほら、便所とかでさ」
いきなり話しかけてきたのは、三人の男たちだった。
赤毛の二人に黒髪が一人。
全員、Fランクの青い縁取りの冒険者札を下げている。
自分たちの会話が受けたらしく、男たちはいっせいに下品な笑い声を上げた。
そのうちの一人が、嫌そうに顔を背けるリッカルに気づいて目を細める。
「お、ひさしぶりだな、リッカル。お前、ぜんぜん顔出さねえな」
「せっかく俺たちが声かけてやったのにな。なに? やる気ないの?」
「……あの、前にもいいましたけど、オレ、先輩たちのナカマに入る気はないです」
「ハァ? ふざけてんの?」
「いまさらハンコー期でもきたのか? もっぺんしつけ直すか、おい?」
「まあまあ、揉めんなって。そうだ、こんどアレシアちゃんつれて顔出せよ。それで勘弁してやるわ」
穏やかならぬことを言いだした赤毛に、パーティの守りの要が口を開いた。
「すみませんが、アレシアもリッカルもうちの大事なメンバーです。ちょっかい出すのやめてくれませんか」
「あ、だれお前? いきなりブガイ者がなんなの?」
「もう空気、読めよな。いま、カッコつけるとこじゃねえから」
「いい加減にしろ、料理が冷めるだろ」
呆れた口ぶりで振り向いたトールの存在に、ようやく絡んできた三人組は気づいたようだ。
胸元の赤縁の冒険者札に、一瞬だけひるんだ顔つきになる。
だが引っ込みがつかなかったのか、力んだ声を張り上げた。
「ああ、なに見てんだよ!」
「おい、まて、やめろ! こいつ泥漁りのおっさんだぞ」
「……マジか。……やべえ。あのラッゼルさんを一方的にボコったって噂の――」
「……こないだのモンスター騒ぎの時も、一人でホブゴブリン百匹倒したって――」
みるみる間に顔を青くしながら、黒髪の男がリッカルをにらみつける。
「てめえ、急にイキったと思ったら、そういうことかよ!」
「こいつら、泥漁りのナカマかよ……」
「え、そうなの? オレ、おっちゃんのナカマなの? まじで?」
「そうなんですか? トールさん」
どう答えるべきか逡巡するトールをよそに、周りは勝手に話を進めていく。
「ちっ、相手にするにはヤバイぜ。どうする?」
「な、なあ?」
「お前、どうしたよ? 顔がヤバイ色になってんぞ」
「いや、なんかおっさんの顔見たら、急に吐き気がして……」
「おいおい、またゲロ掃除はかんべんだぜ。くそ、覚えてろよ!」
「いや、覚えられるとマズいって。忘れてろよ!」
男たちは無様な捨て台詞を残して、現れた時と同じように素早く去っていった。
残された若者四人は、それを気にすることもなく興奮気味に語り始める。
「そっかー、オレらもついにハバツ入りか」
「うん、私もトールさんのとこなら安心できると思う」
「そうだな。って、おい、シサン泣いてるのか?」
「うう、ちょっとグッときちゃって。すみません、トールさん」
目尻に涙を浮かべた少年の姿に、トールは否定の言葉を言い出すことができず、代わりに無難な返答をしてしまう。
「ほら、冷めちまうぞ。さっさと食えよ」
「はい、ありがとうございます」
「その前に乾杯しようぜ、おっちゃん」
「じゃあ、新しい仲間になれたことに!」
「カンパイ!」
なぜか、そういうことになってしまった。




